子どもたちからの復讐
毎日のように、子どもの凶悪犯罪についてのニュースが流れている。
そして、こうしたニュースとともにテレビでは“識者”によって「少年法の厳罰化」が唱えられる。
子どもたちを甘やかせというつもりは毛頭ないが、厳しくしたところで、本質的には解決しない。
なぜなら、子どもたちに「人を殺したら、これまでは5年くらい少年院に行けば済んだけど、これからは20年くらい行かなくちゃいけないかもしれないよ」と言ったところで、人を殺してしまう程のテンションを抑える程の想像力が刺激されるはずがないからだ。
なにしろ、「人を殺してはいけない」「いけないらしい」「何らかの罰はあるのは知ってる」程度の認識はあるのに、それでも人の命を奪おうとしている人間が、厳罰化された刑法を冷静に受け止めて、自分の未来をイメージできるはずがない。そういう想像力の欠如が、犯罪を生み出す大きな一因なのに、イメージをしろと言っても無意味だ。
少年期・思春期に、3年後の自分の未来を明確にイメージできた人が、一体どれくらいいるだろうか? 5年後は? 10年後は? 自分の未来を明確にイメージして、それに沿うような行動をしてこられたと胸を張れる大人なんて、僕の周りには一人もいそうにない。
僕の子どもは、中学3年生と小学6年生なため、ちょうど将来について度々話し合っているのだが、自分の将来に対するイメージが漠然として悩んでいる様子だ。多くの子どもたちが同じように将来に対して不安を抱えている。
そんな子どもたちに、自分の将来を冷静に考えさせ、犯罪と刑罰の重さを冷静に受け止めさせて、犯罪を犯すことを諫める、なんてナンセンスとしか言いようがない。
僕は、少年法の厳罰化を全否定するつもりはない。
ただし、少年法を厳罰化する前に、刑法全般の厳罰化を論じるべきだと考えている。
そもそも、日本の刑罰は軽すぎるし、問題が多い。
といっても僕は死刑制度廃止論者なので、もっと死刑を増やせというのではない。死刑以外の刑罰を厳罰化することとともに、更正目的施設の充実化、社会復帰機会の拡大化など、ここでは書ききれないので改めて書きたいと思うが、とりあえず、刑法の罰則規定は見直す必要があると考えるし、それに伴って、少年法の改正、更正機関の充実が必要だと考える。
しかしその前に、社会そのものが子どもの命を守り切れていないことに、大人たちが自覚しなくてはいけないだろう。
子どもたちに奪われる大人の命の数以上に、大人たちによって奪われている子どもたちの命の数の方が比較にならないほど多いことを、大人や社会は認識しているのだろうか?
僕には、未成熟で、自信がなく、無責任な大人たちが、子どもたちに対して漠然と不安を抱え、恐怖感を感じ、「少年法の厳罰化」を唱えているとしか思えない。
僕を含めた大人たちは、今の日本が「子どもの命を軽んじている社会」と考えることから始めるべきだ。マスコミのアンケートなどで「体罰OK」なんて答える親が多くいると聞くが、まさに子どもの命を軽んじている現れだ。
子どもたちが起こす重大な犯罪は、こうした大人社会に対する、子どもたちから復讐に他ならない。
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