浅草においでよ!

  • Cb090820 浅草の各商店で配布しているフリーマガジン。特集記事を担当しています。見かけたら手に取ってください。詳しくはこのブログの投稿記事にて。
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浅草風情

2009年11月 6日 (金)

明日は「秋の浅草ぶらっとスタンプラリー」


明日、浅草では「秋の浅草 ぶらっとスタンプラリー」が催される。
11カ所でオリジナルスタンプを集めゴールすると景品と交換してくれるという催し物。

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例によってこのチラシは僕が作ったものなんだけども、今年は時間の関係でちょっと手抜きで、去年のチラシを部分的に修正しただけ。
画像をクリックすると、チラシのPDFデータが開くので、ダウンロードしたい人はどうぞ。


【時間】11月7日 10:00〜17:00
    (スタート受付は15:00まで)

【スタンプ設置場所】
    水上バス乗り場
    隅田公園東参道口
    浅草見番
    江戸下町伝統工芸館
    生涯学習センター
    テプコ浅草館
    常盤堂雷おこし前
    すしや通り
    奥山おまいりまち
    浅草花やしき
    浅草公会堂
    (スタンプ設置場の地図はチラシの裏面に掲載)

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スタートは、スタンプ設置場ならどこからでもOK。 スタートしたいスタンプ設置場でスタンプシート、ネックストラップなどを受け取って、好きな順番でスタンプを集めてください。

【ゴール=景品交換所】
    浅草公会堂前 スターの広場

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スタート時に、お得なクーポン券の付いているフリーマガジン『浅草においでよ!』も配布されるので、クーポンを使って買い物や食事をしながら、スタンプラリーと浅草散策をお楽しみください。

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今年は、スタンプラリーだけでなく、いくつかのスタンプ設置所ではイベントを同時開催しています。

個人的なお薦めは、見番で開かれる芸者さんの記念撮影。13:00〜15:00に「浅草見番」に行くと、芸者さんとのツーショットを撮影するチャンスかも。
上の写真は、先日の「東京時代まつり」に参加された芸者さんたちに集まっていただいて撮ったもの。
振袖を着ているのは「半玉さん」。黒い着物を着ているのが「一本」と呼ばれる立方の浅草芸者のみなさん。当日は、お座敷に出るきれいな着物を着ていると思うので、絶好のシャッターチャンスになるはず。
ちなみに、同じ時間帯にすしや通りでは「振袖さん」との記念撮影会が開かれるけども、明日は晴れるようなので、どうせなら見番前で本物の芸者さんたちと日差しの屋外で写真を撮ることがお薦め。

浅草の「半玉さん」と「芸者さん」については、2008年11月21日の記事で少し紹介しているので、よかったら参考までに。

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ところで、一日大人しくして様子を見ていたら、頭痛もなくなって体調も戻ってきた。
まぁもう少し様子を見ないと安心できないけども、どうやらインフルエンザということではなさそう。明日はマスクを付けてスタンプラリーの様子でも撮影して来ようかと思っている。
一方息子は、昨日の夜には熱も下がり、念のために今日も学校は休んでいるようだけども、無事に快方に向かっているようだ。

何にせよ、季節性も新型も流行していることは間違いないようなので、皆さんお気をつけください。


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2009年8月31日 (月)

熱くて暑くて温かい週末……〈浅草サンバカーニバル〉


ようやく浅草サンバカーニバルの写真が整理できた。
何せいい加減に適当に撮影していたもので、気がついたら1000枚くらい撮影していてその整理だけで時間がかかった。

とりあえず浅草サンバカーニバルの様子については、「浅草の風」に投稿している。
前回の記事でせっかくパレードについて触れたので、「浅草の風」とは少し雰囲気が違う投稿になったが、パレードの各パートごとに分けて紹介している。
良かったら詳しくはそちらをご覧くださいな。

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「浅草の風」は、小さい女の子の画像を自主規制している。
まぁ実際、ビックリするくらいアマチュアカメラマンが集まってきて、大勢の一般観客の前に陣を取り、美しい女性たちのパレード姿を撮影している。
浅草の行事はいつでもアマチュアカメラマンがすごい数集まるが、サンバはその数がまったく違う。ともすれば将棋倒れになって事故になりそうなほど、あちらこちらで押し合いながら口論している中年のカメラマンたちに「命がけですね」と話しかけたら、「僕は浅草で撮影するのはサンバだけだけど、毎年こんな感じだよ」とのこと。「おいおい! いい歳して、いったい毎年何を撮りにきてるんだ!(笑)」と突っ込みたくなるけども、みんな金のかかった良い機材を持っていて、いやはや彼らの熱気はサンバよりの熱い熱い。

で、そんなオッサンたちの喧嘩を横目に、パレードの合間で休憩してたら、気がつくとすぐ隣りにラッキー池田が出番前でスタンバイしていた。

「そういえば、10年くらい前に取材させてもらったなぁ……」と思い出し、どうせ向こうは憶えていないだろうけども、まぁ実は僕の兄貴がいろいろと世話になった人でもあったから、声を掛けようかなぁと思ってたら、出番が来たようでスタッフたちに促されて行ってしまったので、急いでシャッターを押した。

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ということで、「浅草の風」には投稿しない小さなダンサーを、このブログで少しだけ紹介。

小さいダンサーとはいえ、パレードの中ではちゃんとした役割がある。本場ブラジルでも、「アーラ・ダス・クリアンサス」と呼ばれる8歳から12歳までの子供だけの集団で構成されるパートがあり、将来の「パシスタ(女性ダンサー)」を育てる意味でも、チームの中でもとても大切にされているポジションだ。

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そんなこんなで、昼から夕方まで撮影していたんだけども、もともとこの日は別の約束があって、残念ながら最後まで撮影できなかった。

およそ5時間ほどの撮影だったが、今年のサンバカーニバルはとにかく暑い。
水分補給しながら撮影していたつもりでも、やっぱり燦々と照りつける日差しの中で撮影しているのは大変。

今回は「浅草の風」の風さんが体調不良なこともあって協力させてもらうつもりでサンバの撮影をしてきたが、僕よりも大先輩の風さんも、あんな猛暑の中でよく毎年撮影していたなぁと、改めて感心してしまった。
暑い暑いと思っていたら、目の前には「江戸ネット」のあほまろさん。こちらも、当然ながら僕より大先輩。

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中年になったとはいえ、彼らに比べればまだまだ若輩者の僕が、少しくらい暑いからとウダっている場合じゃないと少し反省。
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さて、熱くなった身体をアイスの一気食いでさまして、次の約束へ。
実はこの日は、高校時代の部活のOB会。
僕以外は全員先輩たちばかりの集まりで、この世代が集まる時はいつも僕がお世話係。

顧問の先生は、素行や性格の悪い高校生だった僕にとっては、まぁ「恩師」という人で、いまでもいろいろと連絡を取り合って相談に乗ってもらったりもしている。恩師といっても、まだ50代半ばなので、風さんと同じように先輩って感じかな。

夕方から飲み始めて終電ギリギリまで飲んでいたが、最後にはこの先生が「冷房が寒いんで燗にしよう」ということで、焼酎から熱燗に。僕は、もう十数年前から付き合い程度にしか酒を飲まなくなってしまったんで、熱燗なんて何年振りだろうというくらい久しぶり。

少し冷房の効き過ぎた飲み屋で、温かい熱燗をすすりながら、先輩たちとの久しぶりの再会に交流を深めた夜だった。

ということで、久しぶりに日本酒を飲んだおかげで、昨日の日曜日は一日中だらだらと寝て過ごしてしまい、サンバの写真整理も遅くなってしまったという、言い訳の投稿だったのだ……。


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2009年8月28日 (金)

サンバが夏を〆くくる(『浅草においでよ!』こぼれ話)


今回で29回目となる“浅草サンバカーニバル”は、浅草の夏の最後をしめくくるイベントとして、すっかり定着した感がある。

またも直前になってしまったが、今年も浅草サンバカーニバルが開かれる。

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いつの間にか定着した感じだったが、以前から「なぜ浅草でサンバ?」という思いがあった。
浅草には、三社祭、ほおづき市、隅田川の花火、時代まつり、羽子板市と、一年中イベントが盛り沢山だが、日本文化を感じさせる行事に比べて、サンバだけは明らかに違和感のあるイベントだ。

公式ホームページによると、
「浅草といえば「江戸下町情緒」というイメージがありますが、実は大の新しもの好きなのが浅草ッ子の気質。(中略)そうした背景のなか、昭和30年代後半から40年にかけて、盛り場の中心は、他の地区に移っていきました。このような状況の中で当時の内山台東区長と浅草喜劇俳優の故・伴淳三郎氏が、浅草の新しいイメージをつくるものとして、ブラジルのサンバカーニバルを浅草のお祭りとして取り入れることを提案。これをきっかけに、浅草の商店連合会が主体となるサンバカーニバルが誕生したのです」
とある。

浅草サンバカーニバルは、浅草商連が強力にバックアップしているイベントなので、今年の『浅草においでよ!』で取材させてもらったとき、思い切ってその辺の経緯を聞いてみたいと思った。今年は浅草商連60周年で幹部の方々による座談会が企画されていたので、ちょうど良い機会だった。
誌面では1ページ分くらいにまとめているが、実際の座談会ではその何倍もの話を聞くことができた。150分ほどの座談会の中で、およそ50分近くがサンバカーニバルの誕生秘話。なにせ、ブラジル視察に参加した永野浅草観連会長(当時は浅草商連の事務局員)も座談会のメンバーだったから、誌面では書けないような苦労話を含め、色んな話を聞くことができた。

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サンバカーニバルを作った大きな要因としては、夏休みやお盆休みがある8月、当時の浅草には大きなイベントがなかったため、浅草に人の足を向かせたいという願望が強かったらしい。当時の浅草商連の資料を読むと、「若い人の街 浅草」をキャッチフレーズにするなど、寂れかけた街を何とか活性化したいという思いが感じられる。
当時区長だった内山栄一氏が、伴淳三郎に相談したところ「サンバっていうのは三社祭の熱気に似ている」と提案したらしい。
実際に伴淳三郎から提案があったかどうかは、永野会長も伝聞で聞いておりもう一つハッキリしないのだが、一部ネットで書かれている「兵庫県神戸市がすでに神戸まつりでサンバパレードを行っていたことから、浅草の商店街や観光連盟などが読売新聞社を通じて、神戸まつり関係者にコンタクトを取ってそのアイディアを浅草サンバカーニバルに流用したというのが真相であり、伴淳三郎の話は後づけ」というのは、少し間違っているようだ。
まず、浅草観光連盟は、当時は積極的に動いていない。これは、当時、浅草寺や関連寺社などが浅草にサンバを持ってくる事を嫌がり、浅草観連もそれに同意していたからだ。神戸祭りからヒントを得ていたとしても、神戸祭りのアイデアをそのまま流用するというほど、当時の浅草サンバカーニバルは完成度が高くない(笑)。

まぁそのへんの真偽については、すでに知っている人も少なくなりつつあり、今後どこかで機会があればじっくりと話を聞いてみたいと思う。

とにかく、浅草寺も浅草観連も消極的だった中で、浅草商連が主体となって実行委員会形式で浅草サンバカーニバルは誕生し、紆余曲折を経ながらも、いまでは浅草の夏の風物詩と成長した。

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そうそう。もう一つ、『浅草においでよ!』のこぼれ話があった。

同誌23ページには、サンバカーニバルの記事を入れてある。
今年は別の記事を書くつもりで原稿も用意していたのだが、ちょっとしたトラブルで去年の記事を流用した。

実は、印刷の直前になって、サンバカーニバルの公式ガイドパンフレットに書かれている「パレードの構成」に誤りがあったのだ。
『浅草においでよ!』の去年のサンバの記事は、公式パンフレットのデータをある程度流用させてもらって「パレードの構成」について記事を書かせてもらった。
で、今年の公式ガイドにも「パレードの構成」について去年と同じような解説が載っているのだが、これが去年から間違っていたらしい。けっこう大きな誤りだった(笑)。

そこで、急遽、『浅草においでよ!』の記事は「パレードの構成」にして、間違っている点を修正しようということになった。

どこが修正されているか興味のある人は、下の画像をクリックして確認してみてください。

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ということで、いつも情報が遅くなって申し訳ないが、運良くサンバカーニバルに出かける前にこれを見た人は、ぜひ参考にしてください。

今年のサンバカーニバルの様子については、僕も撮影することになっている。
明日以降、「浅草の風」に掲載するつもりだ。

【イベント名】浅草サンバカーニバル
【日時】2009年8月29日土曜日
【会場】浅草 馬道・雷門通りなど
【公式サイト】http://www.asakusa-samba.jp/


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2009年8月20日 (木)

『浅草においでよ!』H21年度版が発行


ということで、今年も何とか『浅草においでよ!』が発行された。

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「浅草においでよ!」平成21年度版

浅草商店連合会発行のフリーマガジン。
今年の企画ページの目次は……

■お笑いコンビ“ダイノジ”インタビュー
  浅草にはボクらの“憧れ”がある

■浅草エンタメ案内
  浅草演芸ホール/東洋館/浅草花月/
  木馬亭/木馬館/浅草公会堂/ほか
  出演者インタビュー:南海キャンディーズ

■浅草商連60周年記念座談会
 これからも、もっと「浅草らしく」

■外国人観光客も読める!
  ◆英語・中国語・韓国語による
   解説ページが新たに登場!
   外国から来た観光客の皆さんも
   楽しめるようになりました。

■ほか
  ◆浅草催事かれんだぁ
  ◆浅草サンバカーニバル

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クリックすると大きな画像になります


企画記事のページのほかに、浅草にある約1300軒の商店の「店名」「電話」「住所」「地図」が載ってて、巻末には浅草の各店舗で使えるお得な「クーポン券」もついてる。

僕は、この企画記事の、構成・取材・文・デザイン・一部撮影を担当。
今年も、明日以降、それぞれの記事についてもう少し詳しく紹介する「取材こぼれ話」をこのブログで書く予定。

浅草の各施設、店舗など、浅草中で無料配布しているので、良かったら手にしてください。


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2009年8月19日 (水)

「浅草演芸祭」が開かれる


あっという間の夏も終わりかけ、いわゆる残暑と呼ばれる季節になってきた。

で、ブログの本格復帰もまだ出来ていないのだが、今週末のイベントのお知らせを……

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明後日21日(金)、浅草公会堂で「浅草演芸祭」というイベントが開かれる。
今回が初開催となるイベントで、すでに来年の春に第2回を行う予定となっており、主催者側としては、今後、定着させていきたいと考えていらしい。

写真は、先月に記者会見が行われた時の様子。
今回のキャスティングに関しては、全体的に上方の芸人さんが多いように見えるが、これは吉本興行が全体をバックアップしているため。
ただし、主催する委員会のメンバーを見ればわかるように、浅草の有名店たちが名を連ね、後援には浅草観連と浅草商連など大きな団体が目立つなど、浅草全体で盛り上げたいという意向も見える。

僕は、個人的に以前から、浅草で「喜劇」「演芸」「コメディ」などの大きなイベントがちゃんと開かれてほしいと思っていた。
今年はなかったが、去年まだ銀座で「大銀座落語祭」が開かれていたが、あれだって本来は、上野と浅草にたくさんの寄席を持つ台東区で開かれるべきで、台東区にはそうした吸引力がまだまだ足りないという現実はあるものの、浅草にしても上野にしても、もう少し「お笑いの街」という意識を持つべきなんじゃないかと思っている。

そういう意味で、とても頑張って成功してほしい試みで、来月開かれる「第2回したまちコメディ映画祭」と同様に、定着してくれることを願っている。

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ということで、お時間のある人はぜひどうぞ。
そういえば、昨日辺りから『浅草においでよ! 平成21年度版』が配布されているはず。それについても、近々お知らせします。

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クリックすると大きな画像になります


【イベント名】浅草演芸祭
【日時】2009年8月21日金曜日
   [1部]12:30〜 [2部]16:30〜
【会場】浅草公会堂
【料金】前売4500円/当日5000円
【出演】中田カウス・ボタン/玉川カルテット/
    博多華丸・大吉/サンドウィッチマン/
    タカアンドトシ/はんにゃ/テツandトモ/
    フットボールアワー/コント山田君と竹田君/
    ビートきよし/浅香光代/なぎら健壱 ほか
【公式サイト】→こちらをクリック←


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2009年7月18日 (土)

今更ながら……<浅草・ほおづき市>


だいぶ遅くなったが、ようやく浅草ほおづき市の写真を整理した。

ほおづき市と四万六千日については、去年の記事で書いたので、詳しく知りたいときは→こちらをクリック←をどうぞ。

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※写真をクリックすると大きな写真になります
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下の写真2枚は、去年『浅草においでよ!』の取材でお世話になった稲村さんの露店。
毎年、浅草寺の東南角にあってとても縁起のいい場所に出している由緒ある店だが、今年は本堂工事のため、少し場所を変更。それでも、ロケーションはさすがに良い場所だった。

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で、今年も稲村さんが勧める酸漿を買ってきて、ベランダに飾ってみた。

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本当は「浅草の風」に投稿する予定だったが、さすがに10日以上も間が空くともう遅い。
せっかくもう少し色んな写真を撮ったので、今日以降、「メイプル・ブログ」に投稿する予定にしたので、よかったらそちらをどうぞ。

ということで、今回はこれだけ。


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2009年6月18日 (木)

ブロードウェイに棲む神々……〈浅草六芸神〉


今週末から来月初めにかけて、浅草の六区ブロードウェイ辺りでいろいろと撮影する予定になっている。というのも、今年もフリーペーパー『浅草においでよ!』の企画ページの取材が始まるからだ。
今年の企画ページの一つとして、演芸ホールをはじめとした浅草の各劇場・演芸舞台を取材する。

ということで、今回は六区ブロードウェイにいる神様たちの紹介。
その名も「浅草六芸神」。

六区ブロードウェイを歩くとき、少し上を見上げると神様が見えるかもしれない……。

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江戸時代中期、浅草寺境内の奥山と呼ばれる場所は、浅草寺の繁栄と共に江戸の娯楽の場として大道芸人たちが芸を披露する場所として栄えました。 明治時代に入ると、浅草寺境内は東京五公演として指定され、明治十六年(1883)には、浅草寺境内の田圃を掘って大池とひょうたん池をつくり公園六区がつくられ、奥山から見世物小屋や芸人が移動してきました。
のちに、新しい興行(映画や演劇)も始まり六区興行街として全国にその名が知られるようになり、現在の六区ブロードウェーとなりました。
興行街としてにぎわう六区には、いつの頃からか六人の芸達者な神様が住みつき、六供周辺で行われるいろいろな見世物に出る様々な芸人達を見守り、芸の知恵を授けてくれるといわれています。六区からは六芸神に見守られた多くの芸人達が映画や演劇、音楽等で活躍しています。このため、六区ブロードウェイでは、六芸神を通りの繁栄の守り神として祀っています。

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【唄神】うたいがみ
この神様は、兄の奏神と共に舞台に現われ、唄の舞台を見守ってくれる神様です。歌手の歌声をより一層引き出す術を持った神様です。この神様が舞台に現われ一緒に唄ってくれると、その歌は、必ず流行るといわれています。

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【奏神】かなでがみ
この神様は、いろいろな曲を知りつくし、どんな歌にも演奏を合わせられる神様です。弟の唄神と共に楽器演奏の舞台を見守っていますが、この神様が一緒に演奏してくれると、楽器の音色が引き立ち、心に響くものになるそうです。

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【話神】はなしがみ
この神様は、古くから話芸にいそしみ、さまざまな話芸の間を心得ている神様です。この神様が舞台にあがり見守ってくれていると、英語や漫才などの舞台が明るく盛り上がり、芸人達の失敗さえも笑いに変えてくれるそうです。

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【戯神】おどけがみ
この神様は、古くから道化や曲芸などの大道芸を見守ってきた神様です。演じる物の後ろに立ち、見物人を集めるといいます。この神様は、よく旅に出て各地の大道芸を見て回るそうです。この神様に会えた人は、人を引き付ける魅力をさづけられるといわれています。

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【演神】えんじがみ
この神様は、劇や映画などで、主役・脇役を問わずに役を演じる役者達を見守ってきた神様です。特に、若手の役者達が育つのを楽しみにし、いろいろな劇や映画を見ては、役者達に縁起の知恵をさづけてくれるそうです。

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【踊神】おどりがみ
この神様は、古くからいろいろな踊りを伝え聞き、踊り子達に伝えつづけてきた神様です。日本舞踊から洋風ダンスまで、さまざまな舞を演じられるそうで、この神様が舞台に現われると、その舞台が成功するといわれています。

※上記の各説明文は、誤字を含めてそれぞれの解説文のママ。

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神様と記念撮影できるように、顔抜き看板も用意されている。

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こんな神様たちに愛されている浅草の芸人さんたち。
最近は、浅草芸人に憧れて浅草の舞台を目指す若手たちも増えてきているらしい。

そういう若い芸人さんたちから話を聞かせてもらえそうなので、今年も発行後には「取材こぼれ話」を書くつもり。
『浅草においでよ!』ともども、どうか楽しみにしててください。


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2009年6月 2日 (火)

一ヵ月後にまた縁日……〈お富士さんの植木市〉


先週の記事でも書いたが、こないだの週末は浅草の浅間神社近くで「お富士さんの植木市」が開かれた。

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浅草富士浅間神社の境内入口。

浅間神社は、富士山を御神体とする富士信仰を背景に、全国各地に建てられている神社だが、浅草の浅間神社は1700年頃に蔵前にあったものが移転してきたらしい。
台東区には、入谷にある小野照崎神社の境内にも富士塚があって、そこも小野照崎神社の末社として「富士浅間神社」となっている。浅草と入谷の浅間神社には直接の関係性はなく、浅草の浅間神社は、浅草神社の兼務社だ。二つの距離は数キロ、昔で言えば半里程度の近さだが、これだけ近くに二つも存在するくらい、江戸の町のいたる所に富士塚や浅間神社があったということで、それほど富士信仰は浸透していたということになる。

富士山の山開きがあった旧暦6月1日に、富士信仰を信奉する人たちが富士山に行けない代わりに浅間神社に集まった。
山開きは夜中、現在でいえば0時に行われるので、5月の末日から人々が浅間神社に集まったわけだ。縁日で人が神社に集まれば、そこで市が開かれるのが昔の常。

一方、浅草の北側(現在の浅間神社の辺り)は、吉原以外は田畑の続く農村だったが、その畑で植木などがせっせと作られていた。
つい最近の記事でも書いたように、この界隈は長屋に限らずどの家も、家を囲うように植木を置いている。これは、江戸時代からの風習らしく、当時からせまい路地にある住まいの中で、せめてわずかな緑を求める庶民の心があったんだろう。もともとは武家の趣味として植木や盆栽が流行したが、その後は町人など一般庶民にも流行が広がり、植木は広く親しまれた。
入谷朝顔市の記事でも触れたが、武家の内職などもあって、下谷や入谷、あるいは浅草あたりは、観賞用植物の栽培が盛んに行われており、そうした植木にとって、梅雨の近いこの時期は移植に最適であったために、いろんな所で市が開かれていたらしい。

当然、この時期の大きな縁日となる浅間神社の富士山山開きは、植木市を開くのに格好の縁日だったということになる。

明治になって富士山の山開きが新暦の7月1日になったため、「お富士さんの植木市」は、もともと開かれていた5月末日と6月1日、新山開きの6月末日と7月1日の2回開催ということになった。まぁ市を開催する側としては、商魂逞しく、大義名分があれば縁日なんて何度でも開いたほうが儲かるわけで、買う客のほうも、特売セールである市が何度開かれてもありがたいもの。

ということで、現在では、5月と6月の最後の土日に開催されている。

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もう少しまともな写真を、浅草の風に投稿しているので、そちらもぜひどうぞ。
(僕の投稿記事は→こちらをクリック←

少し余談になるが、浅草では、観音様、三社様、聖天様っていうけども、浅間神社は「お富士様」って言う人も「お富士さん」って言う人もいる。ほかにも天神様や弁天様にお仁王様……。下谷神社の場合は、お稲荷さんだから「さん」付けの場合もあるかな。
「富士山」だから「ふじさん」の方が呼びやすいとか、いくつか要因があるんだろうけども、いちいち「様」ってつけるのは堅苦しくて、実はあんまり好きじゃない。落語の登場人物たちも、必ずしも「様」ではなく「観音さん」ということもあるし、すべての江戸っ子がいちいち仰々しく「様」を付けていたとは思えない。
そもそも、最近はそこら中で「様」を付け過ぎて気持ち悪い。テレビの報道番組や新聞などの報道機関が「皇太子様」「雅子様」なんていうのも、「浩宮皇太子」「雅子さん」で十分だ。個人個人が好きに「様」を付けるのは構わないが、報道なんてものは敬称なんて略しても問題ない。僕は、報道機関が皇族だけに「様」付けするのに違和感がある。同じように、電子メールで、かなり親しい人に対しても、いちいち「様」で始めるのは、画一的で好きじゃない。親しい間柄の文面なら、例え仕事関係でも「●●さんへ」でいいと思う。そのくせ、伝票など、「様」が印刷しているものは平気で呼び捨てるように書き記す。「様」の印刷は、「様」付けがいかに無意味な習慣であるかを物語っている。
なんて思いを普段から持っているので「お富士さん」というネーミングは、個人的にはすごく清々しくて好きだ。

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これは自宅用に買った「ケイトウ」。 僕は植物についてからっきし無知なのでよくわからないけど、色がかわいいんで買ってみた。 名前を忘れないように値札を入れたら、写真としてはやっぱり野暮ったくなった。
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こちらは見番前の人出。 浅間神社の前を走る小松橋通りから言問通りまでを結ぶ「柳通り」が市のメインストリートになっている。 この日はちょうど良いタイミングで撮影できて、浅間神社に着く直前に雨が上がり、写真を撮り終わったあとに土砂降りの雨になった。

次回は、6月27(土)と28(日)に開かれるので、興味のある人は観音裏の散策をかねて歩いてみてはいかがだろうか。
植木市についての詳しい情報は、→浅草観音うら一葉桜振興会のサイト←を参考にどうぞ。

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昨日の朝、友人の初めての子どもが生まれたという知らせが入った。
すると夜、その友人の共通の友だちが、結婚直前だった彼氏と別れたらしい。
また別の知人からは、体調不良の知らせを受けた。
昔と違って、いまの四十代はまだまだいろんなことが起こる。

  生きるとは
  なお惑いつつ
  五月雨の空

……なんてちゃんと俳句になってるのかな?
社員時代に、コピーライティングの練習として、会社の日報に毎日ひとつ川柳を書いていたことはあったんだけど、俳句はやったことないからよく分からない。もし俳句になってなかったら、どなたかご教示くださいませな。

ということで、僕の下手糞な俳句もどきじゃ何なんで、忌野清志郎のナンバーから、Natoe's Babyと僕が愛すべきすべてのベイベたちに贈る歌を。




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2009年5月29日 (金)

今度の週末は、浅草でスタンプラリーでもいかが?


数日前の記事でも少し触れたが、今週の土日、浅草の浅間神社前では「お富士さんの植木市」が開かれる。
写真が撮れれば改めて詳しく紹介するので、とりあえず詳しく知りたい場合は、→浅草観音うら一葉桜振興会のサイト←を参考にどうぞ。
毎年、5月末と6月末に開かれており、今年は今週末と6月27〜28日に開かれる。

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今度の日曜日の浅草は、もう一つイベントがあって、それが「隅田川水面の祭典」。
こちらは隅田川の浅草側、東武線の鉄橋から桜橋までが会場となって、水上スキーや水上バイクのエキシビションが開かれるらしい。

それ以外はよく分からないイベントなんだが、11時30分頃〜15時頃に開かれているとのこと。

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で、その二つのイベントを結びつけるのが、「浅草・隅田川散策ラリー」。
雷門前にある「浅草文化観光センター」をスタート地点にして、「水上バス乗り場」→「水面の祭典会場」→「今戸神社」→「お富士さんの植木市」→「奥山おまいりまち」→「雷門田原」の順に7カ所を巡って、再度「浅草文化観光センター」に戻って時間内にゴールすると景品と交換してくれる。

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上の画像は、当日配られるスタンプシート。クリックすると大きな画面になるので、参考までに。

このスタンプシートは、先日、急遽デザイン頼まれて僕が作ったもの。まぁデザインと言うほどのものじゃないけども……。
スタンプシートは、「浅草文化観光センター」でしかもらえないので、必ず「浅草文化観光センター」からスタートしてほしいとのこと。くれぐれもお間違いなく。

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ということで、今週末は、「読書サロン」で泊まり込みをして、昼に戻って急いでお富士さんの植木市にかけつける、という強行日程。
それまでに紹介できる本を見つけなきゃいけないし、全然暇じゃないぞっ。

なんてことを考えて、いま外を見たら雨が上がっていた。
去年、エンジンではなくベアリングがいかれて、突然動かなくなったオイラのポンコツスクーターは、その後とうとう潰れちまった。今月、新しい相棒が届いたが、その話は来月になってから。

せっかく雨あがりの朝焼け空だけど、新しい相棒に乗ってる余裕はない……。


【PostScript】
RCのライブは本当に楽しかった。ライブと言うより、まるでパーティのようだった。そう、パーティという言葉がよく似合っていた。そして「雨あがりの夜空に」は僕たちのパーティに欠かせない定番ソングだった……なんて湿っぽい締め方は臭くて似合わないので……
今日もビンビンにキメて、ぶっ飛んで朝飯作るゼ!
オ〜ルァイっ!


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2009年5月25日 (月)

風に吹かれて


もう3週間ほど前だが、浅草を歩いていると、いくつかの店先で風鈴が出始めているのを見つけた。
風が強い日で、風鈴も忙しそうに音色を奏でていた。

ということで、そんな風鈴の写真を3枚ほど。

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ボブ・ディランの代表曲に「Blowin' in the Wind」という曲がある。「How many roads must a man walk down Before you call him a man?」と唄い出す曲で、日本でもお馴染みだ。RCサクセション時代の忌野清志郎が、アルバム『COVERS』の中でその曲を「風に吹かれて」というタイトルでカバーしている。

 ♪どれだけ強くなれたら 安心できるの?
  どれだけ嘘をついたら 信用できるの?
  いつまで傷つけ合ったら 仲良くできるの?
  その答えは風の中さ 風が知ってるだけさ♪

発売中止騒ぎになった『COVERS』は、タイトル通り様々な洋楽ナンバーをカバーしているが、その訳詩が秀逸で名曲ぞろいだ。
「反戦・反核・反原発」というメッセージ性が高く、当時RCサクセションのファンの中にはついて行けない人も多かったし、逆にこのアルバムで新たなファンを開拓したともいえる。実際にはバンドメンバーも、メッセージ性が高過ぎてついて行けなくなりつつあり、その後の活動中止の端緒になったと指摘する人も多い(たしかに端緒にはなっているのだが、活動中止の実際の原因は、バンド全体の行き詰まり以外何ものでもない)。
ただ、いずれにしても元々名曲なところに、秀逸な訳詞と忌野清志郎の聞き取りやすい歌声かメロディに載り、一曲一曲が素晴らしい出来だと思う。
もしこれから忌野清志郎を聞こうという人がいれば、ぜひ聞いてみてほしい。

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風鈴といえば、浅草ではほおづき市があとひと月ほど。その前に、今週末は「お富士さんの植木市」だ(詳しくは、→浅草観音うら一葉桜振興会のサイト←を参照してください)。
当日は行くつもりなので、写真が撮れれば、また詳しくご報告します。

梅雨が近づいて、陽気も心もジメジメしがちだが、風に吹かれて心くらいは晴れやかに……。


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2009年5月21日 (木)

田原町は浅草の南の玄関口


銀座線田原町の駅から雷門へ向かう道筋に、「雷門田原商店会」がある。南は寿司の「日本海」から国際通りを北に向かい、雷門通りのぶつかる「鮹松月」の角を東に向かって、焼肉「大三苑」までの一角だ。

その雷門田原商店会では、しばらくの間「街並み環境整備事業」という工事をしていたが、先月4月に完成した。
それを記念したセールが、今日2009年5月20日から5月24日までの間に催される。
期間中に買い物をすると、先着1200人にオリジナルエコバックがもらえたり、クイズに答えて応募すると、1万円分の旅行券や、ホテルサンルートの宿泊券などが当たるとのこと。

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ということで、今回は雷門田原商店会の写真をどうぞ。

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さて、まったく関係ない話だが、東京でも新型インフルエンザを発症した人が出たとか。
予防のためにある程度過剰に反応するのは仕方ないが、ちょっと騒ぎ過ぎじゃないか……、などと思っていたら、一昨日から昨日にかけて、子どもの家でちょっとしたインフルエンザ騒ぎ。
娘が風邪で高熱を出したお陰で、3軒ほど薬局をめぐってマスクを探したが、病院関連の薬局でもマスクが売り切れているらしい。

医学に精通しているわけではないのでウッカリと決めつけてはいけないが、マスクの最大の効果は、基本的に「他人にうつさない効果」なんで、極めて健康な人がマスクをしても、「してないよりもマシ」って程度のはず。それよりも、実際に新型インフルエンザにかかった人がマスクをつけて、クシャミなどからの飛沫感染を防ぐことの方が、よほど日本全体としては感染拡大の予防になる。それに、お年寄りや別の病気などで身体が弱っている人こそ、例え「してないよりマシ」でもしなくてはいけない。
どうしてもしたい超健康志向な人の邪魔をする気はないが、そのお陰で風邪やインフルエンザにかかっている人、本当の意味でマスクを必要としている人が、マスクを買えないというのは本末転倒だってことくらいは指摘しておきたい

ま、皆さん、いろんな意味でインフルエンザにはご用心。


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2009年5月16日 (土)

お好みの「粋」は?……〈三社祭〉


今年も三社祭が始まった。

詳しい様子や詳細情報などを知りたい人は、「浅草の風」を見てほしい。
そのうちに僕の写真もアップされるので、どうぞ。

あとは、「江戸ネット」という個人サイトもとても参考になるので、どうぞ。

ということで、昨日は「大行列」と「宵宮」の撮影をしてきた。
「浅草の風」に投稿する写真とは別に、このブログ用に、いろんな半纏を撮ってきた。
個人的には、仲見世の青い半纏が粋だと思うが、それぞれにお好みの半纏を見つけることができるだろうか……。
(画像をクリックすると、大きな画像が見られます)

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さて、最後におまけで、大行列に参列していたキレイどころを少しばかりご紹介。

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ちゃきちゃきの“浅草っ子”で、代々芸妓さんというお家ご出身の乃り江さん。

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紗幸さん。浅草では初のオーストラリア人芸者。イギリスのオックスフォード大学で博士号をとったという才女。

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昨年の『浅草においでよ!』で協力してもらった、こず江さんと千福さん。

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このブログでも何度か紹介させてもらっている聖子さん。

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ということで、今日からいよいよ三社祭も本番
今年は本宮が出ているので、今頃、盛り上がってるだろう。


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2009年4月 7日 (火)

「浅草寺西側周辺細見図」が御目見得


今日4月7日から、浅草・奥山おまいりまちの一角に「浅草寺西側周辺細見図」という看板地図が、御目見得となった。

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実は、この地図のデザインを担当している。
今日立てられたばかりなので、地図の下には「ペンキぬりたて」の文字。

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設置場所は、奥山おまいりまちの通りと、公園本通り(通称・ホッピー通り)の交差する角。
詳しい場所は、→こちらの地図←をどうぞ。

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本当は別の場所に、この2倍くらいの大きな地図を掲げるはずだったのだが、紆余曲折があってちょっとこじんまりした地図になってしまった。

まぁ近くに行った時にでも、実物を見てみてください。


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2009年4月 6日 (月)

浅草も上野も桜が満開です


新年度になり陽気も春らしくなってきた。
何となくせわしなく過ごしているので、すっかりこのブログの更新を怠っていて、WBCの優勝のことや、最近見た芝居などについても書きたいと思いながら、すっかりタイミングを逃してしまった。

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昨日の夜、隅田公園で桜を見ながら歩いたんで、その写真。
携帯電話のカメラなので、ちゃんと撮れてないのはご愛嬌という事で。

で、今晩、買い物ついでに上野公園の桜を見てきたが、こちらも満開。

どちらの公園もちょうど桜が満開なので、花見客が大賑わい。

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新年度と言えば、今年度は、娘の大学受験と息子の高校受験で、色んな意味でたいへんな一年になりそうだ。

ということで、ブログの更新を再開です。


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2009年3月15日 (日)

19世紀は歌舞伎の大転換期……その3

●明治政府にすり寄った歌舞伎界

「19世紀は歌舞伎の大転換期」というテーマで記事を書き始めておきながら、その後、すっかり時間が経ってしまった。
「『河原乞食』の抱え続けたコンプレックス」を書いてから約3週間、ようやくその続き。

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すでに一大産業として確立していながら低い地位に甘んじてきた歌舞伎界は、明治に入り、露骨なまで政治へアプローチをかけ、自ら明治政府にすり寄って地位向上を図り成功させる。
現在の歌舞伎が本来の大衆文化ではなく、格調高い伝統芸能として扱われるのは、この時期の影響が大きい。

まず、徳川に替わって日本を治めることになった明治政府の歌舞伎界への対応だが、徳川幕府と変わらず厳しいものだった。
安政年間に浅草の北に位置する猿若町に集められた各芝居小屋は、明治元年(1968年)には移転するように命じられる。動乱の世からようやく落ち着き、歌舞伎人気も少しずつ以前の活況を取り戻しつつあったなかでの移転話だ。当初は各歌舞伎小屋も躊躇していたが、明治5年(1872年)になって守田座が新富町に移転し(新富座となる)、他の芝居小屋も東京各地へと移転を進めていった。

下の写真は、現在の浅草6丁目にある「浅草猿若町碑」。今では当時の面影はまったくなく、いくつかの石碑が残っているだけだ。

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さらに明治5年、明治政府は更なる干渉をする。
以下、干渉の内容について、『歌舞伎の歴史』(今尾哲也 著/岩波新書)から引用する。

   第一に、「高い身分の方や外国人が見物するように
  なるから、淫らな男女関係を惹き起こす原因となった
  り、恥ずかしくて親子が一緒に見ることの出来ないよ
  うな狂言を演じてはいけない。道徳教育の足しになる
  ような狂言を作れ」。
   第二に、「芝居というものは本来善をすすめ、悪を
  懲らしめることを趣旨としなければならないのは当然
  のことであるが、それに加えて、今後は狂言綺語(作
  り話)と呼ばれることを禁止すべきである。たとえば、
  今までは、羽柴秀吉という名前を真柴久吉と変えてみ
  たり、織田信長のことを小田春長と変えて上演してき
  た。(中略)名前だけではない。何事につけても、事
  実に反するようなことをしてはいけない」
  (原典:『明治文化全集』第24巻)

(引用以上)

要するに、
「身分の高い人間も見るような高尚な文化という意識を持て」
「外国人が見て日本文化を下品だと評価されないようにしろ」
「時代物(歴史的背景のある狂言)は、荒唐無稽な作り話ではなく、史実に基づく筋立てにしろ」
ということだ。

そもそも歌舞伎とは、「傾く(かぶく)」ことから始まったと言われる。
「傾く」というのは、「常軌を逸した行い」「自由奔放な振る舞い」「異様な身なり」という意味であり、破天荒で型破りな行為を指したものだ。出雲の阿国という女性が、歌舞伎踊りを披露してから約250年余、江戸や大阪の庶民たちに大衆文化としてしっかりと根付き、すでにある程度の完成度に到達していた。
それを高尚にと言われても、歌舞伎界にとっても、歌舞伎に足を運んでいた観客にとっても、すぐに「はい、そうですか」と受け入れられるものではなかっただろう。

ただし、当時の歌舞伎小屋は、暑くなれば男女構わず半裸状態になったり、興奮した観客同士で喧嘩になったりと、たしかにあまり誉められた環境ではなかったようだ。
下の錦絵は、江戸中期(1740年頃)に奥村政信によって描かれた『芝居浮絵』という浮世絵。これを見る限りそれほど破廉恥な環境だったとは思えないが……。

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それにしても、「狂言綺語」の禁止というのは、これまでの歌舞伎を全否定することに近い命令だった。
徳川幕府の規制によって、歌舞伎や文楽は、世相を直接描くような狂言を作ることを禁止されていた。そのため、例えば、18世紀初頭の元禄時代、日本中で話題だった「赤穂義士の仇討ち」騒動を狂言にする際に、大石内蔵助を大星由良之助、浅野内匠頭を塩冶判官、吉良上野介を高師直、などと名前を変えて『仮名手本忠臣蔵』という人気狂言を作り出した。
少し補足説明しておくと、『仮名手本忠臣蔵』の前に赤穂義士を描いた作品がいくつかあり、近松門左衛門が人形浄瑠璃として作った『碁盤太平記』が人気を博したことから、時代を室町時代の歴史文学である『太平記』になぞるようになった。そのため、塩冶判官や高師直など、室町期の歴史上の人物が、『仮名手本忠臣蔵』の中心人物として登場することになる。
さらに『忠臣蔵』に限って言えば、たしかに日本中で「赤穂義士の仇討ち」が話題になった背景には、当時「犬公方」とまで言われた5代将軍・徳川綱吉の治世に対する不満もあっただろう。しかし、多くの庶民とっては、そうした政権批判だけではなく、太平の世に命をかけて「義」を貫いた赤穂義士たちに対する純粋な賞賛こそが、何よりも心を熱くさせた要因だったろう。そして『仮名手本忠臣蔵』は、単なる仇討ちという事件経過だけの物語だけでなく、「おかる・勘平」「力弥・小浪」「師直・顔世御前」という歴史的事実にはないサイドストーリーを膨らませ、本筋である仇討ちと上手く絡めることで、「歌舞伎三大狂言」と言われるほどに人気のある狂言へと発展していった。

下の錦絵は、歌川豊国作の『東都高輪泉岳寺開帳群集之図』。『忠臣蔵』の登場人物が一堂に会して品川の泉岳寺に参詣するという想像図。
クリックすると大きな画面になるので、参考までも見てほしいが、左から、斧定九郎、おかる、早野勘平、寺岡平右衛門、大星由良之助、小浪、戸無瀬、加古川本蔵、一文字屋才兵衛、という珍しい一枚。
「狂言綺語」から派生した歌舞伎の世界観を否定してしまえば、こうした魅力的なキャラクターたちが作り出されることもなかっただろう。

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引用文に出てくる「羽柴秀吉という名前を真柴久吉と変えてみたり、織田信長のことを小田春長と変えて」というのも、同じような流れの中で、いつしか観客に定着した「隠語」である。隠語と言っても誰でもわかるほどなのだから、隠れてもいないのだが、そこが日本文化の「建前」であり、まぁ誰でもわかるほど常識的な隠語でも、あえて徳川幕府の顔を潰さないようにすることで、幕府も歌舞伎界も、お互いに適度な距離を保ってきたわけだ。

こうした「狂言綺語」という手法は、単に幕府からの抑圧をかわすためでけではなく、前述した『仮名手本忠臣蔵』のサイドストーリーのように、歌舞伎狂言をフィクションとして完成度の高いエンターテインメントへと昇華していくために、大きな役割を担っていた。

これを、明治政府はいきなり禁止しようとしたのだ。

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これらの明治政府の対応は、当時「文明開化」と呼ばれ強引に進められていた「欧化政策」の一環だった。
当時、欧米への海外視察によって、産業革命を終えたアメリカやヨーロッパの文化を直視した明治の高官たちは、カルチャーショックを受けると同時に、日本文化が低く見られることへのコンプレックスを抱き、「欧米各国に恥ずかしくない国づくり」を目指していた。
そうした明治維新から富国強兵への明治政府に対する僕なりの評価は、改めて別の機会に書くことにするが、単純に否定することはできない。

ただ、僕に言わせれば、「狂言綺語の禁止」などという無茶な要求は、地方から「東京」へと出てきて大手を振って歩いている田舎者の明治高官たちが、江戸や上方という世界有数の都市が作り上げてきた文化を理解できずに、あるいは理解しようとする努力もせずに突きつけた横暴だ。

この記事の冒頭で、「歌舞伎界が明治政府にすり寄った」と表現したが、まさにこうした横暴とも言える要求に対して、歌舞伎界はすり寄っていったのだった。

以前、『文七元結』について書いた記事で少しだけ触れたが、『文七元結』を創作した落語家・三遊亭圓朝は、我が物顔で闊歩する明治政府の高官たちに対して「これが江戸っ子だ!」と啖呵を切るように、(かなり極端ではあるが)見事なまでの江戸っ子像を描いてみせた。
それに対して歌舞伎界は、全体としては渋々ながらも、明治政府にすり寄っていくことを選んだ。まさに「すり寄った」結果として、歌舞伎は、現代では日本を代表する古典芸能として、他の古典芸能の追随を許さないほど高い地位を気づくことに成功したのだ。

当然ながら当時、多くの歌舞伎関係者は、大いに戸惑ったに違いない。
前回の記事で紹介した河竹黙阿弥も、江戸時代はあれほど数多くの優れた作品を現代に残している狂言師だったが、狂言綺語の規制や黙阿弥独特のリズムである七五調を否定された制限の中では、高い評価を得られるようなことはなかった。

しかし、そうした歌舞伎界の中で九代目・市川團十郎は、確信的な自信を持って、新しい歌舞伎の創作に挑んでいったのだ。

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あぁ……、本当は3回で書き上げるつもりだったのに、書き出すと止まらない。
もう少し続くので、続きは次回に……。


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2009年3月 3日 (火)

新しい定番土産になるのかも……〈浅草ラスク〉


「19世紀は歌舞伎の大転換期」については、もう少し時間がかかりそうなので、もう一つ別の記事を。

昨年11月、雷門のすぐ脇に突然「浅草ラスク」なるお店が出店した。

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とくに浅草とラスクには縁があるわけではないが、ホテル雷門の直営店ということで、立地を活かしたサイドビジネスということだろう。
さすが浅草の表玄関ということで、数か月経った今でもお店は盛況のようだ。すでに浅草以外の場所にも出店しているようなので、とりあえず順調な出だしというところなんだろう。

プレーン、紅茶味、ブルーベリー味と3つの味がある。
さっそく買って食べてみたが、それぞれなかなかしっかりと香りがある。甘みはそれほど強くないので、色んな世代の人に好まれるのではないだろうか?
個人的には、どんな味も王道的なものが好きなので、やはりプレーンのラスクがいい。

まぁ味も悪くないし、場所は最高だし、新しい浅草土産として、今後親しまれていくことになるんじゃないだろうか。

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【店名】浅草ラスク
【住所】東京都台東区浅草1-18-2
【アクセス】雷門に向かって左手。ホテル雷門1階。


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2009年2月22日 (日)

19世紀は歌舞伎の大転換期……その2

■「河原乞食」が抱え続けたコンプレックス

さて、前回の記事の続きで、ようやく本題。

今回も、各写真をクリックすると拡大画面が見られる。

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江戸末期から明治時代にかけて、19世紀のおよそ100年、世の中は明治維新の風に吹かれて激動の時代だったが、この19世紀は歌舞伎界にとっても、大きな転換期となった。

まずこの時期、鶴屋南北と河竹黙阿弥という二大作者が、名作狂言を次々と生み出す。この2人は、現在の歌舞伎ファンの知名度も高く、100〜200年経ったいまでも人気の高い演目を数多く残している。
鶴屋南北(正確には4代目だが、狂言作者として特筆すべきは4代目だけなので、一般的には4代目は省略されることが多い)は、『東海道四谷怪談』などの作者だ。
もともと「ケレン」と呼ばれる派手な演出の狂言を書いてきたが、『東海道四谷怪談』では、「戸板返し」「仏壇返し」など新しいケレンを駆使し、残忍な殺害風景、妖艶な濡れ場、さらに時代を反映した世相を取り入れ、リアリティ感のある恐怖の舞台を作り出した。
このようにリアルで写実的なストーリーは、「生世話物」というジャンルを確立したとされている。

余談だが、昨今の落語ブームに関連した記事や文章の中で、三遊亭圓朝を紹介するとき「『四谷怪談』を創作した」との表記があるが、これは明らかに説明不足。『文七元結』が圓朝の創作で歌舞伎に移入されたため、それと混同して、「四谷怪談」も落語から歌舞伎に移入したような書き方も見られる。
たしかに落語の新作『四谷怪談』を創作したのは圓朝だが、『東海道四谷怪談』は圓朝が生まれる前に完成しており、圓朝が歌舞伎から落語へと取り入れたものだ。
ちなみに『東海道四谷怪談』の原典は、『四谷雑談集』と言われている。噂話・誹謗中傷などを集めたスキャンダル集だが、その中の話に『忠臣蔵』の設定を絡めて創作された。

下の錦絵は、歌川国貞による『夢結縁草戸』。『東海道四谷怪談』を描いている作品で、左から“八重がきおひめ(お梅のことか?)”岩井紫若(7代目・岩井半四郎)、“お岩ゆう霊”五代目・尾上菊五郎、“民谷伊右衛門”5代目・市川海老蔵(7代目・團十郎)。

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もう一人が河竹黙阿弥。
「知らざぁ言って聞かせやしょう」の弁天小僧 菊之助でお馴染みの『青砥稿花紅彩画』(通称:白浪五人男)や、以前の記事で少し紹介したこの上野・下谷界隈が舞台となる『天衣紛上野初花』(通称:直侍・河内山)、中村勘三郎の舞台に椎名林檎が音楽を担当して話題となった『三人吉三廓初買』(三人吉三巴白浪)など、現代の舞台でも、数多くの作品が上演されている狂言作者だ。
七五調の流暢な台詞を端役の登場人物にまで徹底して配し、歌舞伎に独特のリズムを作り上げ、また、義太夫や清元を効果的に使った演出で音楽性を高めた。
そして、ストーリーとしては、江戸の庶民の抱えている不条理感を作品内にちりばめ、その因果応報に苦しむ様を描きだした。これについて僕は、幕末という時代のうねりの中で、支配階級である武士たちが政治と世情を不安定にさせることに対して、江戸文化の中心だった庶民たちが漠然と感じていた不安感や、自分たちの力では世情の不安定さから脱却できない焦燥感などを、見事に描いたと解釈している。

黙阿弥については、またいつか詳しく書きたいと思うが、とにかく、この二人の偉大なる狂言作者によって、幕末の歌舞伎はより洗練され、いよいよ文化としての完成度を高めていった。

*  *  *  *  *  *  *

一方、歌舞伎役者も、自己改革を目指していた。

19世紀前半に活躍した7代目・團十郎は、市川團十郎家の権威を誇示するために、『暫』『勧進帳』など18本の演目を選出し「歌舞伎狂言十八番」と命名した。余談だが、これを摺り物にして箱につめ、贔屓客に配ったことから、得意なものを「十八番」と書いて「おはこ」と言うようになる。

7代目・團十郎が権威を誇示しようとしたのは、何よりも歌舞伎役者の地位が低かったためだ。江戸時代、とくに黎明期には、「河原乞食」と呼ばれ遊女と変わらないほど、歌舞伎役者の地位は低くかった。
歌舞伎が世に誕生したのは、江戸時代が始まった時とほとんど同時期だが、幕府は、江戸時代を通じて一貫して、世の中の風紀が乱れるとして歌舞伎を厳しく取り締まった。

