e.娯楽観想

還暦過ぎても感じさせる「現役感」……「唄の市」を観て

大晦日の記事で書き始めて、結局書き終わらなかった「唄の市」のこと。
開催されたのは去年の11月27日だったので、すでに2か月も経っているけども、自分の備忘録としても、書いておきたい。

「唄の市」という音楽イベントについては、前回ザックリと説明した。
ということで、今回はその続き。

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実は大晦日に、泉谷しげるのステージや、漫画家なのに出演していた浦沢直樹、この日唯一の若手「ザ・アウトローズ」などについても書いていたんだけども、細かいことまで書いていたら、誌面がいくらあっても足りないので、改めて加奈崎芳太郎と生田敬太郎についてだけ書いておきたい。

敬太郎さんは、僕が加奈崎さんのスタッフとして仕事をしていた時に、加奈崎さんと同じ事務所の所属として活動をしてもらっていた。だから敬太郎さんのステージやレコーディングも手伝っていたし、加奈崎さんと違って、敬太郎さんはマメに事務所に来ていたんで、帰りはちょくちょく車で送って帰ったり飯を一緒に食べていたんで、いろいろと可愛がってもらった。

そんな生田敬太郎は、いまでは年に数回のステージだけの活動となってしまった。
残念ながら、今回のステージも新曲はなし。昔の曲を強烈なブルーステイストで聞かせてくれた。

第二部での生田敬太郎ステージの直前は泉谷しげるだった。
会場は、やはり泉谷ファンが多い。それに、泉谷しげるのステージングは、観客を散々煽って会場を熱くする。観客の平均年齢がいかに高いとはいえ、あのステージングにはやはり熱くさせられる。そんな熱気のある会場内を、ゴツゴツしたR&Bあるいは骨太で力強さのあるブルースを唄う生田敬太郎の声が響き渡る。会場は聞き入るしかない説得力のある歌声。
あれほど上手かったギターテクが、やや寂れてきた感もあったが、やっぱり上手い人の歌やギターは、ガツンと胸に響いて来る。

僕がスタッフだった頃、加奈崎さんは「敬ちゃんも、もっと新曲作ってステージに出さなくちゃ。駄作でもいいから作り続けないと、駄作すら作れなくなっちゃうぞ」と、よく言っていた。
一時は舌ガンになって舌の半分を切ってしまい、歌も唄いにくそうだったし、絶品だったブルースハープも吹きづらそうだった。しかし今では、歌声もブルースハープも、知らない人は昔通りに聴こえたんじゃないかと思えるほど、回復している。それでも昔と同じとはいかないようで、本人には不満らしい。そのこだわりが、敬太郎さんらしさでもあるのだが……。
お金にならないかもしれないが、これからもぜひ唄い続けてほしいし、できればそのうちに新曲も聴かせてほしい。

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加奈崎芳太郎については、去年の7月に紹介した。

「けじめ」をつけに……〈加奈崎芳太郎のライブ〉その1
http://makoto-craftbox.cocolog-nifty.com/blog/2009/07/post-2947.html
「けじめ」をつけに……〈加奈崎芳太郎のライブ〉その2
http://makoto-craftbox.cocolog-nifty.com/blog/2009/07/post-17db.html

この時に紹介したライブでは、声が今ひとつ出てなかった。否、年齢を考えれば十分出ていたのは間違いないんだけども、数年前に喉を悪くしてから、昔のような声は出なくなったと聞いていたので、この程度で仕方ないかなぁと思っていた。ところが今回の「唄の市」では、とても60歳とは思えないほど声も出ていた。もちろん相変わらず歌のうまさは絶品だった。

「ちどり足」「ポスターカラー」「ごろ寝」「何とかなれ」とエレック時代・古井戸時代の曲や、この10年で加奈崎自身が気にいっていて、今回のイベントの雰囲気に合った「OLD50」「さらば東京」などを聴かせてくれた。

加奈崎芳太郎の前のステージは、元「ピピ&コット」のケメだった。70年代の唄の市でケメはアイドル的存在で、すっかり普通のオッサン風貌になった今も、どこか憎めない可愛げのあるおじさんのステージに、会場は和やかな雰囲気に包まれていた。きっと30年前には20代だったろう女性たちから「ケメ〜っ!」なんて黄色い声援も飛んでいた。
ところが、生田敬太郎が泉谷しげるで温まった会場を骨太の歌で静まらせたように、加奈崎芳太郎がステージに立つと、ガラッと雰囲気が変わる。
「カナヤーン!」「加奈崎〜っ!」という声援は、女性ではなくオッサンたちの声だ(笑)。

加奈崎芳太郎は、その曲を聴いてもらえばわかるけど、けっしてフォーク調の曲が中心のミュージシャンではない。その中で、古井戸時代の曲以外に選んだ「OLD50」「さらば東京」の2曲は、フォーク調というかスローテンポな曲で、加奈崎芳太郎をよく知らない人が聞けば、いかにも「元フォークミュージシャン」的な歌だ。
それでも、やっぱり今回のメインミュージシャンの中では、圧倒的に「現役感」を感じさせてくれた。

僕は泉谷しげるのステージも好きだし、これまで何度もライブを見ている。ただ、最近はわざとなのか無意識なのか、「元気な懐かしフォークミュージシャン」的な匂いをさせているのがちょっと残念に思ってる。まぁ、それはけっして悪い事じゃないんだけど、ただそこは、忌野清志郎やチャボ、そして加奈崎芳太郎に感じるものとは少し違う。
今回のステージではサポート役ばかりだったけど、やっぱりcharとか藤沼伸一とかも「現役感」を感じさせてくれるミュージシャンだ。そういう意味では、「唄の市」という「懐かしイベント」の中では、加奈崎さんは少し場違いになっていたのかもしれない。

本人も今さらメジャーな音楽シーンに売り込む気もないだろうが、今回は声もめちゃめちゃ出ていて、「ボーカリスト」としての価値は、けっしてメジャーシーンにいても不思議じゃない。やっぱりもう少し再評価されないといけない人だと、改めて感じるステージだった。

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最後は、泉谷しげるが中心となって出演者全員がステージに上がり、泉谷しげるの「野性のバラッド」を熱唱。会場は九段会館。普段は左右の思想団体や政治団体が講演会をするようなステージだが、いい歳をした観客のオッサン、オバサンたちと、数少ない若者たちが一緒になって、縦乗りでジャンプしまくる(笑)。

で、イベント終了後、加奈崎さんや敬太郎さんの機材を片付けたり、打ち上げ会場に荷物を運んだり、何となく元スタッフとして働いたフリをしておいて、ちゃっかりと、出演したミュージシャンの皆さんたちの写真を撮らせてもらった。

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僕は有名人に会っても、サインをもらうことなんて滅多にない。だけど、今回は、何せ出演者の平均年齢が高いから「最後の唄の市になるかも」ってことで、ポスターに写真が載っているミュージシャンの皆さんから、図々しくもサインをちょうだいした(ちょっと見づらいかな?)。

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サインをしながらのcharさん曰く「お、全員のサインか。10年後には……100円くらいで売れるかもな」。
さりげなく「MR.makoto」と入れてくれたりして、charさん、相変わらずカッコいい。

加奈崎さんと敬太郎さんには二次会以降も誘っていただいたけど、僕なんかがこれ以上華やかな皆さんの中に入るのもおこがましいので、荷物だけ運んで帰らせてもらった。

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ということで、2か月も前に開かれた「唄の市」の備忘録だった。

