ある編プロにどうしてもと頼まれて、他人がデザインしたデータの修正を請け負った。
本来はこういう仕事はお断りしているが、すでに色校正が上がっていて、明日の朝までに直して再入稿しないといけないにもかかわらず、デザイナーさんに連絡が取れないと言う。僕も他の仕事で忙しいが、困っている時はお互い様なのでまぁ仕方ないと思って引き受けた。
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編プロに行って、AB版2ページ(見開き)の色校正のゲラを見ると、それはとてもプロが創ったとは思えないデザイン・レイアウトだった。
例えば、改行が適当でバラバラだ。
クライアントから来るデータは、いい加減な作り方である事が多い。本来は原稿整理の段階で編集者が直すべきだが、原稿整理なんてしない編集者も増えている。そうしたいい加減な原稿をデザイナーがそのまま流し込んでしまったんだろう。
あるいは、「ジャスティファイ」という機能を使っていないために、1行1行、行の長さがバラバラだ。
そういうデザインを狙っているなら理解できるが、テキストデータとバックの画像がタイトに組み込まれているデザインなので、デザインのコンセプトから見て、狙ってバラバラにしているとは思えず、絶対におかしい。いい加減に考えて配置されていのだ。
版面もめちゃくちゃだ。
柱は、裁ち落とす際に切れてしまう可能性がある場所に配置されている(小口裁ち落としから約2mm)。
また、いわゆる「無線とじ」と言われる製本の雑誌だが、ノドから5mmくらいのところに文字が配置されているために、雑誌として仕上がった時にその部分は読めないか読みづらい(しかももう片方のページは、ノドから10mmくらい空いている)。
これはパッと見て気がついた事であり、細かく見ればおかしい点はまだまだ書き足りない。僕が日常で付き合っているデザイナーたちにこのデザインを30秒ほど見せれば、10人中10人が同じような指摘をするだろう。それほど基本的な事で、パッと見るだけで気がつくことだ。
あまりにも酷いので、デザインをできるだけ活かしながら、レイアウトはすべてやり直すことになった。
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断言するが、僕はこの仕事を担当したデザイナーをプロとは呼ばない。この仕事ぶりを見れば、僕が仕事を依頼する事はないだろう。
それでも編プロは「まだフリーランサーになって数カ月だけど、それまで1年間は編プロで有名な版元の雑誌を担当していたし、なかなか良いデザインする有望なデザイナーなんだ」という。
なるほど、バックに使っている素材などは、僕のセンスにはない。
ただ、そもそもバックに使っている素材は、どこかの素材集から借りた画像を単純に配置しているだけだし、こんな程度のデザインは、正直言って気の利いた素人でも出来る。
仮に、都立高校に通いながらデザインの勉強をしている僕の娘が作ってきても、たぶん駄目出ししただろう。実際つい最近も、「版面」がいい加減だったデザインに対してアドバイスをしたばかりだ。
あるいは、僕が広告制作会社で働いていた頃に、若いデザイナーがこれを作って先輩のところに持って行けば、ビリビリに破られて作り直しをさせられているかも知れない。
そういうレベルだ。
ただ僕に言わせれば、今回のトラブルについて、デザイナーの責任なんてほとんどない。
はっきり言って、これは編集者もしくはディレクターの責任だ。
色校正が出るまでに、何度か校正ゲラを確認しているらしい。その時点で、こんな初歩的で重大な欠点に気がつかない方がどうかしている。
もし本気で有望なデザイナーだと思っているなら、仕事をしながら基礎的な技術についてきちんと教えて育ててあげるべきだ。自分でそれが出来ないなら、ベテランのデザイナーさんに別の仕事で割りのいいギャラを払ってでも、若いデザイナーさんを育てることもお願いすべきだろう。あるいはギャラを半分に分けて、間にフリーランスのベテランのディレクターを入れて、若いデザイナーが足りない点をフォローしてもらったっていい。
仮にそれで編プロの利益が少なくなったとしても、それが出版業界の、人材への投資の一つの在り方だ(少なくとも昔はそうだった)。
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以前、この編プロを経由して広告の仕事をしたときも、撮影した写真がクライアントの要望に応えられず、スッタモンダした。最初からちゃんとしたカメラマンに頼めば無事に済んだにもかかわらず、「安物買いの銭失い」のようなカメラマンを手配したために起きたトラブルだった。
その仕事の時、僕は同時進行していた仕事が忙しく、うっかりメールを読み飛ばしてしまったことがある。
そもそも、「忙しいから」と断ったのに、「どうしても」と頼まれたから請け負った仕事だ。先に請け負った仕事を片付けてしまおうと、そっちの仕事に集中していた時に届いたメールだった。しかも、用件をまとめてメールをよこす人ではなく、何か思い立つと数行のメールを頻繁にくれるタイプの人だった。
