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2009年12月

今年最後のあいさつと「唄の市」


お昼の段階で「今年中にあとどんだけ更新できるか。でも眠い……」と書いたが、やはり眠ってしまった。

もう30分もするとソウルフラワーユニオンが出演するカウントダウンイベントに出かけなくちゃいけないので、その前にもう一つだけ、急いで書いておきたい。

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もう一か月も前になるけども、11月28日に九段会館で「エレック 唄の市 2009」というイベントが開かれた。

1970年代に、日本のインディーズレーベルのパイオニア的存在として、関西フォークを中心とした「URC(アングラ・レコード・クラブ」と、東京のフォークや歌謡曲を寄せ集めた「エレックレコード」という2つのレーベルがあった。これに「ベルウッド」を加えると、3大フォークレーベルになる。

もちろん僕はリアルタイムではほとんど知らないんだけども、岡林信康、高石ともや、高田渡など、メッセージ性の高いファークミュージシャンが集まっていたURCに比べて、エレックは、いま聞いても軟派な曲というか、軽い音楽を前面に出していたんだろうと思う(例えば、笑点から出たアイドル「ずうとるび」も在籍していた)。

そんなエレックは、吉田拓郎をデビューさせ、その後、泉谷しげる、古井戸、海援隊、山崎ハコなんかを輩出していったけども、杜撰な経営が続いて看板ミュージシャンたちが続々と他のレコード会社に移籍し、1976年に倒産した。
で、当時の原盤や映像の権利関係もかなり揉めていたんだが、90年代後半に当時のスタッフたちが音楽業界の中でもかなり力をつけていったという背景もあって、そうした権利関係もかなりクリアになっていき、1998年以降、続々と当時の音源が復刻されていった。そして、そうした中で2004年に、新たなレーベルとして「新生エレック」が立ち上がっていた。

「唄の市」というのは、70年代のエレックが定期的に全国で主催していたイベントの名前で、泉谷しげる、古井戸、ケメ、生田敬太郎(以上「一軍」)などの看板ミュージシャンに、海援隊などの「二軍」が前座を勤めるという構成で、当時はかなり人気のイベントだったらしい。
まぁ今でいえば「フェス」ってことになるんだけど、当時の有名なところでは「中津川フォークジャンボリー」なんてフェスもあったわけで、ある意味で、今よりもよほど「フェスブーム」だったのかもしれない。

エレックが倒産した後の80年頃に、泉谷しげると加奈崎芳太郎が中心となって、RCサクセションなどをゲストに迎えて「復活! 唄の市」を主催しているように、当時エレックレコードの関係者にとってはかなり思い入れの深いイベントだったようだ。僕も、色んな人から熱い気持ちを聞かせてもらっていた。
1998年だったと思うが、エレックレコードの音源がCD化されて復刻されたのをキッカケに、加奈崎芳太郎や海援隊などが中心となって、「フォーク大集合」というイベントが九段会館で開かれた。このとき僕は、スタッフの一人として、当時のエレック関係者の方たちのお手伝いをさせていただいていたが、当然ながらイベント名は「唄の市にしよう」という話も出ていた。ところが、「泉谷もいないし、チャボもいない。ケメはリタイアしているとしても、敬ちゃん(生田敬太郎)と俺に、武田(鉄矢)には悪いけど二軍だった海援隊が出たからって、『唄の市』っていうのは抵抗がある」と、加奈崎芳太郎がハッキリと言ったのを覚えている。まぁ周りの人も同じような考えだったようで、すんなりと「唄の市」は却下された。
もっとも、加奈崎は加奈崎で、2002年から毎年のように地元・諏訪市で「唄の市」を開いている。第一回は忌野清志郎がゲストで、翌年は泉谷しげるがゲストだった。「清志郎さんと二人で唄の市って、言ってる事が違うじゃん(笑)」と心の中で突っ込んではいたが、まぁ僕が加奈崎芳太郎のスタッフだった頃から、「いつかは泉谷もチャボも呼んで、唄の市を復活させたい」と聞いていたし、まぁそれだけ加奈崎芳太郎にとっても思い入れが強いイベントだったということだ。

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時間がないというのに、また前フリが長くなった。
そんな「唄の市」がようやく復活したので、九段会館まで足を運んだ……。

