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結局、真矢は最悪だった(ドラマ「女王の教室」最終回)

先週の土曜日、日本テレビの連続ドラマ「女王の教室」が最終回を迎えた。
何かと話題のドラマだったが、最後まで高視聴率を稼いだようだ。

ドラマの2話目から見始めて、途中見逃した放送もあるが、最終回直前にやっていた総集編みたいな番組をみたので、ほぼ全編を観たと言ってもいいだろう。久しぶりに連ドラを見続けた。

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教師・真矢は、「いい加減に目覚めなさい」というフレーズとともに、子どもたちに社会の厳しさを徹底的に叩き込む。「自由を得たいなら責任を持ちなさい」「厳しい状況から目を背けずに、向き合いなさい」「親なんて本当にあなたたちのことを考えている訳じゃない」……、そして、「悪いことをしたもの、成績の悪いものには罰を与えます」——(正確な台詞じゃないかも知れないが、概ねこんな感じの台詞だった)

たしかに所々、正しいこともする。
番組的には、その小さな正義をことさら左様に大きく取りあげ、問題のある行動については「愛のムチ」として扱う。最終的に、教師・真矢によって問題行動の多かった生徒たちが、すごく“いい子”になっていく。そうした影響は、生徒たちの家庭の問題も解決し、生徒たちは明るい未来へと羽ばたいていくことで、締めくくっている。

ドラマの前半の展開は、教師・真矢による生徒たちへの虐待行為を見せ続け、ドラマが終わると毎回不快極まりない思いにさせられるのだが、回を重ねる毎、徐々にその虐待行為には、実は教師・真矢の緻密に計算された狙いがあったことが明かされる。
そうすると、最初は不快極まりなかったこのドラマが、徐々に妙な爽快感をもたらせてくれるような気分にさせられるのだ。

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さて、僕の感想だが、タイトル通り「阿久津真矢は最悪な教師である」という結論だ。
これは、初めてドラマを観たときから、結局最終回まで変わることのない評価である。
そして、こんなろくでもない教師を、さも「現代の理想の教師像」と言わんばかりに描いたドラマ製作者のセンスのなさに呆れ返るばかりである。

番組に寄せられた意見は、当初は批判的な意見が多かったようだが、放送回数が進むにつれて徐々に好意的な意見が多数を占めていったそうである。正直言って面倒なので、公式掲示板や2ちゃんの専用スレは読んでいないが、だいたい書かれていることは想像できる。頭の悪い大人や、「説教されたい」なんて甘ったれてる精神年齢の低い人間には、さぞ受けの良さそうなドラマである。

何が胸くそ悪いって、子どもたちにする真矢の行動のすべてである。
あれは、教育ではなく虐待だ。
いじめの問題を扱うときに「虐められる方にも問題がある」などと阿呆な意見を言う馬鹿がいるが、同じスタンスで作られた作品と言って過言ではない。「甘ったれて問題行動の多い子どもには、精神的な虐待、体罰、過度のペナルティーなどを課しても、それで子どもが立ち直れば問題ない」とでも言うのだろうか?

第一、教師はいつから「罰」を与える権限を得たのだろうか?
この国では、司法以外に人を裁く権利はないと認識しているが、教師だけは特別に「子どもを裁く権利」を得ているのだろうか?

何から何まで、まったくお話にならない。

こんなドラマをありがたがっているから、日本は恥知らずな国になろうとしているんだ。

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あまりの小泉自民党の大勝に、怒りよりも唖然としてしまったが、このドラマのおかげで怒りの気持ちを思いだした。

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