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2013年12月

自由報道協会を立ち上げた頃の話(2)

 前回の記事の続きです。

 自由報道協会を立ち上げる際、僕が考えていたものに近い思いを、ビデオ・ニュースの神保哲生さんが文書にして残してくれています。
 2011年10月、『自由報道協会が追った3.11』(扶桑社)という書籍が発行されましたが、そのなかで神保さんが「自由報道協会の果たすべき役割」として示してくれたものです。

 以下、少し長いのですが、同書から引用します。


 
『自由報道協会が追った3.11』
(39ページより)
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(前略)

●会見を記者クラブ独占から開放するために

 僕は、大手メディアに所属していても、小さいメディアの人でも、フリーランサーでも、誰もが個人で参加できるジャーナリストの職能集団をつくるべきじゃないか、と以前から思っていた。
 今年の1月中旬、上杉隆さんから連絡があり、「記者会見を主催するジャーナリストの団体をつくりたい」ということで、急遽、畠山理仁さん、渡部真さんと4人で会った。ここで、会を結成するための話し合いを初めてもったのだが、この時にも僕は、ジャーナリストの職能団体をつくるべきだという話をした。4人で創案した「自由報道協会」という名前と、英語名の「Free PressAssociation of Japan」。この“Free”が、決してフリーランスや無料という意味ではなく、誰でも“自由”に入れるという意味だということを忘れてはならないと、僕は思っている。だから、僕らは記者クラブの一段上を行くためにも、僕たちが堂々と彼らを迎え入れるような、器の大きな組織であるべきだと考えている。
 もっと認知度を上げ、いずれは、フリーランス、インターネットメディア、雑誌、新聞社、テレビ局、どこに所属する人も個人の資格で入るようになることを期待している。そのためには、既存メディアの記者たちが個人の資格で入れる自由を彼らが得ることも重要だ。

(中略)

……今のところ自由報道協会はようやく記者会見を主催することができるようになった段階で、まだこれからやらなければならないことがたくさんある。繰り返しになるが、今の日本の一番大きな問題は、政府機関や主要な政治、経済団体の記者会見が、まだ新聞、テレビ、通信社しか加盟できない記者クラブによって独占されていて、雑誌や外国報道機関、インターネットメディア、フリーランスなどのジャーナリストに十分開放されていないことだ。民主党政権になって記者会見のオープン化はかなり進んだが、記者クラブが記者会見を主催していることもあり、まだまだ有形無形の壁は多い。そして、それは単に独立系メディアやフリーランスが記者会見に参加できなくて「アンフェアだ」と文句を言っているだけの問題にとどまらない。記者クラブが特権を享受する立場にいるために、取材対象との間に癒着は生じるし、記者クラブの連中はほとんど現場を取材しなくなる。

(中略)

 記者クラブ問題というのは、単にネットメディアやフリーランスが記者会見に参加できないだけでなく、政府へのアクセスという特権を享受する一握りの大手メディアが、政府と癒着したり、その特権の上に胡坐をかき、ジャーナリズム本来の役割を果たせなくなることが、最大の問題なのだ。
 僕はかなり本気でメディアを改革しなければ、日本は変われないし、今直面しているいろいろな問題を解決することができないと思っている。そのためには、少なくとも政府とメディアの関係を今の異常な形から国際標準レベルに変えていかなければならない。その時に絶対に必要になるのが、既存の記者クラブメディアとそれ以外のメディアやフリーランスのジャーナリストが横断的に参加できる受け皿だ。自由報道協会の設立構想を相談するために集まった時、僕は将来的にはこの団体がそういう団体になる事を想定して、いろいろな名前の候補が挙がった中で、あえて普遍的な意味合いが強い「自由報道協会」にすべきと強く主張した。
 既存メディアを含めて、あらゆるメディアで仕事をしている記者たちが参加できるような組織になった時、きっと僕のこれまでの記者経験や、会見開放のために費やしてきた体験が役に立てると思っている。
 今の若い記者が、何の隔たりもなく自由報道協会に所属し、その人たちが既存メディアで主流となるような年代になった時、閉鎖的な記者クラブは存在感をなくすだろう。これは自由報道協会のためというよりも、むしろ僕たちの日本のために実現しなければいけないことだ。
 


 
 これは、僕と自由報道協会のスタッフが、神保さんからインタビューして書き起こした原稿を神保さんが修正したものです(と言っても、神保さんからは、ほぼ全面的に修正指示が来たので、実際には神保さんが書き起こしたものと言っても過言ではないほどなのだが……)。

 インタビューの際も、原稿をやり取りする際も、神保さんには、本書の趣旨である震災報道についての話だけでなく、「自由報道協会が、本来目指すべき方向を記録として残したい。1月の会合で話し合ったことや、神保さんが考える記者組織についてもよろしくお願いします」と依頼した上で実現しました。
 当時の僕の思いも、この神保さんの文書に近いものです。

 前回の記事と併せて、参考にしてもらえればと思い残しておきます。

【関連記事】
自由報道協会を立ち上げた頃の話(1)
http://makoto-craftbox.cocolog-nifty.com/blog/2013/12/post-ed65.html

 
 



  

■フリーランサーズ・マガジン『石のスープ』

渡部真 連載コラム【勝手気ままに】Vol.29
〜震災遺構のいま〜
http://ch.nicovideo.jp/sdp/blomaga/ar406545

この数カ月に撮影した写真を使って、震災遺構を中心に東北沿岸部の現状の様子を伝えています。
写真を見て欲しいので、電子書籍(PDF/3分冊)にしました。

掲載地域は、岩手県野田村、田野畑村、宮古市、大槌町、釜石市、陸前高田市、宮城県気仙沼市、南三陸町、女川町、石巻市、東松島市、仙台市、山元町、福島県南相馬市、浪江町、富岡町、いわき市、千葉県旭市。

出来るだけ多くの方に読んで欲しいので、無料公開しています。ぜひダウンロードしてお読みください。

 


 

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自由報道協会を立ち上げた頃の話(1)

 このブログでは、随分とご無沙汰しておりました。

 Twitter上での会話の中で、自由報道協会の設立準備会を立ち上げる際、僕が考えていた「記者組織のあり方」について説明することになったので、このブログに残しておこうと思います。

 2011月1月20日、ビデオ・ニュースの神保哲生さん、ジャーナリスト(当時)の上杉隆さん、フリーライターの畠山理仁さん、そして僕が東京駅近くの某所で、会合を持ちました。前日か前々日、畠山さんから電話をもらい「上杉さんが、4人で打ち合わせをしたいと言っている」と言われて呼び出されたのでした。
 その当時、僕は「会見開放を求める会」の事務局を担当していたのですが、新たに会見開放に関する団体を立ち上げるので、それを手伝って欲しいという趣旨だったと思います。

 その会合で、「組織に属していようと、フリーランサーであろうと、取材・報道を目的とした誰もが個人で参加できる団体を立ち上げよう」という事で、僕らは一致しました。
 また、以下のような事も確認しました。

 ・2011年1月27日に小沢一郎衆院議員の会見を主催する
 ・渡部が21日までに「設立趣意書」の草案を作る
 ・それを元に、他の3人が修正をしたものを「草案」とし、
  1月27日の会見に参加する記者に呼びかける

 そして、僕が翌朝までに、以下の「草案(案)」を作りました。
 
 


 
「日本自由報道記者クラブ協会」(仮)
(オープン記者会)の設立について

 
 2010年から本格的に始まった行政省庁における記者会見の開放は、現在も一部の記者会見の開放が進まずに、未だ大きな社会問題となっています。「報道の自由」「知る権利」の観点から考えても、記者会見は本来、一部に限定された企業に属する報道記者に限らず、取材・報道を目的とした多くの人に開放されるべきものであり、幅広い記者が自由に参加でき、自由に質問できる公の場です。
 これは日本新聞協会声明「記者クラブに関する日本新聞協会編集委員会の見解」と合致した考え方であり、多くの記者会見を主催する記者クラブの所属会員たちも共有している見解だと考えます。
 しかし、実態は、記者クラブだけが独占的に記者会見の主催権を獲得し、非加盟社・者は、記者クラブから未だに公平な扱いを受けておらず、省庁によっては会見への自由な参加、自由な質問、自由な撮影が認められていません。

 長い間、雑誌記者、外国人記者、インターネット記者、それぞれが取材現場で参加の扉を少しずつこじ開けてきました。そのため、それぞれの立場で団体を設立し、その団体が主催権を持つ記者クラブに認められることによって、所属会員が会見への参加や取材活動の自由を確保してきたという歴史があります。
 しかし一方で、それら団体に所属していないフリーランス記者は個人の立場で各記者クラブと交渉をし続けているというのが現状です。

 こうした状況は、極めて閉鎖的で公開性が乏しい親睦団体・任意団体である記者クラブが、多くの会見を独占的に主催している事によっておきている、大きな弊害だと私たちは考えます。

 そこで私たちは、一部の非民主的な団体だけが独占的に主催権を獲得している日本社会の現状から、「報道の自由」「知る権利」を広く開放するために、これまでのしがらみを持たない新たな団体を設立することにいたしました。
 私たちは、新聞社、テレビ局、外国メディア、雑誌社、インターネットメディア、フリーランス記者、非営利で情報発信を行っている団体・個人などが、平等な立場で自由に取材・報道を繰り広げ、切磋琢磨を続けることこそ、「報道の自由」「知る権利」の真の実践であり、言論の自由と民主主義社会の発展につながると確信しています。
 ですから、私たちが目指す組織のあり方は、「誰かを排除するための規則づくり」ではなく、「より多くの人が参加できるための基盤整備」であることを目指します。

 私たちは、以下のことを目的に、「日本自由報道記者クラブ協会」(仮名)を設立したいと考えます。

【1】当面、この団体を「日本自由報道記者クラブ協会」(略称:オープン記者会/英語名:Free Press Association of Japan)として設立することを目指し、今後この団体に参加する多くの人々と議論をして改めて団体名を決定する。

【2】日本全国で行われている日常のあらゆる記者会見を、一部の任意団体だけが独占的に取り仕切るのではなく、「オープン記者会」も公平に主催権を獲得し、主催する。

【3】「オープン記者会」には、記者が個人単位で会員として加盟する。新聞、テレビ、雑誌、インターネットメディア、フリーランス、外国におけるメディア等、あらゆる所属組織の有無は問わない。記者専業でなくても、自分が「取材」「報道」を目的とした記者(執筆者・撮影者・編集者等)であると考える人は、原則、だれでも参加できる。

【4】「オープン記者会」は、東京の霞ヶ関近辺の民間ビルに広い部屋を確保し、あらゆる団体・個人が記者会見できる場所として存在させる。

【5】「オープン記者会」における記者会見、事情説明、資料配布等は、原則、誰もができる。自然保護・環境問題、人権問題をはじめ、憲法改正問題、労働、教育、医療、福祉、国際関係、メディア問題等々で活動するNGO、NPO、市民団体、労働団体、オンブズマン組織等々のほか、訴訟の原告・被告なども会見できる。発表者の思想信条は問わない。

【6】「オープン記者会」における発表希望は全国から受け付ける。配布したい資料がある場合は、同会内に掲示するほか、専用棚に一定期間整理して保存し、会員が自由に持っていくことができるようにする。またインターネット技術を活用し、全国の会員が配布資料を受け取れるシステムを確立する。

【7】「オープン記者会」は、記者発表の予定や同会で配布された資料等々をインターネット上で広く公表する。同会における実際の記者発表・会見の動画もしくは議事録も、一部あるいは全部がインターネット上で公開され、日本全国や世界中からのアクセス権を担保する。

【8】「オープン記者会」の発表・会見等を希望する際は、事前に事務局に届け出る。事務局は、時間・部屋の都合等を勘案し、調整する。それらの日程は速やかにネット上で公開されるほか、会員には電子メール等によって通知される。

【9】「オープン記者会」は、定期的に別途定められた運営委員会が選抜した人物を招き、記者会見を兼ねた講演を行う。

【10】「オープン記者会」は、会員同士および発表者である市民が、それぞれの所属会社等の枠を超えて、意見交換し、自由に交流する場を目指す。

【11】「オープン記者会」は、記者を育成する機関を設ける事を将来の展望として掲げる。

【12】「オープン記者会」は、将来的に基金を設立し、同会会員が「取材」「報道」目的のために必要なあらゆる資金を貸し出したり、「取材」「報道」関するあらゆる技術の習得や、前述育成機関への参加などに必要な資金を貸し出したりできるための機関設立の構想を掲げる。

【13】「オープン記者会」会員は、同会内で行われる会見・発表に関する取材については自由に各種媒体に公表できる。ただし、その報道内容に関する責任は、会員個人が負う。そのため会員は、同会内で行われた取材活動を公表する際においては、匿名ではなく自らの署名(会が個人特定可能である執筆名を含む)を明記した記事を書く事を保証する。

【14】「オープン記者会」会員となるためには、今後加盟者によって定められた「規約」を守ることを約束する。

【15】「オープン記者会」会員は、団体運営に関する負担を等しく出し合うという観点から、別途定める会費を支払う。

【16】「オープン記者会」は、広く個人・団体からの寄付を集い、前述した会費と合わせた活動資金によって運営が賄われる。

【17】「オープン記者会」会員は、脱会を自由に行う事が出来る。

【18】「オープン記者会」は、こうした会員の権利を保障し、広く国民に開かれた組織である事が重要であるという観点を持ち、その運営が公開され、公平・公正であることを担保するために、特定非営利活動法人(NPO法人)として設立する事を目指す。

