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2010年1月

還暦過ぎても感じさせる「現役感」……「唄の市」を観て

大晦日の記事で書き始めて、結局書き終わらなかった「唄の市」のこと。
開催されたのは去年の11月27日だったので、すでに2か月も経っているけども、自分の備忘録としても、書いておきたい。

「唄の市」という音楽イベントについては、前回ザックリと説明した。
ということで、今回はその続き。

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実は大晦日に、泉谷しげるのステージや、漫画家なのに出演していた浦沢直樹、この日唯一の若手「ザ・アウトローズ」などについても書いていたんだけども、細かいことまで書いていたら、誌面がいくらあっても足りないので、改めて加奈崎芳太郎と生田敬太郎についてだけ書いておきたい。

敬太郎さんは、僕が加奈崎さんのスタッフとして仕事をしていた時に、加奈崎さんと同じ事務所の所属として活動をしてもらっていた。だから敬太郎さんのステージやレコーディングも手伝っていたし、加奈崎さんと違って、敬太郎さんはマメに事務所に来ていたんで、帰りはちょくちょく車で送って帰ったり飯を一緒に食べていたんで、いろいろと可愛がってもらった。

そんな生田敬太郎は、いまでは年に数回のステージだけの活動となってしまった。
残念ながら、今回のステージも新曲はなし。昔の曲を強烈なブルーステイストで聞かせてくれた。

第二部での生田敬太郎ステージの直前は泉谷しげるだった。
会場は、やはり泉谷ファンが多い。それに、泉谷しげるのステージングは、観客を散々煽って会場を熱くする。観客の平均年齢がいかに高いとはいえ、あのステージングにはやはり熱くさせられる。そんな熱気のある会場内を、ゴツゴツしたR&Bあるいは骨太で力強さのあるブルースを唄う生田敬太郎の声が響き渡る。会場は聞き入るしかない説得力のある歌声。
あれほど上手かったギターテクが、やや寂れてきた感もあったが、やっぱり上手い人の歌やギターは、ガツンと胸に響いて来る。

僕がスタッフだった頃、加奈崎さんは「敬ちゃんも、もっと新曲作ってステージに出さなくちゃ。駄作でもいいから作り続けないと、駄作すら作れなくなっちゃうぞ」と、よく言っていた。
一時は舌ガンになって舌の半分を切ってしまい、歌も唄いにくそうだったし、絶品だったブルースハープも吹きづらそうだった。しかし今では、歌声もブルースハープも、知らない人は昔通りに聴こえたんじゃないかと思えるほど、回復している。それでも昔と同じとはいかないようで、本人には不満らしい。そのこだわりが、敬太郎さんらしさでもあるのだが……。
お金にならないかもしれないが、これからもぜひ唄い続けてほしいし、できればそのうちに新曲も聴かせてほしい。

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加奈崎芳太郎については、去年の7月に紹介した。

「けじめ」をつけに……〈加奈崎芳太郎のライブ〉その1
http://makoto-craftbox.cocolog-nifty.com/blog/2009/07/post-2947.html
「けじめ」をつけに……〈加奈崎芳太郎のライブ〉その2
http://makoto-craftbox.cocolog-nifty.com/blog/2009/07/post-17db.html

この時に紹介したライブでは、声が今ひとつ出てなかった。否、年齢を考えれば十分出ていたのは間違いないんだけども、数年前に喉を悪くしてから、昔のような声は出なくなったと聞いていたので、この程度で仕方ないかなぁと思っていた。ところが今回の「唄の市」では、とても60歳とは思えないほど声も出ていた。もちろん相変わらず歌のうまさは絶品だった。

「ちどり足」「ポスターカラー」「ごろ寝」「何とかなれ」とエレック時代・古井戸時代の曲や、この10年で加奈崎自身が気にいっていて、今回のイベントの雰囲気に合った「OLD50」「さらば東京」などを聴かせてくれた。

加奈崎芳太郎の前のステージは、元「ピピ&コット」のケメだった。70年代の唄の市でケメはアイドル的存在で、すっかり普通のオッサン風貌になった今も、どこか憎めない可愛げのあるおじさんのステージに、会場は和やかな雰囲気に包まれていた。きっと30年前には20代だったろう女性たちから「ケメ〜っ!」なんて黄色い声援も飛んでいた。
ところが、生田敬太郎が泉谷しげるで温まった会場を骨太の歌で静まらせたように、加奈崎芳太郎がステージに立つと、ガラッと雰囲気が変わる。
「カナヤーン!」「加奈崎〜っ!」という声援は、女性ではなくオッサンたちの声だ(笑)。

