今年のNHKの大河ドラマは、ご存じのとおり「義経」だ。
その影響か、NHKの歌舞伎放送に“義経モノ”が多い気がする。もとより、「勧進帳」や「義経千本桜」は人気の演目で、歌舞伎座や国立劇場では、毎年何度も目にすることができる作品である。
5月25日のブログで、中村勘三郎襲名披露公演について書いたが、この時も「義経千本桜」が上演された。
そんな中8月に、僕は今年だけで2回目となる「義経千本桜 四ノ切」を国立劇場で見た。その時の録画放送が、つい先日NHKで放送されたので、振り返って感想を書きたい。
※歌舞伎用語解説やストーリーも書いたために長くなったので、読み飛ばす場合は「* * * * * * *」毎に読み飛ばしてください。
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通し狂言「義経千本桜」第四段第三場——川連法眼館の場(かわつらほうがんやかたノば)
正確にいうとこんなに長いタイトルだ。
「狂言」とは、歌舞伎の戯曲のこと。「通し狂言」とは簡単に言ってしまえば「歌舞伎の長編物語」という意味。「義経千本桜」が正式なタイトル。長編ドラマのため、映画「スター・ウォーズ」のようにいくつかのストーリーに分かれているのだが、「全五段、全十三場」で構成されている。そのうちの「第四段の最期の場面」というのが、「第四段第三場」だ。「川連法眼館の場」は、「第四段第三場」のサブタイトルということになる。
ちなみに、今では歌舞伎の中で「四ノ切」といえば「義経千本桜の第四段第三場」という意味だが、この「四ノ切」とは“第四場の最期”という意味だ。本来は、あらゆる歌舞伎の演目に「四ノ切」あっていいはずだが、江戸時代から人気のあった「義経千本桜」の中でも、とくに「川連法眼館の場」が人気のあるシーンだったため、今では「四ノ切」イコール「義経千本桜の第四段第三場」ということになってしまった。
さて、歌舞伎というのは、見慣れない人には不思議かも知れないが、長編ドラマの一場面だけを切り取って、その場面だけを楽しむことがある。いや、それがスタンダードな見方なのだ。
この「義経千本桜」も、前述したとおり「全五段、全十三場」という長編ストーリーなのだが、全部で13本の細かいストーリーをすべて一度に連続で見た人なんて、今の世の中にはほとんどいないのではないだろうか(たぶん、歌舞伎関係者以外一人もいないと思う)。昔は、全編を「通し」で上演することもあったようだが、今では「通し」上演と言っても、実際にはいくつかのシーンをカットしている。
全11段という超長編の「仮名手本忠臣蔵」といえば、「通し」で上演することが基本となっている演目なのだが、歌舞伎座で午前中から夜まで見通しても、全11段をぶっ通しで上演することはない。僕の知る限り、所々つまみながら6〜7段を上演するのみだ。
「義経千本桜」の場合、このようにつまみながらの「通し」で上演されることもあるが、一場ずつの構成の完成度が高いためか、一場だけを上演することも多いのだが、こうした上演方法を「通し」に対して「見取り」という。
前述したように、人気のあるシーンは、一年のうち何度も、しかも演じる役者を変えて「見取り」として上演されるのだ。
「義経千本桜」は、歌舞伎の演目の中でもとくに傑作と呼ばれる「歌舞伎三大狂言」の一つ。「仮名手本忠臣蔵」、「菅原伝授手習鑑」と並び称される。この三本いずれも、人形浄瑠璃の傑作を歌舞伎に移植したものである。このように人形浄瑠璃から歌舞伎に持ってきた狂言を「丸本物」とも「義大夫狂言」とも呼ぶ。
歌舞伎よりも以前に流行していた「人形浄瑠璃」(今では「文楽」と言うことが多い)。生身の人間が演じる歌舞伎に比べて、人形劇である浄瑠璃は、歌舞伎の人気に押されるようになる。アニメ映画よりもCGを駆使した実写映画の方が、迫力があって面白いと感じるのと同じだ。それに対抗するように人形業瑠璃は、その脚本の面白さや完成度を高めていくことで、再び人気を取り戻していく。とくに大阪を中心にこうした傾向が強くなり、歌舞伎の人気が落ちていったときに、人形浄瑠璃の脚本を歌舞伎にアレンジして積極的に取り入れたのだ。
ということで、今でも歌舞伎の代表的な演目には「義大夫狂言」が多くあることとなる。
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さて、「義経千本桜」の全体について簡単にストーリーを説明したい。
平安末期、公家が中心であった日本は、武力を背景に力をつけてきた武家が、公家に台頭して政治の中心に立とうとしていた。そんな時代に覇権を争ったのが、平氏と源氏。最終的に武家社会を確固として築いたのは、ご存じ源氏の総大将である源頼朝である。
その弟・源義経は、勝てば官軍と言わんばかりの反則技も何のその、源平合戦の最終局面では一度も戦場に足を運ばなかった兄の頼朝に変わり、みごと平氏を滅ぼしたのだった。
しかししかし、平知盛、維盛、教経の首が偽物だったこと、また後白河法皇から贈られた〈初音の鼓〉が「鼓を打つは頼朝を討つということだ」と解釈され、一転して、頼朝から追われる立場になってしまう。
そんな義経は、京都から都落ちするはめになったが、頼朝のいる鎌倉に帰ることもできない。そこで、伏見から摂津、吉野と逃げ延びることとなる。
その間、義経はわずかな家臣しか同行を許さなかった。
