小高に行って、ちょっとうれしい気持ちになった
このブログもずいぶんと放置していまして、久しぶりの投稿です。
最近は、もっぱらSNSで思いついたことを書きなぐって来ましたが、まぁ、記録として残しておきたいものや、何となく好き勝手に書きたいことは、やっぱりブログにしておこうかなぁと思い再開しました。
気が向いた時に投稿していきたいと思います。
さて、2018年2月1日〜3日、福島県で取材して来ました。今回の記事は、その取材旅行のなかで、小高という地域に行った時の話です。すでにFacebookに投稿したものを転載します。
福島県南相馬市の小高区――7年前の東日本大震災と東京電力・福島第一原発の事故の影響で、一時は警戒区域に指定され、町には人が住めなくなっていました。しかし、2016年7月には、市内のほとんどの地域が規制解除され、それから1年半、ようやく少しずつ、小高に人が戻ってきていることを、今回の訪問で実感させられました。
今回は、いち早く小高で経営を再開した「双葉屋旅館」に泊まらせてもらいました。
小高に着いたのは夜遅くだったんで、その日は外の様子は何も見られなかったんだけど、夕食を用意して待っていてくれて、おいしくいただきましたよ。写真に写ってないけど、女将さんが「昼間作ったんだけど、失敗しちゃったんで、良かったら食べてみて」ってボルシチも出してくれて、腹一になりました。
で、翌日、短い時間だったけど、小高の街なかを少しだけ見て回った。
双葉屋旅館の周辺だけですけど。すぐ目の前には、作家の柳美里さんが4月に書店をオープンする予定で、準備中のところをお話し聞かせてもらったりして。思わぬ個人的な相談話までしちゃって……。
2011年3月25日、僕は初めて小高にいきました。
それまで亘理とか相馬とか、あまり中央のメディアが行かないところで取材していたところ、「南相馬はマスコミも逃げ出した」と桜井市長(当時)が訴えた事が話題になった翌日、だったら南相馬で取材してみようかと訪れたのが最初です。
最初の日は沿岸の方で津波被害の様子を取材して、その2日後、今度は小高の市街地とか、内陸の山の方とかを取材しました。そして、ちょうど双葉屋旅館の目の前の通りを、駅からまっすぐ200〜300メートルほど進んだところで(郵便局のあたり)車を降りて、その道のど真ん中に立ったとき、僕は「街が殺された」と感じました。
数年前まで福島の警戒区域について報じる際に、よく「ゴーストタウン」とか「誰も居なくなった」とかって言われたけど、そうじゃなくて「殺された」という表現が、ピッタリだったんです。
人の遺体って、ついさっきまで生きていたはずの人が急に無機質になってしまう。その無機質な感じ。
あの頃は、まだ原発事故がどうなるかよくわからなくて、南相馬はちょうど市外への避難誘導が済んだ頃で、たぶんこの7年間で一番人がいなかった時期だと思います。
でも、単に人が居ないとか、ゴーストタウンと言うのとは全然違って、つい最近まで人の暮らしがあったはずの痕跡はそこら中に残されているのに、それでも五感には何も感じる事ができない……匂いもない、音もない、人の生活感や息づかいもない、ちょうど春になる直前でまだ冷たかった時期で何の温もりもない、そういう無機質な感じは、今も忘れられません。
そんな殺された小高を写真に撮りながら、小高には縁もゆかりもなかったのに、原発事故とか、この国の政治とか、あるいは震災から2週間で早くも震災や原発のニュースに飽き始めてどこの電気を作ってたせいでこんな事になったのかを忘れようとしている東京の人たちの態度とか、色んなものに腹が立って仕方がなかったです。
で、それから7年、最近では半年に1回くらいしか来てないけど、断続的に小高の様子を見てきて、今回は本当に、人の暮らしの息づかいというか、街の温もりみたいなもんを、確かに感じたんです。
正直言って、まだまだです。人も少ないし、再開している企業や店、農家もほとんどない。沿岸部は津波被害の復興工事もまだまだかかる。それに、先日、小高出身で今は東京農大で教壇にたつ半杭さんに話を聞いて確信みたいなものを持ってるけど、小高を含めて旧警戒区域の農業や一次産業の復活は、相当厳しいと思ってます。子育て世代が小高に戻る事だってまだまだ厳しい実態があります。
それでもね、街の中を、復興関係の車とかではなく、普通に軽自動車が生活用のために走ってたりね。駅で電車を降りた人が、復興事業ではなくて普通にビジネスの用で東京から人が来ていたり。「復興がんばろー」という人たちではなくて、普通にそこで暮らしている人たちの息づかいが、まだまだ少ないけど、着実に増えて来ているって感じられて。
ほんと、他人事ですけど、偉そうに小高のことを語れるほど関わり持ってないですけど、それでも、なんか嬉しくなっちゃいましたよ。
いまの小高は、仮死状態・危篤状態だった病人が、ようやく一般病棟に移ったくらいの状態だと思います。次は、退院して自宅療養しながらリハビリする事を目標にしているくらいかな。
でも、僕には「殺された」と感じてた人が、一般病棟に移って少しは笑顔で話していればさ、それはやっぱり嬉しくなっちゃう訳です。
相変わらず、とりとめのない事をツラツラと長く書いちゃったけど、これを読んでくれてる人で、まだ小高や双葉郡に行った事のない人は、ぜひ足を運んで見てほしいな。
初めて行く人がもし事前に連絡をくれたら、「ここに行くと面白いよ!」「あそこに行くと震災の事を知る事できるよ!」「あの店は絶対に旨いよ!」なんていう情報を、しがらみのない立場(これ大事!)で、おしらせしますよ!
という事で、3月にまた南相馬に行こうかなって思ってます。金があればだけどw
もう一回取材したら小高や双葉郡のことを自分で記事にする予定です。柳さんの書店のことは、紙媒体でも、webでも、それぞれ別の記者が書いてくれる予定になってます。
【追記】
小高といえば、数日前、こんなニュースがありました。
原発避難訴訟、東電に賠償命令「故郷で生きる利益侵害」
https://www.asahi.com/articles/ASL275FM5L27UTIL02K.html
東電も政府も、金を払うのが嫌なら、まずは最低限の部分だけでも、元に戻せやって話です。東電や政府の無責任さを考えていると、ほんと腹立たしくなるので、ここまで。
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