歌舞伎で「大向こう」と呼ばれるかけ声がある。團十郎なら「成田屋っ!」、菊五郎なら「音羽屋っ!」というやつだ。あれは、歌舞伎役者の屋号。今でも商法の制度として残っている、あの屋号だ。
前述の通り身分制度の中で歌舞伎役者の地位は低く、本来「士・農・工・商」の下とされていた。「市川」「中村」「松本」などと苗字を名乗っているが、武士階級にしか苗字が許されない時代に、士農工商よりも身分の低い役者たちが苗字を持てるはずもない。役者たちが勝手に苗字を名乗り、幕府がそれを黙認していただけのことである。実際に、例えば歌舞伎興行の許可を求めるときなど、幕府に提出しなくてはならない文章を書く際には「中橋猿若座 歌舞伎役者 勘三郎」などと記していた。
それでは不便なことも多いため、一部の役者たちの中に商人の習慣に習って屋号を付けるものが出てきた。日本橋の商人が越後の国から出てきて「越後屋」(現在の三越デパート)と名乗ったように、家系の縁などから名付ける方法だ。これが、成田山新勝寺を信仰していた市川團十郎家の「成田屋」となる。
また、中村(猿若)勘三郎のように、役者でありながら、芝居小屋の支配人である「座元」を務めるものもいた。これはそのまま、芝居小屋の屋号である「中村屋」を名乗る(後に役者ではない座元も、苗字と屋号を混同しながら使用する)。現在では、多くの役者の屋号が苗字と別なのに対し、中村勘三郎家だけが苗字に「屋」を付けるだけなのは、こうした理由からだ。
さらに、人気のある者は「千両役者」(一年間で千両以上の契約。江戸中期ならば、おおよそ1億円くらいの感覚。ちなみに所得税はない)と言われるほど大金を稼いだため、そのお金で副業の商売を始めた者もおり、その商売の屋号を使う場合もあった。
こういう経緯から、どの役者も屋号を持つことになり、これが、歌舞伎役者の家系を屋号で呼ぶ風習として、今でも残ってるわけだ。

こうして役者の人気が庶民たちから高まり、また経済的な成功を収めた芝居関係者も多くなると、幕府もその存在を認めざるを得なくなってしまう。当時は、江戸の表通りは武家と商家しか家を建てることが許されていなかったが、幕府は歌舞伎役者に商人としての地位を持たせ、歌舞伎役者が表通りに家を持つことを認めた。
ただし、やはり身分としてはあくまでも士農工商の下に置き、風俗を乱し社会を混乱させる恐れがあるとして、吉原などの遊郭ととも常に厳しく管理した。幕府の取り締まりは江戸末期まで続く。例えば幕末(天保年間)になって、江戸に四散していた芝居小屋を、浅草の北側、後の猿若町にすべて集中させたのも、取り締まりの一環だった。

下の錦絵は、歌川広重『東都名所 芝居町繁榮之圖』。1843年頃の江戸猿若町。当時の賑わいがよく感じられる。

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このように役者をはじめとした歌舞伎関係者たちは、実態に則していない地位の低さをコンプレックスに感じながら、江戸時代を過ごしていた。
だからこそ、7代目・團十郎は、必要以上に権威を誇示しようとしていたし、この時期の役者たちは、鶴屋南北や河竹黙阿弥によって生み出された完成度の高い狂言に対し、その狂言が要求する演技に答えられるよう、自らの技術を磨き上げていったのだ。

*  *  *  *  *  *  *

こういう中で、明治維新の風が吹き、歌舞伎界も維新の流れの中に巻き込まれていった。

まず、安政から幾たびかの大地震と火災、あるいは台風によって、すべての芝居小屋が集中した江戸猿若町は、度重なる普請工事を繰り返させられる。
そして、幕末から明治にかけての急激なインフレが起こる。
さらに戊辰戦争で、浅草のすぐとなりである上野の山が戦地となる。

この混乱によって、各芝居小屋は客足が遠のいていく。
下の錦絵は、「月の光によって人物の影が描かれた」作品として有名な広重の『名所江戸百景 猿わか町よるの景』だが、同じ絵師の作品ながら上に示した『芝居町繁榮之圖』とは異なり、猿若町に賑わいが感じられない。1856年の作品なので、災害による復興中の中、やや客足が遠のいていた時期なのかもしれない。

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一方、徳川幕府に替わり政権を奪い取った明治政府もまた、歌舞伎界を規制しようとしてきた。
明治元年(1968年)にはすでに、江戸三座といわれた「中村座」「市村座」「森田座」に対して、猿若町からの移転を勧告する。
さらに、日本の西洋化を目指していた政府高官や知識人などが、歌舞伎に対して「文明国家として相応しくない」と非難する。

明治に入り世情が安定する中で歌舞伎人気もようやく戻りつつあったが、歌舞伎界は「文明開化」という時代の波にさらされ、さらにコンプレックスを深めていくことになっていった。
こうした時代の風を受け、歌舞伎界は自ら変わろうとする……

ということで、もう少し続くので、続きは次回に。


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2009年2月20日 (金)

19世紀は歌舞伎の大転換期……その1

■今も昔も変わらない『暫』の姿

前回、「浅草寺の顔」というテーマで写真を掲載した。
その際に、9代目・市川團十郎がモデルとなった「『暫』の像」を紹介し、「19世紀は歌舞伎の大転換期だった」と書いた。

所詮は僕もあらゆる書籍からの“読みかじり”でしかないが、数年前、「19世紀の歌舞伎の転換期」について、自分なりに整理して書いたものがあるので、それを大幅に加筆・修正してみた。
各写真は、クリックすると拡大画面が見られる。

前回の記事のコメント欄に掲載しようと始めたが、あまりに長くなったので、改めて記事として掲載する。
しかも今回は、『暫』の話と團十郎のルーツだけで長くなってしまったので、実際に9代目・團十郎と「19世紀の大転換期」については、次回以降に……。

*  *  *  *  *  *  *
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前回の記事では顔のアップだけだったが、上の写真は「『暫』の像」全体をうつしたもの。
『暫』というのは、古典歌舞伎の代表的な狂言の一つ。
歌舞伎を見たことない人も、「ぁぃゃ しばらくっ。しぃばぁらぁくぅ〜っ」という台詞は、何となく見聞きした覚えもあるのではないだろうか。

『暫』というのはもともと独立した演目ではなかった。一つの「型」のようなもので、毎年11月に行われる「顔見世」と呼ばれる興行の際、色んな演目の中で、その時々の登場人物の「暫」が披露された。悪人が善良な人を殺そうとする瞬間に、「暫く!」といって主人公が花道から登場し、善良な人を助けるというパターン。江戸中期までは、とくに歴代・團十郎の出る座の顔見世興行で披露するのが、一つの形式になっていた。
現在は、後述する7代目・團十郎が独立した演目として選定し、9代目・團十郎が改編した台本を元に、上演されている。主人公は鎌倉権五郎景政。

実は僕も、以前はこの辺のことをちゃんと理解していなかった。「昔はいろんな登場人物で『暫』を演じた」というのはどの本にも書いているので、何となくは理解していたが、ちゃんとイメージ出来ていなかったのだ。

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数年前、浮世絵の本を読んでいた時、「『暫』の碓井貞光役を演じる〜」というキャプションの付いている錦絵を見て、「あれ? 鎌倉権五郎景政じゃないの?」と思い、ここで初め気がついた。
上の錦絵は、歌川国政による『市川蝦蔵の暫』という絵で、歌舞伎の「暫」をモチーフにしているが、モデルの登場人物は「碓井荒太郎貞光」(役者は後の5代目・團十郎)。同じ絵をボストン美術館で所蔵していることもあって、海外でも知られた絵だ。僕が理解できた絵はこれ。
つまり、僕が舞台で見ている『暫』は鎌倉権五郎景政であって、この何度も見ている有名な浮世絵で描かれているのは、この絵の主人公とは別人物だったというわけ。ほぼ同じ化粧・隈取り、ほぼ同じ衣装(『暫』の衣装は、袖が正方形になっていて特徴的)の絵なので、何となく僕の知っている『暫』だと思っていたが、実際にはまったく違う演目(『清和二代遨源氏』)に登場する主人公の絵ということだ。

こういう小さいことの積み重ねが、知らない人に取ってはストレスになって、歌舞伎をより判りづらくしていると思うが、歌舞伎界とその周辺以外から観た視点で解説してくれている本は、残念ながら少ない。

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上の墨摺絵は、2代目・團十郎の『暫』を描いた浮世絵(絵師:鳥居清倍)。この絵のモチーフとなった演目は不明だが、すでに隈取りも衣装も、現在の『暫』の原型がはっきりと感じられ、それ以上に、この絵に描かれた團十郎の構えた姿は、一番上の写真、浅草の「『暫』の像」の構えとそっくりだと分かってもらえるだろう。
ちなみに、初代・團十郎が最初に『暫』の型を取り入れたのは『参会名護屋』という演目で、初代から現代に至るまで、演目や登場人物の名前は違っても、『暫』のアウトラインは変わっていないという。

前回の記事でも描いたが、初代・團十郎の出現によって、江戸歌舞伎は大きく飛躍した。
長くなるので大雑把に説明すると、初代・團十郎は「荒事」と呼ばれる歌舞伎の重要なジャンルを確立した。ド派手な衣装、六法を踏んだり見得を切るようにデフォルメされた表現方法、荒々しい演技の演出方法を取り入れた芝居が「荒事」だ。
よく知られた演目では『勧進帳』の弁慶や、以前の記事で書いた『義経千本桜』の狐忠信などが、「荒事」の代表的な作品。もちろん『暫』の鎌倉権五郎景政もそう。

この「荒事」の出現と、それを颯爽と演じる初代・團十郎の姿を、江戸の庶民はとても喜んだ。現在でも「荒事」の主人公が出てくると劇場が盛り上がるが、高揚感が高まる作品が多い。ほぼ同時期に「和事」を確立した上方の発展と、江戸歌舞伎の発展は、ここから大きく異なっていくが、ともにこの時期に現代に通じる歌舞伎を完成させた。

初代・團十郎の生み出した「荒事」は、二代目・團十郎によってさらに洗練され、上方の「和事」から写実性なども取り入れて完成したと言われている。
初代・團十郎と二代目・團十郎の演技は次第に神格化して語られるようになり、「現人神」とも「荒人神」とも言われるようになる。
こうしたことから、市川家は江戸歌舞伎の宗家として扱われるようになり、現代も同様に、市川團十郎は歌舞伎の世界では別格の扱いとなる。

*  *  *  *  *  *  *

ということで、この『暫』は市川團十郎の代表的な演目の一つというわけだ。とくに現代の『暫』の台本を残した9代目・團十郎にとっても代表的な作品となった。
だからこそ、9代目・團十郎が活躍した時代に芝居小屋が集中していた浅草に、代表作である『暫』を演じる姿が記念像となって残っているわけだ。

初代から当代である12代目・團十郎までの、それぞれ世代について知りたい人は、下記のサイトを参考にどうぞ。
江戸東京博物館「市川團十郎と海老蔵」展


またまた、いつものように前段だけで長くなってしまった。
「19世紀の大転換期」という本題については、次回以降に続く。


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2009年2月17日 (火)

浅草寺の「顔」……その2


前回の記事の続き

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浅草寺本堂裏にある「『暫』の像」。
幕末から明治にかけて「劇聖」と呼ばれた9代目・市川團十郎がモデル。

歌舞伎は、いろんな変遷はあるものの、17世紀後半に、現在と通じる歌舞伎のスタイルが出来あがった。これは東西での大きな流れの中で起こったものだが、江戸においては、初代・團十郎の登場が最大級の出来事だった。その後、何度かの発展期を通って約200年、江戸末期から明治にかけて、歌舞伎は大転換期を迎えた。この大転換期、とくに明治期に中心となって舞台で活躍したのが「団・菊・佐」と呼ばれる3人の人気俳優たちで、9代目・團十郎はその一人だ。

当代の團十郎(十二代)や、その息子である海老蔵とは直接の血縁関係ではないので、こうしてアップで見ても面影は感じられない。ちなみに当代の團十郎は、7代目・松本幸四郎(当代・幸四郎のお爺さん)の孫になる。


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上の4つの顔は、浅草神社にある2対の狛犬。
個人的には右上の顔が好きだが、どれもなかなかいい顔だ。


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最後に、浅草神社で猿まわしの実演をしていたチビ猿・コナパ。
浅草神社では、休日(不定期)に猿まわし師と猿が実演を見せてくれている。
このコナパはまだ1歳ほどで、まだまだ訓練中らしい。やや練習不足で人前も不慣れだったようで、実演が終わった後、猿まわし師のお兄さんにしがみついて離れなかった。
もし浅草神社で猿まわしをみかけたら、最後まで見た上で“おひねり”をあげてくださいな。

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今回紹介した「顔」の場所は、下の地図で確認できる。

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最初に書いた通り、今回の記事のダイジェスト版を、「浅草の風」というブログにも投稿した。
このブログを運営している方は個人なのだが、浅草観光案内に一役も二役も買っているので、僕も少しばかり応援させてもらっている。

とにかくその更新回数と、浅草の様子を伝えるタイムリーな写真の数がすごいので、良かったらぜひ、そちらも覗いてください(左のサイドバーからも、ジャンプできます)。


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浅草寺の「顔」……その1


1週間ほど前になるが、浅草寺で「顔」をテーマに写真を撮ってきたので、散歩写真を紹介。

一部、というか半分くらいは「浅草の風」に投稿した写真と重なるので、もう少し詳しい説明をつけてみた。

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宝蔵門から仲見世方向に向いて左手(弁天山方向)にある「母子地蔵」。
『明日のジョー』や『ハリスの風』を描いた漫画家・ちばてつやがデザインし、1997年に建立された。
ちばてつやは子どもの頃、戦時中を満州で過ごし、戦後引き揚げて帰国した。兄弟が多かったため満州では兄弟たちの面倒をよく見させられたが、幼い兄弟たちに絵を描いてあやした。弟であり『キャプテン』などを描いた漫画家・ちばあきおは、てつや少年が描く絵を喜んだという。タイトルは失念したが、当時の様子を描いた作品を読んだことがある。
兄弟の面倒を見、平和を求める気持ちの強いちばてつやらしく、母子像はとても優しくて心温まる笑顔だ。


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母子像の目の前にある二尊仏。
手ぶれの画像で情けないが、向かって左は勢至菩薩、右は観世音菩薩。
像の高さは、約2.4メートル、台座を入れても約4メートルほどの高さだが、昔は「浅草大仏」と呼ばれたらしい。

僕は仏像に詳しいわけではないが、個人的には、どちらの顔も、浅草寺周辺の仏像でもっともいい顔をしていると思う。


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影向堂の敷地にある阿弥陀如来像。
1945年3月10日の東京大空襲で、浅草寺の本堂は焼け落ちてしまった。それから戦後約10年、1955年まで、影向堂が浅草寺の仮本堂として務めた。僕のお婆さんなんかは、とても馴染み深かったらしい。今の影向堂は、1994年に改修されたもの。
影向堂の中の菩薩様たちの顔は撮影できないので、外にある阿弥陀様を撮影。

*  *  *  *  *  *  *

→その2につづく


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2009年2月15日 (日)

お寺の和尚さんが科学を諭してくれました……〈徳本寺〉


今回のタイトル、とくに意味はないけど語呂がいいんで、子どもの時に唄ったじゃんけんの節で読んでもらえれば……。
 ♪せっせっせーのよいよいよい
  お寺の和尚さんが
  かぼちゃの種をまきました♪
って唄の節。

さて今回は、徳本寺というお寺と、そのご住職の紹介。

*  *  *  *  *  *  *

浅草通りと合羽橋道具街の交差点「菊屋橋」から北東すぐに東本願寺がある。東京の東本願派の本山で、寺町であるこの界隈でも、ひときわ大きな敷地を誇る寺院だ。

その正門のすぐ目の前にあるのが「徳本寺」。表から見ると鉄筋4階建ての立派な建物で、一見ではお寺さんとは見えないかも知れないが、荘厳なオーラというか雰囲気がただよっている。浄土真宗東本願寺派ということなので、目の前の東本願寺と同じ系列ということになる。

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このお寺さんにあるお墓で歴史的人物と言えば、佐野善左衛門政言。

佐野善左衛門については、今では一般的に有名じゃなくなってしまったけど、歌舞伎で「佐野物」というジャンルがあったほど、江戸時代には人気があった人物。落語『権助芝居』という芝居噺に出てくる『有職鎌倉山』という狂言は、「佐野物」の代表的な演目だ。コメント欄に詳しく書いたので、興味のある人はコメント欄をぜひどうぞ。
写真が見たい人は、台東区の史跡案内のページを読んでもらえると、お墓の写真もある。

*  *  *  *  *  *  *

この徳本寺のご住職、実は、地質学・天文学の世界では有名なサイエンス・ライターだ。

2〜3年前、仕事で子ども向けの科学関連の仕事をしていたのだが、それまでの僕は完全に“文科系”。そこで、知り合いの科学雑誌の編集部に相談したところ、紹介されたのが徳本寺のご住職・白尾元理さんだ。

こうして書くと、住職の片手間に研究している程度のアマチュアと思われるかも知れないが、それは大間違い。火山や天文に関する書籍も数多く出されているプロの研究者で、専門の写真家としても活躍している。
仕事の打ち合わせでスケジュール調整をしている時も
「え〜っと、お盆からしばらくは忙しいからちょっと無理ですね。え? いえいえ、お盆もなんだけど、いまアメリカの大学の研究チームと共同で研究してることがあって、長期出張でヒューストンに行くんですよ」
という具合。

ちょっと前の仕事だが、白尾さんにご協力いただいた作品が下記のサイトからダウンロードできるので、興味のある人はどうぞ。

ペーパークラフト「月球儀」
http://cp.c-ij.com/ja/contents/3151/moon/index.html

ペーパークラフト「地球儀」
http://cp.c-ij.com/ja/contents/3151/03339/index.html

ペーパークラフト「富士山(火山のしくみ)」
http://cp.c-ij.com/ja/contents/3151/03340/index.htmll

子ども用宇宙科学冊子『宇宙(そら)のとびら』創刊号
http://edu.jaxa.jp/materialDB/detail.php?material_id=78672

