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2009年8月

熱くて暑くて温かい週末……〈浅草サンバカーニバル〉


ようやく浅草サンバカーニバルの写真が整理できた。
何せいい加減に適当に撮影していたもので、気がついたら1000枚くらい撮影していてその整理だけで時間がかかった。

とりあえず浅草サンバカーニバルの様子については、「浅草の風」に投稿している。
前回の記事でせっかくパレードについて触れたので、「浅草の風」とは少し雰囲気が違う投稿になったが、パレードの各パートごとに分けて紹介している。
良かったら詳しくはそちらをご覧くださいな。

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「浅草の風」は、小さい女の子の画像を自主規制している。
まぁ実際、ビックリするくらいアマチュアカメラマンが集まってきて、大勢の一般観客の前に陣を取り、美しい女性たちのパレード姿を撮影している。
浅草の行事はいつでもアマチュアカメラマンがすごい数集まるが、サンバはその数がまったく違う。ともすれば将棋倒れになって事故になりそうなほど、あちらこちらで押し合いながら口論している中年のカメラマンたちに「命がけですね」と話しかけたら、「僕は浅草で撮影するのはサンバだけだけど、毎年こんな感じだよ」とのこと。「おいおい! いい歳して、いったい毎年何を撮りにきてるんだ!(笑)」と突っ込みたくなるけども、みんな金のかかった良い機材を持っていて、いやはや彼らの熱気はサンバよりの熱い熱い。

で、そんなオッサンたちの喧嘩を横目に、パレードの合間で休憩してたら、気がつくとすぐ隣りにラッキー池田が出番前でスタンバイしていた。

「そういえば、10年くらい前に取材させてもらったなぁ……」と思い出し、どうせ向こうは憶えていないだろうけども、まぁ実は僕の兄貴がいろいろと世話になった人でもあったから、声を掛けようかなぁと思ってたら、出番が来たようでスタッフたちに促されて行ってしまったので、急いでシャッターを押した。

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ということで、「浅草の風」には投稿しない小さなダンサーを、このブログで少しだけ紹介。

小さいダンサーとはいえ、パレードの中ではちゃんとした役割がある。本場ブラジルでも、「アーラ・ダス・クリアンサス」と呼ばれる8歳から12歳までの子供だけの集団で構成されるパートがあり、将来の「パシスタ(女性ダンサー)」を育てる意味でも、チームの中でもとても大切にされているポジションだ。

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そんなこんなで、昼から夕方まで撮影していたんだけども、もともとこの日は別の約束があって、残念ながら最後まで撮影できなかった。

およそ5時間ほどの撮影だったが、今年のサンバカーニバルはとにかく暑い。
水分補給しながら撮影していたつもりでも、やっぱり燦々と照りつける日差しの中で撮影しているのは大変。

今回は「浅草の風」の風さんが体調不良なこともあって協力させてもらうつもりでサンバの撮影をしてきたが、僕よりも大先輩の風さんも、あんな猛暑の中でよく毎年撮影していたなぁと、改めて感心してしまった。
暑い暑いと思っていたら、目の前には「江戸ネット」のあほまろさん。こちらも、当然ながら僕より大先輩。

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中年になったとはいえ、彼らに比べればまだまだ若輩者の僕が、少しくらい暑いからとウダっている場合じゃないと少し反省。

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さて、熱くなった身体をアイスの一気食いでさまして、次の約束へ。
実はこの日は、高校時代の部活のOB会。
僕以外は全員先輩たちばかりの集まりで、この世代が集まる時はいつも僕がお世話係。

顧問の先生は、素行や性格の悪い高校生だった僕にとっては、まぁ「恩師」という人で、いまでもいろいろと連絡を取り合って相談に乗ってもらったりもしている。恩師といっても、まだ50代半ばなので、風さんと同じように先輩って感じかな。

夕方から飲み始めて終電ギリギリまで飲んでいたが、最後にはこの先生が「冷房が寒いんで燗にしよう」ということで、焼酎から熱燗に。僕は、もう十数年前から付き合い程度にしか酒を飲まなくなってしまったんで、熱燗なんて何年振りだろうというくらい久しぶり。

