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優先すべきは、過去よりも未来


小泉純一郎の政治センスは、内政=国民を騙くらかす術=は長けているが、外交=よその国=にはアメリカにシッポを振ること以外に術がない、というところか?

僕は小泉純一郎が4年前に総理大臣となり、靖国神社の参拝を公言したとき、「たぶん本当に靖国神社に参拝するだろうが、そのかわり無宗教の国立追悼施設を建てる可能性はある」と何となく感じていた。実際に、首相就任当初は今ほど消極的ではなかった印象がある。
ところが、今ではすっかりやる気無しだ。僕の大きな読み違えだった。

自民党(というより旧橋本派)と支援組織の関係を壊し続ける小泉純一郎も、財界や遺族会など、自分が直接関わる数少ない支援団体との関係は、まったく解消する気がないようだ。

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今の日本の繁栄は靖国神社で祀られている人たちのお陰だから、靖国に変わるような追悼施設は必要がない、という人がいる。

たしかに、「お国のために」と騙されて亡くなっていった人たちの犠牲は尊いものだ。しかし、今の日本の繁栄は、靖国神社に祀られている人たちだけのお陰ではない。有史以来、多くの日本人の努力のなすべきものだ。
仮に満州事変〜太平洋戦争に限ったとしても、戦場に駆り出された人たちだけでなく、多くの日本人や世界中の人たちの犠牲の上に、今の日本の繁栄があるわけだ。「靖国神社に祀られたい」と思って亡くなった人と、そんなこと思わずに戦場にかり出された人、戦場に行かず空襲に会い家族すべてが犠牲になり靖国神社どころかその存在さえ忘れられてしまっている人たち、そういういろんな人たちをすべて「犠牲者」とするなら、それら全犠牲者を、どうやって追悼するのか?

そうした施設の存在と、それに対する国民の追悼の意志が盛り上がってこそ、日本が本当に平和を意識した国家ということになるのだろう。少なくとも政治家は、戦争の犠牲者を区別すべきではない。
こんなことは、いまさら大上段に構えて言うまでもないこと。

第一、「大東亜戦争」を屁理屈で正当化し、その是非は別にして国家として受け入れている東京裁判を否定しているような宗教施設が、国民全体に支持されるような追悼施設になりようがない。仮にそうなってしまうようなら、その時の日本は、まったく冷静な判断の出来ない絶望的な状況ということだ。

政教分離という憲法の立場も鑑みても、国民全体に支持されるような、国立で無宗教の戦争犠牲者追悼施設の建立に抵抗するなんて、どんな道理をもってしても正当化されるものではないだろう。

だったら、靖国神社への首相参拝問題は別にして、さっさと作ってしまえばいいのだ。

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いつも思うのは、なぜそれほど揉めたがるのか、ということ。

「いまの日本があるのは……」と言うが、少なくとも政治家は、死んでしまった人よりも、いま生きている人たちのため、これから生まれ育っていく子どもたちのため、それを優先に考えるべきだ。それが「政治の建前」である。
もちろん、亡くなった人や祖先を尊ぶ気持ちは大切に決まっている。
しかし、過去にこだわりすぎて、日本人同士がいつまでもいがみ合ったり、周辺諸国と将来に禍根を残すような軋轢を起こしたり、まったくナンセンスとしか言いようがない。

国立の戦没者追悼施設を建立することに反対するような政治家こそ、まさに「抵抗勢力」とレッテルを貼られてしかるべきではないだろうか。

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