今年に入り2週間ほど前に、加奈崎さんと電話で話をした。僕から新年の挨拶と、「唄の市」の感想、そして簡単な近況報告。
すると加奈崎さんからは、近いうちに清志郎さんの追悼本がまた出るらしく、原稿執筆依頼が来たと聞いた。
「まだ、『ぼくの好きなキヨシロー』も、全部は読めてないんです。清志郎さんのこと書いた記事読んでると泣けてくるんで……。また追悼本が出ると、泣かされちゃうっす」と言ったら、
「馬鹿者め。一生泣いてろ」と言われてしまった。

余談だが、『ぼくの好きなキヨシロー』は、加奈崎芳太郎と泉谷しげるの共著で、昨年秋に出版された忌野清志郎追悼本だ。
デビュー間もない、忌野清志郎、加奈崎芳太郎、泉谷しげる、チャボたちしか知らないようなエピソードから、ちょうど僕がスタッフとして手伝っている頃のことまで書かれていて、僕自身がこの本の中に描かれているシーンの中に存在していた(もちろん本に登場はしてません)と思うと、どうしても泣けてくる。

この数カ月で清志郎追悼本はたくさん出たけども、一人の人間として活き活きとした忌野清志郎の姿を描いているという点では、同作は秀逸だ。

もし忌野清志郎に興味がある人は、ぜひ読んでほしい。

ぼくの好きなキヨシローBookぼくの好きなキヨシロー

著者:泉谷 しげる,加奈崎 芳太郎
販売元:WAVE出版
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加奈崎さんはこの数年、「OLD50」という曲が気に入っている。たしかに哀愁のあるいい曲だ。でも、まだまだ加奈崎さんは「年をとった」と叫んでばかりいさせたくない「現役感」がある。
その一方で、僕は、加奈崎さんに、清志郎さんとは関係なく自分自身の事を文字にしてまとめてほしいと頼んである。

一人の人間としての加奈崎さんには、元舎弟の立場から「人生を翻ってまとめてほしい」と言いながら、ミュージシャンである加奈崎芳太郎には、一ファンとして「オッサン臭い事言ってないで、もっとガンガンやりましょう」と期待をかけている僕がいる。
矛盾しているかもしれないけども、それが僕の加奈崎芳太郎への思いだ。

まだ加奈崎さん自身は、自分の事を文字にまとめる気になっていないが、折を見ながらケツを叩いていきたい(師匠のケツを叩くなんて失礼か……[笑])。


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今年最後のあいさつと「唄の市」


お昼の段階で「今年中にあとどんだけ更新できるか。でも眠い……」と書いたが、やはり眠ってしまった。

もう30分もするとソウルフラワーユニオンが出演するカウントダウンイベントに出かけなくちゃいけないので、その前にもう一つだけ、急いで書いておきたい。

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もう一か月も前になるけども、11月28日に九段会館で「エレック 唄の市 2009」というイベントが開かれた。

1970年代に、日本のインディーズレーベルのパイオニア的存在として、関西フォークを中心とした「URC(アングラ・レコード・クラブ」と、東京のフォークや歌謡曲を寄せ集めた「エレックレコード」という2つのレーベルがあった。これに「ベルウッド」を加えると、3大フォークレーベルになる。

もちろん僕はリアルタイムではほとんど知らないんだけども、岡林信康、高石ともや、高田渡など、メッセージ性の高いファークミュージシャンが集まっていたURCに比べて、エレックは、いま聞いても軟派な曲というか、軽い音楽を前面に出していたんだろうと思う(例えば、笑点から出たアイドル「ずうとるび」も在籍していた)。

そんなエレックは、吉田拓郎をデビューさせ、その後、泉谷しげる、古井戸、海援隊、山崎ハコなんかを輩出していったけども、杜撰な経営が続いて看板ミュージシャンたちが続々と他のレコード会社に移籍し、1976年に倒産した。
で、当時の原盤や映像の権利関係もかなり揉めていたんだが、90年代後半に当時のスタッフたちが音楽業界の中でもかなり力をつけていったという背景もあって、そうした権利関係もかなりクリアになっていき、1998年以降、続々と当時の音源が復刻されていった。そして、そうした中で2004年に、新たなレーベルとして「新生エレック」が立ち上がっていた。

「唄の市」というのは、70年代のエレックが定期的に全国で主催していたイベントの名前で、泉谷しげる、古井戸、ケメ、生田敬太郎(以上「一軍」)などの看板ミュージシャンに、海援隊などの「二軍」が前座を勤めるという構成で、当時はかなり人気のイベントだったらしい。
まぁ今でいえば「フェス」ってことになるんだけど、当時の有名なところでは「中津川フォークジャンボリー」なんてフェスもあったわけで、ある意味で、今よりもよほど「フェスブーム」だったのかもしれない。

エレックが倒産した後の80年頃に、泉谷しげると加奈崎芳太郎が中心となって、RCサクセションなどをゲストに迎えて「復活! 唄の市」を主催しているように、当時エレックレコードの関係者にとってはかなり思い入れの深いイベントだったようだ。僕も、色んな人から熱い気持ちを聞かせてもらっていた。
1998年だったと思うが、エレックレコードの音源がCD化されて復刻されたのをキッカケに、加奈崎芳太郎や海援隊などが中心となって、「フォーク大集合」というイベントが九段会館で開かれた。このとき僕は、スタッフの一人として、当時のエレック関係者の方たちのお手伝いをさせていただいていたが、当然ながらイベント名は「唄の市にしよう」という話も出ていた。ところが、「泉谷もいないし、チャボもいない。ケメはリタイアしているとしても、敬ちゃん(生田敬太郎)と俺に、武田(鉄矢)には悪いけど二軍だった海援隊が出たからって、『唄の市』っていうのは抵抗がある」と、加奈崎芳太郎がハッキリと言ったのを覚えている。まぁ周りの人も同じような考えだったようで、すんなりと「唄の市」は却下された。
もっとも、加奈崎は加奈崎で、2002年から毎年のように地元・諏訪市で「唄の市」を開いている。第一回は忌野清志郎がゲストで、翌年は泉谷しげるがゲストだった。「清志郎さんと二人で唄の市って、言ってる事が違うじゃん(笑)」と心の中で突っ込んではいたが、まぁ僕が加奈崎芳太郎のスタッフだった頃から、「いつかは泉谷もチャボも呼んで、唄の市を復活させたい」と聞いていたし、まぁそれだけ加奈崎芳太郎にとっても思い入れが強いイベントだったということだ。

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時間がないというのに、また前フリが長くなった。
そんな「唄の市」がようやく復活したので、九段会館まで足を運んだ……。

ということで、何とも中途半端だけども、やっぱり時間がないので続きはまた来年書く事にしよう。

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今年ももう数時間。

やっぱり5月にキヨシローが亡くなったことは、今年の最大の出来事だった。
息子の心臓手術など、プライベートでは他にも年末ギリギリまで大きな出来事はあったんだけど、キヨシローが亡くなった事は、他のどんな出来事よりも大きかった。
そして、実は未だに少し引きずっている。