少し冷房の効き過ぎた飲み屋で、温かい熱燗をすすりながら、先輩たちとの久しぶりの再会に交流を深めた夜だった。

ということで、久しぶりに日本酒を飲んだおかげで、昨日の日曜日は一日中だらだらと寝て過ごしてしまい、サンバの写真整理も遅くなってしまったという、言い訳の投稿だったのだ……。


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サンバが夏を〆くくる(『浅草においでよ!』こぼれ話)


今回で29回目となる“浅草サンバカーニバル”は、浅草の夏の最後をしめくくるイベントとして、すっかり定着した感がある。

またも直前になってしまったが、今年も浅草サンバカーニバルが開かれる。

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いつの間にか定着した感じだったが、以前から「なぜ浅草でサンバ?」という思いがあった。
浅草には、三社祭、ほおづき市、隅田川の花火、時代まつり、羽子板市と、一年中イベントが盛り沢山だが、日本文化を感じさせる行事に比べて、サンバだけは明らかに違和感のあるイベントだ。

公式ホームページによると、
「浅草といえば「江戸下町情緒」というイメージがありますが、実は大の新しもの好きなのが浅草ッ子の気質。(中略)そうした背景のなか、昭和30年代後半から40年にかけて、盛り場の中心は、他の地区に移っていきました。このような状況の中で当時の内山台東区長と浅草喜劇俳優の故・伴淳三郎氏が、浅草の新しいイメージをつくるものとして、ブラジルのサンバカーニバルを浅草のお祭りとして取り入れることを提案。これをきっかけに、浅草の商店連合会が主体となるサンバカーニバルが誕生したのです」
とある。

浅草サンバカーニバルは、浅草商連が強力にバックアップしているイベントなので、今年の『浅草においでよ!』で取材させてもらったとき、思い切ってその辺の経緯を聞いてみたいと思った。今年は浅草商連60周年で幹部の方々による座談会が企画されていたので、ちょうど良い機会だった。
誌面では1ページ分くらいにまとめているが、実際の座談会ではその何倍もの話を聞くことができた。150分ほどの座談会の中で、およそ50分近くがサンバカーニバルの誕生秘話。なにせ、ブラジル視察に参加した永野浅草観連会長(当時は浅草商連の事務局員)も座談会のメンバーだったから、誌面では書けないような苦労話を含め、色んな話を聞くことができた。

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サンバカーニバルを作った大きな要因としては、夏休みやお盆休みがある8月、当時の浅草には大きなイベントがなかったため、浅草に人の足を向かせたいという願望が強かったらしい。当時の浅草商連の資料を読むと、「若い人の街 浅草」をキャッチフレーズにするなど、寂れかけた街を何とか活性化したいという思いが感じられる。
当時区長だった内山栄一氏が、伴淳三郎に相談したところ「サンバっていうのは三社祭の熱気に似ている」と提案したらしい。
実際に伴淳三郎から提案があったかどうかは、永野会長も伝聞で聞いておりもう一つハッキリしないのだが、一部ネットで書かれている「兵庫県神戸市がすでに神戸まつりでサンバパレードを行っていたことから、浅草の商店街や観光連盟などが読売新聞社を通じて、神戸まつり関係者にコンタクトを取ってそのアイディアを浅草サンバカーニバルに流用したというのが真相であり、伴淳三郎の話は後づけ」というのは、少し間違っているようだ。
まず、浅草観光連盟は、当時は積極的に動いていない。これは、当時、浅草寺や関連寺社などが浅草にサンバを持ってくる事を嫌がり、浅草観連もそれに同意していたからだ。神戸祭りからヒントを得ていたとしても、神戸祭りのアイデアをそのまま流用するというほど、当時の浅草サンバカーニバルは完成度が高くない(笑)。

まぁそのへんの真偽については、すでに知っている人も少なくなりつつあり、今後どこかで機会があればじっくりと話を聞いてみたいと思う。

とにかく、浅草寺も浅草観連も消極的だった中で、浅草商連が主体となって実行委員会形式で浅草サンバカーニバルは誕生し、紆余曲折を経ながらも、いまでは浅草の夏の風物詩と成長した。

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そうそう。もう一つ、『浅草においでよ!』のこぼれ話があった。

同誌23ページには、サンバカーニバルの記事を入れてある。
今年は別の記事を書くつもりで原稿も用意していたのだが、ちょっとしたトラブルで去年の記事を流用した。

実は、印刷の直前になって、サンバカーニバルの公式ガイドパンフレットに書かれている「パレードの構成」に誤りがあったのだ。
『浅草においでよ!』の去年のサンバの記事は、公式パンフレットのデータをある程度流用させてもらって「パレードの構成」について記事を書かせてもらった。
で、今年の公式ガイドにも「パレードの構成」について去年と同じような解説が載っているのだが、これが去年から間違っていたらしい。けっこう大きな誤りだった(笑)。

そこで、急遽、『浅草においでよ!』の記事は「パレードの構成」にして、間違っている点を修正しようということになった。

どこが修正されているか興味のある人は、下の画像をクリックして確認してみてください。

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ということで、いつも情報が遅くなって申し訳ないが、運良くサンバカーニバルに出かける前にこれを見た人は、ぜひ参考にしてください。

今年のサンバカーニバルの様子については、僕も撮影することになっている。
明日以降、「浅草の風」に掲載するつもりだ。

【イベント名】浅草サンバカーニバル
【日時】2009年8月29日土曜日
【会場】浅草 馬道・雷門通りなど
【公式サイト】http://www.asakusa-samba.jp/


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息子が退院しました


実は、この夏に子どもが入院しておりましたが、昨日、ようやく退院しました。

家族を除くと、仕事や約束の都合で数人にだけは話をしていましたが、それ以外には口外していなかったので、もしかしたら連絡などが取れずに迷惑をかけたかもしれません。

この場でご報告とお詫びをさせてもらいたいと思います。失礼しました。

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中学3年生になる息子は、生まれた時から心臓に穴が空いていました。「心室中隔欠損症」という病気です。
それほど珍しい病気ではなく、自然に穴が塞がったり、手術をしないでも日常生活にはまったく問題なく成長し、そのまま一生を過ごす人も多い病気です。息子の場合、穴の大きさは致命的な大きさではないものの、場所が悪くて自然に塞がる事がないため、生まれてから今まで、定期的に検診を受けて経過を見ていました。

定期的な検診といっても、1年に1度だけ心臓エコーで様子を見る程度ですし、薬を飲むわけでもなく、トライアスロンのような過激なスポーツや、富士山のような高山への登山以外、運動を含めて普通の子どもたちとまったく変わりない生活を送ることができました。

彼が生まれた頃、たまたま医療関係の大きな団体の仕事をしていたので、当時の日本でもっとも心臓外科の技術が優れていると言われていた3つの病院で、それぞれ診察していただけることになり、総合的な判断として、手術をしないで経過を見ていこうという判断になりました。
実は、僕自身はすぐにでも手術をして、子どもの記憶に残らないうちに完治させてしまおうと思っていました。外科の先生たちは、どの先生の話を聞いても「生後半年〜1年くらいで手術をすれば大丈夫だよ」という趣旨だったからです。ところが当時は、「やはり心臓を止めて開胸手術をする以上、手術に絶対はないし危険性があるので、メスを入れないで済むなら入れない方がいい」という考え方が医療界の趨勢というか、そういう考え方が強くあったようです。いま担当してくれている先生曰く「たしかに当時はそういう流れがあったけど、いまは技術が上がったこともあり、比較的に早く手術してしまう傾向にあるので、もし現在にこの症例の子どもが生まれたら、すぐに手術をしたでしょう」ということです。
何にせよ、最終的に担当していただくことになった当時の病院の内科の先生と相談の結果、手術をしないで経過を見ていこうという話になり、以降、定期的な検診を続けてきました。

途中、僕と母親の離婚で病院を変えたこともありましたが、ほとんど同じ方針でこれまできていました。心臓に空いた穴の大きさが小さいということがあって、多少血の逆流が起きていても日常生活にほとんど支障はなく、そのまま一生問題なく暮らす可能性もありました。
むしろ、たぶん僕以外、本人も母親たちも、このまま一生問題なく暮らしていけると思っていたと思います。僕は少し違っていて、もしどこかで手術をするのだとしたら、ある程度成長して体力のある10代のうちに、さっさと手術をして穴を塞いだ方がいいと思っていました。そうすれば、福祉の助成も受けられるという経済的な理由もあります。漠然と「高校1〜2年生の夏休みくらいかなぁ」と考えていましたが、ただそれでも、お医者さんが認めてくれなければ実現しないわけで、僕も「そろそろ相談しておこうかなぁ」くらいに思っていた程度で、そういう意味では、みんなほとんど緊張感なく15年間を過ごしていたと言えます。

