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2005年4月

日本人は本当に並ぶのが好きだなぁ〜

僕は並ぶのが大嫌い。

うまいものを食べるのは大好きだけど、どんなにうまいと評判のお店でも、並んで食べることはまずしない。例えば1時間並んで食べるくらいなら、それだけ働いて稼いで、その分高い店にいってよりうまいものを食べる(値段が安いものより高いものの方がうまいかどうかは別問題)。
若い頃、青山のハーゲンダッツに行列を作っている人たちを眺めながら、たかがハーゲンダッツを食べることに2時間も並んでしまう精神的な貧しさに直面し、「日本人はこの国が社会主義になって配給制度を実施しても、きっと成功するだろう」と確信していた(笑)。


今日、映画『female』(5月14日公開/http://www.female-movie.com/)の試写会を観に京橋まで行ったのだが、なんと会場が満席となってしまい入れなかったので、「まぁギリギリに行った俺が悪いか」と諦めて、仕方なく次の予定までの時間を潰すことにした。

とりあえず、銀行に行ってお金をおろそうと京橋の交差点にある三井住友銀行に行くと、入口を入る前からそれとわかるほどの大行列。ゴールデンウィーク前の週末なので当然なのだが、どうやら今日は僕の行く手を大人数が待ち構えているようだ。
「並ぶの嫌だな〜」と思ったのだが、京橋の交差点といえば、am/pmが道路を挟んで2軒並んでいる。am/pmのATMは三井住友直営で、手数料は三井住友銀行にあるATMと同じ料金。「ひょっとして、am/pmのATMも行列してるのかな?」と店内をのぞいてみると、ATMの前には誰もいない。「こりゃしめしめ」とam/pmのATMでお金をおろし、銀行に戻って通帳記帳専用機で通帳に記帳をすませた。この間、およそ3〜5分。もし並んでいたら、まだまだ5人分くらいしか前に進んでいないだろう。
ついでに、もう一つのam/pmものぞいてみたが、やはり誰も並んでいない。

なんで?
あそこに並んでいる人たちは、「並ばない努力」をするつもりはないのかな? それともよほど暇なのか? 仕事をさぼりたいサラリーマンやOLばかりなのか? 不思議な気持ちでたまらない。

その後、銀行の対面にあるタリーズ・カフェでお茶を飲んでたら、僕がお金をおろす前に並んでいた制服のお姉さん(って僕より年下だろうけど)が、1時間近く経って銀行から出て来た。
こんな無駄な時間の使い方って、僕にはできない。
ま、俺もただお茶飲みながら本読んでいただけだから、たいした時間の使い方してないかも知れないけど……。


ということで、残念ながら『female』は観ることができませんでしたが、今週は3本の試写を観てきたので、近いうちにその感想文を、femaleにちなんで女優にスポットをあてて書いてみたいと思います。
ではでは。

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愛する人を許すこと
(映画「エターナル・サンシャイン」)

以前の僕は、やたらと他人のことを責めていた。
相手のすることを事前に予測し、失敗の可能性が高いときには予めそれを指摘し「だから駄目なんだ!」となじっていた。それは、その相手に関わる自分自身に影響を与えることを避けるための自己防衛だったわけだが、そのことで多くの人たちを傷つけていた。
そんな僕に、ある人生の先輩がこう言った。

「そいつはお前にとって大事な人なんだろ? だったら、もしそいつがお前の言うとおり失敗したとしても、それはそれでいいじゃないか。その時に、もう一度やり直せるように考えればいいだろ」

この言葉を聞いたとき、何か、胸につっかえていたものがストーンと落ちた気がした。

*  *  *  *  *  *  *

ジョエルとクレメンタインは出合ったときからお互いに惹かれあっていた。
“革命の緑”に髪を染めたクレメンタインは、浜辺にある他人の家に勝手に入ってしまうような破天荒な女の子で、気分によって髪の毛を奇抜な色に染めるというパンクな性格。少しでも関心を示されるとすぐに恋に落ちてしまうジョエルは、気弱で生真面目で平凡なサラリーマンだが、彼のユニークな発想や、自分が楽しいと思える出来事を、日記の中で自由に表現している。
そんな二人は、お互いの魅力に惹かれながら時を過ごしていくが、いつしか倦怠期を迎えてしまう。お互いが、相手のやること為すことを気に入らない。もともと指向性や行動力のまったく違う二人だったが、こうなると相手を思いやることなんてできなくなってしまう。
そして二人は、その倦怠期を乗り越えることなく別れを選択してしまった。