加奈崎芳太郎は、その曲を聴いてもらえばわかるけど、けっしてフォーク調の曲が中心のミュージシャンではない。その中で、古井戸時代の曲以外に選んだ「OLD50」「さらば東京」の2曲は、フォーク調というかスローテンポな曲で、加奈崎芳太郎をよく知らない人が聞けば、いかにも「元フォークミュージシャン」的な歌だ。
それでも、やっぱり今回のメインミュージシャンの中では、圧倒的に「現役感」を感じさせてくれた。

僕は泉谷しげるのステージも好きだし、これまで何度もライブを見ている。ただ、最近はわざとなのか無意識なのか、「元気な懐かしフォークミュージシャン」的な匂いをさせているのがちょっと残念に思ってる。まぁ、それはけっして悪い事じゃないんだけど、ただそこは、忌野清志郎やチャボ、そして加奈崎芳太郎に感じるものとは少し違う。
今回のステージではサポート役ばかりだったけど、やっぱりcharとか藤沼伸一とかも「現役感」を感じさせてくれるミュージシャンだ。そういう意味では、「唄の市」という「懐かしイベント」の中では、加奈崎さんは少し場違いになっていたのかもしれない。

本人も今さらメジャーな音楽シーンに売り込む気もないだろうが、今回は声もめちゃめちゃ出ていて、「ボーカリスト」としての価値は、けっしてメジャーシーンにいても不思議じゃない。やっぱりもう少し再評価されないといけない人だと、改めて感じるステージだった。

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最後は、泉谷しげるが中心となって出演者全員がステージに上がり、泉谷しげるの「野性のバラッド」を熱唱。会場は九段会館。普段は左右の思想団体や政治団体が講演会をするようなステージだが、いい歳をした観客のオッサン、オバサンたちと、数少ない若者たちが一緒になって、縦乗りでジャンプしまくる(笑)。

で、イベント終了後、加奈崎さんや敬太郎さんの機材を片付けたり、打ち上げ会場に荷物を運んだり、何となく元スタッフとして働いたフリをしておいて、ちゃっかりと、出演したミュージシャンの皆さんたちの写真を撮らせてもらった。

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僕は有名人に会っても、サインをもらうことなんて滅多にない。だけど、今回は、何せ出演者の平均年齢が高いから「最後の唄の市になるかも」ってことで、ポスターに写真が載っているミュージシャンの皆さんから、図々しくもサインをちょうだいした(ちょっと見づらいかな?)。

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サインをしながらのcharさん曰く「お、全員のサインか。10年後には……100円くらいで売れるかもな」。
さりげなく「MR.makoto」と入れてくれたりして、charさん、相変わらずカッコいい。

加奈崎さんと敬太郎さんには二次会以降も誘っていただいたけど、僕なんかがこれ以上華やかな皆さんの中に入るのもおこがましいので、荷物だけ運んで帰らせてもらった。

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ということで、2か月も前に開かれた「唄の市」の備忘録だった。

今年に入り2週間ほど前に、加奈崎さんと電話で話をした。僕から新年の挨拶と、「唄の市」の感想、そして簡単な近況報告。
すると加奈崎さんからは、近いうちに清志郎さんの追悼本がまた出るらしく、原稿執筆依頼が来たと聞いた。
「まだ、『ぼくの好きなキヨシロー』も、全部は読めてないんです。清志郎さんのこと書いた記事読んでると泣けてくるんで……。また追悼本が出ると、泣かされちゃうっす」と言ったら、
「馬鹿者め。一生泣いてろ」と言われてしまった。

余談だが、『ぼくの好きなキヨシロー』は、加奈崎芳太郎と泉谷しげるの共著で、昨年秋に出版された忌野清志郎追悼本だ。
デビュー間もない、忌野清志郎、加奈崎芳太郎、泉谷しげる、チャボたちしか知らないようなエピソードから、ちょうど僕がスタッフとして手伝っている頃のことまで書かれていて、僕自身がこの本の中に描かれているシーンの中に存在していた(もちろん本に登場はしてません)と思うと、どうしても泣けてくる。