*  *  *  *  *  *  *

ところが、今年7月初旬、1年振りの定期検診で血液の逆流に異常が見られ、手術の必要性が出てきました。
必ずしも、絶対にこれ以上悪化するということではなく、今すぐに手術をする必要もないのですが、それでも心臓の穴の影響で大動脈弁に変形が見られているため、時期は別にしていずれは手術をしなければならない可能性が少し高くなった事、「このままなら半年くらいは無事でも、1年後、2年後まで絶対に安心だとは言い切れない」(担当内科医談)という事でした。

息子はちょうど中学3年生で、来年春に受験を控えているため、万が一でも高校受験の直前に悪化した場合の影響を考えると、1年以内に手術をするなら夏休みの今しかないという状況でしたので、本人と先生とよく相談した上で、手術を決断した次第です。

病院側も、息子の受験ということを考慮してくれて、夏休みに入ってすぐにカテーテルによる精密検査をして、結果を見てすぐに手術をし、夏休みが明けて学校が始まるまでに復帰できるよう、かなり段取りをよくスケジュールを組んでくれました。

8月10日、午後2時半頃に手術室に入りました。
予定では7時半くらいには終わると思われていたのですが、9時を過ぎても待合室には何の連絡もなし。手術が始まった頃、大きな大学病院の待合室には、十数組の家族がそれぞれの手術が終わる事を待っていましたが、9時を過ぎた頃には僕と母親だけになっていました。母親の気を紛らわすようにくだらない話を続けていた僕も、さすがに少し心配になりましたが、9時10分くらいに外科の担当医師がようやく顔を見せてくれ、手術前に検査に時間がかかったが無事に終わったと報告をしてくれホッと一安心。

すぐに面会しましたが、体中が管だらけ、まだ口に中にも太い管を入れていたため、弱い麻酔をかけていた状態でした。こちらが声を掛けても一瞬目を開けて反応しただけでしたので、そのまま集中治療室を出ようとしたところ、いろんな管のついている手を必死で動かし「バイバイ」の合図。
これには周りにいた8人ほどの先生や看護士さんも驚き、皆で大笑い。手術後一番心配なのが、脳に関する合併症でした。一度心臓を止め、人工心肺の機械を使って血液を全身に送るため、心臓を閉じて再び通常通りに血液を戻す際、どうしても小さな気泡が血管に入ってしまいます。それが血管を通して、全身に回るわけですが、大きな気泡が脳の重大な場所に入ってしまうと、少なからず脳障害を起こしたり、場合によっては死亡する可能性もあるとのこと。これは、現在の医学では世界中どこでやっても、避けられないことです。そのため、手術後にはそのへんが心配だったのですが、「バイバイ」をしている姿を見て、先生たちも「これなら大きな脳障害もなく、きっと心配も入らないでしょう」との事でした。

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上の写真は、手術翌日の昼過ぎ、まだ十数時間しか経っていない集中治療室の様子で、「写真を撮っていいか」と聞いたらVサインで答えてくれた瞬間です。

夏で汗をかくためにどうしても傷の乾きが遅く、予定よりも数日ほど退院が遅れましたが、術後の経過もきわめて良好で、昨日退院をし、先生たちのお陰で来週の始業式から学校にも通えることになりました。

僕は、これまで息子の事を他人様の前で誉めることはありませんでした。基本的には、これからも他人様の前で誉めるつもりはありません。
ただ、今回ばかりは本当によく頑張ったと思います。

手術をする決断にしても、母親や親族たちが心配したり手術に同意しきれない中で、きっぱりと決断した態度は、手術に積極的だった僕も驚くほどのものでした。
夏休みに予定していた受験勉強の代わりに、塾からたっぷり出された宿題も、何とか昨日までに終えたとのこと。
自分なりに体力を回復させるリハビリのため、感染症の心配から屋外に出られない中、病院内を歩いて体力回復に努めていました。
しかも、この入院の間に、どうやら僕の身長を超したようです。

