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責任のとり方として、朝青龍の引退は当然

昨日の夜、上野の辺りは雨がやんだので、板橋までスクーターで出かけた。すると、王子の辺りから雪が少しずつ舞い始め、板橋はそれなりの雪が降って来た。

で、今朝、板橋から帰ってくる時、板橋の路地には雪が積もってた。
今さらながら、板橋と上野なんて10キロ程度しか離れてないのに、随分と気候が違うんだなぁと実感。

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寒い中、スクーターで走っている時は、運転に支障がない程度に考え事をして寒さを忘れるようにしている。
スクーターを走り出してすぐ、信号で止まった時に横の車の中に朝青龍の記事が載っていたんで、朝青龍のことを考えて40分の道のりを過ごした。

夜にでもブログで書こうかなぁと思っていたら、夕方に朝青龍が引退する意向を示した。

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朝青龍の引退は「当然」だ。

僕の周囲には「朝青龍は引退する必要がない」などという人もいるが、「朝青龍が好きだから」という気持ちから引退に反対する人は別にして、責任論を持ち出して引退に反対するのは、ちょっと違うと思う。

日本社会はそういう責任のとり方を前提としている社会だ。
日本社会に問題がないなんて、まったく言うつもりはないが、少なくとも「今回の朝青龍には引退するほどの責任はない」なんて社会と、今の日本社会なら、今の日本社会の方がよほどまともだ。

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例えば、こんなケースならどうだろう?


高校野球の夏の甲子園出場をかけて予選を戦っていたある高校の野球部キャプテンが、予選出場中のある日、夜の10時頃に近所の公園で花火などをやって大騒ぎをし、その挙げ句に友人たちと乱闘騒ぎを起こして警察沙汰になった。
乱闘相手の高校生は全治1か月ほどの大怪我を負ったという情報もある。

この事件が発覚当初、騒動を起こした高校生は、学校や高野連に対して「夜中に兄弟喧嘩をして、近所に迷惑をかけてしまった。近所にも謝った。兄弟も仲直りした。反省している」と説明。そのまま予選をキャプテンとして勤め、見事に甲子園出場を決めた。

ところが、この乱闘騒ぎが明るみになり話題になると、今度は「よく覚えてない」と言い出し、その後何日も経ってから、「乱闘相手と示談書を交わした」と報告。それ以上の説明はしない。


このケースなら、下手をすれば高校全体が甲子園出場停止。高校は出場できても、乱闘を起こしたキャプテンは謹慎になり、甲子園に出場する事はないだろう。

あるいは、こんなケースはどうだろう?


さる大学のラグビー部のレギュラー全員が、大学ラグビー選手権の決勝前夜、深夜まで繁華街で酒を飲み、周囲の人間と乱闘騒ぎを起こした。

しかし、選手たちも大学も、このこと徹底的に隠蔽し、翌日の決勝戦に出場させ優勝した。

この大学ラグビー部は、この数年の間に、集団婦女暴行事件、集団大麻事件などを繰り返し、昨年ようやく、大学ラグビーの公式戦に復帰したばかりだった。
選手の問題、大学の対応、どちらに対しても批判が集中している。


このケースだと、大学選手権の優勝は取り消され、社会人と戦うことになる日本選手権の出場も認められなくなるだろう。

例え話を挙げればキリがない。

オリンピックやWBCやワールドカップサッカーに出場する日本代表が、大会出場のために海外に行き、試合の前日に酒を飲んで大暴れして、現地の警察が仲裁するほどの騒動を起こす。
その事を所属協会に報告せず、さらに明るみに出たら嘘をついて隠蔽工作をし、最後まで事実について説明をしない。

こんなことになったら、半端な批判じゃ済まないだろうし、責任も重大になるのが当然だ。

そこには、アマチュアもプロもない。日本の国技だろうが、世界的なスポーツだろうが関係ない。品格の有る無しじゃない。

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上に挙げた大学や高校の例は、団体競技だ。団体競技の場合、その選手だけじゃなく、チーム全体で責任を追及される。
僕は、高校の部活で、チームの一人が問題を起こすとチーム全体が連帯責任を負わされるというのは、全面的に肯定するつもりはない。むしろ、批判したい場合が多い。

しかし、今回は個人競技だ。そして、その選手個人は、その競技で最も高い位にあり、最も責任の重い選手だ。
さらに選手だけではなく、そのマネージャー、監督(親方)、そうした「チーム全体」にも問題があるのが明らかだ。

高校生や大学生は、1年間公式戦に出られなければ、下手をすると永遠に出場することはできないかもしれない。人生に大きな影響があるほどの責任を取らされるという事だ。
高校生や大学生でさえ、今回の朝青龍と同じような問題を起こせば、当たり前にように重大な責任を取らされる。そして、それは(議論の余地はあるとしても)けっして全面的におかしいと言えるほど、間違った責任のとり方じゃない。

上に挙げた高校野球や大学ラグビーと、大相撲にはもう一つ共通点がある。
文部科学省が所轄だという事だ。
高校や大学には厳しい処分を容認している大学が、「国技」とも言われる大相撲の、さらにその最も責任の大きな朝青龍に対して、甘っちょろい処分で納得するなんて、そんなことはあっちゃいけない。

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いま、朝青龍の引退会見のダイジェストを見た。
どうやら、事件については詳しい説明をしなかったようだ。
事ここに至っても、騒動の説明、隠蔽疑惑についての説明をする気も見せない。
事件報道について言いたいことはあるが、詳しい説明する気はなく、引退という形で騒動の責任を取るという。

僕は、大相撲にしても高校野球にしても、あるいは一般社会での出来事にしても、「日本的な責任のとり方」について、問題がないとはいわない。
ただし、今回の朝青龍については、まったく同情の余地はないし、引退が当然であり、むしろ、これほどの問題を起こしても退職金や慰労金がでる「引退」は甘く、「除名」「廃業」の処分こそ妥当だったと思ってる。

個人的には、そもそも、朝青龍はあの時点で横綱に精進すべきじゃなかったと考えている。
横綱になったとしても、あの時点ではなく、もっと大相撲の最高位に相応しい人間になってから、横綱にするべきだった。そういう意味で、そもそも横綱審議委員会の「内規」に問題があるし、見直すべきだと思うが、まぁそれはまた別の機会に……


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