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2005年11月

優先すべきは、過去よりも未来


小泉純一郎の政治センスは、内政=国民を騙くらかす術=は長けているが、外交=よその国=にはアメリカにシッポを振ること以外に術がない、というところか?

僕は小泉純一郎が4年前に総理大臣となり、靖国神社の参拝を公言したとき、「たぶん本当に靖国神社に参拝するだろうが、そのかわり無宗教の国立追悼施設を建てる可能性はある」と何となく感じていた。実際に、首相就任当初は今ほど消極的ではなかった印象がある。
ところが、今ではすっかりやる気無しだ。僕の大きな読み違えだった。

自民党(というより旧橋本派)と支援組織の関係を壊し続ける小泉純一郎も、財界や遺族会など、自分が直接関わる数少ない支援団体との関係は、まったく解消する気がないようだ。

*  *  *  *  *  *  *

今の日本の繁栄は靖国神社で祀られている人たちのお陰だから、靖国に変わるような追悼施設は必要がない、という人がいる。

たしかに、「お国のために」と騙されて亡くなっていった人たちの犠牲は尊いものだ。しかし、今の日本の繁栄は、靖国神社に祀られている人たちだけのお陰ではない。有史以来、多くの日本人の努力のなすべきものだ。
仮に満州事変〜太平洋戦争に限ったとしても、戦場に駆り出された人たちだけでなく、多くの日本人や世界中の人たちの犠牲の上に、今の日本の繁栄があるわけだ。「靖国神社に祀られたい」と思って亡くなった人と、そんなこと思わずに戦場にかり出された人、戦場に行かず空襲に会い家族すべてが犠牲になり靖国神社どころかその存在さえ忘れられてしまっている人たち、そういういろんな人たちをすべて「犠牲者」とするなら、それら全犠牲者を、どうやって追悼するのか?

そうした施設の存在と、それに対する国民の追悼の意志が盛り上がってこそ、日本が本当に平和を意識した国家ということになるのだろう。少なくとも政治家は、戦争の犠牲者を区別すべきではない。
こんなことは、いまさら大上段に構えて言うまでもないこと。

第一、「大東亜戦争」を屁理屈で正当化し、その是非は別にして国家として受け入れている東京裁判を否定しているような宗教施設が、国民全体に支持されるような追悼施設になりようがない。仮にそうなってしまうようなら、その時の日本は、まったく冷静な判断の出来ない絶望的な状況ということだ。

政教分離という憲法の立場も鑑みても、国民全体に支持されるような、国立で無宗教の戦争犠牲者追悼施設の建立に抵抗するなんて、どんな道理をもってしても正当化されるものではないだろう。

だったら、靖国神社への首相参拝問題は別にして、さっさと作ってしまえばいいのだ。

*  *  *  *  *  *  *

いつも思うのは、なぜそれほど揉めたがるのか、ということ。

「いまの日本があるのは……」と言うが、少なくとも政治家は、死んでしまった人よりも、いま生きている人たちのため、これから生まれ育っていく子どもたちのため、それを優先に考えるべきだ。それが「政治の建前」である。
もちろん、亡くなった人や祖先を尊ぶ気持ちは大切に決まっている。
しかし、過去にこだわりすぎて、日本人同士がいつまでもいがみ合ったり、周辺諸国と将来に禍根を残すような軋轢を起こしたり、まったくナンセンスとしか言いようがない。

国立の戦没者追悼施設を建立することに反対するような政治家こそ、まさに「抵抗勢力」とレッテルを貼られてしかるべきではないだろうか。

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台湾料理で38回目の祝い……〈麗郷〉

とりあえず、38歳になった。
もうお祝いという歳でもないが、誕生日になると、メッセージをくれたり祝ってくれる人たちがいることが実感でき、そのことが本当にありがたい。

昨日の夜は、友人たちが渋谷の台湾料理屋「麗郷」で祝ってくれた。

*  *  *  *  *  *  *
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渋谷で台湾料理といえば、以前は「龍の髭」「台南担子麺」などお気に入りのお店が多かったが、「台南担子麺」も閉店してしまい、センター街を通るのが面倒で「龍の髭」からも脚が遠くなってしまった。
ここは109のすぐ裏手で、渋谷の駅からのアクセスが便利だ。
煉瓦作りの建物。店内は活気があっていかにも台湾料理屋さんらしい。
台湾の人だろうか、店員さんも東アジア系の人たちが多いようだ。

「腸詰め」が有名らしいが、たしかになかなかの味。
他に、「豚蒸し肉」「シュウマイ」「水餃子」「車海老のエビチリ」「春野菜のスープ」などなど十数種類を注文したが、どの料理もおいしくいただいた。一番僕が気に入ったのは「くらげの酢漬け」。
僕は台湾料理というと、必ずと言っていいほど「ちまき」を食べるのだが、昨日はお酒が入っていたせいもあって、注文し忘れてしまった。次回に行ったときの楽しみにしたい。

*  *  *  *  *  *  *

自分のために祝ってくれる人がいるというのは、本当にありがたいことだ。
自分が愛されているということを実感できるからこそ、いま自分が生きている価値を見出すことが出きる。
やはり人間社会にとって何よりも大切なキーワードは「愛」だ。

13歳の時に、初めて行った清志郎のライブで「愛し合ってるか〜い?」と言われてから、四半世紀も経ったのか……。

愛し合ってるぜ!