この夏の彼は、本当によく頑張ったと誉めてやりたいと思います。

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この間、母親と交互に付き添いしたり、塾に代わって勉強を見てやったり、あるいは色んな手続きなどでかなりの時間を子どもに費やすことになりましたが、その間、仕事の関係では迷惑をかけてしまった方々も多かったと思います。中には、ほとんどの取材を終え、これから20ページ分の原稿を書こいて制作段階に入ろうという段階になってバタバタとしてしまい、締め切りを大幅に遅らせてしまって迷惑をかけてしまったものもあります。
何かとフォローをしてくれた仕事仲間には、大変申し訳なかったと思います。

そういうことを含めて、今回の事では、本当に「感謝」という言葉しか浮かびません。

担当してくれた医師や看護士の皆さんはもちろん、本人や僕の事を励ましてくれた皆さんにも、感謝の気持ちでいっぱいです。福祉のありがたみをこれほど感じた事は、今までにはありませんでした。

これから、僕が、そして当人が、どうやって生きていくのか、どうやって感謝の気持ちを返していくのか、それはこれから考えていかなければならない事です。
ただ、今日のところは、ご報告とお詫びと、そして感謝の気持ちだけ表明させていただきたいと思います。

息子が完全に元通りの生活を送るまでにはもう少し時間が必要(心臓の開胸手術は胸骨を折って手術をするため、息子は今でも骨折している状態です)で、まだまだ手間も気持ちも抜くことができませんが、退院ということで僕の気持ちもだいぶ楽になりました。

このブログも、徐々に復活をさせていきたいと思っていますので、これからもよろしくお願いいたします。


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『浅草においでよ!』H21年度版が発行


ということで、今年も何とか『浅草においでよ!』が発行された。

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「浅草においでよ!」平成21年度版

浅草商店連合会発行のフリーマガジン。
今年の企画ページの目次は……

■お笑いコンビ“ダイノジ”インタビュー
  浅草にはボクらの“憧れ”がある

■浅草エンタメ案内
  浅草演芸ホール/東洋館/浅草花月/
  木馬亭/木馬館/浅草公会堂/ほか
  出演者インタビュー:南海キャンディーズ

■浅草商連60周年記念座談会
 これからも、もっと「浅草らしく」

■外国人観光客も読める!
  ◆英語・中国語・韓国語による
   解説ページが新たに登場!
   外国から来た観光客の皆さんも
   楽しめるようになりました。

■ほか
  ◆浅草催事かれんだぁ
  ◆浅草サンバカーニバル

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クリックすると大きな画像になります


企画記事のページのほかに、浅草にある約1300軒の商店の「店名」「電話」「住所」「地図」が載ってて、巻末には浅草の各店舗で使えるお得な「クーポン券」もついてる。

僕は、この企画記事の、構成・取材・文・デザイン・一部撮影を担当。
今年も、明日以降、それぞれの記事についてもう少し詳しく紹介する「取材こぼれ話」をこのブログで書く予定。

浅草の各施設、店舗など、浅草中で無料配布しているので、良かったら手にしてください。


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「浅草演芸祭」が開かれる


あっという間の夏も終わりかけ、いわゆる残暑と呼ばれる季節になってきた。

で、ブログの本格復帰もまだ出来ていないのだが、今週末のイベントのお知らせを……

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明後日21日(金)、浅草公会堂で「浅草演芸祭」というイベントが開かれる。
今回が初開催となるイベントで、すでに来年の春に第2回を行う予定となっており、主催者側としては、今後、定着させていきたいと考えていらしい。

写真は、先月に記者会見が行われた時の様子。
今回のキャスティングに関しては、全体的に上方の芸人さんが多いように見えるが、これは吉本興行が全体をバックアップしているため。
ただし、主催する委員会のメンバーを見ればわかるように、浅草の有名店たちが名を連ね、後援には浅草観連と浅草商連など大きな団体が目立つなど、浅草全体で盛り上げたいという意向も見える。

