チケットの転売事情
急用で行けなくなったイベントのチケットを、チケット屋さんに引き取ってもらった。あるいは、どうしても行きたいイベントなのに入手できず、人から譲ってもらった。こんな経験、誰にでも一度くらいあるのではないだろうか?
近年、インターネット・オークションが一般的に浸透してきたことにより、チケット転売の流通量が急増している。それに伴い、オークションにかけられたチケットの高騰化も見られるようになった。人気のあるチケットは、元値の数倍の値段が付くことも。こうしたチケットは、いわゆる「プラチナチケット」と言われる。
未だ法整備が整わず、モラルも確立されていないインターネットを利用したこうした動きは、あらゆる問題を生じさせている。
「盗まれた台紙を利用した偽造チケット」、「金だけを受け取って逃げてしまう詐欺」、「小学生でも入札に参加できるため、お年玉などを使って異常な値段で流通される」etc.…。
まぁ、いろいろと問題はたくさんあるのだが、こうしたチケット転売にともなう問題で僕が許せないのは、チケットの転売を目的に購入して、高値で売り抜けることで不当に儲けているケースだ。要するに「ダフ屋行為」である。
東京都条例では、「何人も、転売する目的で得た乗車券等を公共の場所において、不特定の者に、売ろうとしてはならない」(第103号第2条の要約)と規定されている。多くの都道府県で、同じような条例によって「ダフ屋行為」が禁止されている。
「チケット交換」「チケット救済」という個人間の取り引きすべてを否定するつもりはない。僕だって、年に何度も行けなくなったチケットを抱え、友人や知人に安価で買ってもらうことがある。
そうした個人間の枠を超えたチケットの転売が、まさにダフ屋行為であるということだ。
人気のあるイベントが結果として高価になることを否定はしない。需給のバランスによって値段が高騰してしまうのは、自由主義市場では当然のことだ。
その料金が、本来還元されるべきイベント関係者に還元されずに、赤の他人の利益となっていることが問題なのだ。そして、本当に行きたい人間がチケットを入手できないという矛盾した状況も見逃しがたい。
興行元もしくはチケット販売代行業者は、そろそろ、購入者とその同行者以外に入場を認めないシステムを開発すべきだ。ダフ屋行為を目的にした人間の買い占めによって、チケットが安定して売れるという状況があるため、チケットを販売する立場から積極的な動きが出ていないが、そろそろ社会問題として捉える必要がある。
本来、キャンセルや「チケットの救済」は、主催者側にとっては手間がかかる行為だし、何の得にもならない。しかし、それでもチケットの転売の厳禁と、何らかのキャンセルのシステムを作りださなければ、チケットの転売による不当な商取引はなくならないだろう。
最近では、警察などによって、悪質なネット取り引きを取り締まるケースも増えてきた。主催者側の転売規制の動きもある。しかし、まだまだ不十分である。
法律が禁止していない個人売買の範囲を装い、公然とダフ屋行為に手を染めておきながら「何が悪いの?」と開き直っているネット上の書き込みを見ると、ホリエモンを笑っていられない。
「金儲けをして何が悪い」という風潮が蔓延している社会情勢は、いずれ荒廃した社会を生み出す。今だって荒廃している社会を、これ以上看過すべきではないと感じる。
今のところ、これに対抗するために自分ができることといえば、自分自身がオークションを利用しないというのと、自分の周りの人間にそれを語りかけることだけ。とても歯がゆい限りだ。
■
| 固定リンク
「e.娯楽観想」カテゴリの記事
- 還暦過ぎても感じさせる「現役感」……「唄の市」を観て(2010.01.30)
- 今年最後のあいさつと「唄の市」(2009.12.31)
- 人と金と時間の無駄遣い(映画『沈まぬ太陽』を観て)(2009.11.08)
- 「浅草演芸祭」が開かれる(2009.08.19)
- いま改めて聴き直して(2009.07.10)
この記事へのコメントは終了しました。
コメント