ということで、何とも中途半端だけども、やっぱり時間がないので続きはまた来年書く事にしよう。

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今年ももう数時間。

やっぱり5月にキヨシローが亡くなったことは、今年の最大の出来事だった。
息子の心臓手術など、プライベートでは他にも年末ギリギリまで大きな出来事はあったんだけど、キヨシローが亡くなった事は、他のどんな出来事よりも大きかった。
そして、実は未だに少し引きずっている。

そんな2009年も終わろうとしている。
そういえば、今年は本当に仕事の売り上げが少ない一年だったなぁ。

まぁそんな事も含めて、来年はもっと平和な年になってくれるように願おう。そして自分でも平和に暮らしていけるように勤めたいと思う。

みなさん、いい年を迎えてください。


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羽子板市の写真と、ちょっと近況


ブログの更新どころか、今年中に片付けてしまおうと思っていた仕事がまだまだ終わってない。
ただ、毎年の事だけど、大晦日にはさすがに客から連絡が来る事もないので、正月明けに客が仕事をはじめるまでに残った仕事をすればいいので、まぁ今日くらいはゆっくりしようと思う。

この間、忙しいというよりも、仕事もプライベートも、公的な用事も雑用も、金になる事も金にならない事も、何にも収拾がつかないで、ただ慌ただしかった気がする。
「明日までに締め切りの仕事を絶対に仕上げなくちゃいけない」ということはなかったし、だからと先延ばしに出来ない事が多くて時間に追われながら、何とかこなしてきたという感じ。

まぁ、年内に片付けなくちゃいけない事は、とりあえず何とかこなしたので、今年も何とか無事に終わりそうだ。
無事……、無事なのか……?
よくわからないけど、とりあえず、やっぱり僕は「とりあえず」生きていくのがあっている。

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さて、今日はできるだけこの間の報告をしたいと思って、朝の5時半くらいからパソコンの前に座っているんだけども、この間に溜まっているメールマガジンが600件、ブログの未読RSSが400件、しばらく読んでない掲示板やコミュニティはもう数えきれないほどあって、ちょっと読み始めたら、すでに6時間も経っていた。
まだまだ、そうした未読のものを少し消化した程度だ。

ということで、先にこの間を報告したいので、最初は浅草の羽子板市。
12月17日〜19日に、浅草寺で羽子板市が開かれた。
羽子板市については、去年もう少しくわしく紹介したので、よかったらそちらをどうぞ(去年の記事は→こちらをクリック←)。
今年の写真をいくつか掲載しておくけども、今年は「浅草の風」にたっぷりと投稿したので、もっとたくさんの写真が見たい人は、「浅草の風」歳の市(羽子板市)の記事一覧をどうぞ。

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女の子の振袖姿はやっぱり定番
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「知らざぁ言って聞かせやしょう」で
お馴染み弁天小僧
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今年は羽子板を一つも買わなかったけど、
買うならこれが良かった
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このお兄さんは、
他にも何枚か撮らせてもらったんだけど、
ずっといい顔して仕事してた
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こちらのお父さんもいい顔
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このお父さんも負けずにいい顔
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漫画家のビッグ錠が、似顔絵コーナーで希望者に似顔絵羽子板を描かれていた。あの「庖丁人味平」の原作者。ちょうど漫画を読み始めた頃、少年ジャンプに連載していたあのビッグ錠……って、最近の人は知らないかな。週間でも連載していたけど、月刊ジャンプに長く連載していたと記憶している。後に「美味しん坊」「ザ・シェフ」「味いちもんめ」「Heaven?」などに続くグルメ漫画、料理人漫画の先駆者だった。「写真撮らせていただいていいですか?」と聞いたら、「どうぞどうぞ」と気軽に答えてくれたので、遠慮なくたくさん撮らせてもらった(笑)
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羽子板市と同時に開かれている「歳の市」で、豆を売っていたおばちゃん。「これなら、オヤツにもなるよ」とおばちゃんお薦めの豆を買って帰ったが、本当においしかった
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ということで、まずは近況報告をかねて羽子板市の様子をお届けしたけど、この後、夕方に出かけるまでの数時間のうちに、いくつ記事が書けるかな。
と言いながら、すでに眠くなってきたので、これが最後になるかもしれない……。


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