【名 称】麗郷(れいきょう/台湾料理)
【住 所】東京都渋谷区道玄坂2-25-18
【TEL】03-3464-8617
【予 算】2000〜5000円(ランチタイム除く)
【定休日】木曜
【営業時間】平日12:00〜14:00 17:00〜24:00/
      土日祝12:00 〜 24:30
【アクセス】山手線渋谷駅ハチ公口から道玄坂を上がり、
      道玄坂センタービルを右折50mほど左手


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北海道弁の怪しいオヤジ


やんやスクーターで走るにはなんまら厳しい季節になったっしょや。
いや〜、スクーターで走るに非常に厳しい季節になったもんだ。

子どもたちに会いに行ったときなんて、長屋に帰ってくるのに、夜中や明け方になってしまうこともあるべさ。
したっけ、すっかりしばれてわやだぁ。

子どもたちに会いに行ったときなんて、長屋に帰ってくるのに、夜中や明け方になってしまうこともあるわけだ。
そうしたら、すっかり寒くなって本当に嫌になる。

前から思っとったけど、北海道より内地の方が寒く感じるんだわ。
まぁ、東京じゃぁ道ばしばれてスクーターがてっくりがえることとかないけどね。
今ごろ札幌だと、スクーターも乗れんからね。

前から思っていたのだが、北海道よりも本州の方が寒く感じる。
まぁ、東京では道路が凍ってしまってスクーターがひっくり返ることなどはない。
今ごろ札幌では、スクーターに乗ることもできないわけだから……。

フルフェイスのヘルメットにすれば、少しはぬくいかもしんねけど、メガネさ掛けてるから、フルフェイスはいずくて好きになれなくて、ハープキャップのヘルメットで、はっちゃきこいて走ってるさぁ。
フルフェイスのヘルメットにすれば、もうちょっと温かいかもしれないが、メガネを掛けてるので、フルフェイスは違和感があって好きになれず、ハープキャップのヘルメットで、死にものぐるいで走ってる。

マフラー顔に巻き付けて、今どきゲバ棒持ってるはんか臭い奴みたいだぁ(笑)。
ヤッケの中に何枚もトレーナーとか着込んでモコモコになっとるし、知ってる人に見られたら「なまらみったくないわ」って思われてしまうべ。

マフラーを顔に巻き付けて、今どきゲバ棒持ってるどうしようもない奴のようだ(笑)。
ジャンパーの中に何枚もトレーナーとか着込んでモコモコになってるし、知ってる人に見られたら「すげー格好悪い」とか思われるだろう。

朝とかだとガスも出て視界も悪いし、いろいろと緊張してしまうせいか、長屋まで帰ってくるとなまらこわいわ。
手かじかんどるから手袋とかうまく取らさんないし。
してやっとこ戸開けようとしたら、じょっぴんかるの忘れてるからね……(冷汗)。

朝とかだと霧も出て視界が悪いし、いろいろと緊張してしまうせいか、長屋まで帰ってくるとすごく疲れる。
手がかじかんで手袋とか上手に外せないし。
そうしてようやっと家のドアを開けようとしたら、鍵をかけ忘れてたりして……(冷汗)。

しても、なまらめんこくおがってくれた子どもたちに会うためだから、しゃぁないね。
自分で自分にムチ打って、けっぱるべ〜。

そうは言っても、とてもかわいく育ってくれた子どもたちに会うためだから、仕方がない。
自分で自分にムチを打って頑張ろう。


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*  *  *  *  *  *  *

と、かなり無理矢理つくった文章ですが、あんまり寒いんで北海道弁で書いてみました。
道民が読んで使い方が間違っていても、突っ込みは不要です。
怪しい人物の写真についても、突っ込みは不要です。

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伝え続けなければならないこと
(映画「父と暮らせば」)


今さらながら、「父と暮らせば」を見た。
区の平和イベントで上映会があったので、いい機会だから子どもたちを連れて行ってきた。

*  *  *  *  *  *  *

井上ひさしの戯曲を、黒木和雄が映画化したものだ。
最初に結論をいえば、非常に素晴らしい作品だった。

「竜馬暗殺」で僕に衝撃を与えた黒木監督は、「TOMORROW(明日)」「美しい夏キリシマ」に続くこの作品を“戦争レクイエム三部作”の完結編と位置づけている。

この映画、まず、井上ひさしの原作によるものが大きい。
舞台の設定をできるだけいじらないように、ほぼ一つの場所(かつて父と娘が暮らしていた旅館跡)だけで場面が展開する。この二人芝居という舞台設定を活かしたことで、井上ひさしの軽快な台詞廻しも活かすことになり、物語の展開に絶妙なテンポが生まれている。

さらに出演陣の演技もすばらしい。
といってもほとんど宮沢りえと原田芳雄の二人だけである。
「竜馬暗殺」以降、「祭りの準備」「浪人街」「スリ」など黒木監督とのコンビで秀作を作り続けている原田芳雄は、原爆で亡くなった父親役。彼の一人語り“福吉竹造のエプロン劇場”の場面はこの映画のクライマックスであるが、彼の演技に圧倒される。
「たそがれ清兵衛」で日本映画界の賞を総浚いした宮沢りえが娘役。僕としては、最初は彼女のベタベタした声質が気になっていたのだが、同じように感じることがあっても、話が進むうち徐々に彼女の演技に魅入らされていくことになるだろう。彼女の演技は、今年「トニー滝谷」でも見たが、すっかり安定感のある女優になったと実感する。