そんな2009年も終わろうとしている。
そういえば、今年は本当に仕事の売り上げが少ない一年だったなぁ。

まぁそんな事も含めて、来年はもっと平和な年になってくれるように願おう。そして自分でも平和に暮らしていけるように勤めたいと思う。

みなさん、いい年を迎えてください。


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人と金と時間の無駄遣い(映画『沈まぬ太陽』を観て)


今年からしばらく、映画だけじゃなくて、歌舞伎も芝居も少し控えている。
なのでビデオやテレビ以外では、試写を含めてたまにしか映画を観ていない。
それにしても、今年は話題作や期待作が、ことごとく外れている。
映画が楽しめないなんて、なんて不幸な一年なんだろう……。

ということで、今年の後半で個人的に最も期待していた東宝の大作『沈まぬ太陽』は、期待通りに素晴らしい出来になっているだろうか、と映画館に足を運んだ。

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最初に結論を書いておくが、この映画、どんなに甘く評価しても「凡作」。本音ではもう少し辛口に言いたいが、まぁこの原作を映画化したという関係者の苦労だけは評価できることはたしかだ。
近年の大作で、必ずと言っていいほど絡んでくるテレビ局や新聞社だが、本作の「制作委員会」にテレビ局も新聞社も入っていない。航空会社をスポンサーに持つテレビ局や新聞社などは、制作に絡みたくてもできなかったのだろう。つまり、現在のテレビ局や新聞社は、この作品の制作に協力し、山崎豊子が問いかけようとしたテーマを掘り下げることができないということだ。これは、今のマスメディアの本質を表している。
そういう意味で、この作品が映画化されたということに敬意を表してギリギリ「凡作」ってことにしておきたい。

これから先は、この映画の駄目さ加減について長々と書いているだけなので、映画を楽しんだ人や、これから楽しむつもりの人は読み飛ばしてもらった方がいいと思う。

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山崎豊子の同名作品が原作だ。
原作は、他の山崎作品と同様に、いくつかの大きなパートに分けて実在の事件や社会問題をモデルにし、主人公たちの人生などをリンクさせている作品だ。

70年代、企業によって行われた労働組合分裂工作をリンクさせ、かつて「国民航空」の労働組合委員長として活躍しながら、会社の露骨な報復行為で左遷人事にあい、精神崩壊の寸前まで追い込まれ、左遷先のアフリカでハンティングに没頭する主人公を描いた「アフリカ編」。

1985年に起きた日航機墜落事故(作中では「国航ジャンボ機墜落事故」とされる)について、実在する被害者や遺族の姿を紹介し、日航機墜落事故がどんな事故だったのか、またその遺族たちがどのような深い悲しみを受けたのか、航空会社はどのような対応をとったのか、そして、遺族たちはどうやって希望を見出していったのか、主人公を「遺族お世話係」として狂言回しにすることで、モデル小説というよりも、丁寧なドキュメンタリー、ルボルタージュとして描いた「御巣鷹山編」。

そして、墜落事故以降、腐敗している航空会社を立て直すために政府の肝煎りで経済界から迎えられた「会長」の右腕となった主人公を通して、半民半官企業の組織腐敗、企業内の醜い争い、さらに日本政府の政治的駆け引きなど、山崎豊子らしく日本社会に切り込んだ「会長室編」。

この3編による長編小説だ。
とくに「御巣鷹山編」については、「小説」としては反則と言っていいほどにリアルな描写のルポルタージュとなっていて、その点だけで言えば、山崎豊子の作品の中でも秀逸な一冊だと思う(例えば『二つの祖国』でも、やはり東京裁判をモデルに事実関係をなぞっているが、裁判記録をベースとしているせいか、この作品ほど心が揺さぶられる表現は少ない)。

原作に少しでも思い入れのある作品が映画化された場合、大抵は厳しい評価になってしまう。だから、インターミッション(休憩時間)も含めておよそ3時間半の間、できるだけ原作を読んでいることを前提としないで、映画のいいところを見つけようと試みた。
しかし、残念ながらこの映画の脚本や監督は、まったくと言っていいほど評価できない「下手糞な映画」だった。

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まず一番気になるところは、全体の構成だ。

映画が始まって数十分、基本的に時系列通りに進んでいく原作とは違い、時系列をバラバラにして60年代、70年代、80年代のカットがランダムに流されていく。
昔からよくあるクロス・カッティングという手法だが、とくにこの数年、世界的にも度々使われていく手法で、観客を軽く混乱させながら、ストーリー展開を最終的に上手く結びつけて、時系列をバラバラにした妙味によって観客の想像力を刺激し快感を与える。

ところが、この映画では、前半のランダムな時系列の構成が、まったく効果的ではない。ただただ、時系列をバラバラに貼り合わせただけで、まったく意味がない。
「長い原作をまとめるにあたって、時系列をバラバラにすることで何となくまとまっているように展開できそうだし、最近流行っている手法だから、取り入れちゃおうかな」って程度の思いつきで脚本を書いたしか考えられない。むしろ、時系列通りに進めた方が、全体のストーリ展開がスッキリして、長時間、画面を見続けなければいけない観客の負担が減るはずだ。

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また、途中でインターミッションが入る。つまり休憩時間、芝居でいうところの「幕間」だ。
最近は少なくなったが、昔の大作映画では、インターミッションが入ることも少なくなかった。昔は、高温の映写機によってフィルムが熱くなり過ぎて火事になることもあり、そうした対策からも長時間の映画の場合は休憩時間が入れざるを得なかったが、最近はそうした必要性も少なくなっているため、インターミッションの入る作品は少なくなった。

この映画では、あるシーンで突然カットアウトして画面が暗転し、インターミッションの告知が入る。何の前触れもなく、テレビドラマなどのCM前の盛り上げや、余韻や、フェードアウトなど編集処理などもなく、突然インターミッションが入る。
何であのシーンで、あのタイミングでインターミッションを入れたのか、どう考えてもわからない。

どのシーンでぶった切ろうと、製作者の勝手にすればいいのだが、そのインターミッションの入れ方も、映画製作者の手法の一つとして評価されて然るべきだ。
映画の場合は、視聴者がチャンネルを変えてしまう可能性のあるテレビドラマと違って、過度な演出は必要ないが、それでも休憩の間に、観客が、それまでのストーリーを整理したり、あるいは今後の展開を予想しつつ期待したり、ストーリー上の不明な点について想像したりすることを前提としてインターミッションを作るべきだ。その点は、芝居とまったく同じだ。

しかし残念ながら、あのタイミングでインターミッションが入る合理的な理由が皆目見当たらない。
もしかしたら、インターミッションが入ることを考えずに編集が終わった後、観客層を考慮して、展開はまったく考慮せずに適当な場所で休憩時間を入れたんじゃないだろうか? そんな杜撰な編集を想像してしまうほど、なぜあそこでインターミッションが入るのか不明だし、上映再開後、休憩が入ったことなんてまったくおかまいなしに、突如としてストーリーが始まっていく。

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全体の展開についてもう一ついうと、これは脚本の問題が大きいのだが、原作のストーリーを主人公目線でしか追わずに脚本を書いているために、主人公以外の周辺で起きている出来事が、あまりにもおざなりだ。
出てくる登場人物の絡み方が断続的で、ストーリーに連続性がない。観客が忘れた頃に、突然、重要な登場人物が再び現われる、そしていつの間にかその登場人物の存在が消える、その連続だ。

