『浅草においでよ!』H20年度版より【6】
「浅草においでよ!」平成20年度版より font size>
浅草には、江戸の情緒が生きている font size>
桂文珍 インタビュー font size>
この記事は、『浅草においでよ!平成20年度版』に掲載された記事を、一部加筆・修正して転載したものです。 font size>
かつら・ぶんちん
1970年に桂小文枝(五代目桂文枝)に入門。若い頃から注目株として高く評価され、「花王名人大賞」など数々の賞を受賞。また、テレビでも番組司会を務めるなど、お茶の間の人気者となる。近年はとくに高座での人気が高く、2007年10月から2008年4月にかけて、全国52か所を巡る独演会ツアーを成功させる。プライベートでは、バイク、乗馬、飛行機操縦など、多趣味な面も。著書、DVDなども多数
2006年11月に初開催し、現在では毎週末に雷5656会館で開かれている「よしもと浅草花月」。名前の通り吉本興業所属の芸人が集い、あらたな注目スポットとして浅草で人気を集めている。その「浅草花月」が、今年7月から月に1度“浅金寄席”と銘打って、上方落語の寄席を開いてる。桂三枝、笑福亭仁鶴とともに“浅金寄席”の三本柱となり、定期的に高座へ上がる桂文珍師匠に、お話をうかがった。
「昔から吉本は、浅草には何かとお世話になってきたんですが、『浅草花月』っていう場ができたことで、こうして定期的に皆さんとお会いする機会が増えたってことですね」
上方落語界の念願だった定席の寄席「天満天神繁昌亭」が2006年に大阪で建てられ、上方落語会は今、活気に溢れている。
「競争原理のなかで磨かれていくものもあるが、社会資本のようにある程度守ってあげなくちゃいけない芸というのがあって、寄席で若い噺家が芸を磨くっていうのは、とても重要なんですね。そういう意味では、『繁昌亭』も、『浅草花月』も同じです。若手を育んでいくところがあって、そこで芸を磨いた人たちが、あらゆるエンターテインメントを相手にマーケットのなかで勝負していく。その両方の場が必要なんですね。もちろん若手だけじゃなく、私らも皆さんの前で修行させていただくと……、ものすごい模範的な回答だったかな」(笑)
若い頃から江戸落語の噺家たちと交流を持ち、東京の独演会でも常に人気を集めている文珍師匠は、浅草の風情についてもよくご存知だ。
「浅草の人たちっていうのは、芸人にとても暖かいですよね。それが、浅草って街の空気なんでしょうね。実はね、普段着の着物や和装小物は、浅草で揃えてることが多いんですよ。この帯も新仲見世通りのお店ですし、祭道具のお店で小物なんかを揃えてるんです。食べ物のおいしい店も多いしね。だから、ちょくちょく一人で浅草の街を歩いてるんですよ。そうすると、『師匠、今日は出てるの?』なんて気軽に声を掛けてくれてね。おしゃべり上手の人も多いしね。そういうところは、大阪に似ている部分も感じますね。いつの間にか、東京はどこか余所々々しい街になってますけど、東京というか、江戸の日本人ていうのは、本当はそういう国民性だったんでしょうな。だからね、観光に来て東京駅の周りとか観ると、冷たい感じを受けるかもしれませんが、浅草に来れば『どっこい江戸情緒が生きている』って感じることができるんですね」
江戸情緒の香る浅草に来て、「浅草花月」で上方落語を楽しむのも、オツというものだろう。
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本年度最新版『浅草においでよ! 平成21年度版』は、浅草商連加盟店、浅草各駅、浅草文化観光センターなどで配布しています。
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