ペーパークラフトでは監修をお願いしたが、とくに「月球儀」「地球儀」では、白尾さんのアイデアが満載で好評だった。

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月のきほんBook月のきほん

著者:白尾 元理
販売元:誠文堂新光社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

上の書籍は、白尾さんの著書『月のきほん』(発行:誠文堂新光社)。
現在、アポロ計画以来の規模で月周回衛星「かぐや」が月探索をしている。そのため月への注目が高まってるが、月について興味を持ち始めた人にはお薦めの本。タイトル通り、月の基本的なことがよく整理されている書籍だ。
見開きで一項目ずつ、とても簡素に説明しており読みやすい。誠文堂新光社は雑誌『子供の科学』の発行元と言えば知っている人も多いだろう。月の入門書としては、さすがに科学系の出版社の書籍といえる良書だ。

他の書籍や資料を含め、僕が月に関する原稿を書くときに、とても参考にさせていただいた。
ということで、本当に僕にとっては「お寺の和尚さんが科学を諭してくれました」というわけ。

*  *  *  *  *  *  *

今回は少し変わった案内だったが、浅草の隠れた著名人を紹介してみた。
白尾さんとは、偶然通っているスポーツクラブが一緒で、時折そこで顔を合わせる。僕よりもひと回りほど先輩だが、ランニングマシンなどでは僕よりもタフ。いつもニコニコして穏やかなお顔からは想像つかない。
いろんな「顔」を持つご住職だ。


【名称】徳本寺
【住所】東京都台東区西浅草1-3-11
【MAP】「長屋界隈」の地図は→こちらをクリック←
     地図上の「22」番がこのお寺

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2009年2月 8日 (日)

自宅でフグ鍋もオツなもの……ふぐ・すっぽん〈辻むら〉


暖冬だというけども、やっぱり冬は寒い。

とくに僕の仕事場はビルに囲まれたボロ長屋の1階なので、日当りは悪いし、すきま風が入ってくるし、エアコンをつけたくらいでは底冷えは止まらない。
個人的にエアコンはあまり好きではないので、いつも電気毛布を膝掛にして、文字通り「頭寒足熱」で仕事をする日々。でも、いくら電気毛布を膝掛にしても、やっぱり寒いものは寒い……。

で、多くの人が冬になると鍋がおいしいと感じるわけだが、僕はきっと、人よりも何倍も鍋が旨いと感じながら食べてるんじゃないかなぁ、と勝手に思ってる。
ということで、僕は冬になると毎週のように鍋を食べている次第。

まぁ鍋にもいろいろあるわけだが、今日は、自宅でフグ鍋を食べるときに僕が利用している浅草のフグ・スッポン料理店「辻むら」の紹介。

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浅草の観音様(浅草寺)の裏手(北側)は、一般的に「観音裏」と呼ばれている。観音裏は、芸者さんを呼ぶ料亭から、路地裏にある小さな小料理屋、老舗の洋食屋、趣のあるカウンターバーなど、名店と言えばよいだろうか……、まぁ大人の店が多く、浅草の表玄関である雷門周辺とはまったく違い、静かで落ち着いた店が多い。
「辻むら」は、この観音裏にあるフグ料理店だ。

本店、別館、持ち帰り専門店と3店舗あるが、本店が本格フグ料理とスッポン料理、別館は懐石料理、そして持ち帰り店では、ふぐちりセットやふぐ刺しセットを販売している。

持ち帰りの「フグちりセット」は一人前2000円、天然のトラフグちりでも一人前4500円で、「セット」というだけあって、野菜、豆腐、おもち、薬味に、漬けだれまでが付いてこの値段だ。
「ふぐ霜ふり造り」も2000円から用意されているし、唐揚げ用のふぐ(頼めば揚げた状態にもしてくれる)や、フグの白子も販売している。

本店がかなり良心的な店で、一人前5000円からコース料理を楽しめこともあり、持ち帰り専門店でもリーズナブルに提供している。
といっても、「辻むら」はその辺のチェーン店とは違い、リーズナブルな値段が主流ではなく、本店や別館では天然のフグやスッポンを使った本格的な日本料理を楽しむことのできる店だ(一人平均的な予算は15000円ほど)。だからこそ、こうした安価なサービスも、安心して楽しむことができるというもの。

僕は冬場になると、年に何度かではあるが、この持ち帰り専門店で材料を買って帰り、家でフグちり鍋を楽しんでいる。
安価な一人前2000円のセットでも、フグの味は十分にしっかりとしているし、この値段でこの味なら、まったく問題がない。味気のない某店よりも、よほど安くて旨いフグを堪能できる。

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下の写真はスッポン鍋
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ちなみに本店では、5人集まれば一人25000円のセット料金で、コース料理が楽しめ、しかも芸者さん(2人?)を呼んでもらえる。一般的に料亭で芸者を呼んでお座敷をあげると、料理や人数にもよるが2〜4人で20万円弱かかると思うので、かなりリーズナブルだ。僕はここで芸者さんを呼んだことはないので、いわゆるお座敷遊びをどこまで出来るのかはちょっと不明だが、まぁ芸者体験入門として利用すれば面白いと思う(そのうちに、友人を集めて体験したら、また報告します)。

本店や別館は、コース以外の単品料理に値段が書いてない場合もあり、初めての時は値段に不安があるかもしれない。そういう場合、予め店員さんに予算を告げておけば、ちゃんとその範囲で収めてくれるから安心だ。

スッポン料理やフグ料理というと、少し敷居が高いと感じる人が多いだろう。
最近はリーズナブルな値段でチェーン展開しているところもあるが、やは有名な高級店は最低でも一人2〜3万円くらいの予算が必要となるので、お気軽なイメージにはならないのかもしれない。
浅草でフグといえば「三浦屋」や「三角」など有名店がいくつかあるが、「辻むら」を含めて浅草のフグ店の多くは、敷居もあまり高くなく気軽に入れるのがうれしい。

「辻むら」のご主人は観音裏界隈の地域振興のためにご尽力されているということもあって、お座敷上がりの芸者さんも帰りに立ち寄って食事をするなど、浅草花柳界との繋がりも深い。
だからこそ、浅草に足を運んだ人たちが、安心して料理を楽しんだり、芸者体験をしてほしいと願い、こうした値段で楽しめるコースを用意している。

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上の写真は本店の外観

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持ち帰り専門店は、クール便で全国発送もやっていて、「ぐるなび食市場」からも注文できる。
まぁ、最近はこうして遠くから注文も出来るし、「フグちりセット」なんてデパートでも簡単に買えるので、わざわざ買いに来るほどのことはないのかもしれないが、花街としてどこか艶やかであり、閑静な街並の観音裏に来た帰りにでも、土産に買って帰り、散歩で冷えた身体を鍋で温めれば、ひと味違った浅草散歩を楽しめるのではないだろうか。

鍋といえば、最後は雑炊。
フグ鍋の雑炊はダシがきいて本当に旨い。個人的には、鍋で身を食べよるよりも、フグ刺を食べるよりも、雑炊を食べるのが何よりも楽しみ。
自宅で食べる時は、夜に鍋をして、翌朝に雑炊を作る。これがまた格別だ。
寒い冬の朝も、この雑炊で一日を始めると元気に過ごせる。

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【店名】ふぐ・すっぽん料理 辻むら(本店)
【住所】東京都台東区浅草3-34-9
【電話】03-3872-4640
【URL】→公式サイト←
【営業時間】17:00〜22:00
     (休日は季節によって違うので要確認)

【店名】辻むら 持ち帰り専門店
【住所】東京都台東区浅草3-33
【電話】03-3872-4675
【ぐるなび食市場】→お取り寄せサイト←

【食べログ】ふぐ・すっぽん料理 辻むら★★★★ 4.0

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2009年1月31日 (土)

合羽橋でワッフル……〈Waffle cafe Y〉


浅草観光や浅草散歩を楽しむ人の中には、合羽橋を抜けて稲荷町界隈から上野へと歩いて行く人もいるだろう。

まぁ僕の場合はスクーターか自転車でブラブラしていることが多いのだが、とにかく、浅草から上野まで抜ける途中でちょっと一休みしたいときに、たまに僕が立ち寄る店「Waffle cafe Y」の紹介。

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その名の通りワッフルのお店で、400円〜900円くらいで十数種類のワッフルを楽しむことができる。写真は「いちごミルク」だったかな……?

紹介するなんて偉そうなことを言うものの、実は、甘いものを好んで食べる方ではないので、ワッフルについての評価は自信がない。ワッフルの相場も分からないから、個人的な感想をいえば、「まぁこの値段ならこれくらいの感じなんだろう」というという曖昧さ。

昨年の春頃にできたお店で、店内は清潔感があっていい雰囲気だ。
開店から間もないこともあって、まだまだ新鮮みのある接客で好感が持てる。

浅草や合羽橋からの帰り道に時折よっているが、ほとんどコーヒーやドリンク中心。コーヒーなどのドリンクは悪くない。値段は300円〜500円くらい。

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合羽橋で喫茶店・カフェといえば、台東区中央図書館すぐの「合羽橋珈琲」が有名だが、あちらは混んでいることが多く、食事時、おやつ時以外でも、席が空くまで待たされることが多くなった。2階の雑貨店「soi」が好きなのでたまに寄るが、待たされてまで入る気にもなれない。
一方、「Waffle cafe Y」は、合羽橋道具街からかっぱ橋本通りを西に入ってすぐにある。場所柄のせいか、合羽橋珈琲のようにいつでも混んでいるということはない。
ということで、最近は合羽橋界隈でお茶をしたい時は「Waffle cafe Y」を使うようになってきた(まぁ男一人で入るのは少し気が引けるので、誰かと一緒にいる時だけだけど……)。

この界隈、喫茶店の数は多いものの、地元以外の人にとって気軽に入れるお店は意外と少ないので、そういう意味ではお薦めだ。
散歩の休憩や合羽橋で買い物のついでにお茶をしたい時はどうぞ。


【店名】Waffle cafe Y(ワッフルカフェ・ワイ)
【住所】東京都台東区松が谷2-25-5 1F
【電話】03-6909-8811
【URL】→公式サイト←
【営業時間】9:00〜20:00
【MAP】「長屋界隈」の地図は→こちらをクリック←
     地図上の「36」番がこのお店
【食べログ】Waffle cafe Y ★★★★ 3.5

↓食べログでは、ココで掲載した以外の店も紹介しています。
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2009年1月21日 (水)

囲炉裏と、作家と、それから女形……〈炭やき櫻田〉

先日、僕の入っている歌舞伎鑑賞会の新年懇親会が浅草であった。1月10日は、「浅草新春歌舞伎」が“着物の日”として来場者に和服の着物を着てくるように促してるのだが、その日に鑑賞会の皆さんも和服を着て集まったという次第。

といっても、僕は別の日に鑑賞予定だったので、この日の観劇はパスし懇親会から、一人野暮ったい普段着で合流した。

今日は、その懇親会の会場「炭やき 櫻田」を紹介。

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この日のメニューは団体なのでコースメニューだったが、この店は少人数で行ってもコースがお薦め。
先付け、炭焼き料理、朴葉焼、食事メニューなどで4000円の天神コースなどがお手頃ではないだろうか。

炭やき料理は、十数種類の山の幸や海の幸が、大きなざるにどっさり載せられてきて、そこから好きな食材を選ぶことができる。肉でも魚介類でも野菜でも好きなものを選べるので、男性にも女性にも好まれる店だ。
どの席にも、昔の雰囲気を醸し出す囲炉裏が備え付けられているので、そこの炭火で好きなように焼いて食べる。
自分で焼かないといけないは焼き肉料理と同じで、焼いているうちにおしゃべりなどに夢中になると、ウッカリすると丸焦げなんてことになってしまうので、今回のように懇親会の席には向かなかったかもしれないが、まぁ、そんなことも炭火焼の楽しみの一つ。むしろ僕なんかは、自分のペースで炭火で焼いて食べる方がうれしい。

焼酎も十数種類、冷酒も数種類おいてので、酒が好きな人は、コースにせずじっくりと囲炉裏で炭焼き料理を楽しむのがいいと思う。単品メニューは豊富とはいえないが、もちろん単品で紙鍋料理や朴葉焼を頼むことができる。以前、牛肉の朴葉焼をいただいたがとても香りが良かった。

この数年、わりとテレビや雑誌で紹介されているのを見かけるので、浅草の中でも有名店と言ってもいいんじゃないだろうか。

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この櫻田のビルは、文学作品の中で浅草のことを数多く描いた作家・久保田万太郎の生誕地に建っている。店のすぐわきには記念碑が建てられており、「久保田万太郎生誕地」として紹介されることも多い。

また、奇数月の第3土曜日に「櫻田落語会」という落語会を開催している。以前は春風亭小朝や当代の金原亭馬生なども高座に上がったらしいので、いい噺家との出会いもあるかもしれない。僕もまだこの落語会に伺ったことはないのだが、そのうち行ってみようと思っている。

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さて、新春浅草歌舞伎について感想を少しだけ……と思ったが、長くなるのでコメント欄に感想を書いたので、興味のある方はこの記事のコメント欄を読んでください。

今回の懇親会はちょっとしたおまけがついてきた。
新春浅草歌舞伎の舞台にあがっている尾上松也丈が、懇親会の席に登場してくれた。
姿や様子がたいしてよくもない男子を、「イケメン」とする昨今の風潮には辟易しているが、素顔の松也丈は様子の良い男ぶりで、まさにイケメン。
七之助は精進が見えないし、片岡愛之助は最近女形をやらないし、贔屓を松也丈に乗り換えようかと思っている今日この頃だ……。


【名 称】囲炉裏料理 炭やき櫻田
【住 所】東京都台東区雷門1-15-12永谷マンション1F
【電 話】(03)3845-3995
【URL】→公式サイト←
【定休日】無休
【営業時間】平日17:00~23:00
      土日祝16:00~22:00
【食べログ】櫻田 (さくらだ)★★★★ 3.5

↓食べログでは、ココで掲載した以外の店も紹介しています。
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2008年12月19日 (金)

今年最後の浅草イベント……〈羽子板市〉

12月17日から本日19日まで、浅草の浅草寺境内にて「羽子板市」が開催されている。
一昨日は雨だったので、昨日夕方、浅草の用事があるついでに浅草寺まで足を伸ばしてきた。
今年は平日だったせいか、僕が行った18日の夕方にはあまり混雑する事もなく、ゆっくりとお店を回ることができた。

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浅草寺には、毎年師走の18日に「納めの観音」と呼ばれる縁日がある。これは以前「ほおづき市」の「四万六千日」でも紹介したように、観音様の縁日となっている。まぁ一年で一番最後なので「納め」らしいが、他の縁日と大きく変わる事はないようだ。
で、この縁日に合わせて、浅草では17日と18日に「歳の市」が開かれていた。
日にちは多少前後するが「歳の市」は全国で開かれていているものと、基本的には同じような習慣なんだろう。世田谷の「ボロ市」も歳の市だし、某スーパーマーケットの「年末・歳末・歳の市」なんていうキャッチフレーズが今でも残っている、あの「歳の市」だ。
浅草寺では、お正月の飾り物や縁起物を買う市が立っていたようで、現在も浅草寺の公式行事として、17日〜18日を「歳の市」とし、18日を「納めの観音」として縁起小判などを配っている。

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そして、この「納めの観音」や「歳の市」と一緒に開かれているのが「羽子板市」だ。浅草寺の2つの公式行事とは異なり、東京歳の市羽子板商組合という団体が、17日〜19日の3日間で主催している。

浅草のイベントは、実は色んな団体が色んなイベントを並行して行っている事が多く、この3日間も「納めの観音」「歳の市」「羽子板市」とそれぞれの言い方があり、たぶん詳しく知らないと同じように思ってしまうだろうが、微妙に違う。例えば、今日19日に浅草寺で縁起小判をもらおうとしても、多分もらえないはず。その辺は、浅草観光の際に注意しないといけないところ。

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羽子板遊びは、もともと宮中や公家の間で楽しんでいたものだったようだ。「邪気を跳ね返す」というところから、とくに女の子の成長を祈願するという意味も込められていたらしい。
日本では、お宮参り、食い初め、初節句、七五三など、子どもの成長とともに行う行事が数多いが、昔は子どもの無事な成長を願う気持ちが強かった証。そうした思いから、羽子板遊びも始まったのだろう。

江戸時代に浅草寺で開かれていた歳の市で、女の子の縁起を願って正月の縁起物として羽子板が売られていた。そのうちに羽子板を買って女の子や若い女性に贈るのが流行するようになり、徐々に羽子板を扱う店が増え、今では羽子板を売るのが主流になったという。昭和25年以降、「羽子板市」として開催されるようになった。
江戸末期は、浅草に芝居小屋が集まっていたり、吉原や浅草花柳界も華やかだった。そのためためだろう、人気のある役者の舞台姿を描いた羽子板は女性に大人気だったと言われている。

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男の僕が自分で買う事はほとんどないのだが、僕的にお薦めの買い方は、「豆板」を買い集めること。
毎年とはいわないまでも、数年に一度、「豆板」と言われる6寸ほどの小さな羽子板を買って、徐々に増やしてコレクションしていく。

羽子板は、今でいえば言ってみれば人気アイドルのポスターみたいなもんだ。もっと言えば、パソコンや携帯電話の壁紙って感じかな? とにかく、神事や祭事にまつわるものではないので、いつまでも部屋に飾っておくことができる。酉の市の熊手などと違って、一年経つとご利益がなくなるというものではない。
大きな羽子板を1つ飾っておくのもいいが、何年かかけて、小さな豆板をいくつも集めて飾るなんてどうだろうか?