この数カ月で清志郎追悼本はたくさん出たけども、一人の人間として活き活きとした忌野清志郎の姿を描いているという点では、同作は秀逸だ。

もし忌野清志郎に興味がある人は、ぜひ読んでほしい。

ぼくの好きなキヨシローBookぼくの好きなキヨシロー

著者:泉谷 しげる,加奈崎 芳太郎
販売元:WAVE出版
Amazon.co.jpで詳細を確認する

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加奈崎さんはこの数年、「OLD50」という曲が気に入っている。たしかに哀愁のあるいい曲だ。でも、まだまだ加奈崎さんは「年をとった」と叫んでばかりいさせたくない「現役感」がある。
その一方で、僕は、加奈崎さんに、清志郎さんとは関係なく自分自身の事を文字にしてまとめてほしいと頼んである。

一人の人間としての加奈崎さんには、元舎弟の立場から「人生を翻ってまとめてほしい」と言いながら、ミュージシャンである加奈崎芳太郎には、一ファンとして「オッサン臭い事言ってないで、もっとガンガンやりましょう」と期待をかけている僕がいる。
矛盾しているかもしれないけども、それが僕の加奈崎芳太郎への思いだ。

まだ加奈崎さん自身は、自分の事を文字にまとめる気になっていないが、折を見ながらケツを叩いていきたい(師匠のケツを叩くなんて失礼か……[笑])。


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これで「説明責任」? 新聞社の見苦しい「言い訳」

前回の記事を書いた翌日、仕事でトラブルがあってパソコンの前からほどんど離れられず、ひたすらトラブル対応のために時間を費やしてしまった。

実は、まだ仕事のトラブル対応が終わっていないが、今日はプライベートで用事あったので、その合間に先週の続きを書いた。

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北海道新聞の高田昌幸氏が、自身のブログでこんな記事を書いた。

ニュースの現場で考えること
「リーク批判」に対する新聞の「言い分」

産経新聞と読売新聞が、「検査リークの垂れ流し」と言われている新聞各社への批判に対する反論記事を書いているのだが、それを紹介し、そのお粗末さを取り上げている。

高田氏の記事に追随する形になるが、僕も、読売新聞と産経新聞の記事を批判したい。
その前に、今回の「検察リーク」に関しては、高田氏の他にも新聞社側から疑問の声が上がっている。

東京新聞 2010年1月18日
「私説・論説室から 『小沢疑惑報道』の読み方」

また、小沢一郎と政敵である自民党の衆議院議員・河野太郎も、「検察リーク」とマスコミの在り方について疑問を呈している。

河野太郎ブログごまめの歯ぎしり
副大臣がやり残したこと

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さて、高田氏のブログで、読売新聞と産経新聞の記事を一部引用しているが、全文を読みたいので、さっそく各販売店に行って全文を手に入れた(何故か、この記事は読売と産経のweb版では公開していない)。

産経新聞 2010年1月21日「社会部発 リークの根拠とは」

読売新聞 2010年1月23日「とれんど 『関係者』報道」

この2つの記事だ。

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産経新聞(近藤豊和氏・社会部長)は、地検特捜部から取材した過去の体験談を語り、いかに取材しているかと苦労話を書いて、
「事件の内容や逮捕日などを『さあどうぞ』と教えてくれる人などは誰もいない」
と、検察リーク垂れ流しの「疑惑」を否定し、最後に
「『検察のリーク』『検察からの情報による報道の世論誘導』…。こうした指摘の根拠を知りたい。」
と締めている。

読売新聞(藤田和之氏・論説委員)は、
「『関係者』の話に基づく事件報道について、閣僚から発言が相次いでいる。だが、閣僚は評論家ではない」
と、原口総務相に対して抗議する形で切り出している。さらに続けて、
「記者は、多数の『関係者』の話を積み重ね、集めた膨大な資料とも突き合わせて、『間違いない』と確信できる内容を報じる」
と言い訳をして、
「政治家も、記者と同じ取材を1週間やってみればよい。その上で『検察リークを確認した』と言うなら、その言葉に耳を傾けよう」
と締めている。

もう一つあげておくと、毎日新聞の元論説委員長で現在は特別編集委員となっている岸井成格氏も、数週間前のテレビ朝日「サンデープロジェクト」の番組中に、「記者は苦労して丁寧に取材し報道しているので、検察リークを垂れ流している事なんてない」と否定していた。

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しかし、これら新聞社からの反論は、チャンチャラおかしい。まったくもって反論になってない。

産経新聞の社会部長、読売新聞の論説委員、毎日新聞の元論説委員長、いずれも各社の代表として十分の肩書きを持つ。
しかし、その立派な肩書きが悲しくなるほど、情けない「言い訳」しかしていない。「反論」ではなく「言い訳」だ。