そして、“戦争レクイエム三部作”の完結編としてこの映画に込めた黒木監督のメッセージだ。
広島の原爆投下から3年、生き残った後ろめたさから幸せになることを拒否し、苦悩の日々を送る主人公・美津江(宮沢りえ)。父・竹造(原田芳雄)に励まされ、悲しみを乗り越え、未来に目を向けるまで4日間の物語。
原爆による被害は、生き残った人をも、いつまでも苦しめているのである。
そんな主人公・美津江は言う。

「私は生き残ってはいけねかったんじゃ。だから幸せになってはいけんのです」
「うちゃあ生きとんのが申し訳のうてならん。じゃけんど死ぬ勇気もなぁです」

*  *  *  *  *  *  *

上映前には、区内の各中学校から代表に選ばれて広島に行った中学生から、報告レポートの発表があった。その中の女子中学生の言葉が鋭い。

「アメリカや核保有国を批判し核兵器の根絶に向けてはっきりと宣言をした秋葉市長は、とても力強く見えました。それに比べて小さな声で話していた小泉総理大臣を見ていて、核兵器のない平和な世の中なんて、まだまだ実現することは出来ないのではないかと不安な気持ちになりました」
中学生にすら小泉純一郎の薄っぺらさを見抜くことができるのに、相変わらず世論調査では内閣支持率が高い。「世論」とは、中学生よりも見る目がないものなのか……


「話をいじらず、前の世代が語ってくれた話をそのまま伝えるんが、私の役目よ」

主人公の美津江が、自分の仕事である文学資料の整理・収集について、その哲学を語った時の台詞だ。
戦争を体験した世代の人たちが僕たちに伝えてくれたこと、それを次の世代に伝えるのは、僕たちが絶対にしなくてはならない役目である。

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【作品名】父と暮せば('04/日本/99分)
【監督・脚本】黒木和雄(「竜馬暗殺」'74/「浪人街」'90/「スリ」'00)
【原作】井上ひさし
【共同脚本】池田眞也
【出演】宮沢りえ(「たそがれ清兵衛」'02)
    原田芳雄(「竜馬暗殺」'74/「PARTY 7」'01)
※人名後ろのカッコ内は、その人の関連作品のお薦め作品。
【公式サイト】http://www.pal-ep.com/father/
【僕的評価】★★★★★★★★☆☆/10点満点

【追記1】
すでにDVD化、ビデオ化もされているが、全国の名画座系での上映もされている。また12月3日に調布市での上映会が企画されるなど、地域の上映会も行われている。できることなら、ぜひスクリーンで見て欲しい作品だ。
【追記2】
僕は一昨年、「美しい夏キリシマ」を観て「この映画は、黒木監督と同世代へ向けた映画であり、逆に言えば、僕やそれより若い人たちには伝わりづらい映画である」というようなことをあるところで書いた。確かにいい映画で、いかにもキネ旬が年度代表に選びそうな作品だが、2年以上経っても若い人の中に「いい映画だった」と大きな声が聞こえない(例えばブログ検索してもヒット数は少ない)のを見れば、やはり僕の感想はあたっていたということだろう。
しかし、この作品を見て改めて“戦争レクイエム三部作”を見つめると、なるほど「美しい夏キリシマ」の位置付けが見えてくると納得した。
ただし、単体としての「美しい夏キリシマ」の作品評価は、やはり高いものではないことも付け加えておく。

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老いてなお持つ恋心(映画「二人日和」を観て)

今年の春、京都にて「Turn over 天使は自転車に乗って」というタイトルで公開された作品が、東京で「二人日和」というタイトルに変更されて公開されることとなった。
藤村志保、栗塚旭という渋いキャスティングだ。

改題されたタイトルと、このキャスティング、そして京都の市井の夫婦の話を聞けば、ゆったりとした落ち着いた映画であろうと想像する。
その通りの作品だ。

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十八代続く神祇装束司の夫——
「今までいろんなものが通り過ぎていきおったけど、何が残るんだっしゃろなぁ」
余計なことは口にせず、職人として誠実に生きてきた。

不二の病を患う妻——
「かまわんといて。自分で食べんと、おいしゅうない」
そう言いながら夫の助けを借りる。少し意地っ張りで愛嬌がある。

そんな子どものいない二人きりの老夫婦が、妻の看病を通して、数十年一緒にいた互いの気持ちを確かめ合う物語。

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恋愛映画を観るときに、感情移入しやすいよう、自分の年代に合う作品を探すのは当たり前だ。僕は30代なので、感情移入しやすい恋愛映画を探すのに、まだまだ困ることはない。
そうして恋愛映画を観ていると、今の自分の気持ちを重ね合わせたくなる作品に出合うことがある。
そんなときは現実世界に戻って、大切な人への自分の気持ちを、もう一度相手に伝えたくなる。

では、自分が人生の終盤にさしかかった歳になったとき、そんな映画に出合うことが出来るだろうか? 僕はその時でも、大切な人と手を繋いで、互いの気持ちを確かめ合うことが出来ているだろうか?

