実は、この夏に子どもが入院しておりましたが、昨日、ようやく退院しました。
家族を除くと、仕事や約束の都合で数人にだけは話をしていましたが、それ以外には口外していなかったので、もしかしたら連絡などが取れずに迷惑をかけたかもしれません。
この場でご報告とお詫びをさせてもらいたいと思います。失礼しました。
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中学3年生になる息子は、生まれた時から心臓に穴が空いていました。「心室中隔欠損症」という病気です。
それほど珍しい病気ではなく、自然に穴が塞がったり、手術をしないでも日常生活にはまったく問題なく成長し、そのまま一生を過ごす人も多い病気です。息子の場合、穴の大きさは致命的な大きさではないものの、場所が悪くて自然に塞がる事がないため、生まれてから今まで、定期的に検診を受けて経過を見ていました。
定期的な検診といっても、1年に1度だけ心臓エコーで様子を見る程度ですし、薬を飲むわけでもなく、トライアスロンのような過激なスポーツや、富士山のような高山への登山以外、運動を含めて普通の子どもたちとまったく変わりない生活を送ることができました。
彼が生まれた頃、たまたま医療関係の大きな団体の仕事をしていたので、当時の日本でもっとも心臓外科の技術が優れていると言われていた3つの病院で、それぞれ診察していただけることになり、総合的な判断として、手術をしないで経過を見ていこうという判断になりました。
実は、僕自身はすぐにでも手術をして、子どもの記憶に残らないうちに完治させてしまおうと思っていました。外科の先生たちは、どの先生の話を聞いても「生後半年〜1年くらいで手術をすれば大丈夫だよ」という趣旨だったからです。ところが当時は、「やはり心臓を止めて開胸手術をする以上、手術に絶対はないし危険性があるので、メスを入れないで済むなら入れない方がいい」という考え方が医療界の趨勢というか、そういう考え方が強くあったようです。いま担当してくれている先生曰く「たしかに当時はそういう流れがあったけど、いまは技術が上がったこともあり、比較的に早く手術してしまう傾向にあるので、もし現在にこの症例の子どもが生まれたら、すぐに手術をしたでしょう」ということです。
何にせよ、最終的に担当していただくことになった当時の病院の内科の先生と相談の結果、手術をしないで経過を見ていこうという話になり、以降、定期的な検診を続けてきました。
途中、僕と母親の離婚で病院を変えたこともありましたが、ほとんど同じ方針でこれまできていました。心臓に空いた穴の大きさが小さいということがあって、多少血の逆流が起きていても日常生活にほとんど支障はなく、そのまま一生問題なく暮らす可能性もありました。
むしろ、たぶん僕以外、本人も母親たちも、このまま一生問題なく暮らしていけると思っていたと思います。僕は少し違っていて、もしどこかで手術をするのだとしたら、ある程度成長して体力のある10代のうちに、さっさと手術をして穴を塞いだ方がいいと思っていました。そうすれば、福祉の助成も受けられるという経済的な理由もあります。漠然と「高校1〜2年生の夏休みくらいかなぁ」と考えていましたが、ただそれでも、お医者さんが認めてくれなければ実現しないわけで、僕も「そろそろ相談しておこうかなぁ」くらいに思っていた程度で、そういう意味では、みんなほとんど緊張感なく15年間を過ごしていたと言えます。
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ところが、今年7月初旬、1年振りの定期検診で血液の逆流に異常が見られ、手術の必要性が出てきました。
必ずしも、絶対にこれ以上悪化するということではなく、今すぐに手術をする必要もないのですが、それでも心臓の穴の影響で大動脈弁に変形が見られているため、時期は別にしていずれは手術をしなければならない可能性が少し高くなった事、「このままなら半年くらいは無事でも、1年後、2年後まで絶対に安心だとは言い切れない」(担当内科医談)という事でした。
息子はちょうど中学3年生で、来年春に受験を控えているため、万が一でも高校受験の直前に悪化した場合の影響を考えると、1年以内に手術をするなら夏休みの今しかないという状況でしたので、本人と先生とよく相談した上で、手術を決断した次第です。
病院側も、息子の受験ということを考慮してくれて、夏休みに入ってすぐにカテーテルによる精密検査をして、結果を見てすぐに手術をし、夏休みが明けて学校が始まるまでに復帰できるよう、かなり段取りをよくスケジュールを組んでくれました。
8月10日、午後2時半頃に手術室に入りました。