僕は、個人的に以前から、浅草で「喜劇」「演芸」「コメディ」などの大きなイベントがちゃんと開かれてほしいと思っていた。
今年はなかったが、去年まだ銀座で「大銀座落語祭」が開かれていたが、あれだって本来は、上野と浅草にたくさんの寄席を持つ台東区で開かれるべきで、台東区にはそうした吸引力がまだまだ足りないという現実はあるものの、浅草にしても上野にしても、もう少し「お笑いの街」という意識を持つべきなんじゃないかと思っている。

そういう意味で、とても頑張って成功してほしい試みで、来月開かれる「第2回したまちコメディ映画祭」と同様に、定着してくれることを願っている。

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ということで、お時間のある人はぜひどうぞ。
そういえば、昨日辺りから『浅草においでよ! 平成21年度版』が配布されているはず。それについても、近々お知らせします。

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クリックすると大きな画像になります




【イベント名】浅草演芸祭

【日時】2009年8月21日金曜日

   [1部]12:30〜 [2部]16:30〜

【会場】浅草公会堂

【料金】前売4500円/当日5000円

【出演】中田カウス・ボタン/玉川カルテット/
    博多華丸・大吉/サンドウィッチマン/
    タカアンドトシ/はんにゃ/テツandトモ/
    フットボールアワー/コント山田君と竹田君/
    ビートきよし/浅香光代/なぎら健壱 ほか

【公式サイト】→こちらをクリック←


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烏賀陽さんが裁判で勝利!


なんだかお盆になって、ようやく夏らしい陽気に見舞われている。
こちらは相変わらずゆっくりする暇もなく、スクーターを走らせても汗が出てくるような中を走り回っている。

それでも昨日は、久しぶりに疲れが取れた。
このところ、夜もゆっくり寝られず、だからといって日中に昼寝をする余裕もなく、ずっと疲れが取れない日が続いて、いつも夜寝る前になるとかなり調子が悪かったのだが、昨日は昼寝も出来て夜もしっかりと寝られたため、随分と楽になった。
ちょうどかなり長かった髪もサッパリと短く切ったので、気分も爽快。陽気は厳しいくらいだが、今日は心身とも元気いっぱい。

それにしても、つくづくと無理が利かない年齢になったと実感する次第。

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さて、このブログを休んでいる間に、ちょっと報告をしておくべきことがあったので、遅ればせながらご報告。

これまで何度かお伝えしてきた烏賀陽さんの裁判(オリコンが烏賀陽さんに言いがかりをつけて不当に高額訴訟を起こしていたもの)が実質的に勝利する形で和解した。

詳しく説明する余裕がないので、ぜひ「うがやジャーナル」を読んでください。

この裁判の勝利の意味は、ジャーナリストや表現の自由にとっては大きなもので……というか、そもそもこんな裁判を起こす事が大問題で、勝利する事は当然なわけだが……、少なくとも国民が持つ権利が後退する事がなかった意義というのは、日本の民主主義にとってとても重要なことだった。

ということで、また書ける機会があれば書きたいと思っているが、同じようにジャーナリストたちの正当な活動に対して、裁判を利用して圧力をかけるという悪質な手法が増えている。
今回の勝利は一つの分岐点ではあるが、こういう風潮がなくならない限り、安心は出来ない。

皆さんも、ぜひ注目していてください。



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ちょいと近況報告

このところ個人的に懸案だったことが、昨日ようやく無事に山場を越えました。昨日が一番大きな山でした。

まだまだバタバタとしておりますが、少しホッとしています。
いろいろな方やいろいろな事に感謝したい気持ちなんですが、何よりも、この感謝する気持ちをいつまでも忘れないようにしたいと思っています。

まぁ、そんな近況報告でした。

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それと、毎年恒例の『浅草においでよ!』も、もうしばらくすると発行されます。写真は、まだゲラ段階のもの。
これについては、また改めてご報告します。

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少し休んでます

仕事が忙しいというのもあるのですが、プライベートも忙しく、少しブログの更新を休んでいます。

来月くらいには再開する予定ですが、もう少しお休みします。

もうしばらく、ごあいさつ程度の更新になると思いますが、僕自身は元気でやっておりますです。

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