「この曲、なんていう曲やったろうか?」
「さぁ、なんやったかなぁ?」
「もう、分かってはるくせにぃ」

互いに気持ちの分かり合っている、老いてなお恋心を持つ夫婦の会話である。

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【作品名】二人日和('04/日本/111分)
【監督・脚本】野村恵一
【共同脚本】小笠原恭子/山田力志/山田哲夫
【出演】藤村志保/栗塚旭/賀集利樹/山内明日
【公式サイト】http://turnover.main.jp/
【公開】2005年11月26日、岩波ホールにてロードショー公開

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日本人の原風景
(映画「ALWAYS 三丁目の夕日」)

僕は学生の頃に、西岸良平のマンガ「三丁目の夕日」(小学館)を愛読していた。
子どもたちの視点で描かれた「昭和」が、現代を生きる日本人の共感を呼ぶ。そして、夕日に照らされて描かれる登場人物たちが、読み手の心を暖かくしてくれるマンガだ。

今でも連載されているそのマンガが映画化された。

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昭和33年、東京の「夕日町3丁目」が物語の舞台だ。

昔の東京のとある町で繰り広げられる人情話。
細かいストーリーを説明するほどの内容ではないので省略するが、「平板なストーリー」こそが、この映画の味になっていることは間違いない。

琴線に触れるエピソードは人それぞれ違うだろうが、観るもの誰もが、どこかのシーンでノスタルジーを感じるはずだ。
原作と違う箇所や、時代考証してディテールが間違っているなどと突っ込むのは野暮。この作品、本当は「東京」や「下町」というよりも「全国にあった昔の街並み」の再現をしたかったのではないかと思う。つまりそれは、どこに住んでいようとも、どの世代の人でも、日本人のDNAにも刷り込まれている「日本らしさ」なのではないだろうか。

俳優陣もいい演技をしてくれる。とくに女優たち。薬師丸ひろ子の演技はすでに安定感がある。小雪も素敵な笑顔を見せてくれる。堀北真希は今放送中のドラマでもいい雰囲気を出しているが、期待のできる新人だと認識させてくれた。

一つ残念な点。特殊効果・VFXをふんだんに使っているのだが、使いすぎて落ち着かない。CGとしては悪くないが、もう少し重みのあるカメラワークにして欲しかったと思う。

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僕が生まれるより10年近く前の設定だが、原体験として記憶している懐かしさが郷愁を誘う。

よく「古き良き日本」という。この映画でも宣伝文句にさんざん使われている。
実際にはそれほど良かったのかどうか、難しいところである。
この作品に出てくるエピソードで言えば、「親が子どもを捨てる」なんてことがよくあった時代だ。「家族の借金のために身売りする」なんてことだってそうだし、「人さらい」もいた。まだまだ「戦争の傷跡」が残っている。洗濯機や電機冷蔵庫もないような「貧乏」に戻りたい、なんて人はいないだろう。
しかし、それでもなお「古き日本」には、そういう社会の暗い部分を包み込んでしまうだけの包容力があったのではないだろうか。そこには、今よりも明るさや未来への夢を持って一所懸命に生きていた日本人がいたのではないか。そしてその包容力は、まるで自分を包み込む大きな手のように暖かった気がするのだ。

この映画は、そんな暖かさで僕を包んでくれた。久しぶりに心の安まる日本映画だった。
僕はいつ頃から、自分が暮らしている町の夕日を観なくなったんだろう……

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【作品名】ALWAYS 三丁目の夕日('05/日本/132分)
【監督・VFX・脚本】山崎 貴
【原作】西岸良平
【共同脚本】古沢良太
【出演】吉岡秀隆/
    堤真一(『MONDAY』'00)/
    薬師丸ひろ子/
    小雪(『ランドリー』'01)/
    堀北真希
※人名後ろのカッコ内は、その人の関連作品の中で比較的最近のお薦め作品
【公式サイト】http://www.always3.jp/
【僕的評価】★★★★★★★☆☆☆

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シンプルな理解

今年の夏、自分の子どもたちが、戦争や平和についてあまり考えていないことに愕然とした。

僕はかなり特殊な環境にいたので、子どもたちと同じ年頃にはかなり意識させられていたのだが、そこまででないにしろ、せめてもう少し知識として持っているものだと思い込んでいた。
ところが、原爆・核兵器についても、東京大空襲についても、終戦と占領化の日本についても、東アジア諸国と日本の関係についても、何も知らない、何も教えられてない。教えてない張本人は僕なんだが……。

そこで、日常の会話の中で少し意識して平和について話をするようにしたり、僕の母親に頼んで戦争の体験談を話してもらったり、戦争に関する美術館などに連れていくようにした。

*  *  *  *  *  *  *

すると、少しはニュースにも興味を持つようになったみたいで、靖国問題や中韓関係などについて、質問してくるようになる。学校の図書館で、戦争について書かれている本を借りてきては、質問をする。ネット世代の子どもたちのため、ネットに流れるプチ右翼的放言を目にすることもあるようだが、これまでは興味を示さなかったのに関心が出てくるようだ。

これまでは見過ごしていたことに関心を持つようになることは、すごくいいことだ。

僕も、出来るだけ分かりやすい解説をし、その上で自分の見解について話すようにした。

*  *  *  *  *  *  *

例えば、「支那って何?」と聞かれる。

支那が「シン」からきていること、差別発言だという人がいて差別ではない人がいるということ、中国政府は正式な抗議として「支那を使うな」と要求していること、そしていまの中国と日本は複雑な関係であることなどを説明する。
その上で、
「差別的な言葉であろうがなかろうが何だろうが、俺は、相手が嫌だというなら「支那」とは言わない。相手が嫌だという呼び名を使い挑発しておいて、『言論の自由だ』と言う人を、俺は信用しない。言われる本人が嫌だと言えば、素直に止めればいい。相手のことを本当に敬愛しているなら、相手にその気持ちを伝えなければ意味がない。その上で、相手を非難すべきことがあれば、大いに批判すればいい」
というような説明をする。