そういえば、主人公が左遷されたいたアフリカから、いつ、どんな経過で帰国したかも説明されていなかったにもかかわらず、前述したバラバラの時系列の中で、左遷されている主人公と、帰国してパーティに出席している主人公がランダムに登場するので、原作を知らずに観ている人は「主人公はいつ帰ってきたんだ? 帰ってくるためにプライドを捨てなくてはならないはずだが、どうなったんだ?」と疑問を持つだろう(原作では、いろいろあって主人公の左遷が国会問題になり、救済措置で帰国でき、そして件のパーティまで10年ほどの時間が経っていることになっている)。

脚本家は、原作を削り過ぎて説明不足になっていることは意識しているはずだ。だから、台詞の中で何となく説明を入れていく。脚本のいたらなさを、豪華なキャストの演技で補完しているのは、この映画の数少ない救いだ。しかし、脚本の粗さに対してアリバイ的に台詞に入れているだけだから、けっして自然な台詞ではないし、おざなり感がタップリだ。観客はそうした粗さを、何となくストレスとして感じながら、主人公以外の登場人物の変化を見続けなければならない。

普通、これだけ多くの登場人物を描く場合、ある程度群像劇として、主人公とは離れたエピソードについても深く描写して、全体のストーリーにふくらみを持たせる。もちろん原作はたっぷりと膨らんでいる群像劇だ。
しかし、この映画の脚本は、登場人物はたくさん出しておきながら、主人公と直接関係のない描写については、ほとんど膨らませない。
だったら、むしろ登場人物をもっと削りこんで整理してしまうとか、ストーリー展開そのものを絞り込んでしまえばいいのに、原作のスケールの大きさを中途半端に表現しようとしているために、1960年代からおよそ30年間の長い時間を展開させる。しかし、ストーリーの奥行き感がまったく感じられない。

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「あの長編を200分にまとめただけでも立派」という評価はあまりにも馬鹿馬鹿しい。それが原作ものの映画を作る宿命だからだ。「大作をまとめた。そのまとめ方が優秀なのか、あるいは駄目なのか」で論じるべきで、原作のダイジェストを映像化するだけでは意味がない。
そういう意味で、この脚本のまとめ方は、まったく誉められない。

かつて、山崎豊子の大作をまとめたドラマや映画は数あるが、それらの作品と比べれば一目瞭然。まぁ、例えば、橋本忍が脚本を担当し、山本薩夫が監督した映画版『白い巨塔』などは本当に意味での名作で、今回の作品が足下にも及ばないのは仕方ないとも言えるのだが……。

比較という意味では、昨年公開された原田眞人監督の『クライマーズ・ハイ』が、やはり日航ジャンボ機墜落事故を取り扱っている作品だが、御巣鷹山の悲惨な描写は、『クライマーズ・ハイ』の方が圧倒的に素晴らしい映像になっている。そもそも、『沈まぬ太陽』のような群像劇こそ、原田眞人の得意とするところで、どうせ映画化されるなら原田眞人で観たかった気がする。

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こんな下手糞な展開の映画を作った脚本家や監督は、およそ3時間半もの長時間映画を製作するだけの技量やセンスを持ち合わせていないとしか評価できない。

はぁ……、全体の構成だけで、これだけ不満を言ってもまだ言い足りないほどだ。
映画の具体的なストーリ−については、ほとんど絡めずに評価しただけなのに……。原作と比べたら、この何倍もの文字数を、ただただ批判だけに使うことになってしまうだろう。

そもそも、なぜ「沈まぬ太陽」なのか、なぜ主人公はハンティングに没頭したのか、なぜ「アフリカ編」「御巣鷹山編」「会長室編」の3編を一つの作品の中で表現しようと思ったのか、なぜアフリカの大地で主人公は感情を爆発させ、そして再びアフリカの大地に立ったのか──
原作の言わんとしたことについて、この映画だけで理解することはまず出来ないだろう。

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最後の最後になったけども、やはり飛行機墜落を描写したシーンは、不覚ながら涙が込み上げてきた。実は原作を読んでから、事故の機内で書かれた遺書について、その言葉を思い浮かべるだけでも目頭が熱くなるのだが、映画でもやはり感情が揺れた。
ただ、これも、事故シーンだけでなく、その後の遺族たちの苦しみや葛藤について原作で山崎豊子が描いた描写に比べれば、その感動は原作から得られるものの方が圧倒的に大きい。

一つくらい映画で誉めるところを書いておこうと思ったが、そうするとついつい原作と比べてしまう。するとどうしても原作を読んでほしいと思う。
原作を読まずにこの映画を観て感動できるとしたら、それは、これほど監督や脚本がひどくてもそれを補ってあまりあるほど、原作が訴えいるテーマが現代人にとって心動かされるものだったということだと思う。

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ということで、今回はあまり薦める気にならない作品について紹介した。

山崎豊子作品の無駄遣い、豪華なキャスティングの無駄遣い、そして観ている観客の時間を無駄遣いしている。
3時間半もの時間をこの映画で潰すくらいなら、文庫本5冊にもなる原作を3時間半で斜め読みした方が、よほど山崎豊子が問いかけたテーマについて理解できるだろう。そう感じてしまうものだった。

最初に書いた通り、本当は、映画化されたことだけでも評価したいと思う。
こんなに批判を書いておいてなんだけども、やっぱり映画化されたことで映画館に足を運び、そしてその中から原作を手に取る気になる人がいるとしたら、それだけでも価値があると思う。

ただそれでも、否それだけに、極めて「残念な映画」だった。

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【作品名】沈まぬ太陽('09/日本/202分)
【原作】
【監督】若松節朗
【脚本】西岡琢也
【出演】渡辺謙/三浦友和/松雪泰子/
    鈴木京香/石坂浩二
【公式サイト】http://shizumanu-taiyo.jp/

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「浅草演芸祭」が開かれる


あっという間の夏も終わりかけ、いわゆる残暑と呼ばれる季節になってきた。

で、ブログの本格復帰もまだ出来ていないのだが、今週末のイベントのお知らせを……

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明後日21日(金)、浅草公会堂で「浅草演芸祭」というイベントが開かれる。
今回が初開催となるイベントで、すでに来年の春に第2回を行う予定となっており、主催者側としては、今後、定着させていきたいと考えていらしい。

写真は、先月に記者会見が行われた時の様子。
今回のキャスティングに関しては、全体的に上方の芸人さんが多いように見えるが、これは吉本興行が全体をバックアップしているため。
ただし、主催する委員会のメンバーを見ればわかるように、浅草の有名店たちが名を連ね、後援には浅草観連と浅草商連など大きな団体が目立つなど、浅草全体で盛り上げたいという意向も見える。

僕は、個人的に以前から、浅草で「喜劇」「演芸」「コメディ」などの大きなイベントがちゃんと開かれてほしいと思っていた。
今年はなかったが、去年まだ銀座で「大銀座落語祭」が開かれていたが、あれだって本来は、上野と浅草にたくさんの寄席を持つ台東区で開かれるべきで、台東区にはそうした吸引力がまだまだ足りないという現実はあるものの、浅草にしても上野にしても、もう少し「お笑いの街」という意識を持つべきなんじゃないかと思っている。

そういう意味で、とても頑張って成功してほしい試みで、来月開かれる「第2回したまちコメディ映画祭」と同様に、定着してくれることを願っている。

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ということで、お時間のある人はぜひどうぞ。
そういえば、昨日辺りから『浅草においでよ! 平成21年度版』が配布されているはず。それについても、近々お知らせします。