しかし、義経最愛の人、静御前は、生い先の分からない義経と一時も離れたくない。いくら足手まといだから連れていくことは出来ないと説得しても、静は義経のそばを離れようとしない。そこで困った義経は、静御前を梅の木に縛りつけて、さっさと逃亡の旅へと出てしまった。
梅の木に縛りつけられている静の前に現れたのは、早見藤太。義経を見つけて頼朝に売り飛ばそうとしている敵役だ。この早見藤太、みるからに変なキャラクターだ。小ずるいのかオバカなのか、どこか憎めないような道化役でもある敵役。こういう敵役を「半道敵(はんどうがたき)」という。
その早見藤太が静を捕らえ、〈初音の鼓〉といっしょに引っ立てようとした時、突然、義経の忠臣である佐藤忠信が現れて静を救出する。そこへ、さんざんひどい仕打ちをしたくせに静が心配になって戻ってきた義経。忠信の手柄を誉めちぎり、自分のセカンドネームである「九郎」に源氏の文字をくっつけ、忠信に〈源九郎〉というセカンドネームを与え、自分の大切な鎧を譲り、自分は別の家臣と逃亡するので、その間、静御前を守るように託すことになった。余談だが、史実の義経はよほど洒落者だったようで、当時では考えられないような派手な鎧をたくさん所有していて、合戦の途中でわざわざ着替えたりするような人だったらしい。
……と、ここまでは「義経千本桜」の序盤。
このあと、死んだはずの平知盛や安徳帝などが生きていて義経の命を狙ったり、闘いに敗れて自殺しちゃったり、義経を追って吉野の山をめざしていた静御前と〈源九郎〉忠信が桜の前で見事な舞いを踊る舞踏シーン、もっと省略して、「木の実」と呼ばれるシーンや、「小金吾討死」「鮨屋」と呼ばれるシーンがある。この辺は、「四ノ切」とは直接関係ないので、いずれまた。
ところで、義経、頼朝、静御前を知らない人はいないだろうが、佐藤忠信だの、平知盛、安徳帝だのと、あまり馴染みのない、そのくせ似たような名前がたくさん登場するのは、歌舞伎を不慣れな人が歌舞伎に取っつきにくい原因となっている気がする。この僕が、娘から「TAT-TUNの亀梨くんと、NEWSの山下くんが〜」と言われるだけで拒絶反応を示してしまうのと共通するものがあるのだと思う。今の若い人の中では「安徳帝」を知らないことのほうが“常識”なのだそうだ。
この辺は、ぜひ基本的な日本史を理解してほしいというしかない。よく歌舞伎デビューに付き合うのだが、日本史が得意な人と苦手な人では、歌舞伎初体験の反応がかなり違うと実感する。
そのくせ、矛盾するようだが、あまり日本史に詳しすぎるのもいけない。歌舞伎の狂言は、あくまでもファンタジーの世界であり、おおよその史実に基づいているものの、思いっきり史実を曲げて無理矢理話をこじつけている作品も多いのだ。平安時代の人物の話をしていたはずなのに、いつの間にか江戸時代の話にすり替わっている、なんてことも度々ある。映画「ラスト・サムライ」を観て、「時代考証が間違ってるよ〜」なんて文句を言う歴史オタクも、これまた歌舞伎にのめり込めなかったりする。
僕のように、エンターテインメントを楽しむため最低限の歴史認識を持っている、くらいが一番いいのだ。
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で、話が戻り、いよいよ「四ノ切」こと「川連法眼館の場」である。
逃亡の末、義経は吉野に居を構える川連法眼(川連が名字。法眼は肩書)の元にいた。そこへ、佐藤忠信が義経を訪ねてくる。
義経は、当然預けていた静も一緒にきたと思ったのだが、忠信一人だという。しかも、静を預かった覚えもないと言う。そんな忠信に疑いをかける義経。すると今度は、「静御前のお供として佐藤忠信さまが来ました」という知らせが入る。
忠信はここにいるのに、静と一緒に忠信が訪ねるなんておかしい!
そこへ、静御前が義経の前に到着。今まで忠信も一緒だったのに、急にいなくなったので一人で義経の前に現れたと言う。そして、前に来ていた忠信と顔を合わす静。忠信は「久しぶりに静に会った」と言い、静は「そう言われれば、さっきまでの忠信と衣装や様子が違う」と言う。
よくよく考えると思い当たることがあるという静御前が、事の詮議を任されることになった。
そして、一人になった静が〈初音の鼓〉を打つと、どこからともなく、もう一人の、さっきまで静と行動をともにしていた忠信が現れた。
静が正体を尋ねると、実は、自分は狐が人間の姿に化けたものだという。そして、〈初音の鼓〉は、自分の両親の皮で作られたものであり、その鼓の音が恋しくて、忠信に化けて静の伴をしていたことを泣きながら告白する。
隣の部屋で、その様子を聞いていた義経は、〈源九郎〉狐忠信に初音の鼓を与えることにする。自分も幼い頃に父親(源義朝)を亡くし、血の繋がった兄弟である兄・頼朝からはあらぬ疑いを掛けられて追われる身となった義経にとって、親子愛を求める狐忠信の姿が自分と重なったのだろう。ちなみに、「義経」の“義”の字を「ぎ」と読ませれば「ぎつね」となる。義経と狐を重ね合わせているのがこの物語の核となっていることを暗示しているのだ。
義経から受けた恩に対する礼として、夜討ちを企てていた義経の追っ手どもを、狐の神通力で化かして懲らしめると、〈初音の鼓〉を手に狐忠信は吉野の山の中に去っていくのだった。
ここまでが、「四ノ切」。
その後、吉野の山中で、義経と平教経の激しい一騎打ちとがあり、最後の幕となる。
すっかり長くなってしまったので、このブログは「歌舞伎「義経千本桜」その2」につづく……
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