あとは、自分たちがもっと勉強して、いずれ自分の考え方を身に付けるようになればいい。

まだ中学2年生と小学5年生なので、すごくシンプルに取り留めてくれている。
こういうシンプルな理解でいてくれれば、世の中には、シンプルなことを、無駄なエネルギーを費やしてわざと複雑にする「大せんせい」が多いことも、いずれ認知することになるだろう。そして、彼らがなぜそんな議論をするのか、その先に何があるのか、きっと考えるだろう。

*  *  *  *  *  *  *

現在の東京のリーダーは、中国に対して「支那」という。
自分のポリシーだから、中国に抗議されても変えるつもりはないらしい。

そんな彼のことを、僕は「石原“阿呆”都知事」と言うことにしている。
「阿呆」は秦の始皇帝が建てた「阿房宮」からきている。「呆れるほど立派な宮殿」ということなので、僕は侮蔑的な意味ではなく「呆れるほど立派」という意味で使っている。関西芸人界では「アホの坂田」といえば、むしろ尊敬の対象とも言える。決して馬鹿にしているわけではない。それが僕のポリシーだから、本人が嫌だと言っても「石原“阿呆”都知事」という呼び方を変えるつもりはない。

僕はジャーナリストではないので万が一にも機会がないと思うが、もしいずれ、記者会見やインタビューをする機会があれば、直接本人に「石原“阿呆”都知事」とお呼びしてみようと思う。

その時の彼の反応が楽しみだが、さすがにそんな自分の悪趣味を、子どもに話すことはない。

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右近だけに「コ〜ン」が上手い
(歌舞伎「義経千本桜」その2)


前回のブログのつづき。
前回を未読の方は、「歌舞伎「義経千本桜」その1」をどうぞ。

というわけで、7月に観た「義経千本桜 四ノ切」だ。
文化庁と国立劇場が、毎年何回か、“社会人のための歌舞伎観賞教室”という興行を主宰し、通常なら1万5000円くらいする座席を4000円くらいで提供している。しかも、芝居の前振りとして、歌舞伎役者が舞台に出て、歌舞伎の基礎知識や役者の所作について解説してくれたり、舞台装置の仕組みを教えてくれるというおまけ付きだ。ま、実際には安い分だけキャスティングなどが物足りないのだが、それでも割安感はだいぶ大きい。

7月に誕生日を迎えた友人を招待して、国立劇場へ観に行った。

※前回同様長いので、読み飛ばす場合は「* * * * * * *」毎に読み飛ばしてください。

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*  *  *  *  *  *  *

前回のブログで、この「義経千本桜」は、「歌舞伎三大狂言」と呼ばれるほどの人気作品だと書いた。

まず、登場人物が魅力的とされる。
「判官贔屓」の語源である源義経を主人公というだけで、日本人の心をくすぐる。
あるいは歴史上は死んでいるはずの平氏の有名人たちが「実は生きていた」という設定になって登場する。歌舞伎の世界では、「あるお店の奉公人、実は、歴史上の人物」というような設定がよく使われるのだが、江戸時代の庶民が、こういうどんでん返しを好んだのだろう。
また、それぞれの場面構成が変化に富んでいて、しかもそれぞれ完成度が高いのだ。
現代風に言うと、人間ドラマあり、歴史ドラマあり、ラブストーリーあり、ミュージカルあり、“ドンパチ”アクションあり、ホラーあり、CGばりばりのSFあり、と盛りだくさんの内容である。

とくに「四ノ切」では、早変わりや宙乗りなどか、この演目だけのあっと言わせる仕掛けがふんだんに使われていて、観るものを飽きさせない。こうした意表をつくような手法の芝居を「外連(ケレン)」と呼ぶのだが、この話は、まさに「ケレン」の代表作と言える。

話が少しそれるが、人気の演出法である「ケレン」は表舞台から影を潜める時期があった。
江戸庶民の文化であり、江戸幕府から「世俗を乱す」とレッテルを貼られてあらゆる規制を強いられていた歌舞伎は、江戸後期には徐々に「伝統芸能」として高尚な文化と自ら位置づけられるようになっていく。江戸庶民の文化というスタンスよりも、伝統芸能として国家の庇護を得ようとしたのだ。こうした“高尚な文化”化への動きの中で、「ケレン」は下品な作風として嫌われていく(観客からというよりも、歌舞伎界自ら嫌ったのだと推測される)。

そうした傾向にあるなか、昭和40年代に「ケレン」を復活させたのは三代目・市川猿之助(当代)だ。
オープンして間もない国立劇場では、猿之助が忠信となって「四の切」を上演した際に、最後の場面で狐忠信がワイヤーで宙乗りになって退場していくように演出した。まさに、観客は度肝を抜かれたことだろう。今回の舞台でも、狐忠信は宙乗りになって満場の拍手の中で退場していった。

*  *  *  *  *  *  *

実は、僕は役者としての猿之助が好きじゃない。台詞廻しが早口で、どことなく軽い声色と感じられ、どんな役を演じてもどうにも感情移入が出来ない。ただし、演出家としての猿之助、プロデューサーとしての猿之助は、とても評価している。彼がいたからこそ、「伝統芸能」という殻に籠もり古い体質であった歌舞伎界が変革したのだと思う。あらゆる面で「歌舞伎をオープンにした」と言える。「ケレン」のように昔の演出技法を復活させたり、好きか嫌いかは別にして「スーパー歌舞伎」のようにオペラや京劇と歌舞伎の要素をごちゃ混ぜにした新しい芝居を作りだしたり、そしてそこで得た演出論をさらに歌舞伎に取り入れていく。そうした猿之助の挑戦は、歌舞伎界における猿之助の功績と言える。

「歌舞伎役者の養成」というのも猿之助の功績だ。
つい数十年前まで、歌舞伎役者というのは一部の有資格者しか許されない職業だったが、今では、国立劇場などが「歌舞伎役者養成研修」の講座を設け、普通の人も歌舞伎役者になる道筋が出来たのだ。ところが実際には、そういう研修を受けて歌舞伎役者になり、どこかの家のお弟子さんになったところで、大部屋扱いの端役だけで一生を終えるのが普通なのだ。どんなに才能があっても、しょせん梨園の外部から入ってきた者なんかに華やかな未来があるほど歌舞伎界は生易しいものではない。
しかし、そうした常識をうち破り、血筋と関係なく才能のある役者を発掘して重用しているのが猿之助なのである(余談だが、猿之助の実の息子は俳優の香川照之なのだが、離婚した女優・浜木綿子が育てたとはいえ、自分の息子を歌舞伎役者にする気は一切なかったらしい)。

*  *  *  *  *  *  *

ここでようやく、今回観た「義経千本桜 四の切」の感想。

「狐忠信」を演じるのが市川右近、「静御前」を演じるのが市川笑也である。市川右近や市川笑也は、猿之助に見出された優れた役者の代表格である。

いま脂ののっている40代の歌舞伎役者の中で、僕が好きな狐忠信は、右近のそれだ。
猿之助が復活させたケレンの演出を見事に立ち回ってみせる。親を慕う狐の悲哀の演技もいい。現在、当代の狐忠信といえば猿之助という定評があるが、右近の狐は一つの型を演じるという側面だけをみるならば、猿之助の狐に弾けは取らない思う。残念ながら、右近の芝居にはまだまだムラッ気があり、今回観たときも少し物足りない演技だったが、それでも「四の切」の面白さは充分に堪能できるものだった。
右近の狐は、その“キツネッぷり”が、ほかの役者の比べて上手なのだと思う。
この日の感想とは少し離れてしまうのだが、「義経千本桜」の二段目・鳥居前では、「狐六法」と呼ばれるステップで花道を踏む見せ場があり、右近狐の軽妙さは「もし狐が六法を踏んだら、あんな感じだろうな〜」と思わせ楽しませてくれる。四段目・道行初音旅では、狐の化身として舞いながら、どこか男(雄?)のとしての色気を感じさせてくれる。
他にもいくつかあるが、とりあえず狐としての喜怒哀楽を表現するのは、今の40代以下の中では右近が一番だと僕は思う。

……え〜、もっといろいろ感想があったのだが、解説などに時間を費やしているうちに疲れてしまった(笑)。またいずれ観る機会もあることと思うので、改めてその時に。
長く書いた割には、何だか中途半端になってしまった……。

【興行名】社会人のための歌舞伎観賞教室
    「義経千本桜 川連法眼館の場」
【出演】市川右近/市川笑也/市川段治郎/ほか


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有名な歌舞伎の話
(歌舞伎「義経千本桜」その1)


今年のNHKの大河ドラマは、ご存じのとおり「義経」だ。
その影響か、NHKの歌舞伎放送に“義経モノ”が多い気がする。もとより、「勧進帳」や「義経千本桜」は人気の演目で、歌舞伎座や国立劇場では、毎年何度も目にすることができる作品である。
5月25日のブログで、中村勘三郎襲名披露公演について書いたが、この時も「義経千本桜」が上演された。

そんな中8月に、僕は今年だけで2回目となる「義経千本桜 四ノ切」を国立劇場で見た。その時の録画放送が、つい先日NHKで放送されたので、振り返って感想を書きたい。

※歌舞伎用語解説やストーリーも書いたために長くなったので、読み飛ばす場合は「* * * * * * *」毎に読み飛ばしてください。

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*  *  *  *  *  *  *

通し狂言「義経千本桜」第四段第三場——川連法眼館の場(かわつらほうがんやかたノば)

正確にいうとこんなに長いタイトルだ。
「狂言」とは、歌舞伎の戯曲のこと。「通し狂言」とは簡単に言ってしまえば「歌舞伎の長編物語」という意味。「義経千本桜」が正式なタイトル。長編ドラマのため、映画「スター・ウォーズ」のようにいくつかのストーリーに分かれているのだが、「全五段、全十三場」で構成されている。そのうちの「第四段の最期の場面」というのが、「第四段第三場」だ。「川連法眼館の場」は、「第四段第三場」のサブタイトルということになる。

ちなみに、今では歌舞伎の中で「四ノ切」といえば「義経千本桜の第四段第三場」という意味だが、この「四ノ切」とは“第四場の最期”という意味だ。本来は、あらゆる歌舞伎の演目に「四ノ切」あっていいはずだが、江戸時代から人気のあった「義経千本桜」の中でも、とくに「川連法眼館の場」が人気のあるシーンだったため、今では「四ノ切」イコール「義経千本桜の第四段第三場」ということになってしまった。

