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何が正しくて何が間違っているのか


先日、田原総一郎がテレビ朝日『朝まで生テレビ』という番組の中で、拉致被害者に関して「生きていない」可能性を言及した発言に対して、拉致被害者の両親が、田原総一郎を相手に1000万円の損害賠償を求める民事訴訟を起こした。

最初に言っておくが、僕はずっと以前、まだ北朝鮮に対する情報が少なかった頃(まだ韓国の情報すら少なかった頃)から、北朝鮮に対して強い疑念を抱いていたし、拉致をされた人がまだ北朝鮮にいるならば、なんとかして帰国してほしいと願っている。とくに横田めぐみさんのご両親は、以前、講演会も聞きに行ったことがあり、拉致家族会の先頭に立ち続けてきたご苦労に対して、とても敬意を払っているつもりだ。

一方、田原総一郎に対してはというと……、これまで発表したいくつかのルポの中になかなか面白い調査報道だと思える本もあると思うし、ジャーナリストとして一定の評価はするものの、例えば森喜朗など、僕が総理大臣としてまったく無能極まりないと思っている政治家に近づき過ぎて、政治ジャーナリストとしてはバランス感覚が麻痺したまま、エキセントリックな発言が多過ぎるために、全体としてはあまり好きな人物ではない。

それから、今回の田原発言と訴訟についての詳しい経緯や事実関係については、ここでは説明しないので、詳しく知りたい人は自分で探してほしい。

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さて、本題だが、今回の訴訟には賛同できない。
(まぁ、僕が賛同しような反対しようが、誰一人として痛くも痒くもないだろうが……)

田原総一郎が「外務省も(横田めぐみさんと有本恵子さんが)生きてないのは分かってる」と断定した事は、舌禍と言われても仕方ないだろう。それについては、本人も同番組をはじめ、別の番組、Podcast、紙媒体などで度々謝罪をしている。本人が認めているし、行過ぎる発言だったのは事実と言っていいんだろう。

だが、まず最初に、政治討論番組で、拉致被害者が亡くなった事を前提に議論をすることは、何の不思議もない。そして、ジャーナリストが、それぞれの持っている情報と信念に基づいて、ある仮説や十分に可能性がある出来事を発表し、そのことを議論する事は、とても健全なことだ。
そこでは、被害者感情なんて二の次、三の次にされることも当たり前。「当たり前」と書くと誤解を受けるかも知れないが、冷静な判断と議論が必要な時に、誰かの感情を慮って大事な議論が出来ないのは本末転倒だ。感情的な部分をまったく無視するというのではなく、冷静な仮説や事実を陳列した上で、人間の抱く感情を踏まえるべきだということだ。

田原総一郎が、拉致被害者の二人が死亡している可能性について、まるで既成事実であるかのように発言し、本人が散々謝罪したあとも、それでも許せないという家族が、金銭を要求する事については、ある程度は仕方のないことだろう。

ただ、放送倫理・番組向上機構(BPO)に申し立て、さらに1000万円という高額訴訟を起こすほどの問題かというと、僕はまったく賛同できない。
なぜなら田原総一郎は、「拉致被害者が死亡している」という見出しの原稿を書いて金を儲けたわけでもなければ、そういう番組を作って放送したわけではないからだ。要するに、これは単なる舌禍騒動であり、事件でもなんでもない。

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僕が、拉致被害者の家族のみなさんに対して気持ちでは応援していると言っても、実際にろくな支援もしていないし、そういう意味では「救う会」にしても「拉致議連」にしても、家族のみなさんたちにとってはとても有り難い存在だろう。彼らの足を引っ張るつもりは毛頭ない。
ただ、どうも「救う会」などが家族会や日本全体の世論をたびたびミスリードしていることが気になって仕方がない。

気になることはいくつかあるが、その一つが、横田めぐみさんの写真が捏造されているとされた騒動だ。
現在も、「救う会」のホームページには、「横田めぐみさんのものとして公表された写真」というページがあり、いまでも疑惑として公表している。

僕は、この問題が表面化してすぐの頃から、「本当に捏造したと言いきれるのだろうか?」と疑問を持った。
なぜなら、テレビでさかんに流されていた「捏造疑惑」は、どれもいい加減な検証しかしていなかったからだ。
そして、すぐに「救う会」のホームページで「捏造疑惑」の中身を確認したのだが、やはり捏造疑惑はいい加減な検証だったと確信した(僕が検証したのは、現在のホームページで[A]とされている写真のみ)。

僕自身も画像修正について知識があるし、何人か画像をいじるプロたちとも話したが、僕が出した結論は「ホームページに出ている情報からは、捏造の可能性について否定も肯定も出来ない。つまり捏造とは言いきれない」だった。
もちろん今でも、捏造の疑惑について「それが捏造と断定できない理由」を一つひとつあげることもできる。