上の写真のお店は、豆板専門のお店。豆板は他の店では2000円くらいから売っているが、こちらは5000円からなので少し高級の豆板。それでも、数万円もする大きな羽子板よりもかなりお手頃な価格だ。

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ちなみに、羽子板市で売られている美しい飾り付けがされている羽子板を「押絵羽子板」と言うが、江戸時代末期から明治時代にかけては、多くが、ここ下谷界隈で作られていたらしい。
震災や戦争の空襲を受け、現在では北関東で作られているものが多いそうだ。
写真の職人さんは、埼玉の春日部から来ていると話してくれた。

*  *  *  *  *  *  *

「歳の市」が終わると、いよいよ年の暮れという気がする。
今年も後わずかだが、年内にやっておかなくちゃいけない事は、まだまだ残っている。
師走とはよく言ったもので、毎年の事ながら年末は慌ただしい。


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2008年12月15日 (月)

久しぶりに散歩写真

2週間ほど前から、「浅草の風」というブログにも投稿している。

「浅草の風」は個人の方が主宰しているブログだが、ほぼ毎日更新され、その膨大な情報量だけでなく、直近に行われる浅草のイベントスケジュールも、かなり正確に、かつ詳細に掲載され、僕のような浅草関連の情報を扱う編集者にとっては、非常にありがたいブログでとても世話になっている。
このブログを読んでいる人は、「浅草の風」読者の方も多いだろう。
何しろ月に「3万ビュー」というからすごい。

その「浅草の風」に協力することになり、週に1回程度だが、写真を中心に投稿している。

ということで、今回は、「浅草の風」に投稿するために撮った写真の一部を、こちらでも紹介。
久しぶりの散歩写真。

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まずは、12月9日の記事で紹介した「はなし
塚」のある本法寺の境内で撮った紅葉。  


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同じく本法寺の境内に実っていた金柑。


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鎮護堂前で見かけたカップル。


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浅草境内で、本堂や五重塔をスケッチするア
メリカ人。Britt(写真左)は、アメリカでイ
ラストやデザインの仕事をしているらしい。


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夕暮れ時の五重塔。


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一葉桜・小松橋通りのイルミネーション。


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ということで、しばらくはこんな感じで浅草周辺の写真を投稿しているので、よかったら「浅草の風」(←クリック)も覗いてみてください。


2008年12月 9日 (火)

戦争の空気を読みすぎた落語界……〈はなし塚〉

昨日は、12月8日。
1941年(昭和16年)、日本がハワイ諸島の真珠湾を攻撃し、宣戦布告をして太平洋戦争が開戦された日だ。

子ども時分の我が家では、8月15日の終戦記念日と同様、味も素っ気もないすいとんを食べさせられて、随分嫌な日だと思っていた。
薄〜いダシ汁に少しだけ醤油をたらしたような吸い物の中に、うどん粉をこねた固まりとわずかな菜っ葉が入っているだけ。僕の母親はいつも懐かしそうに食べていたが、子どもにとっては不味いったらこの上ない。飽食の時代の食生活で育った子どもたちに、当時の不味い食事を取らせる事で、戦争に対して嫌悪感を持たせるというのは、わかり易い反戦教育だった。

その母親は6歳の冬、浅草から隅田川を渡ったところにある向島で太平洋戦争開戦を迎えたわけだが、母親の記憶では、幼くても世の中の暗い空気は感じられたという。
それでも幼かった母の記憶に残る戦時下の浅草は、少しは華やかだったらしい。当時の浅草といえば日本有数の繁華街だったので、ほかの街よりは賑わっていたのだろう。
向島や浅草は、終戦間際には東京大空襲で甚大な被害があったということもあり、今でも戦争の記憶が残る史跡も多い。多くの文化的な史跡と並んでいるので一見目立たないが、平和を尊ぶ気持ちも浅草には根深く残っている。

前置きが長くなったが、最近、このブログでは落語の話題も多いことなので、今日は落語と平和に関係する史跡を一つ紹介したい。
田原町の駅近く、本法寺に建立されている「はなし塚」だ。

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はなし塚

この塚が建立された昭和十六年十月、当時国は太平洋戦争へと向かう戦時下にあり、各種芸能団体は、演題種目について自粛を強いられていた。落語会では、演題を甲乙丙丁の四種に分類し、丁種には時局にあわないものとして花柳界、酒、妾に関する話、廓話五十三種を選び、禁演落語として発表、自粛の姿勢を示した。この中には江戸文芸の名作と言われた『明烏(あけがらす)』『五人廻し(ごにんまわし)』『木乃伊取(みいらとり)』等を含み、高座から聴けなくなった。
 「はなし塚」は、これら名作と落語会の先輩の霊を弔うため、当時の講談落語協会、小咄を作る会、落語講談家一同、落語定席席主が建立したもので、塚には禁演となった落語の台本等が納められた。
 戦後の昭和二十一年九月、塚の前で禁演落語復活祭が行われ、それまで納められていたものに替えて、戦時中の台本などが納められた。

   平成十六年三月
   台東教育委員会

(「はなし塚」脇に建てられている説明文を原文ママに転載)

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要するに、当時の大日本帝国政府の意向にそい、落語界側が自ら、吉原を舞台にした「廓噺」、現代のテレビでも自粛するようなお色気たっぷりの「艶笑噺」、そのほか、浮気な女房と亭主の関係を滑稽に描いた夫婦もの、女性の嫉妬心が元ですったもんだのある噺、若者と娘が“不純”な関係になったり駆け落ちしたりする噺などを「禁演落語」として選び、台本とともに塚に埋めて自粛したというわけだ。

コメント欄に全53作の題名を書き起こしておく。説明文にもある通り、今でも高座によくかけられる古典落語の名作も数多いので、興味がある人は、コメント欄で確認してほしい。

当時、落語に限らず、映画、芝居、書籍、雑誌、新聞など、あらゆるものが規制対象とされ、法律によって検閲を受ける事が義務づけられていた。政府にとって都合のいい「理想的な道徳観」を国民に押し付け、それに合わないものは「時勢に適合せず」という評価になった。こうした規制は、一部、明治時代からあったものだが、日中戦争が膠着し、太平洋戦争へと突入していく頃には、規制が強化されていき、厳しい規制のもと、多くのエンターテインメントやメディアは、戦時体制の大日本帝国政府に協力して生き延びるか、協力する事を拒み表現を束縛されるかを選択させられた。
そして、多くの“表現者”たちが戦争に加担させられていく。
後に“昭和の名人”と呼ばれる古今亭志ん生や三遊亭圓生も、落語慰問として満州に訪れるなど、落語界からもいろいろな形で協力をしたようだ。

新聞などが最たるものだが、消極的に協力するのではなく、積極的に戦争へ協力していこうという動きもあった。
今風な言葉でいえば「空気を読む」というわけだが、当時の記録を見ると、世の中の空気を気にしすぎて、思考力を低下させ、日本全体が戦争へと突入していった事が伺える。

「禁演落語」も、過剰と思えるほどの自粛っぷりで、当時の空気を読んだとしても自粛する必要性をあまり感じない演目まで含まれている。
検閲で当時の政府に睨まれては興行をさせてもらえず、収入を得ることができなくなってしまうエンターテインメント業界としては、やむを得ない選択だったのだろう。
戦争が終わり演目が復活した後も、「禁演落語」という恥ずかしい過去を忘れないよう、「はなし塚」は当時の面影のままに残っている。

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「はなし塚」が建立されている本法寺の外塀には、落語家をはじめとした寄席芸人、定席の席主など、落語関係者たちの名前が、赤い文字で掘られている。上の写真の中には、文楽、志ん生、圓生、三木助などの名人から、僕の好きな馬生、色物の江戸家猫八や染之助・染太郎の名前も見られる。
禁演落語が復活して約8年後の1954年に、落語関係者たちが外塀を寄贈したそうだ。当時の関係者たちのなかでは、「禁演落語」に対する後悔の念がとても強かったと言われるが、その気持ちを後世に残そうということらしい。

本法寺で外塀の詳しい事を聞かせてもらおうお願いしたが、先々代のご住職の時代の事であり、当時の記録がなく詳しい事は分からないらしい。いずれ浅草文庫にでもいって、資料をあさってみたい。

2002年からは、毎年8月31日に、落語芸術協会が主宰して「はなし塚まつり」というイベントが開かれ、禁煙落語が復活したことを祝っている。

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父方の爺さんは、戦争に反対して投獄させられ、拷問にかけられた。勾留されたのが戦争終期だったこともあり、それほど長期間の投獄期間ではなかったそうだが、当時の拷問の様子は生前に何度か聞かせてもらった。

今は曲がりなりにも民主主義の世の中となり、「表現の自由」が保証されている。
「戦争」という空気が、どこからともなく意図的に流されたとしても、真っ向から反対するスタンスを崩さないでいたい。
そのために世間から「KY」と呼ばれたとしても、僕はいっこうに構わない。

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【名 称】はなし塚
【住 所】東京都台東区寿2-9-7
     長瀧山 本法寺 境内
【MAP】「長屋界隈」の地図は→こちらをクリック←
     地図上の「29」番が「本法寺」「はなし塚」

【2008年12月13日追記】
はなし塚の画像が間違っていましたので、差し替えて修正しました。


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2008年12月 4日 (木)

今日の千束は混み過ぎです……〈酉の市(三の酉)〉

僕にとって11月と言えば、歌舞伎座の「顔見世」と、浅草の「酉の市」。
それから、実は僕の誕生日も11月。

僕の誕生日はちょうど勤労感謝の日の前日なので、毎年「休みの前日」と決まっている。
で、子どもの頃から、誕生日の前後に酉の市があって休みと重なると、夜中に父親が酉の市に連れて行ってくれるというのが相場だった。

花畑の大鷲神社、千住の勝専寺、府中の大国魂神社の酉の市にも行ったが、やはり一番多く行ったのは、浅草のお酉様だ。

今年は十数年ぶりに、浅草の酉の市(三の酉)に行ってきた。
少し遅くなったが、その三の酉の様子を写真で紹介——。

*  *  *  *  *  *  *

まず14時頃、少し遅い昼ご飯を浅草で食べながら、ぶらぶらと観音裏を散歩してお酉様へ向かったが、近くに行って人の多さに驚いた。
今年の三の酉は土曜日だったせいもあって、とにかくすごい行列。

昔から酉の市は混んではいたが、考えてみるといつも夜中か夜半に来ていたんで、昼間に来た記憶がない。
参拝するまでに2〜3時間並ぶと聞いて、参拝経路の出口から写真だけ撮りに入ろうかと思ったが、そこに行くまでも大混雑。
これはとても近寄れないと諦めて、一旦、帰宅。

夜になって、2時間も並んで参拝してきたという母親と息子と入れ違いに、再度お酉様まで足を運んだ。

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お酉様の境内に入ったのは22時30分頃。
酉の市は、夜中の0時から始まって24時まで。つまり、あと一時間半ほどで酉の市が終わるというのに、参拝客の行列はまだまだ途切れない。
上の写真は、鳥居の先、境内の入り口すぐのところから、本殿にむかって。
で、反対を向いて、入り口の方にカメラのレンズを向けると……。

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とてもじゃないが、後一時間半で参拝が終わるような行列じゃない。
参拝の行列から離れて、熊手の露店の方に移動してみたが、こちらもまだまだ大混雑。

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まさに「どんだけ〜」という感じ。

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露店の方は店じまいの時間が近づいているので、熊手の数もかなり少なくなっている。
いつもは夜中に来ていたと書いたが、夜中というのは酉の市が0時に始まって1時とか2時とか、いわゆる「未明」と言われる時間。そうすると、当然ながら端から端までぎっしりと熊手が並んでいる。
そういう酉の市を見慣れていたので、やっぱり熊手が所狭しと並んでいないと、人手で賑わっていてもどこか寂しい。

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とにかく特大熊手を写真に収める。
露店の親父さんが「お兄さん、買っていくかい? もう終わりだからまけておくよ」と。
「こっちは冷やかしだい」と返したくなったが、こんな時に冷やかしであることを威張っても仕方ない(苦笑)。

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最後は、威勢のいい声で三本締め。

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ところで、帰りの参拝客を見ていると、熊手を持っている様子がない。
酉の市に来たなら、小さいものでも熊手くらい買わなきゃ野暮だろう。

とりあえず、とにかく人手が多かった。
人、人、人……。
熊手よりも、人出の多さだけが記憶に残る、十数年ぶりの酉の市だった。


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2008年11月21日 (金)

芸者を見に『浅草においでよ!』

お陰様で「浅草においでよ!」は好評のようで、もう手に入りづらくなっているらしい。
もっと早く書かなくちゃいけなかったのだが、「こぼれ話」の続き。

今回は、芸者さんの話……

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これまで仕事を通じて、何度か芸者さんに取材させていただいたり、お話しを聞かせていただいているが、浅草芸者の聖子さんは、僕がとくに世話になっている芸者さん。
僕の編著「浅草散歩ガイド」にも登場していただき、それ以来のお付き合いだ。

僕が聖子さんに取材をお願いしたいと思うのは、聖子さんの日本舞踊が本当に上手いと感じるからだ。

実は、僕の母親が坂東流の名取りということもあり、小さい頃には日本舞踊を習わされたり、大人になってからも歌舞伎や踊りの会で日本舞踊を見る機会が多い。まぁその反動で、あまり得意な分野ではないのだが、とりあえず上手い、下手という単純な評価は的確にできる自信がある。
聖子さんの踊りは、お座敷だけでなく、国立劇場や浅草公会堂などの大きな劇場でも拝見させていただいているが、とてもきれいな踊りだ。
浅草芸妓衆のなかで、とくに「立方」と呼ばれる踊りを担当する芸者さんたちを一通り見ても、1、2と言える踊りだと思う。

何せ、「日本舞踊を仕事にしたい」と考えて一念発起し、高校を卒業して単身上京し、浅草花柳界に飛び込んだという人だ。芸妓になる動機として、「何よりも日本舞踊を!」と一途に思う人はそうはいないだろう。
それから○年、今では浅草芸妓衆の中で人気芸者の一人として活躍されている。

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芸者とは「芸道に邁進する者」「芸を披露する者」だ。
美しい、接待が上手い、ということも重要なのだろうが、やはり芸で客を持て成す技術も、とても大切なのだろうと思う。まぁお座敷遊びをプライベートで楽しめる程の身分ではないので、偉そうなことは言えないが……。

とにかく、そんな思いで、何度か聖子さんに取材のご協力をお願いしてきた。
今回の「浅草においでよ!」では、「粋な街、花の街、浅草さんぽ道」という特集記事の導入インタビューとして、聖子さんにご登場いただいている。

聖子さんのことをもっと詳しく知りたい人は、「浅草においでよ!」を読んでいただくか、浅原須美さんの著書「お座敷遊び」(光文社新書)にも登場するので、興味があればぜひ読んでほしい。

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今回は、聖子さんへのインタビューのほかに、千福さん(写真右)とこず江(写真左)という「半玉さん」のお二人と一緒に、浅草の観光スポットを歩いて紹介する記事も掲載している(半玉とは見習い芸者のことで、京都の舞子さんと同じ)。
とくに「芸」や「エンターテインメント」と関連する史跡などを中心に紹介し、浅草を散歩する際に参考になればと思って企画した。
お二人には、浴衣に素顔という姿で登場していただいているので、そちらも記事の面白みの一つになっている。
(二人への取材の様子は、7月11日の記事でも少し紹介)

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いま浅草では、「浅草大観光祭」という長期のビッグイベントを開催しており、その一環で、中村勘三郎の主宰する「平成中村座」や、「昭和本堂落慶五十周年記念大開帳」(これはすでに終了)なんて催し物をやっている(勘三郎と仁左衛門が登場する「平成中村座」についての鑑賞感も、そのうちに書きたいなぁ……)。
この一環として、明日22日から24日までの3日間、観音様の西側にある奥山座にて浅草芸者さんの踊りが披露される。詳しくは「浅草大観光祭」公式サイトにて。

実は、10月28日、29日は7年ぶりに「浅草おどり」が復活し、芸妓衆の華やかな踊りが披露されたが、それの告知をしようと思いながらついつい遅くなってしまった。

浅草芸者は、浅草の文化活動を支えていたり、浅草観光の手助けとなっている側面もあり、東京の他の地域の芸妓衆と比べて、お座敷に呼ばなくても近くで見る機会が多いというのが、特徴の一つだ。
明日からの3日間に浅草に来れば、今回紹介した聖子さん、千福さん、こず江さんの姿をみることも……。

芸者見物と思って浅草にくるのも、面白いんじゃないだろうか。


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2008年9月 2日 (火)

『浅草においでよ!』文珍さん取材こぼれ話

この記事は、実は「浅草においでよ!」のこぼれ話として、9月2日頃に書いたものだったが、書いている途中で忙しくなったため、「未公開設定」のまま公開せずに埋もれてさせてしまっていた。
約3か月も経ってから、先ほど未公開になっている事に気がついたのだが、せっかく書いたのにもったいないので、書いた時の時間設定のまま公開したいと思う。
[2008年12月10日]