さて、歌舞伎というのは、見慣れない人には不思議かも知れないが、長編ドラマの一場面だけを切り取って、その場面だけを楽しむことがある。いや、それがスタンダードな見方なのだ。
この「義経千本桜」も、前述したとおり「全五段、全十三場」という長編ストーリーなのだが、全部で13本の細かいストーリーをすべて一度に連続で見た人なんて、今の世の中にはほとんどいないのではないだろうか(たぶん、歌舞伎関係者以外一人もいないと思う)。昔は、全編を「通し」で上演することもあったようだが、今では「通し」上演と言っても、実際にはいくつかのシーンをカットしている。
全11段という超長編の「仮名手本忠臣蔵」といえば、「通し」で上演することが基本となっている演目なのだが、歌舞伎座で午前中から夜まで見通しても、全11段をぶっ通しで上演することはない。僕の知る限り、所々つまみながら6〜7段を上演するのみだ。
「義経千本桜」の場合、このようにつまみながらの「通し」で上演されることもあるが、一場ずつの構成の完成度が高いためか、一場だけを上演することも多いのだが、こうした上演方法を「通し」に対して「見取り」という。
前述したように、人気のあるシーンは、一年のうち何度も、しかも演じる役者を変えて「見取り」として上演されるのだ。

「義経千本桜」は、歌舞伎の演目の中でもとくに傑作と呼ばれる「歌舞伎三大狂言」の一つ。「仮名手本忠臣蔵」、「菅原伝授手習鑑」と並び称される。この三本いずれも、人形浄瑠璃の傑作を歌舞伎に移植したものである。このように人形浄瑠璃から歌舞伎に持ってきた狂言を「丸本物」とも「義大夫狂言」とも呼ぶ。
歌舞伎よりも以前に流行していた「人形浄瑠璃」(今では「文楽」と言うことが多い)。生身の人間が演じる歌舞伎に比べて、人形劇である浄瑠璃は、歌舞伎の人気に押されるようになる。アニメ映画よりもCGを駆使した実写映画の方が、迫力があって面白いと感じるのと同じだ。それに対抗するように人形業瑠璃は、その脚本の面白さや完成度を高めていくことで、再び人気を取り戻していく。とくに大阪を中心にこうした傾向が強くなり、歌舞伎の人気が落ちていったときに、人形浄瑠璃の脚本を歌舞伎にアレンジして積極的に取り入れたのだ。

ということで、今でも歌舞伎の代表的な演目には「義大夫狂言」が多くあることとなる。

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さて、「義経千本桜」の全体について簡単にストーリーを説明したい。

平安末期、公家が中心であった日本は、武力を背景に力をつけてきた武家が、公家に台頭して政治の中心に立とうとしていた。そんな時代に覇権を争ったのが、平氏と源氏。最終的に武家社会を確固として築いたのは、ご存じ源氏の総大将である源頼朝である。
その弟・源義経は、勝てば官軍と言わんばかりの反則技も何のその、源平合戦の最終局面では一度も戦場に足を運ばなかった兄の頼朝に変わり、みごと平氏を滅ぼしたのだった。
しかししかし、平知盛、維盛、教経の首が偽物だったこと、また後白河法皇から贈られた〈初音の鼓〉が「鼓を打つは頼朝を討つということだ」と解釈され、一転して、頼朝から追われる立場になってしまう。

そんな義経は、京都から都落ちするはめになったが、頼朝のいる鎌倉に帰ることもできない。そこで、伏見から摂津、吉野と逃げ延びることとなる。
その間、義経はわずかな家臣しか同行を許さなかった。
しかし、義経最愛の人、静御前は、生い先の分からない義経と一時も離れたくない。いくら足手まといだから連れていくことは出来ないと説得しても、静は義経のそばを離れようとしない。そこで困った義経は、静御前を梅の木に縛りつけて、さっさと逃亡の旅へと出てしまった。

梅の木に縛りつけられている静の前に現れたのは、早見藤太。義経を見つけて頼朝に売り飛ばそうとしている敵役だ。この早見藤太、みるからに変なキャラクターだ。小ずるいのかオバカなのか、どこか憎めないような道化役でもある敵役。こういう敵役を「半道敵(はんどうがたき)」という。
その早見藤太が静を捕らえ、〈初音の鼓〉といっしょに引っ立てようとした時、突然、義経の忠臣である佐藤忠信が現れて静を救出する。そこへ、さんざんひどい仕打ちをしたくせに静が心配になって戻ってきた義経。忠信の手柄を誉めちぎり、自分のセカンドネームである「九郎」に源氏の文字をくっつけ、忠信に〈源九郎〉というセカンドネームを与え、自分の大切な鎧を譲り、自分は別の家臣と逃亡するので、その間、静御前を守るように託すことになった。余談だが、史実の義経はよほど洒落者だったようで、当時では考えられないような派手な鎧をたくさん所有していて、合戦の途中でわざわざ着替えたりするような人だったらしい。

……と、ここまでは「義経千本桜」の序盤。
このあと、死んだはずの平知盛や安徳帝などが生きていて義経の命を狙ったり、闘いに敗れて自殺しちゃったり、義経を追って吉野の山をめざしていた静御前と〈源九郎〉忠信が桜の前で見事な舞いを踊る舞踏シーン、もっと省略して、「木の実」と呼ばれるシーンや、「小金吾討死」「鮨屋」と呼ばれるシーンがある。この辺は、「四ノ切」とは直接関係ないので、いずれまた。

