「けじめ」をつけに……〈加奈崎芳太郎のライブ〉その2
ということで、久しぶりに加奈崎さんの生唄を聴いた。
今回足を運んだのは、清志郎さんが亡くなったということがキッカケになっている。
僕が音楽関係の仕事をしていたというのは、実際にはこの加奈崎さんのプロモーションが中心だった。仕事としては他にもいろいろあったんだが、少なくとも加奈崎さんの仕事を手伝わなければ、深く音楽関係の仕事をすることはなかっただろう。
今から15年以上前になるが、ちょうど映画『119』(監督:竹中直人)の音楽監督を加奈崎さんが清志郎さんと一緒に担当していたり、『日本を救え!』というイベントを泉谷しげるや清志郎さんたちと一緒に展開している頃だった。
加奈崎さん個人の活動としても、RCサクセションのベースだった“リンコ”こと小林和生、同じくドラムの“コウちゃん”こと新田耕造の三人で「加奈崎トリオ」というバンドを組んでいて、川崎のクラブチッタなどで定期的にライブをやっている時期だった。
最初は、「元RCのメンバーに会えるけど、手伝わない?」と誘われて気軽に荷物運びの手伝いなんかをしていたが、憧れていたミュージシャンたちに会えたとしても、当然ながら友達になれるわけでもないし、そもそもそんなにミーハーじゃないし、まして音楽業界に興味があったわけでもなかった。
それでも、当時僕がいた広告業界はイベントの仕事も多くて現場の雰囲気にも慣れていたこともあってか、当時のマネージャーさんに頼まれていろいろ手伝っているうちに、僕が会社を辞めてフリーランスになったのを機会に、本格的に手伝うようになっていった。
もちろん、古井戸や加奈崎さんは嫌いじゃなかったし、少しずつ音楽業界に興味を持ったということあるんだけども、僕が加奈崎芳太郎というミュージシャンに惚れたのは、『最後の誘惑』という曲を聴いてしまったからだ。
この曲を聴くことがなければ、単なるお手伝いで終わっていたと思う。
そして、この曲をマイナーなままに埋もれさせてしてしまったのは、本当に僕の力不足だったと痛感している。
何だかんだと5年くらいは手伝わせてもらい、何枚かのアルバムの製作にも関わらせてもらったが、結局、僕は中途半端なところで加奈崎さんのスタッフを辞めてしまった。
90年代の加奈崎芳太郎は、ソングライターとしてもっとも“旬”だったと僕は思っている。
当時は、ジァン・ジァンの定期ライブごとに新曲を作っていて、バンド仲間のリンコさんや新井田さん、生田敬太郎など別のバンド仲間、マネージャー、ジァン・ジァンのブッキングマネージャー、二人のローディー(付き人)、僕のようなスタッフが数人、あるいはプロデューサーをはじめとしたレコーディングスタッフたち、そういう数多くの人たちが、加奈崎さんの作った新曲に対してズケズケとモノを言っていた時期だった。
もちろん、曲作りというのは基本的にお客さんに対しての真剣勝負だろうが、当時の加奈崎さんにとっての曲作りは、スタッフたちに対しての真剣勝負でもあったと思う。不遇の80年代を過ごして、90年代はソングライターとして充実している時期だったはずだ。
実際、今年の2月に発売された最新アルバム『Piano~Forte』に収録されている曲の半分近くは、90年代に創られた曲だ。本人にとっても、この時期の楽曲をアルバムとして残したい気持ちが強いんだろうと思う。
ちなみに、上で紹介した『最後の誘惑』を含めて10曲ほどのデモテープを作ったとき、清志郎さんに聴いてもらうために送ったら、清志郎さんから「デモテープ聴いたよ。何度も。すごくいいです。どの曲もミリョク的です。(中略)“神様あの子を……神様居るなら……”(『最後の誘惑』)がいちばん好きだな。何度聴いても泣きそうになるのさ。こんないい歌をよく書いたもんだな。(中略)古井戸よりいいよ。そこで歌っている音だから」とメッセージが届いた(当時のファンクラブ会報誌「加奈崎通信」から)。
本当にいい曲を創り出していた時期だった。
そういう時期に少しでも手伝いが出来たことは、僕にとってもとても素晴らしい経験だった。
そもそも音楽業界とは無縁なので、手伝うどころかいろいろと足を引っ張ってしまったが、それでも加奈崎さんは、今でも僕の「師匠」であることには間違いない(当時のスタッフたちは加奈崎さんを「師匠」という決まりになっていて、僕は未だに加奈崎さんに対しては「師匠」と呼んでいる)。
その師匠に対して、中途半端に投げ出す形になってしまったのは、僕の人生の中で大きな心残りの一つだ。
……てなことを思い出して、「ブログになんて書こうかなぁ……」と考えながら、昨日スクーターで走っていたら、そこは偶然にも、青梅街道の“鍋横”交差点だった。
ここは、加奈崎さんが東京にいた頃に住んでいた街で、『さらば東京』という曲の詩にも「鍋屋横丁」と地名が組み込まれている。加奈崎さんを車で迎えに行く時にいつも通っていた道で、『さらば東京』のプロモーションのスチール写真の撮影ロケ地としても使った場所だ。
当時は僕も中央線沿線に住んでいたんで毎日通る道だったが、最近は年に1度くらいしか通らないし、まして上野からスクーターで行くことなんて滅多になく、何の意識もしないで加奈崎さんのことを考えながら、本当に偶然通りかかったんで、思わずスクーターを留めて交差点で感慨にふけってしまった。
