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これからも、きっと、かわらずに


昨日、僕にとって、家族以外でもっとも大切な人が亡くなりました。

忌野清志郎
清志郎さん
キヨシロー

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*  *  *  *  *  *  *

僕には、有名人と言われる人たちの中で好きな人が何人かいます。
先日、チケットが取れないと書いた脚本家の三谷幸喜もそうだし、WBCで優勝した日本チームの代表監督・原辰徳もそうだし、映画監督、役者、落語家、そのほか色んな有名人が好きです。
こんな仕事をしていると、そういう好きな人に会えるチャンスはあるし、実際にお会いして仕事をさせていただいたり、雑談させていただいたり、あるいは一緒に酒を飲ませてもらったこともあります。

ただ、忌野清志郎は、僕にとってそういう「好きな有名人」ではなく、本当に大切な存在でした。

有名人に限らず多くの人から、人生の楽しさや生きていく意味を学んで、僕は人生を生きてきました。具体的な人物からだけじゃなく、映画や小説、あるいは随筆の場合もあります。
でも、僕にとっての忌野清志郎は、そういう一時的な影響力だけじゃなく、僕が若い時から自分なりに哲学を持って生き続けてきたのも、忌野清志郎というアーティストと、彼の愛する音楽に出会うことができたからでした。

*  *  *  *  *  *  *

昨日から仕事が手につきません。
このところずっと忙しくて、今も今朝までに仕上げなくてはいけない仕事があって、パソコンの前で一応仕事はしてるんだけど、なかなか進まないんです。
なんていうか、パワーが出ないんです。

30年前、ジョン・レノンが亡くなったというニュースが流れた日、僕は試験勉強のために徹夜でラジオの深夜放送を聞いていたけど、その日は、どの番組のパーソナリティ(当時はDJって呼ばれていた)も、皆、一晩中泣きながら、ジョン・レノンの曲をかけ続けていました。
僕もジョン・レノンは好きですが、死んだからといって泣くほどでもなかったので、その時に改めてジョン・レノンの偉大さに気づきながらも、どこか冷静に勉強していました。

今日は、その時と違って、とても悲しいです。
でも、泣けるとか、涙で仕事が手につかないとか、そういうのとは違って、ただただ空しいというか、心がスカスカになってしまったというか、そんな思いで仕事が手につかないという感じです。

こんなとき、いつもなら2ちゃんとかmixiあたりを覗きにいくんですが、今日はそれもせずに……、というか、訃報に関しても、それを知ってからテレビもインターネットも、まだちゃんと見ていません。見たくなくても、最近はネットでもメールでも、あるいはちょっとテレビをつけただけでも、勝手に向こうから知らせてくるんで、見たくなくても見えてしまう部分があって、どうやら訃報は事実のようだし、詳しく知りはじめたら、もっと詳しく知りたくなり気になって仕方なくなってしまうし。

だから淡々と仕事をしているつもりなんですが、集中力がないというか、仕事のことを考えようと思ってもなかなか考えられず、まったく手が進みません。

*  *  *  *  *  *  *

一時期、音楽関係のプロモーションの仕事をしていた時期があるんですが、それも、清志郎さんに会える可能性があったからでした。
「元RCのメンバーに会えるけど、仕事手伝わないか?」
と言われ、具体的な内容も聞かずにOKしました。

当時はまだ広告制作会社のサラリーマンだったけれども、それからしばらくして会社を辞めフリーランスになった後も手伝えるチャンスがあり、音楽プロモーションは畑違いではありましたが、数年間だけ、他の広告や出版の仕事と並行して続けていました。

そういう中で、楽屋で初めて清志郎さんに会った時の事は、今でも忘れません。

今、ブログを書くにあたって、清志郎さんの思い出の品でも写真に撮って載せようかと思ったんですが、それを見たらきっと泣いてしまう気がして……。
代わりにスポーツ紙でも載せようと、コンビニに買いにいって、新聞の束の中で「死」と書かれた大きな文字を見たら、初めてポロポロと涙が出てきました。

涙を拭ってコンビニから帰って、それでも目頭が熱くて写真は撮ったけど、やっぱり記事を読むのはもう少し後にします。
今はただ、自分の中から自然と出てくる清志郎さんへの思いだけで、気持ちがイッパイいっぱいになってしまうから。

*  *  *  *  *  *  *

僕のi-tunesから、キヨシローの曲が流れています。


カッコ悪い生き方なんて冗談じゃねぇ

大好きな人たちと愛しあって暮らしたい


中学一年の時に、「トランジスタラジオ」を聞いて好きになってから30年。
今も僕は、キヨシローに憧れて生きています。


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a.写心雑記」カテゴリの記事

コメント

こんにちは。私は、今から30年くらい前に仕事が忙しくなってから、「とても好きなバンドとか歌手」という存在が人生から消えてしまいました。
熱中することはないけれど、好きな歌手は沢山います。忌野清志郎さんも、その一人です。
昨年、私が卒業した台東中学の40年振りの同窓会があり、行ったら、何と、同窓生の一人が、RCサクセションのドラマーでした。
その人がドラマーになったことも知らなかったので、その大出世振りにびっくり。
その新井田耕造さんのことを知って、忌野清志郎さんの存在がより身近に感じられるようになったのに、残念でした。
新井田君は、寿あたりに生まれ、清美小学校→台東中学出身です。
http://mw17.exblog.jp/7821411/

投稿: mariko.mw17 | 2009年5月14日 (木) 16時04分

> mariko.mw17さん

な、なんと。
僕が最初に「元RCのメンバーに会える」って言われた一人が新井田さんです。そして実際に最初に会ったのも、たぶん新井田さんだったと思います。その後、何度もお手伝いさせてもらいましたし、あるツアーでは同行させていただきました。
リハーサルとか、空いた時間に一人でテーブルなんかをドラム代わりにスティックで叩いている姿を見るのがすごく好きでした。
「ロックなのにタイト」というか、「ルーズじゃないのにロック」というか、そういうドラマーってすごく貴重で、すごくしびれるドラムです。
新井田さんが台東区出身なんて、知りもしませんでした!

投稿: 真公 | 2009年5月14日 (木) 18時21分

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