g.東奔北走

2013年3月11日14時46分

※フリーランサーズマガジン「石のスープ」2013年3月12日号/通巻No.73から転載

 あれから2度目の3月11日。
 僕は、2年前に50〜60人が避難していた高台に登り、そこで14時46分を迎えた。

 同じ時刻、僕のぞいて11人が同じ高台にいた。そこで3人から話を聞いたが、「2年前の当日も高台にいた」という人は一人しか出会えなかった。ボランティア4人組を除けば、残りは4人。この方々が2年前にどこで過ごしていたかは聞けていない。
 そこは、大手メディアで何度も取り上げられた高台で、この間に同地を訪れて町を見下ろした人もたくさんいたはずの「有名スポット」だ。

 それが僕の見た2013年3月11日14時46分だった。

 その後、この高台に避難して助かった女性が営む居酒屋に立ち寄った。同行記者が「どこで“その時”を迎えたのですが?」と尋ねたところ、「仕事で車移動しているときに、追悼のラジオ番組と、防災無線のサイレンが流れるなかで迎えた」と。

 この女性の店は自前のビルだったが、津波被害が大きく、震災から数カ月後に2キロほど内陸側に場所を借りて、居酒屋を再開した。近所の工場で働く人などが、ランチや夜の一杯に利用している。
 一昨年の7月から何度か伺っているが、お店にいくといつも「お帰りなさい」と出迎えてくれる暖かい店だ。昨日は、帰りにお土産まで持たせてくれた。

  それぞれが、それぞれの場所で、それぞれの気持ちで3月11日14時46分を迎えたはずで、当然ながら、僕が見たそれは、何十万、日本全国では何千万とい う「その時」のホンの一部だ。微力なもので、そんな一部しか見ることができないし、伝える事ができないけども、とにかく「来年の311まで、やれるだけや ろう」と思いながら、2年間、取材を続けてきた。

 そうやって311を迎えても、結局は、何の区切りにもならないし、3月12日になったからといって、何かが変わるわけでもない。
 たぶん、東日本大震災で当事者となっている多くの人達も、何も変わらない3月12日を迎えているだろう。
 この数日、メディアからは、大量の「震災関連情報」が流れたと思う。もちろん、一つの重要な日付である事は間違いないけど、でも、実際にその情報の渦中にいる多くの人たちにとっては、割りと淡々とした生活のなかに311があるんだと思う。

 そしてそれは、情報の受け手にとっても同じ事で、だからこそ、3月12日以降、大量の「震災関連情報」から開放されて、みんな淡々とした日常が戻っていくんだろう。
 それは、ある意味では「風化」だけども、ある意味では「日常化」だ。

  だから、その淡々とした日常の中に、いかに東日本大震災のことを感じとってもらうか。否、大切な情報は他にもいっぱいあるので、東日本大震災だけを伝えれ ば言い訳じゃないけども、それでも、これまでたくさんの人達の貴重な話を聞かせてもらった僕が……まぁ、極めていい加減な人間なんで、偉そうなことは言え ないんだけど……そんな僕が、ちっとは使命感をもってやっていかなくちゃいけないのかなぁと、改めた感じた311だった。

 そして、また、来年の311まで、やれるだけやろうと思ってる。

Dsc_8500

2013年3月11日14時46分
岩手県釜石市、釜石漁港や市街地を見渡す高台より

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【イベント告知】東日本大震災 取材報告会〜岩手篇

主催・出演イベントの情報です。


12月18日(月)
東日本大震災 取材報告会
「風化する光と影〜継続する僕らの取材レポート」岩手篇

震災1年で上梓した「風化する光と影」(マイウェイ出版)は、僕らが今後も取材報告を続けていきたいという想いを込めて、サブタイトルに「中間報告」という文字を入れました。そして、同書の執筆陣たちが継続して取材報告をする場を作るため、定期的に取材報告会のイベントをおこなっています。第2回の今回は「岩手篇」です。

日 時:2012年12月10日(月)
会 場:新宿2丁目「道楽亭 Ryu's bar
    http://www.ryus-dourakutei.com/pctop.html
    新宿区新宿2-14-5 坂上ビル
    03-6457-8366

出 演:渋井哲也(フリーライター)
    村上和巳(フリージャーナリスト)
    渡部真(フリーランス編集者)
(司会)畠山理仁(フリーランスライター)

入場料:[前売り]2000円 [当日]2400円
    ※大学生:半額 高校生以下無料
    ドリンク代は別/食べ物は用意していないので持ち込みOK

予約・問合:「石のスープ」編集部まで
      sdp.snmw(あっとまーく)gmail.com
      080-4366-3070

当日はドワンゴ提供「チャンネル石のスープ」で、生放送を予定しています(一部会員限定)。
生中継はこちらで予約・視聴してください。

■チャンネル石のスープ
http://ch.nicovideo.jp/lives/sdp

Flyer021212

クリックすると、チラシのPDFデータをダウンロードする事が出来ます。
http://www.craftbox-jp.com/sdp/Flyer021212.pdf


入場料や生放送(ブロマガ)の売上げなどは、僕ら4人の取材経費として使わせてもらいます。ぜひ、よろしくお願いします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年6月30日〜7月1日/福島県と宮城県

6月30日〜7月1日、福島県と宮城県で取材してきました。
その取材写真の一部をFacebookで紹介しています。

希望の牧場」ことエム牧場・浪江農場と、新しくできた丸森農場の様子が中心です。

http://www.facebook.com/media/set/?set=a.341238919287273.74327.100002035033414&type=1&l=5d14080e6e

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【告知】「風化する光と影」〜継続する僕らの取材報告〜file01-宮城篇

震災1年で上梓した「風化する光と影」(マイウェイ出版)は、僕らが今後も取材報告を続けていきたいという想いを込めて、サブタイトルに「中間報告」という文字を入れました。
そこでこのたび、同書の執筆陣たちが継続して取材報告をする場を作るため、定期的に取材報告会のイベントをおこなう事になりました。
  メディアからは徐々に情報が少なくなっていますが、ぜひ、僕らの取材報告を通じて、今なお現在進行形の東日本大震災の「いま」を知るキッカケにしてください。

出演:渋井哲也 畠山理仁 村上和巳

日時:2012年8月6日(月) 19:00 〜

会場:Bar ルナベース
    JR「中野」駅/西武新宿線「新井薬師」駅
    http://luna-base.net/access/access.htm

料金:1500円+飲食代

前売りはありません。ただし会場が少人数規模のため、座席が一杯になった時点で入場をお断りする場合がありますので、事前にお申し込みいただいたお客様は優先します。 事前申込はメールにて「週刊 石のスープ」編集部まで( メールアドレス→ sdp.snmw(あっとまーく)gmail.com )。

会場からの質疑応答や交流にも、十分な時間を取りたいと思います。
(事前に、ピンポイントの質問や取材依頼があれば、調べておく事も可能です!)
完全自主企画のイベントです。お時間のある方は、ぜひお越しください。

主催:風化する光と影取材チーム
    Tel.080-4366-3070(渡部)
共催:E-lock.planning いちげつカフェ

Hikaritokagerepo01

写真をクリックすると、チラシデータのPDFを入手する事が出来ます

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「風化する光と影」の15秒告知

株式会社ソラノートさんが運営している「Minimov」の中で、「風化する光と影」の15秒告知を作ってもらいました。

→「Minimov」はこちら←




 お陰さまで、ご好評いただいておりますが、何せ弱小出版なので、まだまだ売れ残っております。まだお読みでない方は、ぜひご購読をお願いします。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【告知】「風化する光と影」写真展

前回お知らせした近著「風化する光と影」の出版を記念して、写真展が開催されます。

フリーライターの渋井哲也さん、戦場ジャーナリストの村上和巳さん、そして僕の3人が、十枚程度ずつ、この1年間に東北を中心に取材した際の撮影写真を持ち寄って、皆さんに見ていただこうと企画されました。

僕は、「子ども達の暮らし」をテーマにした写真を提供しています。
「風化する光と影」の表紙で使われた写真なども、やはり「子ども達の暮らし」がテーマでした。こちらも使われていると思います。本に掲載されていない写真も選びました。

小さな写真展ですが、お近くにいらした際は、ぜひお立ち寄りください。

日時:4月18日〜28日 11時30分〜21時00分
    [22日(日)・23日(月)は20時00分まで]

会場:高円寺書林
    [住所]東京都杉並区高円寺北3-34-2
    [TEL] 03-6768-2412
    http://kouenjishorin.jugem.jp/

Wtb_001

写真をクリックすると大きくなります

この写真は、「風化する光と影」で表紙に使われたもの。
震災から約半月後の3月下旬、仙台港のほど近くで、夕焼けのなか、自転車を走らせている少年達を撮影した。
まだいたるところに瓦礫が散乱し、被災した車が折り重なり、信号や電柱が倒れている事も珍しくなかった。この少年達は、そんな車のなかを物色し、めぼしいものを探し歩いていたのだった。当時、こうした光景を何度か見た。
街の孤立、インフラの断絶、食料不足、燃料不足、情報の遮断……。明日の命もしれないなかで落ちている(流されている)ものを手にせざるを得ないこともあっただろう。子ども達だけではない。被災した場所のいたるところで、そうした物色した跡が見られた。
しばらく物色していた彼らは、結局、何も手に入れる事なく、夕日に向かって自転車をこぎ出した……。

*  *  *  *  *  *  *

直近では、18日(水)と22日(日)に会場に行く予定です。来週も行きますので、もし事前のご連絡をいただければ、できるだけ会場にいるようにしますので、ぜひお知らせください。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

東日本大震災の取材をまとめました〜「風化する光と影」

ご無沙汰しております。すっかりブログの更新も怠っていますが、相変わらず東北の取材を続けています。

さて、去る3月7日、そんな1年間の東北取材をまとめた本が出版されました。


風化する光と影
東日本大震災特別リポート
“メデイアから消えつつある震災”の中間報告


MYWAY MOOK
定価1000円

内容を少し紹介させてもらいます。

*  *  *  *  *  *  *


■渋井さん担当ページ


[タイトル]
“奇跡”と“悲劇”が隣り合わせ
被災地内での「排除」「差別」の論理
キャバクラ嬢達の被災体験記
警戒区域の動物たちを生かしたい!
“除染”から見えてくる利権と悩み
火力発電所、同時停止の衝撃!
情報寸断!その時、携帯は?メールは?
多数の児童が犠牲になった大川小
災害時の子どもの心を「遊び」でケア
家族を失いながらも学校で避難者を支援
全国からデリヘル業者が参入?
深刻化が予想される被災後の自殺
災害ボランティアへの対応は今後も課題
陸前高田のボランティア活動を支えた人達
活気づく被災地の商店街


