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自由報道協会を立ち上げた頃の話(2)

 前回の記事の続きです。

 自由報道協会を立ち上げる際、僕が考えていたものに近い思いを、ビデオ・ニュースの神保哲生さんが文書にして残してくれています。
 2011年10月、『自由報道協会が追った3.11』(扶桑社)という書籍が発行されましたが、そのなかで神保さんが「自由報道協会の果たすべき役割」として示してくれたものです。

 以下、少し長いのですが、同書から引用します。


 
『自由報道協会が追った3.11』
(39ページより)
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(前略)

●会見を記者クラブ独占から開放するために

 僕は、大手メディアに所属していても、小さいメディアの人でも、フリーランサーでも、誰もが個人で参加できるジャーナリストの職能集団をつくるべきじゃないか、と以前から思っていた。
 今年の1月中旬、上杉隆さんから連絡があり、「記者会見を主催するジャーナリストの団体をつくりたい」ということで、急遽、畠山理仁さん、渡部真さんと4人で会った。ここで、会を結成するための話し合いを初めてもったのだが、この時にも僕は、ジャーナリストの職能団体をつくるべきだという話をした。4人で創案した「自由報道協会」という名前と、英語名の「Free PressAssociation of Japan」。この“Free”が、決してフリーランスや無料という意味ではなく、誰でも“自由”に入れるという意味だということを忘れてはならないと、僕は思っている。だから、僕らは記者クラブの一段上を行くためにも、僕たちが堂々と彼らを迎え入れるような、器の大きな組織であるべきだと考えている。
 もっと認知度を上げ、いずれは、フリーランス、インターネットメディア、雑誌、新聞社、テレビ局、どこに所属する人も個人の資格で入るようになることを期待している。そのためには、既存メディアの記者たちが個人の資格で入れる自由を彼らが得ることも重要だ。

(中略)

……今のところ自由報道協会はようやく記者会見を主催することができるようになった段階で、まだこれからやらなければならないことがたくさんある。繰り返しになるが、今の日本の一番大きな問題は、政府機関や主要な政治、経済団体の記者会見が、まだ新聞、テレビ、通信社しか加盟できない記者クラブによって独占されていて、雑誌や外国報道機関、インターネットメディア、フリーランスなどのジャーナリストに十分開放されていないことだ。民主党政権になって記者会見のオープン化はかなり進んだが、記者クラブが記者会見を主催していることもあり、まだまだ有形無形の壁は多い。そして、それは単に独立系メディアやフリーランスが記者会見に参加できなくて「アンフェアだ」と文句を言っているだけの問題にとどまらない。記者クラブが特権を享受する立場にいるために、取材対象との間に癒着は生じるし、記者クラブの連中はほとんど現場を取材しなくなる。

(中略)

 記者クラブ問題というのは、単にネットメディアやフリーランスが記者会見に参加できないだけでなく、政府へのアクセスという特権を享受する一握りの大手メディアが、政府と癒着したり、その特権の上に胡坐をかき、ジャーナリズム本来の役割を果たせなくなることが、最大の問題なのだ。
 僕はかなり本気でメディアを改革しなければ、日本は変われないし、今直面しているいろいろな問題を解決することができないと思っている。そのためには、少なくとも政府とメディアの関係を今の異常な形から国際標準レベルに変えていかなければならない。その時に絶対に必要になるのが、既存の記者クラブメディアとそれ以外のメディアやフリーランスのジャーナリストが横断的に参加できる受け皿だ。自由報道協会の設立構想を相談するために集まった時、僕は将来的にはこの団体がそういう団体になる事を想定して、いろいろな名前の候補が挙がった中で、あえて普遍的な意味合いが強い「自由報道協会」にすべきと強く主張した。
 既存メディアを含めて、あらゆるメディアで仕事をしている記者たちが参加できるような組織になった時、きっと僕のこれまでの記者経験や、会見開放のために費やしてきた体験が役に立てると思っている。
 今の若い記者が、何の隔たりもなく自由報道協会に所属し、その人たちが既存メディアで主流となるような年代になった時、閉鎖的な記者クラブは存在感をなくすだろう。これは自由報道協会のためというよりも、むしろ僕たちの日本のために実現しなければいけないことだ。
 


 
 これは、僕と自由報道協会のスタッフが、神保さんからインタビューして書き起こした原稿を神保さんが修正したものです(と言っても、神保さんからは、ほぼ全面的に修正指示が来たので、実際には神保さんが書き起こしたものと言っても過言ではないほどなのだが……)。

 インタビューの際も、原稿をやり取りする際も、神保さんには、本書の趣旨である震災報道についての話だけでなく、「自由報道協会が、本来目指すべき方向を記録として残したい。1月の会合で話し合ったことや、神保さんが考える記者組織についてもよろしくお願いします」と依頼した上で実現しました。
 当時の僕の思いも、この神保さんの文書に近いものです。

 前回の記事と併せて、参考にしてもらえればと思い残しておきます。

【関連記事】
自由報道協会を立ち上げた頃の話(1)
http://makoto-craftbox.cocolog-nifty.com/blog/2013/12/post-ed65.html

 
 



  

■フリーランサーズ・マガジン『石のスープ』

渡部真 連載コラム【勝手気ままに】Vol.29
〜震災遺構のいま〜
http://ch.nicovideo.jp/sdp/blomaga/ar406545

この数カ月に撮影した写真を使って、震災遺構を中心に東北沿岸部の現状の様子を伝えています。
写真を見て欲しいので、電子書籍(PDF/3分冊)にしました。

掲載地域は、岩手県野田村、田野畑村、宮古市、大槌町、釜石市、陸前高田市、宮城県気仙沼市、南三陸町、女川町、石巻市、東松島市、仙台市、山元町、福島県南相馬市、浪江町、富岡町、いわき市、千葉県旭市。

出来るだけ多くの方に読んで欲しいので、無料公開しています。ぜひダウンロードしてお読みください。

 


 

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