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クリックすると大きな画像になります




【イベント名】浅草演芸祭

【日時】2009年8月21日金曜日

   [1部]12:30〜 [2部]16:30〜

【会場】浅草公会堂

【料金】前売4500円/当日5000円

【出演】中田カウス・ボタン/玉川カルテット/
    博多華丸・大吉/サンドウィッチマン/
    タカアンドトシ/はんにゃ/テツandトモ/
    フットボールアワー/コント山田君と竹田君/
    ビートきよし/浅香光代/なぎら健壱 ほか

【公式サイト】→こちらをクリック←


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いま改めて聴き直して


マイケル・ジャクソンの楽曲を改めて聴き直しているけど、なかなか良い曲が多いと思う。

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これほど世界の音楽シーンを変えてしまった人は、リアルタイムでは他に知らない。
きっとビートルズが世の中に出てきた時も、同じような感覚が世界的に起きたんだろうと思う。

僕自身、彼の音楽から何らかの影響を受けたというファンではないけども、80年代当時、僕は“歌って踊れるお笑い兄ちゃん”みたいな感じでジョーパブみたいな飲み屋で働いていたので、「Billie Jean」や「Beat It」なんかはPVやライブビデオを見てフリを憶えたりしたことが懐かしい。「スリラー」のお化けダンスが象徴的と思っている人が多いかもしれないけども、当時のディスコなどでは圧倒的に「Billie Jean」などの影響を受けた踊りが流行っていた。

そんなマイケル・ジャクソンだけども、意外なほど音楽そのものの影響力は少なかった気がする。日本でもマイケル・ジャクソンをはじめとしたダンス・ミュージックがすごく流行ったけども、すぐにユーロ・ビートに取って代わられたし、いま、「マイケル・ジャクソンの系譜」といえるミュージシャンって、一体どれくらいいるんだろう? 明確にそうだと思える人は思い当たらない。

それでもやっぱり、当時のマイケル・ジャクソンはすごかった。
いつの間にか『KING of POP』と呼ばれるようになったマイケル・ジャクソンだが、昔はよく「ロックなのか、ポップスなのか?」なんて議論があった。だけども、音楽を最高のエンターテインメントとして巨大産業へと押し上げていったマイケル・ジャクソンの勢いを見ていると、そんな野暮なことはどうでもよかった。

以前少し紹介したTBSのラジオ番組『小島慶子★キラキラ』の中で、ノーナ・リーヴスの西寺郷太の音楽解説コーナーがあるんだけども、ちょうど、番組開始以来3ヵ月の間、ずっとマイケル・ジャクソンについての総括的な解説を続けていた。マイケル・ジャクソンのことを詳しく知りたければすごく分かりやすい解説だ。とくに「マイケル・ジャクソン、小沢一郎、ほぼ同一人物説」は面白かった。公式サイトのバックナンバーから探せば、Podcastで聴くことができる。

そんな中で、僕自身もマイケル・ジャクソンを聴き直していた矢先だった。
いま改めて聴き直すと、良い曲も多い。

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ということで、マイケル・ジャクソンの40年以上のキャリアの中でもっともピークにあったときの曲「We Are The World」をどうぞ。

この曲も本当に良い曲だと思う。
コメント欄に日本語訳も載せておくので、日本語訳を知りたければコメント欄をどうぞ。

この日本語訳を転載した→こちらの動画←は、日本語によるアーティスト名も標記されていて分かりやすい編集になっているので、もし誰が誰だか分からない人はそちらを……。

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「けじめ」をつけに……〈加奈崎芳太郎のライブ〉その2

ということで、久しぶりに加奈崎さんの生唄を聴いた。
今回足を運んだのは、清志郎さんが亡くなったということがキッカケになっている。

僕が音楽関係の仕事をしていたというのは、実際にはこの加奈崎さんのプロモーションが中心だった。仕事としては他にもいろいろあったんだが、少なくとも加奈崎さんの仕事を手伝わなければ、深く音楽関係の仕事をすることはなかっただろう。

今から15年以上前になるが、ちょうど映画『119』(監督:竹中直人)の音楽監督を加奈崎さんが清志郎さんと一緒に担当していたり、『日本を救え!』というイベントを泉谷しげるや清志郎さんたちと一緒に展開している頃だった。
加奈崎さん個人の活動としても、RCサクセションのベースだった“リンコ”こと小林和生、同じくドラムの“コウちゃん”こと新田耕造の三人で「加奈崎トリオ」というバンドを組んでいて、川崎のクラブチッタなどで定期的にライブをやっている時期だった。

最初は、「元RCのメンバーに会えるけど、手伝わない?」と誘われて気軽に荷物運びの手伝いなんかをしていたが、憧れていたミュージシャンたちに会えたとしても、当然ながら友達になれるわけでもないし、そもそもそんなにミーハーじゃないし、まして音楽業界に興味があったわけでもなかった。
それでも、当時僕がいた広告業界はイベントの仕事も多くて現場の雰囲気にも慣れていたこともあってか、当時のマネージャーさんに頼まれていろいろ手伝っているうちに、僕が会社を辞めてフリーランスになったのを機会に、本格的に手伝うようになっていった。

もちろん、古井戸や加奈崎さんは嫌いじゃなかったし、少しずつ音楽業界に興味を持ったということあるんだけども、僕が加奈崎芳太郎というミュージシャンに惚れたのは、『最後の誘惑』という曲を聴いてしまったからだ。
この曲を聴くことがなければ、単なるお手伝いで終わっていたと思う。
そして、この曲をマイナーなままに埋もれさせてしてしまったのは、本当に僕の力不足だったと痛感している。

何だかんだと5年くらいは手伝わせてもらい、何枚かのアルバムの製作にも関わらせてもらったが、結局、僕は中途半端なところで加奈崎さんのスタッフを辞めてしまった。

90年代の加奈崎芳太郎は、ソングライターとしてもっとも“旬”だったと僕は思っている。
当時は、ジァン・ジァンの定期ライブごとに新曲を作っていて、バンド仲間のリンコさんや新井田さん、生田敬太郎など別のバンド仲間、マネージャー、ジァン・ジァンのブッキングマネージャー、二人のローディー(付き人)、僕のようなスタッフが数人、あるいはプロデューサーをはじめとしたレコーディングスタッフたち、そういう数多くの人たちが、加奈崎さんの作った新曲に対してズケズケとモノを言っていた時期だった。
もちろん、曲作りというのは基本的にお客さんに対しての真剣勝負だろうが、当時の加奈崎さんにとっての曲作りは、スタッフたちに対しての真剣勝負でもあったと思う。不遇の80年代を過ごして、90年代はソングライターとして充実している時期だったはずだ。
実際、今年の2月に発売された最新アルバム『Piano~Forte』に収録されている曲の半分近くは、90年代に創られた曲だ。本人にとっても、この時期の楽曲をアルバムとして残したい気持ちが強いんだろうと思う。

ちなみに、上で紹介した『最後の誘惑』を含めて10曲ほどのデモテープを作ったとき、清志郎さんに聴いてもらうために送ったら、清志郎さんから「デモテープ聴いたよ。何度も。すごくいいです。どの曲もミリョク的です。(中略)“神様あの子を……神様居るなら……”(『最後の誘惑』)がいちばん好きだな。何度聴いても泣きそうになるのさ。こんないい歌をよく書いたもんだな。(中略)古井戸よりいいよ。そこで歌っている音だから」とメッセージが届いた(当時のファンクラブ会報誌「加奈崎通信」から)。