 渋井さんの担当ページの中で、岩手県釜石市の原稿と、宮城県石巻市立大川小学校の記事は、どちらも震災当日の検証となる記事です。
 僕も何度か同行取材させてもらいましたが、渋井さんはとてもしつこく取材されていて、同じ取材者として刺激を受けます。
 この本が出た直後、3月11日前後に、やはり渋井さんと同行取材をしていました。大川小学校では、助かった児童や教師が逃げた裏山の山道を探し、道のない山奥まで探索しました。釜石では、釜石東中学校の生徒たちと、避難した経路を一緒に歩いたり、当時の小学校や中学校の様子を、改めて生徒たちから聞き取りさせてもらったりしました。
 取材を重ねるごとに新しい事実を知る事ができ、次の取材意欲が掻き立てられます。他の記事でもそうですが、とくにこの2つの記事については、僕も渋井さんに協力して今後も検証し、改めて発表できる場を作りたいと思います。

 また、キャバクラの話や、被災地の繁華街や飲食店街の話題も渋井さんらしい記事だったと思います。
 渋井さんに同行取材すると、「夜の取材」は欠かせません。僕は、基本的には22時を過ぎると眠くてしょうがないので、途中で夜の取材から脱落する事が多いのですが、貴重な情報を得る事も多く、無駄に高い経費をかけているだけでないってことだけは、この場で書いておきたいと思います。


■村上さんの担当ページ


[タイトル]
島も被災した!有人島の孤立無援
嘘にまみれた「津波生還記」
道東にまで到達した巨大津波!
内陸にある須賀川に津波が来た!?
事故後の東電福島第一原発に迫る
知られざる宮城の“ホットスポット”
電車が来ない…常磐線をめぐる疑問と苦悩
震災直後に処理された土葬の実態
「尾張の湯」かけ流し水量、一日120t!
被災地を襲ったハエ地獄
地盤喪失…液状化と地盤沈下の凄まじさ!
火事場泥棒の実態に迫る
住宅地に突如湧き出した迷惑な温泉
未だ残る震災の痕跡を巡る


 村上さんは、やはり地元出身だけあって、細かい情報を丹念に拾い上げていることに脱帽します。
 震災からしばらく、僕も大手メディアが大量に動員するような避難所や被災現場だけでなく、記者たちがあまり行かない場所に行くように心がけていましたが、当然ながら、村上さんには敵いません。村上さんのように細かな取材を続けて行くのは、とても困難なことだと思います。

 村上さんの同行取材でも、何度か刺激を受けました。
 去年の4月だったと思いますが、ある瓦礫撤去と遺体捜索の現場で、自衛隊が活動している様子を撮影していた時のことです。僕は、せいぜい自衛隊員が作業している数メートル程度までしか近寄らないで撮影していたのですが、村上さんは、立ちどまって周囲を監視している自衛隊員を見つけると、その隊員の顔の数センチまでカメラを近づけ、自衛隊員がつけていた特殊なマスクを撮影し始めました。後ろから見たら、まるでキスでもしているんじゃないかってくらい、顔を近づけて撮影する姿を見て、さすがだと思ったのを覚えています。
 僕も警察や消防や自衛隊の撮影の際は、作業の邪魔にならないように注意を払った上で、機会があれ ばできる限り近づくように心がけていますが、村上さんの姿を見てから、さらに「もう一歩前へ」という気持ちになりました。


■渡部の担当ページ


[タイトル]
津波は本当に「想定外」だったのか!?
日本に引かれた“国境線”
経済価値のない家畜は殺すべきか!?
教師と生徒をなぜ引き裂いたのか?
仮設住宅に入居して引き裂かれた家族


 まったく恥ずかしい話ながら、本来は僕も10本くらい書く予定だったのですが、他の皆さんの素晴らしい原稿を前に没にしました。没になった原稿は、今後、「石のスープ」などで公開する予定です。


■特集
「再会のつどい」で見えた避難した町の現実


 昨年12月、原発事故の影響で町ごと避難した富岡町の子ども達が、一つの場所に集まって「再開」を果たしました。その様子を、渋井さん、村上さん、畠山さん、そして僕の4人で取材しました。  それぞれの記者が、富岡町の再会のつどいをどのように受け取ったのか、特集としてまとめました。記者の個性が分かれる特集になっているともいます。


■長田義幸さんの寄稿


[タイトル]
苦悩する原発立地自治体と引き裂かれる被災者

 長岡さんは、福島県南相馬市小高区の出身です。東電の原発事故の影響で今では警戒区域となり、住民の方でも許可なく侵入することがません。
 昨年の5月、長岡さんから震災後に小高に帰ったときの話を聞いてから、ずっと長岡さんの記事をどこかで発表する手伝いがしたいと持っていました。長岡さんは、今回の原発事故に関しては、取材者ではなく当事者になってしまっているので、原稿を書くというのは少し遠慮されているようですが、当事者でもある記者だからこそ書ける記事があるはずです。実際、この本で書いてくれた長岡さんのの記事も、とても抑制的でありながら、熱い気持ちが伝わる記事になっていると思います。