僕は、前回の記事で「新聞から出てくる情報は、検察のリークとしか思えない情報ばかりだ」と書いた。そして、それは僕だけではなく、多くの人間が感じている疑問点だ。同様の疑問を投げかけているブログは数限りない。

さらに、東京新聞は論説委員が「当局が記者にリークしたのではないか」と疑問を呈し、北海道新聞の記者は個人のブログで「広い意味でのリークが日常的に行われていることは自明の理だ」と書く。二人とも、新聞記者という立場から「検察リーク」が存在している事を認めている。
また、検察を監督する立場にある法務省側からも、河野太郎が「元法務副大臣」という立場での経験から、「検察リーク」とマスコミの在り方について批判をしている。

多くの市民が疑問を感じ、新聞内部から存在を暴かれ、法務省側にいた人間からも批判される。

これでももし、新聞各社が「検察リークなどない」というなら、もっと説得力のある反論をすべきだ。

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読売新聞も産経新聞も、ともに苦労話を書いている。「こんなに苦労して取材をし、自分たちが正しいと思った情報を記事にしている。だから、リークなんてないんですよ。疑惑っていうなら、その根拠や証拠を示してよ」と言う。

おいおい、産経新聞も読売新聞も、小沢一郎に対して証拠も示さず「丁寧な取材」という名の「疑惑」だけで「説明責任を果たしていない」「更なる説明を」と追及しているんじゃないのか?

読売新聞 2010年1月24日 社説
小沢氏聴取 全面否定でもなお疑問は残る

産経新聞 2010年1月24日 主張
小沢幹事長聴取 異常事態の責任は重大

どちらの記事も、疑惑についての推論や、自ら取材したからということを根拠に、「記者会見の説明では、まだまだ不十分だから、もっと説明しろ」と主張している。
しかし、前回も書いたが、「説明しろ」というなら、もっと具体的な証拠を出して説明を求めるべきだろう。

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現在、今の新聞メディアが小沢一郎に「説明責任を果たせ」という資格があるかどうか、それが問われている。

産経新聞は「検察リークという根拠を示せ」と書いているが、内部からの発言があるのだから、それ以上の根拠も何もない。
こんだけ「疑惑」があるんだから、普段の新聞社の論調で言えば「マスコミこそ、その説明責任を果たすのが義務である」ってことになるだろう。「社会的責任の重大な言論機関として、自ら検察リークがないことを証明する説明責任がある」と言われたら、どう反論するんだろうか?

読売新聞の論説委員に至っては「だったら、お前らも記者をやってみろよ。やってみて『リークあるよ』というなら、耳を傾けるよ」と開き直る。
「新聞記者やってから文句言えよ」っていうのが、読売新聞という世界最大手新聞社の論説委員の発言かと思うと、お粗末極まりない。読んでいるこっちが情けなくなる。
その職業を体験し、そこで証拠を握らないと批判できないなら、あるいは疑問を投げかけることができないなら、ジャーナリズムなんて存在できない。そんな自己矛盾したことを、どうして言えるのか教えてほしい(しかも公称1000万部を誇る媒体の2面という場所で……)。

読売新聞や産経新聞の見苦しい「言い訳」、さらに毎日新聞の岸井氏の主張を含め、これで「説明責任を果たした」というなら、今後、各新聞社が主張することの説得力なんて、まったくないに等しい。

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改めて書くが、僕は小沢一郎なんてまったく信用していないし、小沢一郎に疑惑があるなら、それを取り扱うマスメディアやジャーナリストたちは、きちんと追及すべきだと思っている。
しかし、「疑惑があるよ!」「もっと説明してよ!」と繰り返すだけでは、マスメディアやジャーナリストの役割を果たしていないと言いたいのだ。

これも前回も書いたように、このブログでマスコミ批判をする事は、これまでできるだけ控えてきた。
僕自身が、マスコミの端くれにいるのに、そういう批判をしても建設的じゃないと思っていたからだ。もし外に向かって批判するなら、内側から何らかのアクションをしていきたいと思っていたし、これまで微力ながら、自分なりのスタンスで活動してきた。
しかし、本当に今の大手マスメディア、とくに新聞報道とテレビ報道はお粗末過ぎる。