予定では7時半くらいには終わると思われていたのですが、9時を過ぎても待合室には何の連絡もなし。手術が始まった頃、大きな大学病院の待合室には、十数組の家族がそれぞれの手術が終わる事を待っていましたが、9時を過ぎた頃には僕と母親だけになっていました。母親の気を紛らわすようにくだらない話を続けていた僕も、さすがに少し心配になりましたが、9時10分くらいに外科の担当医師がようやく顔を見せてくれ、手術前に検査に時間がかかったが無事に終わったと報告をしてくれホッと一安心。
すぐに面会しましたが、体中が管だらけ、まだ口に中にも太い管を入れていたため、弱い麻酔をかけていた状態でした。こちらが声を掛けても一瞬目を開けて反応しただけでしたので、そのまま集中治療室を出ようとしたところ、いろんな管のついている手を必死で動かし「バイバイ」の合図。
これには周りにいた8人ほどの先生や看護士さんも驚き、皆で大笑い。手術後一番心配なのが、脳に関する合併症でした。一度心臓を止め、人工心肺の機械を使って血液を全身に送るため、心臓を閉じて再び通常通りに血液を戻す際、どうしても小さな気泡が血管に入ってしまいます。それが血管を通して、全身に回るわけですが、大きな気泡が脳の重大な場所に入ってしまうと、少なからず脳障害を起こしたり、場合によっては死亡する可能性もあるとのこと。これは、現在の医学では世界中どこでやっても、避けられないことです。そのため、手術後にはそのへんが心配だったのですが、「バイバイ」をしている姿を見て、先生たちも「これなら大きな脳障害もなく、きっと心配も入らないでしょう」との事でした。
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上の写真は、手術翌日の昼過ぎ、まだ十数時間しか経っていない集中治療室の様子で、「写真を撮っていいか」と聞いたらVサインで答えてくれた瞬間です。
夏で汗をかくためにどうしても傷の乾きが遅く、予定よりも数日ほど退院が遅れましたが、術後の経過もきわめて良好で、昨日退院をし、先生たちのお陰で来週の始業式から学校にも通えることになりました。
僕は、これまで息子の事を他人様の前で誉めることはありませんでした。基本的には、これからも他人様の前で誉めるつもりはありません。
ただ、今回ばかりは本当によく頑張ったと思います。
手術をする決断にしても、母親や親族たちが心配したり手術に同意しきれない中で、きっぱりと決断した態度は、手術に積極的だった僕も驚くほどのものでした。
夏休みに予定していた受験勉強の代わりに、塾からたっぷり出された宿題も、何とか昨日までに終えたとのこと。
自分なりに体力を回復させるリハビリのため、感染症の心配から屋外に出られない中、病院内を歩いて体力回復に努めていました。
しかも、この入院の間に、どうやら僕の身長を超したようです。
この夏の彼は、本当によく頑張ったと誉めてやりたいと思います。
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この間、母親と交互に付き添いしたり、塾に代わって勉強を見てやったり、あるいは色んな手続きなどでかなりの時間を子どもに費やすことになりましたが、その間、仕事の関係では迷惑をかけてしまった方々も多かったと思います。中には、ほとんどの取材を終え、これから20ページ分の原稿を書こいて制作段階に入ろうという段階になってバタバタとしてしまい、締め切りを大幅に遅らせてしまって迷惑をかけてしまったものもあります。
何かとフォローをしてくれた仕事仲間には、大変申し訳なかったと思います。
そういうことを含めて、今回の事では、本当に「感謝」という言葉しか浮かびません。
担当してくれた医師や看護士の皆さんはもちろん、本人や僕の事を励ましてくれた皆さんにも、感謝の気持ちでいっぱいです。福祉のありがたみをこれほど感じた事は、今までにはありませんでした。
これから、僕が、そして当人が、どうやって生きていくのか、どうやって感謝の気持ちを返していくのか、それはこれから考えていかなければならない事です。
ただ、今日のところは、ご報告とお詫びと、そして感謝の気持ちだけ表明させていただきたいと思います。
息子が完全に元通りの生活を送るまでにはもう少し時間が必要(心臓の開胸手術は胸骨を折って手術をするため、息子は今でも骨折している状態です)で、まだまだ手間も気持ちも抜くことができませんが、退院ということで僕の気持ちもだいぶ楽になりました。
このブログも、徐々に復活をさせていきたいと思っていますので、これからもよろしくお願いいたします。
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