本当にいい曲を創り出していた時期だった。
そういう時期に少しでも手伝いが出来たことは、僕にとってもとても素晴らしい経験だった。

そもそも音楽業界とは無縁なので、手伝うどころかいろいろと足を引っ張ってしまったが、それでも加奈崎さんは、今でも僕の「師匠」であることには間違いない(当時のスタッフたちは加奈崎さんを「師匠」という決まりになっていて、僕は未だに加奈崎さんに対しては「師匠」と呼んでいる)。

その師匠に対して、中途半端に投げ出す形になってしまったのは、僕の人生の中で大きな心残りの一つだ。

……てなことを思い出して、「ブログになんて書こうかなぁ……」と考えながら、昨日スクーターで走っていたら、そこは偶然にも、青梅街道の“鍋横”交差点だった。

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ここは、加奈崎さんが東京にいた頃に住んでいた街で、『さらば東京』という曲の詩にも「鍋屋横丁」と地名が組み込まれている。加奈崎さんを車で迎えに行く時にいつも通っていた道で、『さらば東京』のプロモーションのスチール写真の撮影ロケ地としても使った場所だ。
当時は僕も中央線沿線に住んでいたんで毎日通る道だったが、最近は年に1度くらいしか通らないし、まして上野からスクーターで行くことなんて滅多になく、何の意識もしないで加奈崎さんのことを考えながら、本当に偶然通りかかったんで、思わずスクーターを留めて交差点で感慨にふけってしまった。

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今の加奈崎さんは、当時のように何人ものスタッフを抱えているわけではないが、それ以上に多くのファンの人たちや地元の支援者たちに支えられて、ある意味で当時以上に元気で、全国を飛び回って唄っている。

そして、音楽仲間として、友人として、刺激し合う相手として40年も付き合ってきた清志郎さんが亡くなったことをきっかけに、同じく40年以上の付き合いのある泉谷さんとともに、お互いのホームページであまり知られていない清志郎さんの素顔を書き続けている。

もちろん今さら僕には、加奈崎さん、清志郎さん、泉谷さんたちとの強い絆については何も手伝えることはない。僕なんかが手伝わなくても、もっと古い仲間たちが手伝うだろうし、加奈崎さんには今のスタッフさんたちもついている。

ただ、僕の中で加奈崎さんに対してやり残したことを取り返すために、ずっと考えていることがあった。それを形にするのだとしたら、僕が知る限り加奈崎さんの周りで適任者はそれほど多くないと思うし、今の僕ならそれが実現できると自負している。
その気持ちを改めて伝えておかなくちゃいけないと、清志郎さんが亡くなってからずっと考えていた。
だから、それを伝えるために久しぶりに加奈崎さんのライブに足を運んだ。

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僕が考えていることが実現できるかどうか、まだ何も決まっていない。加奈崎さん自身が、いつその気になるのか、そもそもその気になるのかどうかすら決まっていない。

ただ、加奈崎さんがその気になった時に備えていつでも心づもりしておくことが、師匠である加奈崎さんに対してやり残したことへのけじめだし、清志郎さんが亡くなってからずっとメソメソしていた自分自身へのけじめの付け方だと思っている。


それから1週間がたった……。
あれから2ヵ月……。
もう僕は大丈夫だ。


Piano~ForteMusicPiano~Forte


アーティスト:加奈崎芳太郎
販売元:PONYCANYON INC.(PC)(M)
発売日:2009/02/18
Amazon.co.jpで詳細を確認する

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「けじめ」をつけに……〈加奈崎芳太郎のライブ〉その1


1970年代に「古井戸」というフォーク・デュオが日本の音楽シーンで活躍していた。
野太く圧倒的な声量を持つボーカル・加奈崎芳太郎と、R&Bなどを背景にした音楽性と繊細な詩的センスで曲を生み出したリードギター・仲井戸麗市の二人組だ。
仲井戸麗市は、古井戸解散後にRCサクセションの正式メンバーとして参加し、80年代の音楽シーンで活躍したので、見れば分かる人もいるだろう。

♪大学ノートの裏表紙に さなえちゃんを書いた〜
というフレーズの『さなえちゃん』が72年頃にスマッシュヒットしたので、その音源を聴くと思い出すという人もいるかもしれない。ちなみに、この曲を唄っているのは“CHABO”こと仲井戸麗市だ。

麻雀の話を書いたこないだの記事でリンクしていたのだが、数年前に『闘牌伝説アカギ』(原作:福本伸行)というアニメのオープニングソングに、『何とかなれ』という古井戸の曲が使用されて、最近の若い子たちの中で再評価されたようだ。

こうして古井戸を説明する時に『さなえちゃん』を紹介するのは、ちょっと躊躇するところで、本当は『ホスターカラー』あたりを聴いてもらった方が初期の古井戸らしいんだけども、まぁその辺のことを話すと長くなるので置いといて……、
とにかくその古井戸のメインボーカル・加奈崎芳太郎のライブが先週の土曜日にあったので、数年ぶりに生唄を聴きに大森まで足を運んだ。

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この日のライブは、「古井戸らしきものを歌う」というのがテーマになっていたこともあって、当時のファンを含めてたくさん人が集まり、小さなライブハウスの会場は満員状態だった。

加奈崎芳太郎といえば、渋谷の山手教会の地下にあった伝説的な小劇場「渋谷ジァン・ジァン」で、約30年間、年に4回ずつ、同劇場が閉鎖するまで定期的にライブを続けていたのだが、80年代の一時期は客が数人しかいないときもあった(ちなみに、ジァン・ジァンは自主企画のホールなので、予約して金を払えば誰でも出演できるという劇場ではなく、何十年も定期公演を続けることが許されたのは、加奈崎芳太郎の他に、美輪明宏、イッセー尾形、永六輔やおすぎのトークライブ、津軽三味線の高橋竹山など数名だけ)。
ホームグラウンドであったジァン・ジァンの閉鎖後、長野県・諏訪に住まいを移してからは地元を中心に活動を続けており、東京でライブを観られる機会も随分と減ったためか最近は客の入りも上々のようだ。

久しぶりに聴いたライブは、相変わらず長いMCと圧倒的な声量が健在だった。
「古井戸らしきものを歌う」と客を呼んでおきながら、アコースティック・ギターではなくストラト(エレキ・ギターの名器)をピックを使わずに指で引き続けるという“ひねくれ方”も健在(笑)。
さすがに高音はつらそうだったが、それでも60歳とは思えないほどの音圧を感じさせてくれるボーカルはさすがだ。

古井戸解散後、もし周囲の勧める歌謡曲路線(例えばアリス解散後の堀内孝雄のように)にいけばメジャーシーンに残れる可能性もあっただろう。何と言っても歌が上手いから。実際、アルバムの変遷を見れば分かるように、加奈崎本人も周囲に促される形で妥協せざるを得なかった時期もあった。
もっとも本人が歌謡曲路線に満足いくはずもなく、メジャーシーンとかアルバムの売り上げとかとは縁の遠いミュージシャン街道を突っ走ることになる。
その反骨的な心意気が、60歳になってもなお「古井戸をストラトで」というズテージングに繋がっているんだと思う。