そんな思いから、官庁の記者会見と記者クラブ開放の運動に、参加・協力してみる事にした。
今後、お伝えできることがあれば、改めてこのブログでも伝えていきたいと思う。


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大手新聞社は「説明責任」などといえる立場にない

僕は、これまでこのブログで、個々に批判すべきと判断した政治家について批判したことはあるけども、特定の政党を支持したり、あるいは支持政党について応援を促すような事は一切してこなかった。
政権交代(この事実のダイナミズムには心動かされたけども)が実現したいま、民主党に対しても、それまでの自民党に対してのスタンスと変わらない。

だから、僕は小沢一郎という政治家をかばうつもりは全くない。
むしろ、小沢一郎は、僕が批判してきた政治家の一人だ。
僕が初めて政治家の事を批判した記事を書いたのは、いまから20年近く前、まだ小沢一郎が自民党にいた時代、「金竹小の描く、改憲した日本国家像」という、小さなメディアで書いた記事だった。「金竹小(こんちくしょう)」というのは、金丸信・竹下登・小沢一郎の事で、当時自民党を牛耳っていたのは、この3人の政治家だった。

それから今に至るまで、小沢一郎は明らかに怪しい政治家だと思ってる。
今回、政治資金規正法に関して言えば、何らかの違反があった事は間違いないんだろう。他にも怪しいそぶりはたくさんある。もしかしたら小沢一郎は、検察と喧嘩するためにわざと怪しいそぶりを見せているんじゃないだろうか?と思えるくらい怪しい。
「小沢一郎を信用できるか」と言われれば、少なくとも僕は信用できない。

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ただし、「怪しい」からというだけで、何の立証もせずに検察権力と新聞マスコミが結託して大騒ぎするのはおかしいと指摘したい。
おかしいというだけじゃなく、そんな検察と新聞マスコミは、小沢一郎以上に信用できない。

とくに、大手新聞社は何をやっているんだろう?

僕は、マスコミの端くれにいる。間違いなく「端くれ」だけども自分がマスコミの中にいる以上、インターネット上で「マスゴミ」などと言われている尻馬に乗って、一緒にマスコミ批判するのは、どうも好きになれなかった。
だけど、最近の大手新聞各社の姿勢は、あまりにも酷い。

小沢一郎の秘書たちが逮捕された事をキッカケに、否、それよりも前からずっと、大手新聞社の論調は、ひたすら「小沢一郎は説明をしろ」と要求する事で一致している。

毎日新聞
2010年1月13日 社説
「小沢氏会見 説明責任の放棄では」
2010年1月17日 社説
「小沢民主党幹事長 説明欠く続投は許さぬ」

読売新聞
2010年01月08日 社説
「地検聴取要請 小沢氏は事実を明らかにせよ」
2010年1月17日 社説
「小沢幹事長発言 検察批判の前に説明を尽くせ」

朝日新聞
2010年1月13日 社説
「小沢氏会見—実力幹事長の説明責任」
2010年1月17日 社説
「小沢幹事長続投—首相も党も一丸の異様」

日経新聞
2010年01月14日 社説
「いつになれば小沢氏は説明をするのか」
2010年1月17日 社説
「小沢幹事長続投で理解を得られるのか」

上にあげた社説を読んでも、いったい何を説明してほしいと言いたいのかサッパリわからない。

小沢一郎は「検察がいうような『疑惑』はないと信じている」と言う。「こんな噂がありますけど、事実ですか?」と聞かれて「そんな事実はないと思うよ」と答えたという事だ。
それでも新聞社は、疑惑の具体的な証拠などを見せるわけでもなく、「自らもっと説明してよ。噂をはらしてよ」と要求する。たしかに、僕も小沢一郎は、もっと丁寧に事情を説明した方が、民主党にとっても小沢一郎にとっても、良い方向に進むんじゃないだろうかと思う。
しかし「噂を信じて質問すること」だけを繰り返すのが新聞社のすべき「報道」ではないだろう。

「疑惑をはらせ」「実態を明らかにしろ」っていうが、その疑惑や実態(?)がどんなものであるかを、まず新聞社こそが証拠を見つけてきて、それを権力者である小沢一郎に突きつけるのが、新聞ジャーナリズムのやるべき事ではないだろうか?