 近いうちに、この本の発行責任者である太田伸幸さんが、原発事故に関する長岡さんの論考を1冊の本にまとめられるそうです。
 正式に発行される際には、また皆さんにもお知らせしたいと思います。


■太田伸幸さんの寄稿


[タイトル]
デモは世につれ、世はデモにつれ

 太田さんは、この本の発行責任者です。渋井さんや村上さんと「震災取材をまとめたルポ集を出したいなぁ」と話し合っていたのですが、震災のルポはどの出版社からも「売れないよ」と断られてしました。そんな時に太田さんが、「お前ら、1年間、金にもならない取材をよく続けたな。他がダメなら、俺が何とかするから好きな企画を出せ」と声をかけてくれました。
 今回の編集では、一部のライターの方々から原稿の集まりが悪く、しびれを切らした太田さんが「俺が原稿書く!」と言って書いたのが、東京のデモの記事です。編集の都合上「レポート」となっていますが、太田さんの楽しいコラムになっています。


■三宅勝久さんの寄稿


[タイトル]
告発!怒らない国民はナメられる!

 「石のスープ」の執筆陣の一人である三宅勝久さんが、本書にも寄稿してくれました。
 さすが三宅さん、しつこい!(笑)。昨年から東京電力の天下り問題を追求している三宅さんが、今度は裁判所から東電への天下りの実態を暴き出しました。


■粥川準二さんの寄稿


[タイトル]
忘れられた弔いの心

 震災で大量に発生した「ガレキ」を通して、震災と日本社会の問題点を鋭く指摘している記事です。ページの都合で1ページしかお願いできませんでしたが、短文ながら、きちんとデータに基づいて抑制の効いた論評だと思います。科学ジャーナリストである彼はアカデミックな文章を書く人ですが、本書に合わせて文章もわかりやすく書いてくれ、改めて粥川さんのライターとしての技術力を感じさせてくれたコラムです。


■畠山理仁さんの寄稿


[タイトル]
“ウソつき”政府に記者会見ゲリラが吠えた!

 この4月で自由報道協会の事務局を退任する畠山さんの記事です。実家が宮城県にあるにもかかわらず、彼がこの1年、震災の取材をしないで自由報道協会の仕事に追われた原因は、最初に事務局長をやる予定だった僕が途中で投げ出したからに外ありません。昨年秋頃から、何とか被災地に連れ出して取材をしてもらおうときっかけを作ってきたつもりですが、それでも責任感の強い畠山さんは、なかなか取材に集中せず、協会の事務局仕事を一所懸命こなしてきました。
 本書を作る時、渋井さんと村上さん以外に、最初に寄稿をお願いしようと思ったのは畠山さんです。それは、何とか震災についての執筆のキッカケになってほしいと願ったからです。畠山さんは「まだ十分に取材できていない自分が書いていいものだろうか……?」とおっしゃっていましたが、「とにかく何でもいいから書いてほしい」とお願いしました。結局、彼は被災地の取材を発表するのを躊躇されたようです。
 その代わりに書いてくれたのがこの記事です。震災取材について書いてもらえなかったのは残念ですが、しかし、このテーマも大問題であることは確かです。フリーランスやネットメディアが、震災取材の現場でも排除されていることを指摘してくれています。


■寺家将太さんの寄稿


[タイトル]
被災した女子高生の叫び

福田順美さんのtweet


[タイトル]
私自身の“あの日”のこと

 昨夏、自由報道協会のインターンをし、その後「ニコニコニュース」のインターンをしていた現役大学生の寺家さんに、陸前高田を取材してきてもらいました。編集者としては、若い人が若い人を取材することで、どういう記事ができるのかを楽しみにしていました。何度か書き直しをしてもらいましたが、結果的にいい記事に仕上がったと思います。
 寺家さんが取材したのは、Twitterで陸前高田の被災状況をつぶやいた福田直美さんという女子高生。彼女の許可を取り、当時のつぶやきを転載しています。今回の編集にあたり、臨場感溢れる当時の様子を改めて読み直してみて、このつぶやきを転載して皆さんに読んでいただくことが重要だと思いました。少し長いのですが、ぜひお読みください。

[目次]購読のご参考に
htk_002-003-2.jpg

*  *  *  *  *  *  *

 ということで、だいぶ遅くなりましたが、「風化する光と影」をぜひよろしくお願いいたします。

 震災から1年を迎え、被災地の情報が徐々に風化されつつある状況にあります。今後もこうした被災地の問題点をできるだけ報じていきたいと思っていますが、まずは本書が売れないと「中間報告」が「最終報告」になってしまうかも……(苦笑)。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【週刊 石のスープ】本当に想定外だったのか!?」その2

 有料メールマガジン「週刊 石のスープ」に記事を投稿しました。今号は特別増刊号として、記事を公開します。




 今回の記事は、1月26日号の続きになります。

 2011年4月1日に宮城県石巻市を訪れた僕は、それから南三陸町、気仙沼市、岩手県陸前高田市と北上し続けました。三陸の沿岸部に沿って国道45号線を北上して行くうちに、「津波浸水想定区域」という看板を何度も見ることになるのですが、その津波想定通りに被害があることに気がつきました。

「津波被害をちゃんと想定していたってことなのか!?」

 そこまでが前号まで。今回はその続き──

*  *  *  *  *  *  *

■看板が示す「津波浸水想定」は誰が作ったのか?