メールのやり取りの中で、僕がつい「スケジュールがタイトなので、こちらではミスがあっても責任とれないので、きちんと校正を見てください」と送ったら、「言われなくとも、編集者が校正を見るのは当たり前で、そちらに責任転嫁する気はない」とプライドを傷つけてしまったということもあって、そんな僕の態度が気に入らなかったのかもしれない。
(余談だが、事前の雰囲気で危険を察知して指摘したのだが、実際に校正をろくに見ていないのは、今回のデザイナーの仕事ぶりを見れば明らかだ)
まぁ僕のミスは間違いないので、文句を言われても反論できないのは仕方ないが、やはり忙しい時に信頼関係のない編集者と仕事をするのは危険だと痛感させられた。
ところが、前述したように撮影した写真がスッタモンダしてトラブルになったとき、クライアントと編プロから相談されて、大事にならない方法で事を収め、最終的にはデザインを含めて気に入ってもらった広告に仕上げたために、編プロの態度も一変した。
お陰ですぐに別の仕事を依頼されたが、他に進めている仕事があるので断った。
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ギャラは安い、スケジュールはタイト、校正はろくに見ていない、素人のようなスタッフたちばかり、信頼関係もない。
僕の20年の経験では、広告でも出版でも、そういうやり方では良いものは出来あがらない。
前のカメラマンの時のトラブルも、今回のデザイナーとのトラブルも、つまらないことで余計な予算とエネルギーをかけるくらいなら、どうして端っから、ちゃんとしたギャラでちゃんとしたフリーランサーに依頼しないんだろうか?
ちゃんとしたフリーランサーというのは、例え少しくらい安いギャラでも、その編集者との信頼関係が出来ていれば請け負うものだ。
技術があれば、時間の許す限りタイトなスケジュールにも応じてくれるだろう。
経験によって危険を察知できるため、版元や編プロにとって耳の痛いと思うような指摘もズバズバと言うだろうが、それによって助かる事も多いはずだ。
頼まれれば、若いフリーランサーと交流を持ったり、アドバイスを送る事も惜しまないだろう。
もちろん、安いギャラで若いフリーランサーたちにチャンスが与えられている事を全面的に否定する気はない。むしろ、そういう若いデザイナーが成長するためにも、きちんとした目を持った編集者や、ベテランのフリーランサーの存在が、何よりも大事なんだと思う。
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「間もなく、貧しく」だけを最優先にするやり方は、結果として出来の悪い出版物を世に送りだしているだけで、出版文化に貢献しているとは思えない。「美しさ」がなければ、出版物としての完成度は高まらない。
世の中に出回っている出版物を見回しても、大手版元の雑誌や大手企業の広告ですら、腹立たしくなるほどレベルが低いものを見受けるようになった。
そんな出来の悪い出版物が、読者の活字離れを加速させる一因となっていると僕は考えている。
インターネットに比べてスピード感で圧倒的に劣る紙媒体だが、「読みやすさ」「視覚デザインの幅の広さ」は出版物の利点の一つであり、webデザインよりも勝っている点が多い。
にもかかわらず、出来の悪い読みづらい出版物を世の中に出すというのは、出版業界の自殺行為だ。
出版不況はたしかに構造的な問題が多いのだが、「活字離れ」「インターネットの普及」のせいにしているだけでなく、現状のシステムの中であっても、金を払うだけの付加価値を加えられていない原因を編集者たち自らが作り出しているという実態を、もっと客観的に受けとめるべきだ。
そして、版元や編プロがつねに「間もなく、貧しく、美しく」を求めるときに、それを創り上げるフリーランサーに対して、何を与えてくれるんだろうか?
時間も予算も出せないなら、せめて知恵を出してほしい。
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このブログ、最近は知り合いで読んでくれている人が増えてきているみたいだ(その割りにコメント少ないけど……)。ここで書いた編プロも見ているかもしれない。もし見ていたら、もう仕事の依頼は来ないだろう。
それは仕方がない。
ただ一つ言いたいのは、僕はその編プロの事だけを批判したくて書いているわけではない。
こういう仕事が確実に増えてきているという現状を、出版業界の他の人にも知ってほしいと思ったから書いた次第だ。
こんな僕ですが、良かったらぜひ仕事ください。
♪子ども騙しのぉモンキービジネス〜
粋がったりビビったりして ここまで来た〜♫
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