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社会で起きる事のマインド

2月3日、週刊朝日の編集長が東京地検に出頭要請を受けた!──

こうした情報がインターネット上で飛び交い、「検察による言論弾圧か!?」とちょっとした騒動になった。
というのも、1月から週刊朝日では、ジャーナリスト上杉隆の検察批判の記事を大きく取り上げており、大手マスメディアでは取り上げない「特ダネ」をスクープ的に打ち出していたからだ。

そのことについては、山口一臣編集長がネット上で事の経緯や顛末を書いているので、興味のある人は読んでほしい。

お騒がせして申し訳ありません
http://www.wa-dan.com/yamaguchi/

誌面じゃ読めない「検察の『抗議』に抗議」のウラ話
http://www.wa-dan.com/kougisho/

2月5日、山口編集長が上記「お騒がせして申し訳ありません」という記事で正式に事情を説明したことで、この騒動は一応収束に向かった。

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3日と言えば浅草寺の節分会で撮影していて、たまたま休憩中に携帯で「週刊朝日が検察に出頭要請を受けた!」という情報を知った。しかし、取材中ということもあり、その後もしばらく忙しかったので、野次馬として騒動をじっくりと眺めることもできず、時おり事実経過を見ながら様子を伺っているという状態だった。

5日の山口コメントまで、ネットでは「祭り」状態と言われるような大騒ぎだったが、実際にはそれほど大騒ぎするほどの事でもなかったというのが実態のようだ。

そもそも、僕が知ったのは当事者である上杉隆が発信した情報だったけども、家に帰ってからネットで確認したところ、最初にこのことをネット上に流したのは有田芳生だった。
そのことを知った段階で、僕的にはかなり引いてしまった。
なぜなら僕は、10年くらい前から、有田芳生なんてジャーナリストだと思ってないし、その発言の信憑性を信じてなかったからだ。
まぁそれは置いておいて、そこに朝日新聞が「週刊朝日編集部に確認しましたが、出頭要請なんてありませんでした」と、中途半端に参加して、「祭り」は興奮と混乱の渦に巻き込まれていった。


当事者の上杉隆は仕方ないとしても、朝日新聞も「出頭要請なんてなかった」と中途半端な情報だけで事実経過を詳しく説明する事もせず、
これまた有田芳生が、朝日新聞の発信した情報に、中途半端な反論して煽っていった。中には、冷静に情報を流したフリーランス・ジャーナリストもいたが、朝日新聞も有田芳生も無責任で、火に油を注ぐが如く「祭り」を煽ったに過ぎない。
そのうちに「出頭定義論」なんてつまらないことでまた盛り上がる。

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そうして結局は、週刊朝日の山口編集長の書いている通りそれほど大きな問題ではなかったようだ。
週刊朝日の記事が事実であるか、検察の反論が事実であるか、そのことはとても大事な事だけど、今回の検察抗議については、これほど「祭り」になるほどの大事じゃなかった。

良いか悪いか別にして、検察や官庁が抗議する際に版元や新聞社を「呼び出す」なんてことは日常茶飯事だ。これを「出頭要請」と言えばその通りだが、大げさな事ではなく、まぁそれだけマスコミ(雑誌を含む)と検察や官庁なんて互いに近くて親しい存在だって事。
有田芳生は、互いの関係をよく知ってるんだから、中途半端な情報を出したり、検察を批判するのなら、のこのこ検察に出向くことが当たり前のマスコミも批判するべきだった。ところが有田芳生は、まったく客観性を欠いた情報まで垂れ流した。確実に祭りを煽ってたのだ。

余談だが、有田芳生がジャーナリストではなく、単なる野次馬だと痛感するのは、第一報段階から「普通、抗議があれば出向くのが社会の常識」などと煽ることに見られる。
有田芳生が本当にジャーナリストなら、「出頭要請」が当たり前の検察を批判するだけでは、無責任だ。有田芳生にはこうした態度は以前から見られ、僕は彼の事をほとんど信用していない。

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さて、それはさておき。今回の一連の「祭り」は、この社会の出来事をとてもわかりやすく表していたと思う。

「祭り」の参加者たちは、老若男女さまざまだったろう。社会経験の少ない若者も多かったと思うが、社会経験が豊富で、社会的地位のある人もたくさんいたはずだ。
しかも、有名ジャーナリストや巨大マスコミまで「祭り」に参加していた。そうしたメジャーな人たちが参加しているからこそ、祭りに参加した一般の人たちも、いつも以上に興奮したはずだ。

僕はこのところ、小沢一郎の一連騒動で、検察やマスコミの対応を批判している。
そうした「小沢騒動」の中で、検察の中で起きている事、国会議員たちの右往左往ぶり、どう見ても冷静さを欠いた大手マスコミの報道……、一般的に「エリート」と思われる人間たちも、今回の「祭り」で大騒ぎをしていた人たちと、実は同じレベルのマインドで動いていたにすぎないはずだ。

だからこそ、検察にも、政治家にも、マスコミにも、噂話にも、同等に「見る目」が必要になる。結局はメディアリテラシーの問題に収束してしまうわけだが、今回の「祭り」は、メディアリテラシーを考える上でも、とても参考になる事例だったと思う。


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