 国道45号線沿いに建てられた「津波浸水想定区域」の看板は「これより先」と「ここまで」で結ばれている。その看板の内側と外側では、津波の被害が全く異なっていた。
 例えば、陸前高田市の市街地を例に見ていよう。まずは、市街地を走る国道45号線の北側に立てられている看板。

DSC_7603.jpg
[写真1]「これより先」の看板(4月20日)


 「ここから先 津波浸水想定区域」と書かれた看板の奥を見ると広大な市街地が津波に襲われたことをうかがわせる。市街地は、鉄筋の高い建物以外は、建物が残っていない。

DSC_7947.jpg
[写真2]「ここまで」の看板(4月20日)


 写真1を反対側から撮ると、写真2の看板になる。すぐ横が畑になっているが、この畑は水がかぶったものの、奥の住宅地、左側の石材店に大きな津波被害はなかった(石材店は地震の被害が深刻だったらしい)。

 4月末までの時点で、僕が確認できた看板は、全部で13か所。そのうち、津波被害が看板を大きく超えていたのは2か所だけ。つまり、11か所は「想定内」だったということになる。
 なお、前号で書いたように、国道45号線は津波被害が大きく、通行止めになっているエリアもあった。そうしたエリアは宮城県石巻市から岩手県宮古市までの間で、5〜6か所あったため、そのエリアは確認できていない。

 この「津波浸水想定区域」を作った人もしくは組織は、どうやって津波被害を想定したのか? もしこの想定が住民に徹底されていたら、被害はもっと小さいものになっていたのではないか?
 当然そう考え『週刊SPA!』(4月19日号)に記事を書いた。
(中略)
 当時の取材メモを基に、改めてこのことを書いてみたい。

 この看板を設置したのは、国土交通省の出先機関である三陸国道事務所だ。2004年から2007年にかけて、国道45号線沿線で、岩手県に14か所、宮城県に13か所、それぞれ設置している(各地、起点と終点があるため、看板の数は合計54枚となる)。
 三陸国道事務所に聞いたところによると、各市町村が作っている津波ハザードマップに基づき、その数メートル外側に設置したという。

 そこで次に、各市町村の津波ハザードマップを調べてみた。すると、各地のハザードマップで設定されている津波浸水の想定が、びっくりするほど今回の津波浸水地域に当てはまる。たしかに、南三陸町の市街地(志津川)など、被害が浸水エリアが超えているところもあるが、多くの場所は津波被害がハザードパップで示した範囲を大きく超えていることはない。
 2000年に内閣府の地震調査推進研究本部(現在は文部科学省に継承)が、算定した地震・津波予測を受ける形で、2002年から2004年、岩手県と宮城県の各市町村で津波ハザードマップが作成された。基本的には、この時に作られたハザードマップが、東日本大震災の直前まで、各市町村の防災の基礎となっていた(一部、部分的に修正している市町村もある)。

 多くの地域でハザードマップが津波浸水を想定していたのに、なぜこれほど大きな被害となってしまったのだろうか……。


■ハザードマップに生かされなかった「防災大綱」

 一つは、そもそも国が2000年に示した地震・津波予測が甘かったということがある。
 国の中央防災会議は、2008年に「防災大綱」を作成し、それまでの地震や津波の予測を大幅に修正した。この防災大綱は、とくに東北地方の津波対策について、更に強化が必要であるということが明記している。この防災大綱を基準にして、各市町村にはそれまでの想定を修正するように指示が出された。といっても、中央防災会議が各市町村に直接指示をした訳ではない。

 中央防災会議に取材したところ、各県と消防庁に対して、A4サイズで1枚の通達を1度だけ送ったということだった。さらに、岩手県と宮城県では、その通達通り、各市町村に指示を出したということだった。いかにもお役所仕事だ。
 しかしながら、2008年から東日本大震災まで3年以上経っているのに、各市町村では防災大綱を前提に津波ハザードマップが修正された様子が見られない。どういうことだろうか?

中央防災会議「2008年に各県と消防庁に通達を送った。2012年が防災大綱の見直し時期なので、2011年度(4月以降)に各地の状況を調査する予定だった。調査時期は未定のまま震災となった」

宮城県「今年度中にフォローアップするため、各市町村に確認し、必要に応じながら、消防や警察と連携しながら、ハザードマップを含め防災対策を検討し直す予定だった」

石巻市「今年度中に修正を検討しようとしていたが、具体的には何も決まっていなかった」

 県・市町村については、岩手県、気仙沼市、南三陸市、陸前高田市、釜石市にも聞いたが、同じような回答だった。国の中央防災会議から、基礎自治体の市町村にいたるまで、共通するのは
「地震は対策していたが、津波については2011年度中に、何らかの対策を検討(および実態調査・フォローアップ)する予定だったが、この3年間はとくに対策していない。今年、予定していたが、その前に震災になったので、今はそれどころではない」
という主旨のことだった。

