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背なで泣いてる祭半纏


僕の下唇の下には、長い髭が生えている。
口の周り全体に髭が生えていて数日毎に切りそろえているが、唇の下の髭だけは、長いまま切らずにいる。

3年前にキヨシローの喉頭がんが発表されてから、ずっと切っていない。

無信心な僕だから、別に願をかけているとかそういうわけではないけども、日常の生活の中で、キヨシローが病気と闘っていることを忘れたくなかった。
ひと時も忘れたくないということではなくて、例えば神社に行ったとき、神様にお願いすることなんてずっとなかったが、せっかくだからキヨシローの病気快復をお願いしておこうとか、そういう時に忘れないように、自分の中にマーキングしておいた。

僕はまだ、その髭が切れないでいる。


僕が泣こうが喚こうが、時間は勝手に過ぎていく。
相変わらず仕事は忙しくほとんど缶詰状態で、作業の合間を見計らって3〜5時間寝るという生活が続いている。
そして僕のiTunesからは、ずっとキヨシローの曲が流れ続けている。

でも、忙しいおかげで、あまり余計なことを考えなくて済んでいる。

僕は二十数年前から、悲しくて泣くということがなかった。
悲しくて泣いても良いことがないからだ。

良いことで感動して泣くなら、周囲の人と感動を共有しあうことで感情の増幅が起こるという効果もあるから意味もあるが、悲しみを増幅してもつらいだけだ。
泣くという感情の発露をすることで、自分の感情を逆に抑えることもある。だけどこの二十年ばかり、泣かないと自分を抑制できないほど悲しい出来事はなかった。
ホロリとする程度がないわけではないが、基本的に悲しいことで止めどなく涙があふれるということはなかった。

だけど今回は、涙があふれて来る。
人前や仕事の中では普段通りに生活しているけども……、iTunesの音に合わせて、好きな歌を口ずさんでいるときに……、夜中に一人で仕事しながら、コーヒーを飲んで一休みしている時……、徹夜明けの昼間、寝る前にベランダで猫が遊んでいるのを眺めている時……、油断して「もう清志郎さんはいないんだなぁ」って思ってしまうと、涙が止まらなくなってしまう。

まさに「胸を締めつけられる思い」という気持ちだ。
自分にもまだこういう感情が残っていたというのは、ある意味で驚きだった。

*  *  *  *  *  *  *

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僕がキヨシローのライブを観ることができたのは、2007年大晦日の「カウントダウン ジャパン」が最後だった。
多少なりとも仕事で音楽と関わるようになってから、どうしても純粋に楽しむことってできなくなるもので、プライベートでライブに行っても、後ろの方で眺めている。だけどもこの時は、久しぶりに頑張って最前列近くまで行って、間近でキヨシローの復活を喜んで、若者に交じってカウントダウンを楽しんだ。

それから2か月後、武道館の「完全復活祭」は、もちろん何をおいても行くつもりだった。
雨が降ろうが槍が降ろうが、親の死に目に会えなくとも、大きな仕事のチャンスを失うことがあっても、絶対に行こうと決めてさっさとチケットを確保していた。
最近プライベートでライブに行く時は、相手のチケット代を出してでも誰かを誘って一緒に行っていたけども、この時は誰も誘わなかった。一ファンとして会場の見知らぬ人たちと大騒ぎして、キヨシローの復活を楽しみたかった。だから、誰にも声をかけなかった。
知り合いのキヨシローファンが一緒に行こうと誘ってきたし、僕の周りの人たちから「行くの? 行くなら行こうかな」なんて言われたりもしたけど、「一人で行きたいから」と断った。

当日は一日休めるよう、夜中までに仕事を終えて万全をきたし、いつものライブなら少し遅れ気味に行くところが、待ちきれなくて開場の2時間くらい前に武道館へ行き、集まった観客たちの騒ぎを眺めたり、「Tシャツ買いてぇけど、あの行列に並ぶのはさすがに嫌だなぁ」なんて考えていた。

すると、子どもたちの母親(つまり元カミさん)から携帯に電話があって「娘がバイト先で倒れて、救急車で運ばれた。診断によると貧血で倒れただけなので、点滴が終わったら一人で帰れるし、あまり心配はいらないらしい。念のために、自分はこれから仕事を早退して病院に向かう」と連絡が……。

*  *  *  *  *  *  *

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武道館の「完全復活祭」は、僕にとって断髪式ならぬ“断髭式”になる予定だった。ライブが終わったら、武道館で髭を剃って、長く伸びた髭を武道館のどこかに埋めてこようと思っていた。
当然ながら、子どもたちも、子どもの母親も、僕がこの日を心待ちにしていたことを知っている。

(心配いらないなら後で教えてくれよ!)と一瞬思ったが、まぁ仕方ない。さすがに自分の子どもが体調悪いのに、それを放っておいて騒ぐわけにもいかない。
祭りの開始が待ちきれなくてザワついている武道館の前には、チケットがないのに来て「余ってるチケット譲ってくださ〜い」と叫んでいる人も多かったので、その中からできるだけ未来ある若い奴を見つけてチケットを譲り、病院に向かった。
もっとも、僕が駆けつけた時の娘は、開口一番「お腹がすいたぁ〜」とすっかり元気を取り戻しており、大事に至らなかった。
「今頃、ライブが始まったなぁ」と考えながらも、焼肉屋に連れて行って腹一杯食べさせて、復活祭の一日は終わった。

後から当日のパンフレットや記念品とかを送ってもらったし、DVDでライブも見た。
忙しい時期だったので、すぐに別のライブに行くことは適わなかったが、まぁ年末のカウントダウンで復活を確かめられていたこともあったし、またいつでも観られるからと思い気持ちを切り替え、その夏に予定されていた“屋音”のライブの後に“断髭式”を行おうと決めた。

ところが、心から熱くなるはずの夏が来る前に、がんの転移が発表されて屋音のライブは中止となり、またも僕の“断髭式”が延期された。

*  *  *  *  *  *  *

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昨日と今日は、下谷神社のお祭りだ。外からは祭囃子が聞こえてくる。
以前も書いたが、東京の下町の祭りは、この下谷神社の大祭を皮切りに、三社祭、鳥越祭、神田明神と続いていくので、東京の祭り好きが集まってこの界隈が賑やかになる。

この長屋は下谷神社の「宮元」で、僕も町会を手伝わせてもらっている。昨日はほとんど顔を出せなかったが、今日は仕事を抜け出して、子ども山車の手伝いと、余力があれば夕方には神輿を担ぎに行こうと思っている。
缶詰状態の仕事は、明日が「入稿日」のため、今日は最後の山場だ。
だったら祭りどころじゃないんだが、神輿担ぎはいざ知らず、山車の手伝いも僕にとっては重要な仕事。
ということで、今日はこれまで以上に忙しい日になる予定だ。


こうやって忙しく時間を過ごしていくことで、きっとそのうち、涙を流さなくてもキヨシローの歌を口ずさむことができるようになるだろう。

そうなれば、切るタイミングを失って長くなった僕の髭も、ようやく切ることができるかな。
でもその時になったら、「すっかり定着したから」って思って、切らないで伸ばしておくかもしれない。


今、ちょうどiTunesから「JUMP」が流れてきた──


 ♪眠れない夜ならば、夜徹し踊ろう
  一つだけ多すぎる朝 後ろをついてくる

  Oh 忘れられないよ 旅に出よう
  Oh もしかしたら 君にも会えるね

  JUMP 夜が落ちてくるその前に
  JUMP もう一度 高くJUMPするよ♪

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