この1年、西松建設疑惑が出てきてからずっと、マスコミの大きなスクープがあっただろうか? 僕も全部のメディアをチェックしているわけではないので見逃していることもあるかもしれないが、大手新聞社のスクープによって、小沢一郎と民主党の命運が大きく変わったという認識は全くない。そして、そういう事実は探せていない。

「小沢一郎が用意したという4億円は、いったいどこから来たのか? それを説明しろ」と声高に叫ぶ暇があったら、「4億円は●●建設からの裏献金であったという証拠を発見」というスクープを拾う事にエネルギーを費やすべきだ。

世界的にも巨大メディア企業である大手新聞社の、何十年も培ったノウハウとアンテナを駆使し、この一年間、スクープを探す事に全力を挙げてきたのだろう。しかし、そのスクープが出てこない。
新聞から出てくる情報は、検察のリークとしか思えない情報ばかりだ。
「●●容疑者が〜〜と証言したことが、弁護士を通じて明らかに」
「◆◆建設の関係者が、検察に〜〜と証言した模様」
こんな情報ばかりが氾濫しているが、新聞社独自の情報はどこにもない。

僕には、大手新聞社が「疑惑をはらせ!」と連呼し続けてる姿が、頭の悪そうな犬がキャンキャンとうるさく吠えているようにしか見えない。

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大手新聞社は、「押し紙」という「偽装」を行っている。
実際の販売部数に対して、発行部数を上乗せしているわけだ。もちろん、どんな紙媒体のメディアも多少の余剰はある。「予備」があるため、発行部数と販売実数と違うのは仕方ない。しかし、新聞の「押し紙」は、2割〜3割が実態だという。

このことは、例えば、発行部数を根拠に料金を釣り上げている広告料金について考えれば、詐欺に近い行為だ。「500万部発行」という謳い文句で広告の営業をしているのに、実態は350万部だとしたら、実態を1.5倍も大きく見せていることになる。しかも、その「予備」は、販売店に押し付けて買い取らせているために、新聞社は予備を2割増だろうが3割増だろうが、売り上げとしては発行部数分を売り上げている事になるので、新聞社は損しない仕組みだ。

こうした新聞社の「偽装」を追求している一人が、出版ネッツで一緒に活動している黒薮哲哉さんだ。

詳しくは、黒藪さんのホームページで読んでほしい。
新聞販売黒書
http://www.kokusyo.jp/
新聞の「押し紙」&紙面広告と折込チラシの水増し
http://ameblo.jp/libronegro/

下の動画では、「押し紙」問題を取り上げている黒藪さんの様子を見ることができる。


黒藪さん以外にもいくつかのマスコミが追及している。しかし、如何せん、新聞社とテレビマスコミ、新聞社系列の大手雑誌など、新聞社の息のかかった大手メディアは、「押し紙疑惑」を一切報じない。
だからあまり一般的には知られていないが、新聞に関連した仕事をしている人間で、「押し紙」の存在を知らない人なんて皆無と言っていいくらいの問題だ。

それら新聞社の「偽装問題」「疑惑」に対して、多くの「証拠」が明示されている。
しかし大手新聞社は、追及しているジャーナリストにも、一般読者に対しても、広告主に対しても、説明をまったくしていない。当然ながら「説明責任」を果たしていない。

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ところが、大手新聞社はいま、何の証拠も見せずに、小沢一郎には「説明責任を果たせ」という。

証拠を見せて「この証拠について説明しろ」というなら理解できる。しかし、何一つ証拠を示さずに「疑惑を説明しろ」という。

自分たちは、証拠を見せられても「裁判中だから」「調査を把握していない」としかいわず、「疑惑」については何ら説明しないというのに、小沢一郎には「噂があるから説明しろ」「検察が捜査しているから説明しろ」という。

新聞社は、いったいいつから検察の御用広報機関になったんだろうか?

昔の新聞社は、政治家の「疑惑」に対してこぞって特ダネを探し、特ダネの応酬でスクープ合戦を繰り返し、それよって読者を獲得していった。
リクルート事件などは、その最たるものだった。朝日新聞の支局が川崎の小さなスクープを拾ってきた事から、いま以上に政界を揺るがす大疑獄事件と発展させていった。検察よりも、各新聞社や雑誌社がスクープを連発し、世論を形成し、政治家たちを追いつめていった。スクープ合戦による弊害も少なくなかったが、少なくとも当時のマスコミは「検察よりも先に、自ら事実解明をしたい」という情熱をもって報道を続けていた。