 例えば釜石市などは、防災大綱を受けて、2009年から防災のための予算を編成している。その結果、学校教育の中で津波教育を徹底させることになり、それが「釜石の奇跡」と言われる結果となった。当メールマガジンでも、何度か触れてきたと思うが、釜石東中学などには継続的に取材をさせてもらっていて、そうした津波教育の成果については、いずれ改めて発表する機会を設けたいと思っている。
 各市町村とも、釜石市と同じように防災大綱を受けて、防災に関する政策は実現していることは間違いないだろう。とくに地震対策については、ある程度は進めてきたと各市町村とも言う。しかし、防災大綱では、地震だけでなく、それまでの津波対策を再検討すべきと警告している。それにも関わらず、防災訓練や防災対策の指針となる津波ハザードマップを全面的に修正することはなかったのだ。


■「まさか、ここまで津波が来るなんて」

 もう一つは、自治体も住民も、津波ハザードマップが徹底されていなかったことだ。  「津波浸水想定区域」の看板のことについて、宮城県のいくつかの地域で、看板の周辺住民に聞いてみた。看板についてちゃんと認識していたのは半数程度で、車を運転するためか、特に男性が多かった。しかし、その多くの人が、「看板の存在は知ってたけど、津波浸水についてのちゃんと理解してなかった」「まさか本当にここまで津波が来るなんて思ってもみなかった」と言う。お年寄りの中には、ハザードマップの存在を知っていて津波の意識をしている人もいたが、多くの人は知らないか、知っていても信じていなかった。
 この看板が設置されているのは、かなりの高台だったり、沿岸からとても離れていたりするため、昭和三陸地震(1933年)を体験していなければ、仕方がないかもしれない。

 この件で市町村の取材をしたのは、東日本大震災からちょうど1カ月目の頃だったため、まだまだ各市町村も混乱していて、十分には取材できなかったのだが、ちょっと驚いたのは、多くの市町村では、防災大綱の見直し時期(2012年)までに、何らか検討を始めておけばいいと思っていたことだ。いくつもの市町村で「2011年度中に検討を始めておく予定だったが、予算の関係上、特に具体的な計画はない」という主旨の回答をえた。つまり、防災大綱が出たからといって、すぐに防災計画を大幅に見直すことなどするつもりがなかったのだ。
 津波ハザードマップの作成に大きな予算が必要になることも背景にある。専門の民間企業に依頼して作成されるらしいが、地域によってバラバラながら、一つのハザードマップを作るのに数千万円もかかるともいう。気仙沼など沿岸エリアが広い地域は、高額の予算が必要になる。しかし、震災前から予算が逼迫していた市町村が多く、防災大綱が出されたからと言ってすぐに十分な対応が出来なかったというのだ。

 だったら、各県、あるいは国がそうした実態をつぶさに監視し、必要に応じて財政補助をすればいいと思うが、各県、あるいは防災会議に関する省庁とも、とくに積極的に動いた様子は見られない。


■「何でもかんでも国がやってくれるなんて思わない方がいい」

 東北取材から東京に戻った僕は、4月8日、中央防災会議のメンバーで、地方行政・消防庁を管理する片山善博総務大臣(当時)にこうした疑問をぶつけてみた。

DSC_5759-2.jpg
[写真4]回答する片山総務大臣(当時)


「各地方自治体が作る詳細な防災計画について、国があまり口を出すべきではないと考えています。防災対策は、県が一番中心になるべき存在。常日頃、防災計画の点検は必要だが、国が示すことではない。自分が鳥取県知事に就任して、すぐに防災計画の見直しを着手した。就任して1年半頃にようやく体制が整ったが、数カ月後に鳥取に大地震があった(鳥取県西部地震/マグニチュード7.3、震度6強)。見直しをしていてよかったなと思った。各県とも、そういう心がけが必要だが、何でもかんでも国が地域の防災計画を作ってくれるなんて思わない方がいい」

 片山大臣が知事時代の成功例をやたらと記者に語りたがるのはお馴染みだが、それを県に伝えていなければ意味がない。改めて、県と国のあり方を聞いた。

筆者「県で主導してハザードマップを作っているところと、市町村がハザードマップを作って、それを県が集約しているところと、県によって対応がバラバラだが、国として、具体的にこうすべきだと方針を示すことはないのか?」

片山大臣「気が付いたことは言いますけれどもね。霞が関のお役所が、全国の地域のことに詳しいかと言うと、必ずしもそうでもない。一番地域のことに詳しいのは、地域の皆さん。今回の震災でも、三陸沖地震のときにここまで来たとか、チリ地震のときにここまできたとか、土地の古老の皆さんの言い伝えとか、石碑とか、古文書に書いてあったとか、実は、そういうことがすごく貴重なもの。そんなことは、やはり地域の皆さんが詳しい。それぞれの地域性、地勢、歴史、そういうものを踏まえて、自治体が地域の安全を守るための計画を作って、それを県が束ねるというのが望ましいと思う。国がやるのは、そこに地震や津波の科学的知見などを加味して助言をすることです」