 上記の目的を実現させるには、種々の立場を超えた多くの方々の協力が必要です。一人でも多くの方に賛同をいただくことで「オープン記者会」を設立し、日本が一刻も早く「報道の自由」「知る権利」の充実した社会となるよう願っています。
 何とぞ、ご協力・ご支援をよろしくお願い致します。
 


 
 これが僕の作った「草案(案)」でした。
 この「草案(案)」を作る際、当時北海道新聞の記者だった高田昌幸さんが、2005年に提唱した「自由記者クラブ」設立の構想案を、ご本人に許可をとって参考とさせてもらいました。

【ニュースの現場で考えること】2005.10.5
「自由記者クラブ」設立の構想
http://newsnews.exblog.jp/2849432/

 実は、僕はこの「自由記者クラブ」構想について、会合より以前に高田さんからお話を聞かせてもらっていて、高田さん、神保さん、そして弁護士であり記者でもあった故・日隅一雄さんなど、先輩記者達からご意見をいただき、新しい記者組織の可能性について勉強をさせてもらっていました。もちろん、その段階では自由報道協会などの話は一切ありません。僕は、会見開放運動のお手伝いをさせてもらいながら、何らかの記者組織は必要だと思っていたので、その理論武装として勉強をさせてもらっていたわけです。
 1月21日の会合の際も、高田さんの構想をプリントアウトして持って行き、それをベースに4人で話をしました。そこで話し合った結果を、僕なりにまとめたのが上記の「草案(案)」です(高田さんの構想を下敷きにしたとはいえ、高田さんは自由報道協会の立ち上げには、一切関わりがないことも記しておく)。

 なお、この時「日本自由報道記者クラブ協会」を仮名にしました。
 僕は「協会」もしくは「組合」として、法人団体であることが明確な組織名にしようという提案をしました。「記者クラブ」などの名称は、知らない人にはサロンなのか団体なのかよくわからないし、昨今の政党のように何の集まりか不明瞭な名称は相応しくないと考えていました。
 ほかに、「自由」(英訳の際はFree)を入れる事について、海外メディアの記者への訴求にも役立つのではないかなどという意見があったり、「NHK(日本放送協会)をもじりたい」などという軽薄な意見もあったりしました。
 一旦は「自由報道協会(Free PressAssociation of Japan)」にしようと決まりかけたのですが、半ば強引に上杉さんから「有力案を全部くっ付けて『日本自由報道記者クラブ協会』という仮称にしましょう」と提案され、承認したものです。

 こうして、僕の「草案(案)」を、神保さん、上杉さん、畠山さんの3人に送りました。この際、僕ら4人と、他に3人、合計7人が「発起人」として新団体設立準備会に参加する予定だったのですが、他の3人に僕の「草案(案)」を送ったかどうかは記憶にありません。
 これに対して上杉さんから「気持ちはわかるが、長過ぎる。時間がないから、これをベースに自分に任せて欲しい」という話があり、その上杉案が最終的に「草案」となったわけです。

【「自由報道協会」(仮)】2011.1.26
設立趣意書の草案
http://fpaj.exblog.jp/14057386/

 これを、1月27日に開催する小沢一郎議員の会見に参加してほしい記者たち、あるいは実際に会場に来た記者達に手渡し、賛同を得た上で、正式に団体の設立準備会を立ち上げる事にしました。

 実際に公開された自由報道協会の草案を、いま読み返して考えてみれば、僕と上杉さんには、すでにこの時点で同協会に対する考え方に大きな違いがあったんだと改めて実感します。

 僕は、今でも、どんな属性の記者でも参加できる団体が必要だと考えています。上記の「草案(案)」は、僕の考えが全て反映されているわけではありませんが、過去の記録として、ここに残しておこうと思います。


【関連記事】
自由報道協会を立ち上げた頃の話(2)
http://makoto-craftbox.cocolog-nifty.com/blog/2013/12/post-1239.html

 
 



  

■フリーランサーズ・マガジン『石のスープ』

渡部真 連載コラム【勝手気ままに】Vol.29
〜震災遺構のいま〜
http://ch.nicovideo.jp/sdp/blomaga/ar406545

この数カ月に撮影した写真を使って、震災遺構を中心に東北沿岸部の現状の様子を伝えています。
写真を見て欲しいので、電子書籍(PDF/3分冊)にしました。

掲載地域は、岩手県野田村、田野畑村、宮古市、大槌町、釜石市、陸前高田市、宮城県気仙沼市、南三陸町、女川町、石巻市、東松島市、仙台市、山元町、福島県南相馬市、浪江町、富岡町、いわき市、千葉県旭市。

出来るだけ多くの方に読んで欲しいので、無料公開しています。ぜひダウンロードしてお読みください。

 


 

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