求めるのはスモールじゃない(WBCを観て4)
ということで、今年は3年振りに巨人ファンに戻ることになった。
別にWBCのお陰で野球の面白さを再認識させられたからではない。
僕は、小学校1年生の時からずっと巨人ファンを続けてきた。今から32年も前のことだ。
それとほぼ同時に、甲子園で活躍していた原辰徳のファンも続けてきた。
年に何度も球場に足を運び、巨人の勝ち負けと原の活躍に一喜一憂してきた。
ところが、3年前、巨人の監督を原が辞めることになって、僕も巨人ファンを辞めることにした。
それまで、どんなに巨人が否定されようと、巨人ファンでいることが恥ずかしいことだとなじられても、一貫して巨人ファンを貫いてきたが、あの時は本当に巨人ファンでいることに嫌気がさした。今もあまり気持ちは変わらないが、原が監督に復帰したとあっては仕方がない。
今年は目一杯巨人を応援することにした。
そんな中でのWBC優勝だ。
野球熱が熱くなり、自然と気持ちが盛り上がってくる。
そのWBCで途端に注目されるようになったのが「スモール・ベースボール」という概念だ。
要するに、ホームランで一挙に大量点を奪ったりすることを目指すのではなく、基本に忠実に「打つ」「走る」「守る」ということを徹底する野球のことだ。
ランナーが出ればバントや盗塁でランナーを2塁に送り、ホームランではなくヒットを打ってランナーを帰し1点を奪う、そんな堅実的な野球のことだ。
たしかに野球に関わらずスポーツにとって、そうしたプレーは非常に重要である。
しかし、今マスコミで言われているように、「スモール・ベースボールこそ目指すべき野球である」と言えるだろうか?
僕は、これを全面的に否定したい。
「スモール・ベースボール」というのは、プロフェッショナルな選手たちが目指すべき野球の概念ではないからだ。
プロの野球選手ならば、スモール・ベースボールの概念など、誰もが当たり前のように持たなければいけない基本中の基本なのだ。「打つ」「走る」「守る」という野球の基本がしっかりとできて、その上でいかに野球のダイナミズムで観客を魅了するかがプロというものだ。
「スモール・ベースボール」だけを目指したチームの試合なんて絶対に面白味に欠ける。
事実、「スモール・ベースボール」で西武黄金期を作り上げた“森野球”などは、あれほど圧倒的な勝ち方をしていたのに、面白味に欠けると言われ人気がなかった。
「スモール・ベースボール」が見直されているときは、要するに、その国やリーグやチームの野球の質が落ちている時期であるということでしかない。
それが分かっていながら、スポーツエンターテインメントの人気を落として自分の首を絞めないようにするため、わざと近代野球の主流のような書き方をしてるスポーツ・マスコミも悪いのだが、誤解をしている人が多いように思う。
けっして“その気”はありません
もちろん、まずは「スモール・ベースボール」の概念をしっかりと実戦できるだけの力がなくてはいけない。今の巨人は、それすら出来ていないのが実体かもしれない。
しかし、そんなことを言っていては、いつまでも巨人の試合は面白くならないだろう。
長嶋監督時代のように、口では「スモール・ベースボール」と言いながら、ホームランに頼った野球をしてもらっては困るが、ちまちました野球なんて目指してもらっても困る。
イチローのようなスモール・ベースボールがあり、かつての野茂vs清原のような緊張感のある野球があり、新庄のようなハチャメチャ野球もある。
せっかくもう一度野球を見始めるのだから、そういう野球の面白さがたっぷりとつまったシーズンになることを祈っている。
WBCで優勝した王監督が作り上げたホークスというチームは、けっして「スモール・ベースボール」などというスケールの小さいチームではないのだ。
■
| 固定リンク
「e.娯楽観想」カテゴリの記事
- 還暦過ぎても感じさせる「現役感」……「唄の市」を観て(2010.01.30)
- 今年最後のあいさつと「唄の市」(2009.12.31)
- 人と金と時間の無駄遣い(映画『沈まぬ太陽』を観て)(2009.11.08)
- 「浅草演芸祭」が開かれる(2009.08.19)
- いま改めて聴き直して(2009.07.10)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント