悪ふざけが過ぎないか?
「日刊スポーツ」の14日の記事にこんな見出しが踊った。
ゆかりタンがイチバ〜ン外国人記者萌え〜
その昔2ちゃんにはまっていた僕も、さすがにちょっと引く。
昨年だったか、「電車男」の映画化が決まったときに、「日刊スポーツ」の芸能面にデカデカと「『電車男』映画化キタ━━━━(゚∀゚)━━━━!!!!」と見出しを打ったときにも少し引いたが、この時は呆れながらも少し笑えた。
しかし、今回は少しも笑えない。
まず、記事の内容が、芸能・文化記事ではなく政治記事だということがある。
「萌え〜」なんて、言葉遊びだとしても、まともなメディアが扱う言葉じゃないだろう。
それに、言葉遊びのくせに語呂が悪すぎる。言葉遊びは語呂のリズム感が命だ。「萌え〜」を使いたかっただけなのが見え見えである。
もともとスポーツ新聞の見出しは、言葉遊びであふれているし、それが面白かったりする。
軍事用語などを平気で使うセンスは嫌いだが、言葉遊びそのものは、若い頃、コピーライティングの参考になった。
しかしながら、この見出しは下品すぎると感じる。
いま、メディアでは「小泉劇場」という名を借りて、名物(迷物?)新人議員の一挙手一投足をマスメディアが取り上げ続けている。
まったく不勉強極まりない新人議員には呆れるばかりだが、持ち上げたり貶したりしながら、なんとかニュースになるように一所懸命仕掛けているぶら下がりの記者たちの態度には、もっと呆れ返る。
「小泉劇場」というが、投票日以降に「小泉劇場」とされているものは、小泉純一郎の軽薄さに責任を押しつけているだけで、すべてマスメディアが勝手に騒いでいるだけだ。
ワイドショーレベルのテレビならいざ知らず、新聞メディアまでこの調子である。
そんなことよりも、もっと報道すべきことがあるだろう。
新人議員の失言や、その稚拙な考え方を責めるなら、そんな人間を選んだ自民党とその幹事長をもっと責めるべきだ。そもそも、いまの選挙制度に欠陥があるわけで、そのことを訴えないでくだらない話題作りに躍起な姿勢には、嫌悪感すら覚える。
もちろん一部にはそうした報道もあるが、本当に問題意識を感じているなら、もっとマスコミが世論を形成するように仕掛けるべきであろう。
第一この国会では、共謀罪などの成立などが確実視されており、それについてほとんどマスコミが触れようとしないのは問題がありすぎる。権力のチェック機関としてのメディアの役割が機能していないと言える。
これだからホリエモン如きに「新聞なんていらない」と言われてしまうのだ。
といいつつ、実は僕、個人的な会話の中では、マスコミで騒がれる前から「ユカリタソ」などと使っていたりもする。しかし、よほど親しい人以外の前ではそんなことは言わない。それが「たしなみ」というものだ。
10月11日のブログでも書いたが、こうした身内だけの言葉を公然と使うのは、コミュニケーション能力とモラルが低下しているからだと思う。
モラルの低下は、ジャーナリズムの自殺行為である。ジャーナリズムに関わる人間は、自助努力によって、こうしたモラルの低下を真剣に食い止めなければならない。
僕はジャーナリストではないが、マスコミの端っこにいる人間として、最近よくそう思う。
いまはちょうど「新聞週間」であるが、そのことをテーマにした10月15日付けの「毎日新聞」の『余録』欄では、「もし、政府のない社会と、新聞のない社会と、どちらを選ぶかと問われれば、 私は躊躇なく政府のない社会の方を選ぶ」というアメリカ第3代大統領のトーマス・ジェファーソンが残した言葉を紹介していた。
「新聞のない社会」は、もうそこまで来ているのかも知れない。
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