今の加奈崎さんは、当時のように何人ものスタッフを抱えているわけではないが、それ以上に多くのファンの人たちや地元の支援者たちに支えられて、ある意味で当時以上に元気で、全国を飛び回って唄っている。
そして、音楽仲間として、友人として、刺激し合う相手として40年も付き合ってきた清志郎さんが亡くなったことをきっかけに、同じく40年以上の付き合いのある泉谷さんとともに、お互いのホームページであまり知られていない清志郎さんの素顔を書き続けている。
もちろん今さら僕には、加奈崎さん、清志郎さん、泉谷さんたちとの強い絆については何も手伝えることはない。僕なんかが手伝わなくても、もっと古い仲間たちが手伝うだろうし、加奈崎さんには今のスタッフさんたちもついている。
ただ、僕の中で加奈崎さんに対してやり残したことを取り返すために、ずっと考えていることがあった。それを形にするのだとしたら、僕が知る限り加奈崎さんの周りで適任者はそれほど多くないと思うし、今の僕ならそれが実現できると自負している。
その気持ちを改めて伝えておかなくちゃいけないと、清志郎さんが亡くなってからずっと考えていた。
だから、それを伝えるために久しぶりに加奈崎さんのライブに足を運んだ。
僕が考えていることが実現できるかどうか、まだ何も決まっていない。加奈崎さん自身が、いつその気になるのか、そもそもその気になるのかどうかすら決まっていない。
ただ、加奈崎さんがその気になった時に備えていつでも心づもりしておくことが、師匠である加奈崎さんに対してやり残したことへのけじめだし、清志郎さんが亡くなってからずっとメソメソしていた自分自身へのけじめの付け方だと思っている。
それから1週間がたった……。
あれから2ヵ月……。
もう僕は大丈夫だ。
Piano~Forte
アーティスト:加奈崎芳太郎
販売元:PONYCANYON INC.(PC)(M)
発売日:2009/02/18
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コメント
1週間ぶりに更新して、それまで仕事しながらも「あれも書きたい、これも書きたい」って思っていたんもんだから、随分と一気に書いてしまった。
それにしても、ちょっと長過ぎたみたい。
読んでくれた人、対して面白くもない自分語りを長々とスミマセン。
何せ、MCが長い「師匠」の弟子なもんで、すぐに長文になっちまうんですよ。
まぁ、ブログぐらいは好きに書かせてくださいな。
投稿: 真公 | 2009年7月 3日 (金) 22時00分
真公さま
はじめまして、BANTOと申します。記事のなかでご紹介いただいた、長野県岡谷市での「Piano-Forte」リサイタルの実行委員長をしております。(ちらしでは実名を名乗っておりますので実名でも構わないのですが、このコメントがどのような扱いとなるのか分からないので、とりあえずハンドルネームにしておきます。悪しからず。)
何気なく「加奈崎芳太郎」を検索していて、このブログに行き当たりました。その1、その2を読ませていただき感動いたしました。
その理由の第1は、リサイタルのことを紹介していただいていたからです。私どものまったくあずかり知らないところで、応援してくださる方がいるということが純粋に嬉しく、また大変有難かったです。
しかし理由は、それだけではありません。お話しの全てが、1999年から加奈崎さんをお手伝いさせていただいている私たちにとってはじめて聴く話ばかりであり、しかも加奈崎ファンとして非常に興味深いものだったことも大きな理由でした。
1999年にわたくしが聴いた歌は、まさに真公さまのお話しにあった90年代の楽曲であり、その歌に圧倒されてわたくしは加奈崎さんをお手伝いさせていただくこととなったわけで、その楽曲たちの誕生祕話を知ることは、それだけで胸がときめきました。
また、ちょうど今、公式HPのBBSで「若者に聴かせたい加奈崎さんの知恵の言葉」について書き込んでいますが、そこで名前が上がってくる楽曲は、これからわたくしが名前を出そうと思っている楽曲もふくめて、まさにその時代に作られた歌ばかりでした。
そんなわけで、このタイミングで真公さまのブログを知ったことについては、とても偶然とは思えない何かを感じております。
ここから先はお願いですが、お許しいただけるならば、公式HPのBBSへのわたくしの書き込みの中で、このブログについてご紹介させていただきたいと思います。
それは「Piano-Forte」というアルバムを理解する手がかりともなり、ひいては多くの方に8・29リサイタルに関心をもっていただくきっかけにもなるとも思うからです。
いかがでしょうか。お返事をお待ちしております。
投稿: BANTO | 2009年7月22日 (水) 01時57分
>BANTOさん
こんにちは。
コメントありがとうございます!
コメントを返そうと思ったのですが、ちょっと長くなったので、メールを送りました。
ぜひ、メールをお読みください。
それから、岡谷でのライブ、頑張ってください!!
投稿: 真公 | 2009年7月22日 (水) 09時32分