しかし、最近の新聞社は、スクープで新聞読者を増やす事はせず、疑惑の「押し紙」で発行部数でごまかしている。

大手新聞の各社は、「小沢幹事長は説明責任を果たせ!」などと偉そうにいう前に、
「新聞社は襟を正し、自ら事実を追及し解明をせよ」
と、僕は言いたい。


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今、求められる校正者……シンポジウム告知

出版フリーランサーの団体「出版ネッツ」で、1月25日にイベントがあるので、お知らせします。

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シンポジウム「今、求められる校正者」

今、DTP時代の今、校正者に求められるスキルは?
校正者が良い仕事をするため、版元にできることは?
良い出版物をつくるために、両者がいかに協力していくか——

【日 時】2010年1月25日(月)18:30〜21:00
【場 所】文京シビックセンター4階 会議室B
     〒112-8555 東京都文京区春日1丁目16番21号
     →文京シビックセンター・案内図は、ここをクリック←

【パネラー】
   大槻道夫さん(講談社 校閲局校閲第三部部次長)
   新村 恭さん(岩波書店 校正部)
   俵谷晋三さん(角川学芸出版 第2編集部)
【コーディネーター】
   若藤えい子さん(講談社出版サービスセンター 第一校閲部)

【参加費】500円 ※出版労連組合員は無料

【主 催】出版ネッツ関東支部
     →公式の告知ページはここをクリック←

    ※参加者多数の場合、椅子をご用意できないことがあります。
     できるだけ早めにお越しいただければ幸いです。

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画面をクリックすると、PDFファイルが開きます。
必要な方は印刷してください。

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本音を言うと「今、求められる校正者」よりも、「今、求められるフリーランサー」「今、求められる出版クリエーター」というテーマの方がありがたいが、それはさておき……。出版ネッツではこうした地道な学習会や講演会の活動も行っています。とくに今回は、校正部会ががんばって企画しているので、興味のある人はぜひどうぞ。

「日本校正者クラブ」からも参加者があると思うので、校正スキルについて興味ある人も、勉強になると思います。

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待乳山聖天の「大根まつり」


年末に途中まで書いた「唄の市」の続きを書きたいけども、ちょいと時間がないので、お先に1月7日に、浅草の待乳山聖天(まつちやましょうでん)で行われた「大根まつり」の様子を少しだけ。

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いつものように、「浅草の風」にもっとたくさんの画像を投稿しているので、もしよければそちらもどうぞ。

「浅草の風」浅草待乳山聖天の大根まつりの様子(その1)
「浅草の風」浅草待乳山聖天の大根まつりの様子(その2)
「浅草の風」浅草待乳山聖天の大根まつりの様子(その3)

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最近、浅草を紹介する時にこんなかんじばかりなので、今日は別の画像をもう一つ。

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この浮世絵は、歌川広重の「東都名所尽隅田川八景」より「真乳山晴嵐」。
三谷堀から向島に向かって俯瞰して南(江戸湾方面)を見た構図になっている。手前の橋が今戸橋。川はもちろん大川(隅田川)。右手の山が待乳山で、待乳山聖天が木立の合間からのぞいている。

三谷堀についても書きたい事は沢山ある。僕は、三谷堀を復活させて運河を作り直し、そこに舟を通すように運動したいと思っているんだけど、忙しいとばかり言い訳して未だに実現していない。舟といっても、屋形船ほど大きくなくて、落語「船徳」に出てくるような船頭が竿と使う手漕ぎの舟だ。以前、浅草観連や浅草商連の人からも、同じような考えを聞いたこともあるし、そう願っている人も多いはず。

待乳山聖天に行きその裏にある三谷堀公園を見る度に、その事を思い続けているけども、まぁいつものように、この話はまた別の機会に……。


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今年もダラダラと一年が始まる


新年明けましておめでとうございます。

昨年は、個人的には本当にいろいろある年でした。
今年も日本の経済状況や出版業界の状況を見るととても厳しい年になりそうですが、とにかく平和に、そして明るく楽しんで過ごしていきたいと思っています。

まずは、子どもたち2人の受験が目の前に迫っています。受験がどんな結果になろうとも、2人にとっての新しいスタートが素晴らしい未来に向かう事を、親としてサポートしてあげたいと考えています。

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さて、大晦日は、このブログでも書いたように、カウントダウンイベントを見に渋谷のO-eastに行った。

目的のソウル・フラワー・ユニオンのライブは、およそ1時間の中に新曲と人気のある曲を織り交ぜて、とてもいいライブだった。ソウル・フラワー・ユニオンをよくご存知のない方は、この記事末に動画を貼付けておきますんで、どんな曲で盛り上がっていたか、聴いてみてください。