 それまでの取材で、各県がこの3年間、積極的に動かいたように見えないから質問したのだが、片山大臣は、「今は震災直後で各県、各市町村も混乱しており、これまでの具体的な動きは把握していない」という。そもそも、地方が自由にできる財政がないために、ハザードマップさせ書き換えられなかったというのに、地方分権をかざした民主党政権の担当大臣の発言とは思えない。何とも他人事のような発言だが、「津波浸水想定浸水区域」を設置した国土交通省など、中央防災会議のメンバーになっているいくつかの省庁の官僚に聞いても同じような暢気な回答しか帰って来なかった。
 地方と国の関係上、中央の大臣や官僚などの意識としては、予想通りの回答だった。日本の行政組織が制度疲労している一面を、またも見ることになった。


■「想定外」は虚しい言い訳

 いずれにしても、防災大綱前に作られた津波ハザードマップは、その多くの場所で東日本大震災の津波予想を当てていた。実際には、看板のやや内側が想定区域なので、数メートルは外れていたかもしれないが、それでも住宅が全壊するような津波被害は、その多くが想定区域の内側だった。

 三陸地方では、津波や地震の防災訓練をしたり、宮古市や釜石市のような強固な防潮堤を作るなど、たしかに防災対策は行ってきていた。しかし、それを前提とした津波ハザードマップが示す津波浸水地域に、多くの住民の生活基盤エリアがあれば、大きな被害が出るのは当然の結果だ。
 例えば、役場、警察署、消防、防災センター、学校など、なぜ津波浸水が想定される場所に建てられていたのか? 大きな箱ものをすぐに移転するわけにはいかないのは理解できる。しかし、2008年の防災大綱は、わざわざ東北地方の津波想定が甘いことを指摘していたい。にも拘らず、具体的な津波対策がとられなかった。

 要するに、津波想定を甘く見積もっていただけだ。これでは、「想定外」「千年に一度の大津波」などと言い訳は虚しいばかり。

DSC_4923.jpg
[写真5]三陸町/防災対策庁舎(4月2日)


(中略)
 東京電力福島第一原発についても、震災直後は「想定外」という言い訳がまかり通っていた。しかし、徐々にその嘘が暴かれて、「想定外」ではなく、「あえて想定しなかった」「想定すべきという指摘を無視してきた」という実態が明らかになってきている。

 数十年、数百年に一度の大震災に対して、人間が完全にコントロールすることは出来ないだろう。自然の力に対して、人間は抵抗しきれない。それは仕方がないことだ。しかし、知識や知恵によって被害を小さくすることは出来る。それをするのが政治や行政の大きな役割だ。
 これまでの「想定」については、今後の検証によって、さらに明らかになってくるだろう。そのなかでどんな言い訳をしようとも、政治や行政の責任が大きいことは間違いがない。

*  *  *  *  *  *  *


 ここまでが、昨年4月の取材メモを使って、改めて書き起こした原稿だ。

 実は、今年3月の発行を目指して、次の本の制作に入っている。MOOK形式の本になるが、フリーライターの渋井哲也さん、医療ジャーナリストの村上一巳さんとの共著になる。今回も、東日本大震災のルポ集となる。たぶん、3人で4〜50本のルポを書くことになるだろう。
 そのなかの1本に、この「津波浸水想定区域」について、追加取材をして書き加えたいと考えている。まだ記事が採用されるか決まっていないが、そのために書き起こしてみた。

 本については改めてお知らせしたいと思うので、出版された際には、ぜひよろしくお願いします。

*  *  *  *  *  *  *


「週刊 石のスープ」は、数人のフリーランスライターが週替わりでお届けしている有料メールマガジンです。
バックナンバーや今後の記事は、ぜひ有料メルマガ「週刊 石のスープ」をお申し込みください。


メールマガジンの登録申し込みは「まぐまぐ」から
http://www.mag2.com/m/0001339782.html
料金は1カ月315円(税込)。登録した月の料金は無料です(登録した月に契約解除することも可能です)。


■まだまだ発売中
「3.11 絆のメッセージ」

亀松太郎、渋井哲也、西村仁美、村上和巳、渡部真、ほか共著
発行元:東京書店
定価:1000円
→ アマゾンにジャンプ ←
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4885743117

 震災直後からの1か月半、東北の被災地を中心に、どんなことが起きていたのか?
 取材の中で知ることができた一人ひとりに起きたエピソードを、5人の仲間達でルポとしてまとめました。また、日本や世界から被災した皆さんに向けたメッセージも編集部で集め、あわせて紹介。
 この本は5月に緊急出版され、それからすでに数か月経ちましたが、今一度、あの時に皆が感じたことを思い出し、その気持ちを忘れないためにも、ぜひご一読ください。


■増刷出来!
「自由報道協会が追った3.11」

自由報道協会・編
上杉隆、神保哲生、津田大介、日隅一雄、畠山理仁、渋井哲也、江川紹子、渡部真、ほか
発行元:扶桑社
定価:1400円
→ アマゾンにジャンプ ←
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4594064957/

 自由報道協会の有志の面々と、東日本大震災について共著を上梓しました。
 それぞれのジャーナリストたちが、この半年間、どのように震災と関わってきたか? この半年間をどう考えているのか? 震災とメディアのあり方、震災以降のメディアの変化、そしてこの半年間で被災地で起こった出来事の数々……
 渋井と渡部は、それぞれ2本のルポを書いています。また、全体の構成や編集も担当。