そこで、「救う会」に対して電子メールで「たしかに捏造の可能性は否定しないが、捏造だと断定できる事実は認められない」という旨の連絡をした。もちろん、一つひとつについて反証し、具体的な理屈も説明したし、僕の実績についてもきちんと理解してもらえるプロフィールもつけた。さらに、それでも確証があると言うなら、具体的に質問させてほしいし、もし可能なら捏造を指摘したカメラマンと皆さんの前で会って議論してもいい、とも書いた。
そして「北朝鮮という如何わしい国家に対して強烈な憎悪を抱くのは理解するし同調するが、断定できるほどの証拠もないのに断定して批判するのは、結果として北朝鮮側を同じ手法を使っていることになる。そうした無理な論法は、いずれ日本国民にも伝わり、世論の支持も離れてしまうことになるだろう。何よりも、被害者や家族のみなさんたちを、いい加減な情報でミスリードするのは、明らかに行き過ぎと指摘せざるを得ない(当時、家族のみなさんがテレビ番組に度々出演させられて、救う会の発信した「捏造疑惑」の広報をさせられていた)。“ニセ遺骨騒動”も収まらない中で、こうした捏造疑惑を抱きたくなる気持ちもよく分かるが、冷静な検証をしてほしい」という旨のメッセージを送った。
しかし、このメッセージに返事はなかった。

「救う会」では、未だにホームページ上では捏造疑惑を発表しており、さらに「このホームページを見た専門家から写真[A]についてのご指摘の一部(H16.11.18)」という追加記事では、「めぐみさんの足まわりに白いふちどりがあるのは切り張りの証拠(WEBデザイナー)」などというまたまたいい加減な論拠をあげている。
あくまでも「このホームページを見た」ことが前提とするなら、印画紙に焼かれた写真をスキャニングするにしても、あるいはすでにあるデータ化されたものを使うにしても、webにアップする段階で、何らかの「加工」が施されているはずであり、基本的にはweb上で公開されている写真がどの段階でエッジを立てたのか分からないのに、白フチが入っていることが証拠となる事などあり得ない。公開されている程度の解像度しかないデータを見て検証したところで、「白フチの正体」など突き詰められないにもかかわらず、そんな断言をする人間はまともなプロではないだろう。
残念ながら、他の追加指摘についても、捏造の確証を得られるほどの証拠はあがっていないと断言できる(繰り返すが、もちろん捏造の可能性を否定はしない)。

こうしたやや“飛ばし”気味の発言は、拉致議連の議員などからも度々聞こえてくる。
僕が「救う会」や「拉致議連」から出てくる発言に、今ひとつ信頼できないのは、こうした適当な発言が多いからだ(僕の知人も救う会の活動していたりするので、同調できる部分もあることはあるが……)。

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捏造と断定できる証拠のない状態での決めつけた発言は、何も「救う会」だけではない。

日本政府そのものが、横田めぐみさんの“ニセ遺骨騒動”で、鑑定人が自らが「断定できない」と発言しているDNA鑑定を使って「ニセ遺骨だ!」と断定している。
救う会も、北朝鮮による写真の捏造が事実であると断定している。
田原総一郎は、本当に横田めぐみさんや有本恵子さんが亡くなっているか確証を示さずに断定している。

しかし、どれも科学的根拠は希薄であり、まだ確証にいたるほどの証拠は示されていない。

僕は、田原総一郎が断定的に論じた事で被害者家族を傷つけた事は、確かに過ちだろうと思う。
しかし、いい加減な証拠を持ち出して事実であるかのような発言を繰り返す「救う会」のやり方も、被害者やご家族対して誠実なやり方とは思えない。
日本政府が、“ニセ遺骨騒動”について軌道修正をしていないことも、被害者や家族だけでなく、日本全体を欺く大きな過ちだと思っている。

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今回、拉致被害者のご両親が、田原総一郎に謝罪を要求する気持ちに対しては、僕のような門外漢は何も言う資格がない。
ただ、今回の田原総一郎の舌禍発言の部分がすでに謝罪され修正されている以上、訴訟するだけの価値があるか疑問を抱かざるを得ない。

そもそも、政府内だろうが、マスコミだろうが、一般人の会話だろうが、被害者たちの生存説だけを議論の前提とする必要もないし、もしろ、死亡している可能性に付いても言及して議論をして行く事は、極めて健全な姿だ。

こうした意見は、何も僕のような門外漢だけが語っているわけではない。蓮池透「家族会」元事務局長のように、被害者の側にいる人たちからも、あまりにも一方向しか向いていない北朝鮮問題の議論の流れに対して、疑問を投げかている人もいる。

さらに僕は、田原総一郎を訴えた今回の訴訟問題は、司法制度の不健全な利用方法であり、拉致問題に何らかのタブーを作るため利用されるのではないかと危惧している。ここでも何度か紹介している「武富士・週刊金曜日/三宅訴訟」「オリコン・烏賀陽訴訟」「読売・押し紙問題黒薮訴訟」など、高額訴訟によってまともな報道に対して、言論封殺する動きと同じ流れだ。

間違っているのは、北朝鮮だけではない。
拉致問題がどういう方向に向かって行くべきなのか、「救う会」や「拉致議連」側からの発信だけに左右されず、冷静な議論を進めて行くべき時期は、もうとっくに来ているはずだ。


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