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ハッピー万歳野郎から、大馬鹿者たちへ


昨日は、夕方に昨日の記事をザックリと仕上げて、予約機能という奴で一旦アップしておいて、夜、子どもたちの家に行くことになっていたので、予約時間までに子どもたちの家で読み直して修正するつもりでいた。

夜になって入谷の交差点を通り、大勢の人で賑わっている朝顔市を横目に、子どもたちの家へ向かった。
ちょうど昨日は、入谷方面から浅草寺までの一本道である合羽橋本通りが七夕祭りの最中ということもあったので、どちらも楽しもうと人が集まったんだろう。

一時間ほどスクーターで走ってむこうに着くと、携帯電話に、珍しい人の名前で着信があった。ちょうど来月当りにその関係の奴らと集まろうということになっていたので、その件で連絡が会ったのだと思い折り返し電話をした。
しかし、むこうから返ってきた言葉は、後輩の死を知らせるものだった。

*  *  *  *  *  *  *

僕とその後輩は、何せ5歳も離れているんで、それほど親しかったわけではないけども、いろいろと心配をさせられる後輩だった。

10年ほど前だったか、もう少し前だったか、その後輩はかなり精神的に不安定(この言葉が適切かどうか迷うところだが、とりあえずそうしておく)になっていて、医者からのアドバイスを受けている時期だった。
そのことがキッカケになって久しぶりに会って以来、何度か電話をもらったり、会いたいと呼び出されて会ったりして、あまり医者や家族の邪魔にならない程度に、自分なりにケアをしていた後輩だった。

その後もたまに興奮して電話してくることもあったけども、徐々にそういうこともなくなり、それからしばらくしてかなり気持ちが安定してきたらしく、最近は時折手紙で近況を連絡してくる程度の関係だったので、いつの間にか僕の方も、心の片隅で心配するくらいになっていた。

そんな薄情な関係だったのであまり偉そうなことは言えないが、この後輩の訃報に「大馬鹿者め」という言葉しか思い浮かばない。

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そんなことがあって自分の関係で伝えるべき人にだけ連絡し、子どもたちの家に入ると娘が落ち込んでいた。
どうやら、デザインの課題が上手く出来ずに悩んでいるらしい。
「もうできない。もうやめたい」なんて言葉を繰り返している。

話を聞くと、最近、スランプと言うか伸び悩みと言うか、モチベーションが上がらないらしい。どうも、本格的にデザインの勉強をはじめてみたら、学校にも予備校にも、自分よりも勉強していたりセンスがある奴がたくさんいて、鼻っ柱を折られたみたいだ。偉そうに「私には美術の素質がないんだと思う」だと。

僕に言わせれば、娘はまだ何も学んでいないし、本当の作品らしいものなんて何も創っちゃいないくせに「何が素質だ」と、笑ってしまうというよりも、情けなくて腹が立ってくる。

まぁ受験生なのでナーバスになっているとこともあるんだろうと、
「もう一度、自分がどんなデザインを創りたいか、そこから考え直してやり直してみな。一緒にブレストしてもいいし、一人で考えても良いし、とにかく受験をやめるなら止めないけど、受験を頑張ろうというなら、どんなに辛くても、泣き言言ってないで楽しんで創りな」
となだめた。

その後も泣きながらデザインをしていたが、最初に比べれば格段にデザインらしくまとまったところまで創りこんでいたので、やる気は落ちていても、多少の根性は残っているんだろう。

若い頃、すごい素質の奴らが周りにいて「こいつらには一生叶わないかも」と落ち込む気持ちは分からなくない。僕にも、同年代で目標にしていたクリエーターはいたし、たくさんのクリエーターたちから刺激をもらって自分なりにモノを創ってきた。自分の素質の限界を感じて、やる気が著しく落ちるのもよく分かる。

だけど、娘はクリエーターなりアーティストなりになるために、まだスタートラインにも立っていない。スタートラインに立つために準備運動をしている最中だ。これから、まだまだたくさんの素質に溢れた人たちに出会い、刺激を受け、切磋琢磨して成長していくことだろう。結果として、いま望んでいるデザインの仕事に就くのかわからないが、そういう創作活動の中で人生を楽しさを知ってほしいし、人間を磨いてほしいと思う。

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気持ちがわかると言えば、僕は心が不安定な人の気持ちも分からなくない。数年前、かなりヤバい鬱状態になった。

当時のいろいろな記憶の中で、思い出すと今でも嫌な気持ちになるのは、駅にホームに立った時の感覚だ。
思っている言葉をそのままブツブツと口にしてしまう程の状態だったので、あまり外に出ないで引きこもっていたが、それでもどうしても出かけなくてはならない時もあり仕方なく何度か電車で出かけた。で、駅に立つとどんな駅でも、ホームに入ってくる電車に引き込まれそうになった。けっして死にたいのではなくて、本当に電車と線路に引っぱられような感覚で、ホームに電車が入ってくると柱や手すりに捕まってないと立っていられなくなり、ホームにしゃがみ込んだりしていた。

僕の場合は、まぁ生命力があるというか、何だかんだと死んでたまるかという気持ちが強かったのか「このままじゃ、本当にヤバい」と自覚して、自分なりに立ち直る方法を見つけ出した。
何年か前のCMで「鬱は三ヵ月」というキャッチフレーズがあったが、本当に後もう少し我慢していたら、僕は深刻な病状になっていたと思う。

だから、心が不安定になって死んでしまう人の気持ちが何となく想像できなくはない。もちろん、個々の人たちがどんな悩みを抱えていたのか、どれほど自暴自棄になっていたのか、どれだけ生きるのが辛かったのか、それは絶対に分からないけども……。

まぁ、そんなこんなで、ブログを読み返すことなんてすっかり忘れて、一日が終わった。
朝、入谷への散歩から始まって、色んなことがあった一日だった。
昔なら「不惑」であるべきだと諭される歳になったが、まだまだ不惑の境地には達せそうもない。

*  *  *  *  *  *  *

お〜い!
いま俺の周りで、悩みを抱えている奴!!

自分の素質の限界を感じて落ち込んでるお前、
何をやっても上手くいかなくて泣いてるお前、
大切な人との別れを経験したお前、
いつまでも結婚できないでいるお前、
ど田舎に住んでウジウジしてるお前、
その他、いろいろと悩んでる皆、

人生はハッピーに、明るく考えようぜ。
いつまでもクヨクヨ悩んでいる奴は、みんな大馬鹿者だ!

何? 最近までメソメソしていた俺に言われたくないってか?
馬鹿野郎、俺は何十年振りかで悲しいって感情がわき上がって、その対処に戸惑っていただけで、悩んでいたわけじゃねぇぜ。
お前ら、俺がどんだけ波瀾万丈な人生だったか知ってるだろ?

人生はな、どんな時にもハッピーだ!
自分がハッピーになるために、そして自分の周りの人たちがハッピーになってもらうために、どうすれば良いか考えようぜ。

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この曲は、細野晴臣がキヨシローの追悼に選んだ曲だ。
シンプルな歌詞のこの曲を100回でも1000回でも聞きやがれ。

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