【週刊 石のスープ】「相馬市の中学校の相談室から」
有料メールマガジン「週刊 石のスープ」に記事を投稿しました。その一部を公開します。
東日本大震災の最初の地震が発生してから半年が経ちました。
「週刊 石のスープ」はこの震災半年というタイミングで創刊したばかり。今月は、来月以降に予定している通常の連載とは違い、筆者達の自己紹介などを順次お送りする予定です。ということで、今回は僕、渡部真が担当しています。
2011年3月11日14時46分、僕は自宅の仕事場で作業をしていました。
Twitterのログなどで確認すると、東京ではっきりと地震を感じたのは1〜2分後だったようです。遠くから微かながら力強い揺れを長く感じ、徐々に大きくなっていき、家中の棚やタンスなどが倒れんばかりに揺れ、棚と壁とがぶつかる大きな音が何度もして、書類、食器などたくさんの物が散乱しました。
その後、家族の安否確認や、進めている仕事の連絡などを取りつつ、Twitterで流れてくるタイムラインの情報を精査しながらリツイートしたり、NHKなどから流れてくる情報を、Twitterやメーリングリストなどで「ハブ」になって伝えたりして過ごしました。
皆さんは、あの時、どんな時間を過ごしていたでしょうか?
翌日、僕が所属しているジャーナリストの団体「自由報道協会」の事務所には、フリーランス、雑誌、ネットメディアなどのジャーナリスト達が集合していました。東京電力や原子力安全・保安院、政府の記者会見などに参加するため、その待機場所として事務所を開放していたのです。この日ばかりは、霞が関や永田町の周辺に事務所があるありがたみを実感しましたね。
フリーランスライターの畠山理仁さんなどが事務所を出入りして記者会見に向かう中、僕は事務所で待機し、みんなの食料を調達したり、情報収集して伝えたりしながら、時おり保安院の会見などにも参加。
すでにコンビニエンスストアでは、食料不足が始まっていてオニギリなどが一斉に棚から消えてしまっていました。そのため、フリージャーナリストの江川紹子さんは、みんなの食事を用意するため、何度か自宅に戻ってオニギリを大量に作って来てくれたり、逆に、急にニコニコ生放送に出演が決まった江川さんを畠山さんが車で送ったりと、事務所に集まったみんなで協力し合いながら、日本中が混乱する12日を過ごしていました。
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