ライブに行く前の僕は、「エレアコ(エレキギターとアコースティックギターの間の子のような楽器)でやるのかなぁ? ハミングバード(ギブソン社のアコースティックギター)でやってくれないかなぁ」ってちょっと心配だったんで、その裏切りに「さすが、加奈崎!」と気持ちいい思いがした。

この日のセットリストはメモしていないので、どの順番で何の曲をやっていたかは書けないんだけども、終盤に『いつか笑える日』『陽炎』を聴かされた時には、思わずジーンと来てしまった。
これらの曲に対しての加奈崎芳太郎の気持ちも理解しているつもりだし、自分にとってはすごく好きな曲だし、このところの自分の色々な気持ちが心の琴線に触れてしまったんだ。

来週の土曜日(2009年7月19日)には東京の福生、翌日曜日(2009年7月20日)には荻窪、そして、8月29日(土)に加奈崎芳太郎が現在住んでいる諏訪の近く、長野県岡谷市で規模の大きなライブが開催される。

もし興味のある人は、ぜひ足を運んでみてください。
詳しくは、加奈崎芳太郎の公式ファンクラブのページから、左側のメニューバーにある「Live」をクリックすると、詳細が掲載されています。
8月29日のライブについては、→こちらのページ←に詳しく掲載されています。

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一旦アップして読み返したら、とんでもなく長いんで、とりあえず2回に分けることにしたんで、つづく……。

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映画より舞台版がお薦め(映画「鈍獣」を観て)


久しぶりに映画の感想でも……と思って、前はいつに書いたんだろうと思ったら、まともな映画の感想は、2005年12月5日付け『イン・ハー・シューズ』まで遡ることになってしまった。
およそ3年半振りということになる。

何せ、3年前に比べれば新作の映画を観ることが極端に減った。その頃は月に3〜5本以上は観ていたし、試写を含めれば十数本ということもあるペースだったんで、書くこともいくらでもあったんだけども、この数年、新作の映画は平均すると月に2本ペース、しかも年末に駆け込みでシネコンや二番館などで帳尻合わせをするもんだから、実際には映画を観ない月も多くなった。

ということで、とくにおススメするわけではないが、久しぶりに一番直近で観た映画『鈍獣』の感想──

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ある田舎町に、失踪して行方不明になった作家(浅野忠信)を探して、担当編集者(真木ようこ)がやってくる。
その町のホストクラブで彼女を待ち受けていたのは、ホストクラブのオーナー兼ホスト(北村一輝)、作家やホストの元級友(ユースケ・サンタマリア)、ホストの愛人(南野陽子)、ホストクラブのホステス(佐津川愛美)の4人。
その4人から、作家の居場所を聞き出そうと話を聞くと、次第に作家と4人たちの関わりが明らかになっていき、そして、作家が行方不明になった原因が明らかになっていく……。

というミステリー仕立ての映画だ。

さてこの映画の、正直言って、どう評価していいか迷う微妙な作品だ。

実は、この映画は宮藤勘九郎の脚本なのだが、2004年に舞台で上演した作品を、改めて宮藤勘九郎が映画用に脚本を仕立て直して映画化したものだ。
僕は舞台でも観ていて、さらにその舞台のDVDもある。

まず、映画化するために、舞台よりも設定を細かくして分かりやすくなっている。そのお陰でたしかに分かりやすくはなっているが、舞台で効果的だった「不思議な空間」としての怪しい雰囲気はなくなってしまった。そのためか、新たに追加された「相撲の町」というキーワードで誤摩化してはいるが、あまり効果的だったとは思えない。
また、分かりやすく場面を切り換えていくことによって、確実にテンポが悪くなっている。舞台の方が30分以上も尺が長いはずで、しかも幕間が入るにもかかわらず、映画よりもテンポが良く感じるのは、それだけ映画版のテンポが悪くなっている証拠だ。

舞台作品を映画化する際によくあることだが、映画用に設定を変更することによって、決定的に面白みがなくなる場合がある。もちろん逆もあって良くなる場合もあるが、多くは舞台が素晴らしいからこそ映画化されるので、映画化したことでより良くなることは少ない。今回の作品でも、明らかに舞台版の脚本の方が優れているといわざるを得ない。
モノを創っていると、文章でも立体物でも、いじり過ぎていくうちに、自分の中ではどんどん良くなっていると感じながら、実際には客観的な視点からどんどん離れていってしまい、良さがなくなっていくことがある。そういう感じがする。

例えば、作家やホストの「級友」(映画ではユースケ・サンタマリア、舞台では生瀬勝久)の職業が、映画では登場時から明らかにされているが、舞台では終盤まで明らかにされていない。これがこの男の気持ち悪さを効果的に演出しているが、最初から明らかになっては、単なる不真面目な男でしかなくなってしまう。
また、舞台では、その存在だけが紹介されながら一度も舞台に現われることのなかった謎の店員が、映画版では登場する(キャストは黒人演歌歌手のジェロ)。こうしたキャラクターは、『刑事コロンボ』の「うちのカミさんがね……」でお馴染みであり、三谷幸喜がよく使う「赤い洗面器の男」も同様で、いつまでも登場しないからこそ面白い。単なるマクガフィンとしての役割だけじゃなく、物語の面白さを一味付け加えているのだが、それも登場してしまっては効果が薄くなる。

キャスティングも微妙だ。
映画のキャスティングも悪くないが、舞台版のキャスティング(とくに、作家=池田成志、ホスト=古田新太、級友=生瀬勝久)がすこぶる良かっただけに、見劣り感は否めない。

オープニングのお気に入りのシーンがなくなってしまったのは仕方ないが、ラストシーンの締め方も舞台版の方が面白い。

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※舞台版に興味のある人は、画像をクリックすると
「イーオシバイ」にジャンプします


舞台版を見ずに映画で初めて観た人の感想は、割と好意的かもしれないが、舞台版を観た後だとどうしても比べてしまって評価が低くなる。

僕は、とくに宮藤勘九郎を買っているわけではないが、けっこう注目はしている。舞台でいえば、今年も劇団☆新感線の舞台『蜉蝣峠』で宮藤脚本の舞台を観ているし、彼の書いた映画も7割方観ていると思う。正直言って、舞台も映画もグダグダ感が強くて、とくに終盤になると脚本を投げ出すようなところも目立つことが多いので、舞台と映画についてはそれほど評価していないけども、『メタル・マクベス』はシェイクスピアを解体して再構築した作品としては、割といい出来だと思う。また、ドラマ脚本家としてはとても評価しているし、多くのドラマが面白いと思う。
その僕が、宮藤勘九郎の舞台脚本としてはもっとも高く評価している作品が『鈍獣』だった。

これから『鈍獣』を観るならば、映画版よりも舞台版のDVDをお薦めしておくし、もし映画版を観た後だとしても、舞台版DVDも観て損はないと思う。

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ということで、久しぶりの映画の感想だったが、映画も舞台も両方観るという人は少ないだろうから、あまり参考になるような感想になってないかもしれない。

