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誤審したことよりも……(WBCを観て3)

今回のWBCでは、誤審騒動がスポーツマスコミだけでなく一般紙までも取りあげたほどの大問題となった。
もっとも、この「世紀の大誤審」のお陰で盛り上がったという向きもあるので、日本にとってはマイナスだけだったとも言えないかもしれない。

こうした誤審問題が起きたときにすぐに「ビデオの導入」など、科学技術に頼ろうとする議論が起こる。
僕はスポーツの中にハイテクを導入すれば何でも良しとする考え方に違和感を覚える。

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野球にしろ、サッカーにしろ、スケートにしろ、ボクシングにしろ、大相撲にしろ、スポーツに誤審は付き物だ。そして、そういう「誤審」も含めてスポーツとは面白いものなのだ。
選手、チームスタッフ、そして審判(ルール)が揃ってこそスポーツだ。そして、それらはすべて、生身の人間なのだ。

これまで、多くの誤審(とそれに関する騒動)が、スポーツの歴史に花を添えてきた。
世界的に有名なのは「マラドーナの“神の手”」、プロ野球では「阪急上田監督の日本シリーズの長時間抗議」、大相撲では「伊之助“涙の訴え”」、テニスのマッケンローと言えば審判に悪態をついている事の方が印象的なほどだ。

もちろん、出来るだけ誤審なんてあってはいけない。それぞれのスポーツが、それを防止するためのシステムを作り、日々進化している。
前回冬季五輪でのフィギュアスケートのように、審判の八百長なんて以ての外である。

しかし、やはりスポーツは、生身の人間がやっているから面白く、そんな人間のミスが名勝負を生み出すことがあるのだ。
今回のWBCでも、ボブ・ディビッドソンという三流審判のことは、多くの日本人の記憶から消えるがないだろう。それも、「スポーツのいい思い出」なんだと思う。

誤審をすべて排除すればスポーツが面白くなるわけではない、ということを理解した上で、誤審問題を考えないといけないのだ。

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ボブって、典型的なアホな
アメリカ人って顔してるなぁ……

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さて、今回のWBCの誤審問題についていえば、前述したように今後解決しなくてはいけない問題もあるのだが、誤審そのものより、何よりも米国側の反応に腹が立つ。
米国メディアですら誤審を認めるような大間違いであるのも関わらず、運営サイドであるメジャー・リーグのコミッショナー事務局からは、公式な反省の弁はない。つまり、米国のマスコミや一般市民は誤りを認めているのに、公式機関は未だに誤審を認めていないのだ。

米国は、なぜ自分たちのミスを認めることが出来ないのだろうか?
僕は、間違ってしまった結果よりも、今回の米国のように、いつまでもそれを認めない姿勢のほうが、よほどスポーツをつまらなくしていると感じる。
まるで、BSE牛肉輸入再開問題で、明らかに検査ミスがあったにもかかわらず、反省の言葉よりも開き直った態度で日本の対応を非難する米国政府の態度とそっくりだ。
ミスを認めず、ミスがあったことすら歴史から葬ろうとするのは米国の常套手段。下手をすると、WBCというスポーツイベントの存在すら、歴史から葬ろうとしかねない。


インターネットが世界中で普及し、どこの国に住んでいても、世界中の情報が瞬時に手に入れることが出きるようになった。かつてはアメリカの虚像に劣等感を抱いていた、日本人も等身大のアメリカを実感するようになりつつある。
それに対して、アメリカ人は世界の実像を見ているのだろうか?
端から見ていると、アメリカ人はどんどん内に向いているように見える。

今年からアメフトの試合で誤審を防ぐためにビデオ判定というハイテクを導入したアメリカだが、まずは自国の評価を客観的に見つめてほしい。


(「WBCを観て4」につづく)

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