19世紀は歌舞伎の大転換期……その1
■今も昔も変わらない『暫』の姿
前回、「浅草寺の顔」というテーマで写真を掲載した。
その際に、9代目・市川團十郎がモデルとなった「『暫』の像」を紹介し、「19世紀は歌舞伎の大転換期だった」と書いた。
所詮は僕もあらゆる書籍からの“読みかじり”でしかないが、数年前、「19世紀の歌舞伎の転換期」について、自分なりに整理して書いたものがあるので、それを大幅に加筆・修正してみた。
各写真は、クリックすると拡大画面が見られる。
前回の記事のコメント欄に掲載しようと始めたが、あまりに長くなったので、改めて記事として掲載する。
しかも今回は、『暫』の話と團十郎のルーツだけで長くなってしまったので、実際に9代目・團十郎と「19世紀の大転換期」については、次回以降に……。
前回の記事では顔のアップだけだったが、上の写真は「『暫』の像」全体をうつしたもの。
『暫』というのは、古典歌舞伎の代表的な狂言の一つ。
歌舞伎を見たことない人も、「ぁぃゃ しばらくっ。しぃばぁらぁくぅ〜っ」という台詞は、何となく見聞きした覚えもあるのではないだろうか。
『暫』というのはもともと独立した演目ではなかった。一つの「型」のようなもので、毎年11月に行われる「顔見世」と呼ばれる興行の際、色んな演目の中で、その時々の登場人物の「暫」が披露された。悪人が善良な人を殺そうとする瞬間に、「暫く!」といって主人公が花道から登場し、善良な人を助けるというパターン。江戸中期までは、とくに歴代・團十郎の出る座の顔見世興行で披露するのが、一つの形式になっていた。
現在は、後述する7代目・團十郎が独立した演目として選定し、9代目・團十郎が改編した台本を元に、上演されている。主人公は鎌倉権五郎景政。
実は僕も、以前はこの辺のことをちゃんと理解していなかった。「昔はいろんな登場人物で『暫』を演じた」というのはどの本にも書いているので、何となくは理解していたが、ちゃんとイメージ出来ていなかったのだ。
数年前、浮世絵の本を読んでいた時、「『暫』の碓井貞光役を演じる〜」というキャプションの付いている錦絵を見て、「あれ? 鎌倉権五郎景政じゃないの?」と思い、ここで初め気がついた。
上の錦絵は、歌川国政による『市川蝦蔵の暫』という絵で、歌舞伎の「暫」をモチーフにしているが、モデルの登場人物は「碓井荒太郎貞光」(役者は後の5代目・團十郎)。同じ絵をボストン美術館で所蔵していることもあって、海外でも知られた絵だ。僕が理解できた絵はこれ。
つまり、僕が舞台で見ている『暫』は鎌倉権五郎景政であって、この何度も見ている有名な浮世絵で描かれているのは、この絵の主人公とは別人物だったというわけ。ほぼ同じ化粧・隈取り、ほぼ同じ衣装(『暫』の衣装は、袖が正方形になっていて特徴的)の絵なので、何となく僕の知っている『暫』だと思っていたが、実際にはまったく違う演目(『清和二代遨源氏』)に登場する主人公の絵ということだ。
こういう小さいことの積み重ねが、知らない人に取ってはストレスになって、歌舞伎をより判りづらくしていると思うが、歌舞伎界とその周辺以外から観た視点で解説してくれている本は、残念ながら少ない。
上の墨摺絵は、2代目・團十郎の『暫』を描いた浮世絵(絵師:鳥居清倍)。この絵のモチーフとなった演目は不明だが、すでに隈取りも衣装も、現在の『暫』の原型がはっきりと感じられ、それ以上に、この絵に描かれた團十郎の構えた姿は、一番上の写真、浅草の「『暫』の像」の構えとそっくりだと分かってもらえるだろう。
ちなみに、初代・團十郎が最初に『暫』の型を取り入れたのは『参会名護屋』という演目で、初代から現代に至るまで、演目や登場人物の名前は違っても、『暫』のアウトラインは変わっていないという。
前回の記事でも描いたが、初代・團十郎の出現によって、江戸歌舞伎は大きく飛躍した。
長くなるので大雑把に説明すると、初代・團十郎は「荒事」と呼ばれる歌舞伎の重要なジャンルを確立した。ド派手な衣装、六法を踏んだり見得を切るようにデフォルメされた表現方法、荒々しい演技の演出方法を取り入れた芝居が「荒事」だ。
よく知られた演目では『勧進帳』の弁慶や、以前の記事で書いた『義経千本桜』の狐忠信などが、「荒事」の代表的な作品。もちろん『暫』の鎌倉権五郎景政もそう。
この「荒事」の出現と、それを颯爽と演じる初代・團十郎の姿を、江戸の庶民はとても喜んだ。現在でも「荒事」の主人公が出てくると劇場が盛り上がるが、高揚感が高まる作品が多い。ほぼ同時期に「和事」を確立した上方の発展と、江戸歌舞伎の発展は、ここから大きく異なっていくが、ともにこの時期に現代に通じる歌舞伎を完成させた。
初代・團十郎の生み出した「荒事」は、二代目・團十郎によってさらに洗練され、上方の「和事」から写実性なども取り入れて完成したと言われている。
初代・團十郎と二代目・團十郎の演技は次第に神格化して語られるようになり、「現人神」とも「荒人神」とも言われるようになる。
こうしたことから、市川家は江戸歌舞伎の宗家として扱われるようになり、現代も同様に、市川團十郎は歌舞伎の世界では別格の扱いとなる。
ということで、この『暫』は市川團十郎の代表的な演目の一つというわけだ。とくに現代の『暫』の台本を残した9代目・團十郎にとっても代表的な作品となった。
だからこそ、9代目・團十郎が活躍した時代に芝居小屋が集中していた浅草に、代表作である『暫』を演じる姿が記念像となって残っているわけだ。
初代から当代である12代目・團十郎までの、それぞれ世代について知りたい人は、下記のサイトを参考にどうぞ。
江戸東京博物館「市川團十郎と海老蔵」展
またまた、いつものように前段だけで長くなってしまった。
「19世紀の大転換期」という本題については、次回以降に続く。
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