 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【週刊 石のスープ】本当に想定外だったのか!?」その1

 有料メールマガジン「週刊 石のスープ」に記事を投稿しました。その一部を公開します。




■三陸地域の被害を見たときの驚き

 2011年3月11日以降、原子力安全・保安院と東京電力本社の記者会見に参加したり、厚生労働省に取材したりしながら、その時に抱えていた仕事を仕上げて、ようやく16日から本格的に被災地の取材を始めた事は、以前書いたと思う。

(中略)

 さて、水戸から始まった取材は、宮城県仙台市、名取市、亘理町、七ヶ浜町、多賀城市、利府町、福島県相馬市、南相馬市など、何度かに分けて取材しているうちに、あっという間に3月が終わってしまった。ちょうど、今回の震災で津波被害が大きかった東北3県の半分から南側の沿岸地域を中心に取材をした事になる。

 この段階で僕は、相馬市、南相馬市、仙台市、七ヶ浜町、それにいわき市などを今後の取材の中心にしようと考えていた。本来のフィールドワークである学校や教育現場を継続取材したい考えていて、そのうちいくつかは目星がついたところだった。今後のことを考えたら、あまり取材範囲を広げると大変になるし、時間的にも予算的にも、北に行けば行くほど負担が大きくなる。
 それに、相馬市や仙台市で津波被害の悲惨な状況は十分に見たつもりだったので、北に向かう事に、あまり興味がわかなかった。
 この頃は、ほとんどフリーランスライターの渋井哲也さんと二人で動いていたので、
「とりあえず、石巻には行くけど、それより北方面については、渋井さんの意思に任せるよ。『運転手として連れていけ』と言われれば、4月一杯は付き合うけど、基本的に僕は、仙台や七ヶ浜以南を中心に取材を続けるつもり」 と渋井さんに伝えた。

 3月31日、僕らは相馬市や浪江町にいた。浪江町は、警戒区域内(当時は避難指示区域)内で牛のエサやりを続けているエム牧場に行き始めた頃。相馬市は、磯部中学校の生徒たちが集団で避難している避難所に何度か行き、僕の顔を覚えてくれた子が何人かできた頃だった。そのまま相馬や浪江にとどまって継続取材したいと思ったのが本音だった。だから、渋井さんから
「石巻市の被害は大きいというし、行くべきだと思う」
と誘われなければ、その時は宮城県石巻市に移動することすらなかったかもしれない。

 とにかく、4月1日、石巻市に向かった。

※この後の記事(小見出しのみ紹介)
■三陸地域を南北に走る国道45号線

【おまけコーナー】ジャーナリズムとは何か
■僕はジャーナリストではない
■明確な答えを出せないまま過ごした1年

DSC_4781.jpg

DSC_4725.jpg

つづきは、有料メルマガ「週刊 石のスープ」のバックナンバーをご購読ください。

メールマガジンの登録申し込みは「まぐまぐ」から
http://www.mag2.com/m/0001339782.html

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

【週刊 石のスープ】相馬市で出会った少女の素顔

 有料メールマガジン「週刊 石のスープ」に記事を投稿しました。その一部を公開します。




■伝える責任を負う覚悟

 最初に被災地を訪れた頃は、まだ自分自身が取材するという意識はほとんどなく、記者仲間たちを車で送り届けるつもりだった、という話はすでに書いた。
 しかし、いざ被災地に行ってしまえば、やはり自分自身も聞きたいことが出てくるし、写真に収めたいという感情が自然と湧き上がってくる。話を聞いてしまい写真を撮ってしまえば、それを伝えなければいけない、責任が生じる。
 正直に言うと、3月16日に最初に水戸に行き、その後仙台に行ったとき、僕には、取材してそれを伝える覚悟が出来ていなかった。いま振り返って当時の録音を聞き返すと、迷いながらインタビューしていることがよく分かる。覚悟が出来たのは、3月23日に再び仙台に行ったときだったと思う。この日は一人で仙台に行き、一人で市内を取材した。事前に東京で情報を仕入れ、津波被害の大きかった若林区にあるフリースクールを訪れた。フリーランスとしてとくに専門分野を持たずに、いろんな仕事をしてきているが、教育現場の取材はずっと続けている。この震災を通して、学校や教育機関がどんな役割を果たし、そこで何が起きていたのか、子供たちにどんな変化があるのかを見て、それを伝えることならば、僕なり取材した責任を果たすことができるんじゃないかと考えたからだ。

 そうして取材を始めた矢先に、渋井さんから5月早々に書籍を作るから一緒に書かないかと誘われた。「ニコニコニュース」編集長の亀松太郎さん、ルポライターの西村仁美さんなどよく知る人たちと、戦場ジャーナリストの村上和己さんと5人で手分けするという。
 それが、「3.11 絆のメッセージ」(東京書店)だ。

 すっかり前置きが長くなってしまった。今回は、同書で紹介したある姉妹の話……。


■避難所を点々としながら450キロも移動

 福島県相馬市の磯部地区。3月11日、広大な田んぼ一帯を津波が襲った。
 磯部で生まれ育った……


※この後の記事(小見出しのみ紹介)
■突然の再会
■生きていくことに必死だった
■7か月も経って知った素顔
【おまけコーナー】



つづきは、有料メルマガ「週刊 石のスープ」のバックナンバーをご購読ください。

メールマガジンの登録申し込みは「まぐまぐ」から
http://www.mag2.com/m/0001339782.html

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)