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文珍さんへのインタビューは、急に入った取材だった。
2年ほど前から、浅草の「雷5656会館」で、吉本興業による「浅草花月」というイベントが毎週末開催されていたが、この7月から第4金曜日は「浅金寄席」(せんきんよせ)という落語専門の寄席を開くことになっている。
そこで、急遽それを紹介しようということになり、文珍師匠に取材することになった次第。

編集部から「今度の土曜の夕方に時間作ってもらうことになったから」という連絡をもらったのが水曜日の午後。予習をどうしようかなぁ、音源持ってたっけなぁ、などと考えながらネットを徘徊していると、なんと当日水曜日は、国立劇場で文珍さんの独演会の楽日。電話で問い合わせると当日券が数席だけ残っているということで、急ぎ時間を調整して、国立劇場までスクーターでひとっ走り。

この独演会は、「リクエスト寄席」と銘打って、その日の客から舞台上でリクエストをとり、その演目を披露するという企画。前日まではリクエストは2つだったらしいが、この日は楽日ということで、3つの演目すべてをリクエストで受け付けるというサービスっぷり。
舞台いっぱいの大きなボードに、文珍さんの持ちネタがずらりと50本ほど書かれていただろうか。その中から、手を挙げた客が指名したリクエストを受け、「七段目」「地獄八景亡者戯」「商社殺油地獄」の3本が選ばれた。
僕としては好きな演目である「愛宕山」を文珍さんで聴いてみたかったが、ほかのお客さんたちのリクエストが多く、僕が手を挙げるか迷っているうちに決まってしまった。

いやはや、それしても、その日のリクエストで3本とも決めるっていうのは、かなりすごい事だ。
「う〜ん、たしかに体力と精神力を使いましたねぇ。まぁああいう事で、お客さんが参加する気分を味わってくれて、皆さんが喜んでくれればって思って試みたんですけど、やっぱり疲れますねぇ」
取材の際に、余談として独演会のお話を振ったところ、やりきったという感慨を滲ませながら話してくれた。このサービス精神は、さすが!と言わざるを得ない。

若い頃からテレビで活躍されていた文珍さんは、この数年とくに高座に力を入れており、去年から今年春にかけて、全都道府県での独演会ツアーを実施したばかり。4月には大阪で10日間連続公演を成功させた。
今回の高座、前述したように難しい挑戦だったと思うが、とても軽妙で噺の上手いところを見せてくれた。自信があるからこその企画だったと思うが、やはりさすがの高座だった。

「繁昌亭」の設立をはじめ、最近の上方落語は勢いを感じる。昨年から今年にかけて放送されたNHK朝の連続ドラマ「ちりとてちん」の影響もあるだろう。僕も2年ほど前から再び落語を聴くようになったが、以前に比べても、上方落語の今の勢いは本当にすごい。
生で高座を聴くのは機会も限られるので、あくまでもテレビやDVDで見る事が中心だが、上手い!と感じさせてくれる噺家さんが多い。文珍さんもそうだが、上方の噺家さんたちは、上手くて品がある。このあたりは、歌舞伎役者にも通じるところがあるが、江戸と上方の文化や気質の違いの影響が大きいのだろう。

余談だが、このブログからリンクしているブログ『和、輪、話』の1go1exさんが、「ちりとてちん」の公式ガイドブックの編集をされたこともあり、子どものとき以来だったと思うが、半年に渡ってほぼ全話を見続けた。「ちりとてちん」が、久しぶりに面白い朝ドラだったということも付け加えておく。

来週の金曜日は、文珍師匠が出演される「浅金寄席」の第2回目。僕もうかがう予定だ。

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とりあえず、しつこいようですが、いよいよ「浅草においでよ!」が発行されました。
浅草文化観光センターをはじめ、浅草の至る所で無料で配布されていますので、見かけたらぜひ手に取ってください。

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【2008年12月10日追記】
次回の「千金寄席」は、年が明けた1月16日です。
詳しくは→こちらをクリック←。


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2008年8月21日 (木)

『浅草においでよ!』小里んさん取材こぼれ話

昨日に続いて、『浅草においでよ!』の紹介。

今回は、大きくわけて、噺家さんへの取材記事と、芸者さんへの取材記事という2つが、企画の大きな柱。
噺家さんは、柳家小里んさんと三遊亭歌る多さんによる対談、それから桂文珍さんへのインタビューがそれぞれ掲載されている。

今日は、小里んさんに取材した時の話……

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恥ずかしながら不勉強で取材の際に知ったのだが、小里んさんは「廓噺」を得意とされており、吉原遊郭についてかなり研究されており、造詣が深い。

「目をつぶっても歩けるくらい、頭の中に当時の吉原の街並を思い浮かべることができるようにね。色んな本で調べたりしてね。ま、吉原って街が好きなんだよ」
とのこと。参考にされた本なども教えていただいたが、かなり熱心に研究されたようで、吉原のお話にはかなり熱を込めて話されていた。

浅草育ちの小里んさんは、小学生の頃から寄席に通うのが好きで落語の世界に入ったという生粋の江戸っ子。その上、吉原遊郭を深く研究されていると、高座でも自然と江戸っ子の色気というものが滲み出てくる。

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実は、取材前の予習に動画は見ておいたが、小里んさんの高座はしばらく生で見ておらず、取材後に池袋演芸場まで足を運んだ。この日は、小里んさんの兄弟子で、現役でもっとも好きな小三治も出ているということで、そちらも楽しみに滅多には行かない池袋まで遠征した。

小里んさんの演目は「親子酒」。
どこか亡き小さん師匠の風貌を思わせながらも、小さんの生真面目な芸とは違い、だんだんとグダグダになっていく親父の酔いっぷりがいい。こういうところは小三治も同様で、小さん師匠よりも遥かにいいんじゃないだろうか。

近いうちにぜひ廓話を聴きたいので、浅草、上野で高座のある時にまた足を運ぼうと思ってる。

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「寄席ってぇのは、まぁその日によって出来不出来っていうかな、面白く感じる時とそうじゃないときがあるんですよ。本当に寄席好きになると、下手な落語を聴いても『あぁ、今日のあいつはあんまり良くなかったなぁ』って笑ってられるようになる。そうなりゃ、聴く方も立派な落語通ってことじゃないかな」

取材後、一緒に食事をさせていただいた時の言葉。取材の際に、歌る多さんとの対談の中で、最近は寄席に来て満足できないと、協会や定席にクレームの電話が入ることがあるという話題が出たのだが、その件に触れての一言だった。
子どもの時から寄席に通っていた小里んさんならではの言葉。

僕も、下手な落語を聴かされるとすぐに文句を言う口で、それは落語に限らず芝居でも同じなんで、ドキッとさせられる一言。特に若手なんかは下手なのが当たり前で、たしかに、歌舞伎のようにチケット代が一万数千円するのと違い、寄席に来てちょっと下手な噺を聴かされたからと言って文句ばかりいうのも野暮ってものだなぁと、ちょっと改心。

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そうそう、ちょっと貴重な話を聞いたので、記録として書いておく。

昭和20年代後半、浅草に「新宿末廣亭」の出店があったそうだ。今の国際通り、三平ストアの建物の辺りだそうだが、小里んさんが幼い頃にあったらしい。
もっとも、小里んさんが寄席へ通うようになった頃には閉館しており、小里んさんは当時人形町にあった「人形町末広」(こちらは新宿末廣亭とは無関係)まで通っていたらしい。

念のために「新宿末廣亭」へ確認をしたところ、電話で応対してくれた人も分からず、先代席亭のお身内が電話口に出てくれて、「たしかに、私が小さかった頃に浅草にありましたね。詳しい事は調べてみないとお返事できないんですが……、小里んさんが小学生? それならやっぱり昭和20年代後半の2〜3年だと思います」とのこと。
いつかきちんと調べてみようと思っているので、詳細が分かったら改めて報告したい。

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ということで、長くなったので今日はこのへんで。歌る多さんと文珍さんについても書きたい事があるが、また別の機会に。

とりあえず、しつこいようですが、『浅草においでよ!』が近く発行されます。見かけたらぜひ手に取ってください。

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2008年8月20日 (水)

『浅草においでよ!』間もなく発行

仕事が忙しく、すっかり更新もご無沙汰してしまった。
この間の仕事を一つだけ紹介。

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「浅草においでよ!」平成20年度版

浅草商店連合会発行のフリーペーパー。
昨年に引き続き、企画記事のページを担当している。
今年の企画ページの目次は……

■巻頭対談
  縁ある噺家が語る、浅草の魅力
  三遊亭歌る多 柳家小里ん

■特別インタビュー
  浅草には、江戸の情緒が生きている
  桂文珍

■特集企画
 浅草さんぽ道
  ◆花街を彩る浅草芸者
  ◆半玉さんと歩く浅草“芸道”名所めぐり

■ほか
  ◆浅草サンバカーニバル
  ◆浅草催事カレンダー

企画記事のページのほかに、浅草にある約1200軒の商店の「店名」「電話」「住所」「地図」が載っている。

僕は、この企画記事の、構成・取材・文・デザイン・一部撮影を担当。
それぞれの記事については、明日以降、もう少し詳しく紹介する予定。
とりあえず、今週末くらいから、浅草各地で無料配布される。

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浅草の各店舗で使えるクーポン券もついてるので、良かったら手にしてください。

この仕事が終わったんで、とりあえずかなり落ち着いた。
少しの間、身の回りの整理と休息の日々。


2008年7月23日 (水)

浅草土産に日本酒はいかが?……〈酒の大桝 雷門店〉

今週末は隅田川の花火大会。

当日、浅草は人で溢れかえることだろう。
この長屋界隈から隅田川までは1キロ半くらいあるが、上野から歩く人も多く、毎年、この辺りも花火観光の人たちが浴衣で歩く姿を見かける。

ということで、花火を見にきた人たちが浅草でお土産を買って帰る時にお薦めする「酒の大枡 雷門店」の紹介。

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写真は、大桝オリジナルの日本酒「純米 観音裏」「本醸造 三社権現社」「大吟醸 三社様」。

大桝といえば観音裏の地元民なら誰でも知ってる大店(おおだな)だが、ここの若旦那が全国の蔵元を独自にリサーチして、様々な地酒を店に仕入れており、観音裏にある本店は品揃えもすごい(雷門店でも、常時100種類以上の日本酒が揃っているらしい)。その若旦那が仕入れの際に出会った信頼のおける蔵元に依頼し、プロデュースしたのが、このオリジナル日本酒。「観音裏」は福井、「三社権現社」は佐賀、「三社様」は長野ということで、それぞれ蔵本が違うが、どれも口当たりが優しく、さらりとしている。

僕はもう酒をやめてしまったので、僕がいくら酒の評価を書いたところで、上手く伝わらないだろう。興味がある人は、ぜひ店に行って店員さんに解説してもらうといい。

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雷門からすぐ近いところにあるので、花火観光、浅草観光の際にはちょうどいい。
窓ガラスに「SAKE BER」と書かれているように、入り口付近はお酒の小売り販売をしているが、奥はショットバーとなっている。
もちろんオリジナル日本酒も飲めるので、こちらで味見をしてから買うのもいいかもしれないが、花火大会の当日はかなり混んでいることが予想される。おつまみも旨く手頃な店だが、こちらの紹介は、千束の「本店」、たぬき通りにできた「wine-kan」の話を含めて、また改めて。

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相手が酒飲みの時は手土産にちょうど良く、たびたび御遣い物として利用している。

先日も、知り合いが大阪から出張に来て会う機会があったので、大桝オリジナルの日本酒を持って行った。翌日、とある打ち上げ会の予定だったが、残念ながら出席できないので、その際の差し入れということで……。

ということで、締め切り前で忙しい。
今日も暑そうだ。


【名 称】酒の大桝 雷門店
【住 所】東京都台東区浅草1-2-8
【電 話】03-5806-3811
【URL】→ぐるなびにジャンプ←
【定休日】無休
【営業時間】12:00〜24:00
【アクセス】雷門から浅草寺を向いて、仲見世の東側(右
      側)の裏に回って、雷門のすぐ横にある観音
      通りに抜ける細い路地を入り、左手。


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2008年7月20日 (日)

市が終わり、梅雨も明け、花火が上がれば、夏が来る……〈朝顔市〉その2

ということで、入谷朝顔市のつづき。

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下の写真は、鬼子母神の祀られている「真源寺」境内の様子。有名な地口「恐れ入谷の鬼子母神」は、まさにここのことだ。

いつもは真源寺で静かな時を過ごしている鬼子母神だが、今日ばかりは参拝客の願い事が多く忙しくしていることだろう。

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鬼子母神について一応書いておくと——
もともとインドの夜叉神の娘だった鬼子母神は、嫁いだ後に500人とも1000人とも言われるほど多くの子供を産んだ。しかし、その性格は凶暴で、近隣の子どもをさらい喰ってしまうなど、人々に恐れられていたのだった。見かねたお釈迦様は、鬼子母神がもっとも可愛がっていた末の子どもを隠してしまう。それを知った鬼子母神は、嘆き悲しみ狂ったように泣き叫んだ。お釈迦様から「千人のうちの一子を失うもかくの如し。いわんや人の一子を喰らうとき、その父母の歎きやいかん」と戒められ改心することを誓い、その後、安産・子育ての神になったという。

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さらに余談——
真源寺では、鬼子母神が改心して仏教に帰依したことから、「鬼」という字をそのまま使わず、テッペンの「ノ」(つの)をとった字を使うことが慣例となっている。
僕らが仕事で真源寺の鬼子母神を紹介する時も、作字して使用している。


で、最後に売り子さんたちを。

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朝顔市は、朝早くから夜まで開かれているため、小さい売り子さんはお疲れモード。
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昨日19日に、関東地方は梅雨が明けたらしい。
お富士さんの植木市、朝顔市、ほおづき市が終わると、次は隅田川花火大会だ。

東京に本格的な夏が来る。


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市が終わり、梅雨も明け、花火が上がれば、夏が来る……〈朝顔市〉その1

以前の記事(いなり寿司「きつ音 忠信」)でも紹介したが、「雪暮夜入谷畦道」(ゆきのゆうべいりやのあぜみち/通称「直侍」)という歌舞伎の狂言で、直次郎というヤクザな男が、自分の悪事による追っ手から逃れるために立ち寄った蕎麦屋の場面で、当時の入谷が描写されている。
田畑の広がる寂しい村に立つ一軒の蕎麦屋に立ち寄る直次郎。そこで偶然、直次郎の恋人である三千歳が病(恋煩い)に臥せって養生に来ていることを知る。

河竹黙阿弥の作品であることと、明治17年(1984年)に亡くなった三千歳が実在の人物であったことから、江戸末期(1820〜30年代頃?)の情景を今に伝えていると考えていいだろう。
一部は寛永寺の門前町として栄え、中小の寺社も数あったが、基本的には田んぼや畑が多く、また武家や豪商の別荘地や保養地ともなっていたらしい。

また、落語の世界では、例えば有名な「茶の湯」のように、入谷の隣町である根岸で隠居した旦那衆がちょくちょく描かれていることから、明治期には入谷から谷中に向かってリタイヤした中流〜上流階級の隠居先としても定着していたようだ。
江戸っ子たちにとっては「安近短」の身近な郊外地だったんだろう。
この長屋のある下谷・稲荷町界隈の北隣、浅草の西隣に位置する。

さて、今日はその入谷一帯が一年のうちで一番賑わう「朝顔市」(正式には入谷朝顔まつり)だ。

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例年は、7月6〜8日に開催されるが、今年はサミット警備の都合上、18〜20日の変則日程。 下の写真のように、片側3車線の言問通りを、片側は朝顔、もう片側は通常の的屋、それぞれ一車線ずつ潰して露店を出すので、警察の警備もかなり厳重。時間帯によっては車を通行止めにして、道路を開放する。 ここの他、路地に入っても朝顔市の露店だらけだ。
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江戸時代、入谷より南に下った「御徒町」は、御家人でありながらも足軽的な存在だった「徒士(かち)」と呼ばれる下級武士の住居となっていた。その下級武士たちの家では内職をすることが常だったが、内職の一つとして始めたのが朝顔づくりだった。 江戸末期には、下谷界隈(御徒町も下谷界隈の一部)では、約80種もの彩り鮮やかな朝顔が盛んに栽培され、徐々に江戸の評判になり、市が立つようになった。それが「朝顔市」の始まりとされている。

ところが、この下谷で開かれていた朝顔市は、すぐに衰退してしまった。どうやら、あまりにも奇をてらった朝顔が多く、江戸っ子に嫌われたらしい。

その頃には、入谷や浅草でも朝顔の栽培と市が盛んになり、明治から大正期にかけて入谷の朝顔市が、もっとも有名なものとなっていった。
その後も市は続いたが、入谷は第二次世界大戦の空襲の被害が大きく、一面が焼かれ朝顔もほぼ全滅してしまう。
戦後、徐々に植木職人たちが朝顔づくりを復活させ、鬼子母神の「真源寺」境内で朝顔市が復活し、今では「入谷の朝顔」は初夏の風物詩として東京の人たちに親しまれている。

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上の写真のように下谷観光連盟の「朝顔市」の札が付いている朝顔が公認されているもの。
連盟に金も払わずに、近くで便乗して売る人たちも多いらしく、買う方としてはそんな物は関係ないし、肝心の花よりも目立つ札なんて野暮だとも思うが、まぁイベントを継続的に開催して行くための防衛策ということだろう。

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長くなったので、分割して「朝顔市」その2につづく。

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2008年7月14日 (月)