加奈崎芳太郎も、忌野清志郎も、ヒカシューの巻上公一も、ミスチルの桜井和寿も、そしてソウルフラワーの中川敬もそうだけど、僕が好きなシンガーは、やっぱり歌が上手くて色気がある。彼らがシャウトするだけで、僕は歌の世界に酔わされることがある。それは、色気があって上手い歌舞伎役者が見得を切るだけで、見ている者をブルっと身震いさせるのと同じで、とても幸せな気分にさせてくれる。

そんなソウルフラワーのライブが終わり、一度ホールの外の窓際に行って、気になっていた格闘技「ダイナマイト」の吉田秀彦VS石井慧の試合を携帯電話で確認。試合を見終わった時には、10時45分くらいだった。

最近の僕の悪いクセだが、芝居でもライブでも、ちゃんと予習をしたり公演内容を確認したりしないので、この日もてっきりソウルフラワーがカウントダウンをするのかと思いきや、渋さ知らズ!がカウントダウンのステージを勤めることになっていた。
まぁ、渋さも嫌いではないけども、せっかくソウルフラワーの素晴らしい音楽で一年を締めくくれるのに、渋さで締めくくるのも「何だかなぁ」という感じだし、これからあと1時間も待ってるっていうのも嫌だったので、会場を後にして帰ることにした。

途中で旨いものでも食べて帰ろうと、地下鉄を上野広小路で降りた。ところが、上野駅の周辺ならいざしらず、広小路辺りはいつも以上に静かで人影も少ない。アメ横辺りに至っては、店はどこも開いていない。
そうこうしているうちに、寛永寺の鐘なのか、除夜の鐘が聴こえてきた。

こうして、人気がなくネオンすらなく静まり返っているアメ横で──人気がないといっても、アメ横に連なる店の軒下には、これまた段ボールハウスがぎっしり連なっていて、この中で静かに年越しを迎えた野宿のおじさんたちが何十人もいるわけだが──、僕は2010年という年を迎えた。

結局、数少ない営業中の店の中からはとくに食べたいものも見つからず、上野の松屋で新年最初の食事を済ませ、そのまま帰り際に下谷神社へ立ち寄ろうと思い向かった。

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下谷神社に着いたのは0時40分くらいだったと思うが、およそ100人ほどの人たちが列を作っていた。カメラを取りに帰るのも面倒だったので、携帯電話のカメラで撮ったが、やはりろくに撮れてなかった。

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実は、僕は10年前からきちんと参拝した事がない。ちょうど10年前、1月3日に浅草寺で初詣のお参りをし、おみくじで大吉(浅草寺で大吉が出る事は珍しい)を引いた翌日、人生にとって最悪の日を迎えた。それ以降、どの神社にいっても境内に入る際に会釈をする程度で、お賽銭を入れて願い事をするような参拝はただの一度もない。もちろん、季節の催しもので参詣したり、縁日で縁起物を買ったりはするし、そもそも下谷神社のお祭りでは行事そのものに参加をしているんだけども……。

まぁそんな罰当たりな僕ではあるが、今年は子どもたちの受験が無事に終わる事と、今年こそ、平和で穏やかな1年になるように、10年ぶりに参拝をし、町会の青年部のみなさんが配っていた甘酒をいただいて帰ってきた。

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下谷神社から帰ってから、そのまま朝までテレビを見たりネットを徘徊し、朝になってお雑煮とお節代わりの料理を作り、それを食べた後、昼間はほとんど寝こけ、すっかり暗くなってから起き、テレビやビデオを見ているうちに夜もふけ、昼のうちに浅草の撮影をしようと思っていたのに出来なかったので、夜になってから浅草寺だけ撮りに行き、帰ってきたら元日が終わる直前になっていた。

そんなこんなで、ダラダラと一年が始まった。このブログも、大晦日に引き続き、ダラダラとしたスタートだ。

ということで、みなさん、今年もよろしくお願いします。


風の市

海行かば山行かば踊るかばね


このブログは、僕よりも2周りくらい先輩たちが読んでくれているので、そうした先輩たちに書いておきますと、彼らはみなさんのよく知っている曲を何曲か歌っております。代表的なのが『インターナショナル』です。「起て飢えたる者よ 今ぞ日は近し」「いざ闘わん いざ奮い立て いざ」「嗚呼 インターナショナル我らがもの」の、あの『インターナショナル』です。彼らがこの曲をロックとして歌ったお陰で(?)、インターナショナルを現代の曲と思っている若者もいたりします(笑)。


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