浅草寺の「顔」……その1
1週間ほど前になるが、浅草寺で「顔」をテーマに写真を撮ってきたので、散歩写真を紹介。
一部、というか半分くらいは「浅草の風」に投稿した写真と重なるので、もう少し詳しい説明をつけてみた。
宝蔵門から仲見世方向に向いて左手(弁天山方向)にある「母子地蔵」。
『明日のジョー』や『ハリスの風』を描いた漫画家・ちばてつやがデザインし、1997年に建立された。
ちばてつやは子どもの頃、戦時中を満州で過ごし、戦後引き揚げて帰国した。兄弟が多かったため満州では兄弟たちの面倒をよく見させられたが、幼い兄弟たちに絵を描いてあやした。弟であり『キャプテン』などを描いた漫画家・ちばあきおは、てつや少年が描く絵を喜んだという。タイトルは失念したが、当時の様子を描いた作品を読んだことがある。
兄弟の面倒を見、平和を求める気持ちの強いちばてつやらしく、母子像はとても優しくて心温まる笑顔だ。
母子像の目の前にある二尊仏。
手ぶれの画像で情けないが、向かって左は勢至菩薩、右は観世音菩薩。
像の高さは、約2.4メートル、台座を入れても約4メートルほどの高さだが、昔は「浅草大仏」と呼ばれたらしい。
僕は仏像に詳しいわけではないが、個人的には、どちらの顔も、浅草寺周辺の仏像でもっともいい顔をしていると思う。
影向堂の敷地にある阿弥陀如来像。
1945年3月10日の東京大空襲で、浅草寺の本堂は焼け落ちてしまった。それから戦後約10年、1955年まで、影向堂が浅草寺の仮本堂として務めた。僕のお婆さんなんかは、とても馴染み深かったらしい。今の影向堂は、1994年に改修されたもの。
影向堂の中の菩薩様たちの顔は撮影できないので、外にある阿弥陀様を撮影。
→その2につづく
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コメント
すごい!やはり、ちばてつや先生のキャラクターと同じ鼻ですねえ!
投稿: 徹 | 2009年2月18日 (水) 09時51分
>撤さん
ですよね!
初めて知らずに見たときは、ちばてつやの顔に似てるなぁって思いました(笑)
投稿: 真公 | 2009年2月18日 (水) 18時21分