このブログを書き始めた頃は、ちょうど仕事がスランプの頃で、仕事で執筆の依頼が来ても書けないで断っていた時期だった。だからブログで好きなことを書いていくうちに、リハビリになるかと始めたわけだが、映画の感想を書くのはちょうど良いリハビリだった。いくつかの制限を自分の中で設定しておいて、強いプレッシャーになる「タイムリミット」「字数」は気にせずに、好きなタイミングで好きな字数だけ書くことで、徐々にスランプから脱したのだった。が、それと同時に、映画の仕事も再開したということもあり、このブログでは書かない日が続いた。
そういえば最近、映画の仕事もあまりしていないし、今年からしばらく歌舞伎や舞台鑑賞は少しペースを落とすつもりなので、せめて映画くらいは劇場や試写で観て、このブログでも感想を書いていきたいと思う。

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【作品名】鈍獣('09/日本/130分)
【監督】細野ひで晃
【脚本・原作】宮藤官九郎
【出演】浅野忠信、北村一輝、ユースケ・サンタマリア、
    真木よう子、佐津川愛美、南野陽子、ほか
【公式サイト】http://donju.gyao.jp/

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出会いから三十年経って見た顔は……


僕の母親は、昔から昼間にTBSラジオを聞いている。
朝は『森本毅郎・スタンバイ!』から始まって、『大沢悠里のゆうゆうワイド』、昼の『小島慶子 キラ☆キラ』、夕方の『荒川強啓 デイ・キャッチ!』という流れの番組を毎日のように聞いていて、土曜日も永六輔『土曜ワイドラジオ』や久米宏『ラジオなんですけど』という番組を聞いている。
中でも『スタンバイ』『悠々ワイド』『土曜ワイド』なんていう番組は、僕が子どもの時からやっている長寿番組だ。

で、僕が小学生や中学生の頃、母親と一緒に車で出かけたりするときは、きまってTBSの番組を聞かされていた。
もともと、僕の世代って「省エネ政策」で深夜のテレビ放送がなかった時代で、若い奴にとって深夜のメディアと言えばラジオだったし、同世代の人の多くはラジオを聞いていた時期が少なからずあったと思う。

そうしたこともあって、社会人になって仕事で車を使っていた頃は、母親とは違ってほかのAMやFMも聞いていたが、TBSラジオも聞いていた。

今、この長屋はビルに囲まれているのでラジオの電波が受信しづらいため、「Podcast」でラジオ番組を聞きながら仕事をしている。しかもTBSはこのPodcastに力を入れていて、多くのラジオ番組の一部を配信しているため、前述したような昼の時間帯のラジオ番組の多くを楽しんでいる。

つまり、僕は子どもの頃、青春期、そして中年期と、断続的ではあるものの、ずっとTBSの昼の時間帯のラジオを聞いていたことになる。

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で、昨日、この春から新しく始まった『小島慶子 キラ☆キラ』という番組のゲストに、阿南京子が登場した。

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※番組での阿南京子さんの声を聞きたい人は、画像をクリックしてみてください。


「阿南京子」と言われても、たぶんTBSラジオを聞かない人にはサッパリ分からないだろうが、この人は僕が子どもの時からずっと、「警視庁道路交通センターの阿南さ〜ん」と呼ばれて、「はぁい。ハッキリしないお天気が続きますが、ドライバーの皆さんは、今朝も気をつけてお出かけください」なんて言ってくれる人だ。

僕は、朝に優しい言葉をかけられてしまうと弱いところがある。フジテレビの『めざましテレビ』は、番組はあまり好きじゃないし、占いなんてまったく信じないんだけど、“アヤパン”こと高島彩に「今日一番アンラッキーなのは……ごめんなさ〜い、さそり座の皆さん」なんて言われると、占いは悪い結果なのにテンションは妙に上がったりする。

しかも、少し声フェチで、低音で艶のある声に弱い。『銀河鉄道999』のメーテルやオードリー・ヘップバーンの声優・池田昌子や、『ルパン三世』の峰不二子や『キューティーハニー』のハニー役の増山江威子の声に、幼いながらドキドキしていた。

阿南京子という人は声優でもないし、毎日ラジオで交通情報を伝えるだけなんだけども、少し低音でハスキー気味で、艶っぽく、ちょっと気怠そうな声は、世の男性ドライバーの心を癒しているのだ。しかも、三十年近くも! リアルタイムで聞くことができないPodcastは、交通情報を流すことなんてないので、最近の僕はたまに車に乗っている時くらいしか機会がなくなってしまったが、声を聞くだけで「あ、この交通情報は阿南さん」とすぐに分かる。

番組で水道橋博士が「多くの交通情報の声のなかで、唯一、その声を憶えている人」と表現していたし、小島慶子は「しかも妄想が膨らむ声ですよね」と言っていたが、まさにその通りで、交通情報といえば阿南京子というほど絶対的な存在だ。

TBSラジオファンには阿南京子ファンも多いようで、最近、交通情報以外で番組出演することも増えているらしく、例えば久米宏のラジオ番組でゲストで出演したというのは聞いていたが、残念ながらPodcastでは配信されなかったために聞けなかった。

その阿南京子が……僕はこのブログで知り合いでもない有名人に「さん」付けしないし、仮にその有名人が知り合いでも「さん」付けすること少ないのだが、今回は知り合いでもないけどもあえて「阿南京子さん」と言わせてもらう……その阿南京子さんの出演番組が、Podcastで配信されただけではなく、番組の公式サイトで顔写真を公開しているというじゃないか。

これまでもとくに顔を隠していたわけではないだろうが、僕は30年も聞きつづけたその顔を知らなかった。声がいいからって顔に期待するとガッカリすることもある。だから、見たいような見たくないような、複雑な心境でちょっと躊躇したんだけども、おもいきって番組のサイトを見てみたら……。

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※阿南京子さんの顔や番組サイトが見たい人は、画像をクリックしてみてください。


とっても上品そうで素敵なお姉様だったんで、ホッとした。
ホッとしたというか、何せ子どもの時から聞いている声なんで、もう少し老け顔を想像していたんで、その若々しさと美しさにちょっと驚いた。

いやぁ、良かった良かった。

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ということで、阿南京子さんは、声が艶っぽく、だけども優しげで、ドライバーの心を癒してくれて、その上お顔もきれいだ……って、このブログを読んでくれている人にとっては、まったく興味のない話だったかな。

ただ、『小島慶子 キラ☆キラ』という番組は、久しぶりに注目のラジオ番組だ。
今年の3月まで、この時間帯のTBSラジオは『小西克哉・松本ともこ ストリーム』という上質の情報番組で、さらに数年前まで遡ってこの時間帯といえば、文化放送の『吉田照美のやる気MANMAN!』という人気番組だったんで、「つまんない番組が始まったら嫌だなぁ〜」と思っていたら、何とも面白い番組だ。

近いうちに改めて『小島慶子 キラ☆キラ』については紹介するつもりで、今日はその予告編という感じで……。

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今年の初フェス……〈頂〉


昨日は、「頂 日本平大音楽祭 2009」というイベントのため、静岡県清水市まで行ってきた。

一昨年の浜石祭りから3年連続で行ってることになるのかな。
今年の夏フェスがスタートという感じ。

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最近は、ロックフェスとか言いながら随分とお行儀のいいフェスが多くて、行儀の悪い僕はかなり不満だ。と言いながら、何だかんだと行くんだけど……。
今回の「頂」くらい、ゆるくて人の少ないフェスが一番楽しい。

1ヵ月ぶりに、一日中いろんなアーティストの音楽を聴いていた。
少しリハビリになったようだ。


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