ところで、義経、頼朝、静御前を知らない人はいないだろうが、佐藤忠信だの、平知盛、安徳帝だのと、あまり馴染みのない、そのくせ似たような名前がたくさん登場するのは、歌舞伎を不慣れな人が歌舞伎に取っつきにくい原因となっている気がする。この僕が、娘から「TAT-TUNの亀梨くんと、NEWSの山下くんが〜」と言われるだけで拒絶反応を示してしまうのと共通するものがあるのだと思う。今の若い人の中では「安徳帝」を知らないことのほうが“常識”なのだそうだ。
この辺は、ぜひ基本的な日本史を理解してほしいというしかない。よく歌舞伎デビューに付き合うのだが、日本史が得意な人と苦手な人では、歌舞伎初体験の反応がかなり違うと実感する。
そのくせ、矛盾するようだが、あまり日本史に詳しすぎるのもいけない。歌舞伎の狂言は、あくまでもファンタジーの世界であり、おおよその史実に基づいているものの、思いっきり史実を曲げて無理矢理話をこじつけている作品も多いのだ。平安時代の人物の話をしていたはずなのに、いつの間にか江戸時代の話にすり替わっている、なんてことも度々ある。映画「ラスト・サムライ」を観て、「時代考証が間違ってるよ〜」なんて文句を言う歴史オタクも、これまた歌舞伎にのめり込めなかったりする。
僕のように、エンターテインメントを楽しむため最低限の歴史認識を持っている、くらいが一番いいのだ。

*  *  *  *  *  *  *

で、話が戻り、いよいよ「四ノ切」こと「川連法眼館の場」である。
逃亡の末、義経は吉野に居を構える川連法眼(川連が名字。法眼は肩書)の元にいた。そこへ、佐藤忠信が義経を訪ねてくる。
義経は、当然預けていた静も一緒にきたと思ったのだが、忠信一人だという。しかも、静を預かった覚えもないと言う。そんな忠信に疑いをかける義経。すると今度は、「静御前のお供として佐藤忠信さまが来ました」という知らせが入る。
忠信はここにいるのに、静と一緒に忠信が訪ねるなんておかしい!
そこへ、静御前が義経の前に到着。今まで忠信も一緒だったのに、急にいなくなったので一人で義経の前に現れたと言う。そして、前に来ていた忠信と顔を合わす静。忠信は「久しぶりに静に会った」と言い、静は「そう言われれば、さっきまでの忠信と衣装や様子が違う」と言う。
よくよく考えると思い当たることがあるという静御前が、事の詮議を任されることになった。
そして、一人になった静が〈初音の鼓〉を打つと、どこからともなく、もう一人の、さっきまで静と行動をともにしていた忠信が現れた。
静が正体を尋ねると、実は、自分は狐が人間の姿に化けたものだという。そして、〈初音の鼓〉は、自分の両親の皮で作られたものであり、その鼓の音が恋しくて、忠信に化けて静の伴をしていたことを泣きながら告白する。
隣の部屋で、その様子を聞いていた義経は、〈源九郎〉狐忠信に初音の鼓を与えることにする。自分も幼い頃に父親(源義朝)を亡くし、血の繋がった兄弟である兄・頼朝からはあらぬ疑いを掛けられて追われる身となった義経にとって、親子愛を求める狐忠信の姿が自分と重なったのだろう。ちなみに、「義経」の“義”の字を「ぎ」と読ませれば「ぎつね」となる。義経と狐を重ね合わせているのがこの物語の核となっていることを暗示しているのだ。
義経から受けた恩に対する礼として、夜討ちを企てていた義経の追っ手どもを、狐の神通力で化かして懲らしめると、〈初音の鼓〉を手に狐忠信は吉野の山の中に去っていくのだった。
ここまでが、「四ノ切」。

その後、吉野の山中で、義経と平教経の激しい一騎打ちとがあり、最後の幕となる。

すっかり長くなってしまったので、このブログは「歌舞伎「義経千本桜」その2」につづく……


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10月の仕事

7月からある書籍の仕事を進めているのだが、思ったようにはかどらないで時間ばかり過ぎている。
おかげで他の仕事をほとんど出来ずに困った状況になってきているのだが、自分の責任も大きいので文句も言えない。

さて、そんな中でお手伝いした仕事の紹介。

磨け!閃き力
——発明、商品開発、ビジネス、時代先取りへの道

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ソニーで映像機器の商品企画・開発・設計を担当し、その後独立して特許流通アソシエイト、ビジネスコンサルタントなどとして活動している著者による、“閃き”をテーマにした実用本。様々な発想法から、発明、商品化、特許などの知的財産など、あらゆる“閃き”に関する事柄について、135編のコラムが綴られている。

これまで実際にあった“歴史的な閃き”についてもたくさん紹介されていて、それだけ読むだけでも、想像力を刺激される気がする。

版元の言葉によると「〈閃き〉を単なる思いつきにとどまらせず、発明品への具現化、その商品化、あるいはビジネスへの応用、また特許・意匠登録といった知的財産化にまで言及し、広く〈閃き〉を生かす方法がわかる。また、〈閃き〉を生む力をつけることは、単に仕事に生かせるというだけでなく、常識にとらわれることなく発想を広げ、人生を豊かに生きていく力をつけることでもあり、本書はその強力なサポート役となる」とのこと。
たしかに、今の僕は若干仕事が行き詰まり気味であまりアッパーな状態ではないのだが、この本を読み進めているうちに前向きな気持ちになった。

発明に興味のある人、商品の企画などに携わっている人が主なターゲットだろうが、僕のように行き詰まり気味の人にとっても、状況を打開するヒントが隠されているかも知れないと思う。

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この仕事、忙しいということもあって、組版をお手伝いしただけ。
残念ながら、いま抱えている仕事が片づかなければ、他の仕事に手をつけることもできない。
どうなる?どうする?大丈夫か?……

【書名】磨け!閃き力
    ——発明、商品開発、ビジネス、時代先取りへの道
【著者】木村勝己
【発行】まどか出版
【定価】1575円(本体1500円+税)
【規格】四六判/並製本/222頁
【ISBN】ISBN4-944235275

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