木綿もいいけど、散歩のおやつも……豆腐専門店〈栃木家〉

昨年のことだが、落語家の三笑亭夢太郎さんと、「江戸売り声師」の富田章司さんにインタビューをしている時、話題に出たのが『甲府い』という落語の噺。

甲府から立身出世のために江戸に出てきた青年・善吉が、浅草寺の境内でスリに遭って一文無しとなり、空腹に耐えられなくなって、豆腐屋でオカラを盗み見つかってしまう。それが縁で善吉は豆腐屋で働くことになり、一所懸命に働く。やがて「豆腐〜ぃ、な〜ま揚〜げ、がんもどきぃ〜」という売り声が評判となって、成功していく……という人情噺だ(詳しくは、この記事のコメント欄を参照)。

夢太郎さんの師匠筋であり昭和の名人の一人、八代目・三笑亭可楽の得意にした噺とされているが、目の前で夢太郎さんが短めに聞かせてくれ、その上なんと、富田章司さんが売り声を披露してくれるという贅沢な“一席”だった。

以来、とても好きな演目となったが、iTunesからこの噺が流れると、ついつい豆腐が食べたくなる。
そんなときに行くのが、伝法院通りの東端にある、甲府家ならぬ「栃木家」という豆腐専門店だ。

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明治20年に、栃木出身の初代ご主人が創業したという。やはり『甲府い』の善吉青年を思い浮かべてしまう。

国産大豆を石臼で挽き、塩田にがりを加えてできた手づくり豆腐は、豆腐らしいしっかりとした“コク”がある。
最近は、「なめらかブーム」という気持ち悪い流行もあり、こちらでも「おぼろ豆腐」が人気商品らしいが、ここはぜひ、普通の「もめん豆腐」で豆腐らしい食感を楽しんでほしい。
角もない豆腐なんざぁ、江戸っ子の食いもんじゃねぇやい! とは言いつつも、「おぼろ豆腐」をしっかりとザルで水切りし、ざる豆腐にして一杯飲むのが楽しい気持ちも分かるので、まぁそれはそれで……。

「豆腐、生揚げ、がんもどき」という通り、豆腐屋といえば生揚げやがんもどきも外せない。ここのがんもどきが、また旨い! オススメは「野菜がんもどき」と「肉入りがんもどき」。
昨日、出掛けた帰りに栃木屋さんによって、もめん豆腐、野菜がんもどき、肉入りがんもどきを買ってきて夕飯にしたが、そういえば昨日は、その3品の他に昼間食べたアイスだけだったなぁ……。
あ、オカラも旨いので、これもオススメ(お店では一応「卯の花」として売ってるが、それほど上等なものではないので、ここでは「おから」って呼んでおく)。

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ちょっと足を伸ばして浅草に遊びにきた人には、写真の「ドーナツ」はどうだろうか? 豆乳とオカラを使って作られているので、甘みはとても抑えられているが、その分、生地の旨味がしっかりと伝わって旨い。女の子からも好評を得ているので、お菓子が好きな人にはオススメできそうだ。散歩の土産なら「さしみゆば」を買って、家に帰って日本酒で一杯というのもいいだろう。僕はまだ食べたことがないが、「豆乳アイス」や「杏仁豆腐」も売っているので、暑い時期には散歩ついでに立ち寄って、涼をとるのもいいんじゃないだろうか……。

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浅草だけじゃなく、台東区にはまだまだ豆腐屋が多く、うちの長屋からすぐ近くにも2軒ほど豆腐屋がある。よく言われることだが、スーパーの豆腐やがんもどきでは、言葉の通り“味気ない”ので、専門店の豆腐屋さんはいつまでも残ってほしい。

ところで、昨日、栃木家の目の前にスクーターを留めて買い物をし、帰ろうと思ったらスクーターが急に動かなくなってしまった。原因は不明。エンジン系統のトラブルではなく、なぜかタイヤがロックしてしまったようなので、何らかの物を巻き込んでしまったのか? でも、それらしきもは見当たらず……。

今の時期こそ、スクーターを重宝しているのに、まったく誰に似たのか、いけずなスクーターだ。豆腐の角でもぶつけてやれば、機嫌を直してくれるだろうか……と、買ったばかりの豆腐をぶつけてやりたくなったが、さすがにもったいないので、近くの知り合いのビルに置かしてもらってきた。


【店名】栃木家商店
【住所】東京都台東区浅草2-2-1
【電 話】03-3841-5731
【営業時間】平日・土曜=9:00〜19:00/
      日・祝=10:00〜18:00/不定休
【アクセス】雷門から仲見世通りを浅草寺方面へ。伝法
      院通りまできたら、右折(東方面)して、
      20〜30メートルほどの左側。

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【落語噺「甲府い」】
この記事のコメント欄に、簡単な粗筋を書いておきました。
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【「千字寄席」】
さらに詳しく知りたい人は、落語のあらすじサイト「千字寄席」さん(←クリック)へどうぞ。


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2008年7月11日 (金)

四万六千日分のご利益がある縁日……〈浅草ほおづき市〉

今週は浅草関連の仕事で取材が続いていて、先日の9日は、一日中、撮影で浅草を歩いていた。
7月9日、10日といえば浅草ほおづき市。毎年7月10日となっている浅草寺の四万六千日の縁日に併せて開かれている。例年通り、浅草寺は人で賑わっていた。

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もともとは7月10日に浅草寺に参拝すると1000日分(約3年分)の参拝に匹敵するご利益を得られる「千日詣で」というものだったのが、いつの間にか46000日(およそ120年分。昔の人生の2倍分)に増えて、「四万六千日(しまんろくせんにち」と呼ばれる縁日が開かれるようになった。

宗教上の理由ではなく*、いつの間にか改編されたというあたりは、いかにも江戸っ子たちの文化と感じる。否、江戸っ子というよりも、上方だろうが江戸だろうが、日本の街っ子というのは、縁起のいいことや楽しいことには貪欲で、良く言えば「柔軟」に祭事や季節の文化を生活に取り入れていったのだろう。
そもそも、旧暦と新暦じゃ宗教的には意味が違うだろうに、いまでも7月10日なんだから、本来の宗教的解釈なんてあまり気にしてもいないってことだ。
今じゃ、ほおづき市の開かれている7月9日と10日の両日、どちらも四万六千日の縁日として開かれている。

落語の有名な演目「船徳」にも、暑いさなか観音様にお参りして四万六千日のご利益を求めようとする船客の姿が描かれているが、江戸の中期には江戸庶民のなかに四万六千日信仰が浸透したらしい。

(※ 一生と一升をかけ、一升の米が約46000粒というところから、四万六千日になったという説があるが、個人的にはこれは後付けの理屈だと推測している)

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ほおづき市は、愛宕神社(品川)で行われていた千日詣での縁日で、ほおずきを売り出したところから、徐々に規模が大きくなっていった。ほおずきは、室町時代から言い伝えで薬として使われていたようだ。さらにお盆の飾りにするためにも重宝されていたらしい。そのうち、愛宕山の縁日よりも規模の大きい、浅草寺の四万六千日でもほおづき市が開かれ、今では浅草のほおづき市が有名になってしまった。今も愛宕神社では、毎年6月下旬にほおづき市が開かれている。

お盆の飾りとしてほおずきが使われるようになったのは、提灯を見立てて飾りにしたらしい。ここ稲荷町は仏具店が多くて有名だが、その仏具店協会のポスターには、「ほおずきは『鬼灯』とも書くが、中国では赤い提灯のこと。先祖の魂を家に迎えて再び送りだすお盆に、先祖が道に迷わないように提灯を示した」という趣旨の解説が書いてある。
もちろん、諸説あることなので、雷除けのおまじないとしても験担ぎになっているだろうが、提灯として飾られていたというのが本来の意味だったんだろう。なお、雷除けとして本来使われていたのは赤トウモロコシだったが、明治時代に不作の年があり、ほおずきが代用されるようになったそうな。

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写真は、観音様(浅草寺)本堂の東南角にある稲村さんというお店。 浅草のほおづき市は、毎年およそ200〜300のほおずき店が境内に出店するが、東南角は縁起がよく、この場所は古くから稲村さんの店とされているらしい。


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観音様の東南の角にあるとこんなロケーションになるんで、プロアマ問わずに、カメラマンが群がってくる。

実は、今回の撮影は浅草芸妓衆の半玉さん二人と一緒に、浅草の街並を歩くという雑誌の企画での撮影。
で、半玉さんたちと撮影スポットを探している時に、二人と馴染みのある稲村さんに声を掛けていただいたんで、その場でお願いして撮影をしたんだけども……。スッピンとはいえ浴衣姿のきれいどこなもので、すぐにおじさんカメラマンたちが群がってきて、ちょっとした撮影会となってしまい、稲村さんや周囲のお店には少々ご迷惑をかけてしまった。

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ということで、朝から夕方まで、浅草中を歩きながら撮影していた次第。
詳しくは雑誌(フリーペーパー)で紹介するので、発行された後にお知らせするが、モデルとなって歩いて付き合ってくれた半玉さんが、上の写真のお二人。浅草演芸ホール前にて。

一応説明しておくと、半玉さんというのは、芸妓として「一本」になるまで修行をしている若い芸者さんのこと。お支度した際には、一本立ちした芸妓衆と違って振袖を着て日本髪の髪型も違い、お座敷用語的には「お酌さん」と呼ばれている。京都でいえば舞子さんと同じ位置づけだと思うが、舞子さんと違って10代までという条件はなく、振袖の似合う年頃(20代のごく前半)くらいまでらしい。

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帰ってから、稲村さんで買ったほおづきの鉢を長屋の軒先に飾ってみた。

今回の仕事では、この半玉さんたちの記事のほかに、落語家さんへのインタビューや対談記事もあり、江戸落語界のベテラン・柳家小里ん師匠、女流落語家・三遊亭歌る多師匠、上方落語・桂文珍師匠からお話を聞くことができた。

そんなこともあって、昨日は、浅草演芸ホールに寄席を見に、夜は文珍師匠の独演会を見に国立劇場へと足を運んだが、その辺りの話は、またいつか。


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2006年7月26日 (水)

江戸っ子の会話を聞きながら鰻を楽しむ……〈色川〉

江戸っ子は口が悪い。言葉遣いが乱暴だ。しかし、品がないわけじゃないし、口汚いわけでもない。
僕自身、子どもの時分からよく誤解されてきたが、言葉遣いが乱暴でも、よくよくその内容を聞いていれば、愛嬌があり、艶のある言葉だって事が分かってもらえるだろう(僕の話にはたいして艶なんてありませんが……)。

浅草で鰻が食べたいときは、口の悪い江戸っ子のオヤジさん(大将)に会いに「色川」に行きたい。

*  *  *  *  *  *  *

先日、できあがった「浅草散歩ガイド」を届けに行ってきたが、そこでの会話がまるで落語に出てくる下町の風景だ。

僕 「大将、遅くなりました。ようやっと出来上がりました」
大将「おぅ、そういえば取材だか何だかって言ってたな。
  ありゃ何時のことだ?」
僕 「去年の秋口でした。
  すんません、本当に遅くなっちゃって」
大将「ったく、稲荷町の奴(僕の住んでいる街)は愚図だな。
  で、その間、おめぇは何してたんだ」
僕 「いやぁ〜、本が出来上がらないと顔出しづらくて、
  ご無沙汰してました」
大将「ってことは、ひぃふぅみぃ……、
  8か月も顔だしてねーのか?
  馬鹿野郎、おめぇ、普通、最低でも季節毎に顔だして、
  『まだ出来てません』って報告くらいするだろうよ。
  ったくよ〜、歩って来たって10分(じっぷん)か
  そこらじゃねぇか」
僕 「すんません。スクーターで2〜3分なんですけど」
大将「だったら来いってんだ。
  っていうかよ、何がスクーターだ。
  近くなんだから歩って来やがれ。
  まぁいいや、ちょっと説教してやるからそこ座れ」
僕 「いや大将、また近いうちにちゃんと来ますんで、
  今日のところは……」
大将「ちっ!(舌打ち) いいから座れってんだ」
僕 「はい!」
  (と、座ろうとしたとき、椅子を倒しそうになって)
大将「しょうがねぇなぁ、稲荷町は。
  愚図なんだか慌てん坊なんだか分かりゃしねぇよ」

ってな具合に、カウンターの席に座らされ、江戸っ子言葉でお叱りを受けた次第。
もちろん、大将と僕の会話は、説教をされているからといって険悪だったり重たい空気に包まれていたわけじゃない。文字にすると伝わりづらいかも知れないが、こうした会話も実際に目の前で見れば、落語の世界に出てくる愛嬌のある会話だ。
満員のお客さんたちは、目の前で繰り広げられるリアルな落語ワールドを見て大喜びの様子。カウンターの隣りに座っていた常連さんに「いや〜、お兄さんもたいへんだね。でも面白かったから一杯飲め」なんてご同情いただく始末。
要するに、こうして僕を説教するようにみせて、お客さんに会話を楽しんでもらってるわけだ。粋な江戸っ子はエンターテイナーでもある。
そして一通り説教が終わると、「8か月も喰ってねーと、うちの鰻の味忘れちまうだろ。喰ってけ」と鰻重と肝吸いが僕の目の前に。もちろん、こちらがお代を払うと言っても受け取ってもらえない。この辺りに粋を感じるんだよなぁ〜。

まぁとにかく、ここの大将に会えば、本物の江戸っ子に遭遇することが出きることは間違いない。食事というのは、料理だけじゃなく店の雰囲気が大事だと思わせてくれる。この数年では、鰻店でもっとも多く通っている店。

おっと、せっかくの鰻のこと書くのをすっかり忘れてしまうとこだった。
……と思ったけど、色川の鰻のことなんて、雑誌でもインターネットでも、そこら中で見られると思うので、詳しくはそちらに任せることにしよう。簡単にいうと、タレの味は濃いめの辛口で、炭火で焼いた鰻は香ばしくて口当たりががいい。濃い味好きの僕にとってはもちろん好みの味で、浅草の鰻はこうでなくっちゃと思わせる。

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そうそう、この店にカップルで行くとき、男の人に注意を一言。
間違っても「並2つ」なんて頼むと、大将から「何ぃ? お兄さん、女連れて飯喰いに来て最低の物なんて喰わしたんじゃ男じゃねーだろ。分かるか? だったらもう一回注文してみな」と、半ば強制的に「上」を注文させるかも(笑)。
まぁ、有名な鰻にしては安いので心配することもないかも知れないが、男性は一応、しっかりと財布にお金を入れて食べに行くようにご注意を。

*  *  *  *  *  *  *

【店名】色川 (いろかわ)
【住所】東京都台東区雷門2-6-11
【電話】03-3844-1187


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2006年7月 5日 (水)

『浅草散歩ガイド』がいよいよ発売

昨年の5月に企画した本が、ようやく発行された。
浅草を紹介するガイドブックだ。

*  *  *  *  *  *  *

「浅草散歩ガイド」

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一冊丸ごと、浅草の全般を紹介している。
アマゾンなどに流す出版社からの紹介文では「初心者から“通”まで」と書いているが、実際には「浅草観光の入門書」として編集した。

[主な目次]
 ○巻頭インタビュー
  なぎら健壱流・浅草の楽しみ方
  「自分だけのガイドブック」をつくるコツ

 ○浅草ガイド
  浅草今昔物語
  サイトでチェック ほか

 ○浅草ランドマーク
  浅草寺/雷門/吾妻橋/花やしき ほか

 ○あさくさ道案内
  アニマル浜口一家の巻/芸妓・聖子さんの巻

 ○お座敷遊び入門
  芸者遊びを学ぶ「お座敷入門講座」の体験レポート

 ○歩く浅草
 ○食べる浅草
 ○憩う浅草
 ○買う浅草
 ○泊る浅草
 ○足を伸ばして下町散策
            ほか

僕は、全体の編集と、一部の執筆を担当している。
今回は、取材先が全部で200件を超すため、10人以上のライターさんが執筆されている。それぞれの店は、各ライターさんがお薦めしたいと選んだ店だ。
僕が執筆をしているお店や記事も多い。とくにコラムなどはほとんど僕の執筆だ。

この書籍のポスターは、キャッチコピーからデザインまで、印刷以外はすべて僕が作ったのだが、

浅草をちょっとだけ、切り取ってみました。

というコピーにした。

浅草のあらゆるところを、本当に“ちょっとだけ”ではあるが、広く浅く紹介している。
このブログでも、これから少しずつ浅草の事を紹介していきたいと思う。

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昨年から企画し昨年の秋に発行する予定だったが、出版社の都合で延期となり、その後、僕のスケジュールと合わなかったりして、遅れに遅れてようやく発行されることになった。
取材に協力いただいたお店や企業・団体、またはこれに関わった多くのスタッフの皆さんには、大変迷惑をかけてしまった。

ともかく、ようやく発行されたので、もし書店で見かけた方はぜひお買い求めください。

【書名】浅草散歩ガイド
【編者】渡部真
【発行】生活情報センター
【定価】1260円(本体1200円+税)
【規格】A5判/並製本/176頁
【ISBN】ISBN4-86126-275-5


【2007年3月1日追記】
せっかく発行した本だったが、約一月ほど前、発行元の(株)生活情報センターが倒産したため、残念ながらこの書籍は絶版となってしまった。今後、版権も含めてどのようになるか未定で、しばらくは初戦にも並びつづけるはずだが、半年ほど経てば一般の書店からは姿を消すことになるだろう。
この本は、出版までの経緯や、今回の倒産・絶版で一部の未払いが発生した事も含め、一部に大きく不満の残るものだった。
いずれまた改めて、納得のいく形で、浅草に関する本を出版したいと思っている。