ここまではどこにでもある恋愛話だが、映画の主人公として登場する二人は、ここから先が「普通のカップル」とはちょっと違った。
普段はアッパーなクレメンタインは、ジョエルと別れたことを引きずって情緒が不安定気味になってしまったために、ジョエルの記憶を脳からすべて消し去ってしまったのだ。それを知ったジョエルも、彼女の記憶をすべて消し去ることを決意する。
記憶消去手術を開発したハワード・ミュージワック博士が開く怪しげな「ラクーナ社」を訪れたジョエルは、クレメンタインの写真が印刷されたマグカップや、彼女との想い出を書き記した日記など、彼女に関わるをすべて物を提示し、彼女にまつわる思い出のすべてを博士やそこで働くスタッフに説明する。
話していても彼女の嫌なことばかりが思い出されるジョエルは、さっそくその晩に博士の開発した手術を受けた。しかし、ラクーナ社のスタッフによって施術されているジョエルは、徐々にクレメンタインとの思い出の記憶を遡っていくうちに、彼女との素敵な思い出の中から彼女の魅力にもう一度気がつかされるのだった……。

*  *  *  *  *  *  *

「いいさ(Okay)」

映画のラストシーン、ジョエルはクレメンタインにこう言う。
誰もが自分のことだけを考えてしまう。人間であるならば当然のことだ。さらに時折、自分のことだけを考えすぎてしまうと、周りの人間のことを責めてしまう。そして、人は誰かを傷つけ、自分自身も傷ついてしまう。
そんなことになりそうなとき、否、なってしまった後でも、もう一度、相手に対する自分の本当の気持ちを思いだして、相手のことを許せる人間になりたい。
いつも僕のことを「いいよ」と許してくれるあの人のように……。

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【作品名】エターナル・サンシャイン ('04/
     ETERNAL SUNSHINE OF THE SPOTLESS MIND)
【監督・原案】ミシェル・ゴンドリー
【脚本・原案】 チャーリー・カウフマン
       ('99/『マルコヴィッチの穴」)
【音楽】ジョン・ブライオン
【出演】ジム・キャリー
    ('03/『ブルース・オールマイティ』)
    ケイト・ウィンスレット('04/『ネバーランド』
    キルステン・ダンスト
    ('03/『モナリザ・スマイル』)
    マーク・ラファロ
    イライジャ・ウッド
    ('89/『バック・トゥ・ザ・フューチャーPART2』)
    トム・ウィルキンソン('97/『フル・モンティ』)
【公式サイト】http://www.eternalsunshine.jp/
【個人的評価】★★★★★★★★☆☆(10点満点)
【オススメ度】★★★★☆     (5点満点)
※人名後ろのカッコ内は、その人の関連作品の中でできるだけ最近のオススメ作品。

追記:
これまで3度オスカー候補となったケイト・ウィンスレット。今年のアカデミー賞でも本作でノミネーションされた。『ネバーランド』『エターナル・サンシャイン』と、今のケイト・ウィンスレットは、いつでもオスカー女優となっておかしくない存在となってきている。今年度中にもう一本、素晴らしい演技とそれに相応しい作品に出れば、来年はこれまでの保留分も付け足されてオスカーを獲るだろう。今後の作品に期待を持たせてくれる女優である。

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稲荷町カフェ……〈メイプル〉


ここ稲荷町に、最近、ベローチェができた。

地下鉄銀座線の稲荷町駅から地上に出た稲荷町の交差点角、この界隈としては立地条件がいい。
気軽に入れて客席数も確保され、しかも遅くまで開店しているコーヒーショップができたのは、稲荷町周辺にいる人たちにとってはありがたいことだ(ベローチェのコーヒーが死ぬほど不味いのは、この際、目をつぶろう)。

ただ、稲荷町にはずっと前から気の利いた店がある。
稲荷町で僕一番のお気に入りの店、清洲橋通り沿いにある「カフェ・メイプル」だ。

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このお店、ベローチェができる前は、稲荷町で唯一のコーヒーショップだった。とはいえ、いわゆる若い子がオーダーを取る度に元気な声で復唱するようなマニュアル通りのチェーン店風ではなく、オーナー夫婦のおばちゃんとおじさんがやっている“下町らしい”コーヒーショップなのだ。

そんな独特の雰囲気に、僕の周りでは「メイプル」とは呼ばれずに、「稲荷町カフェ」と呼ばれ、仕事場に遊びに来る友人や仕事仲間たちが、いつもお土産にコーヒーとサンドイッチを買ってきてくれる。

ここのサンドイッチは、かなりうまい。
都内にはおいしいサンドイッチがたくさんあるが、ここのタマゴサンドとツナサンド、それから神保町「ベーカリー・アベ」のカツサンドは、個人的にはかなりのお気に入り。サンドイッチのためにわざわざ出かけて食べる人も少ないだろうが、時おり無性に食べたくなって、わざわざ買いに行くこともある。にもかかわらず、どちらも超がつくほどマイナー。まさに「穴場」。

*  *  *  *  *  *  *

稲荷町にベローチェができることで、オーナーのおばちゃんも一時心配していたようだが、ベローチェのオープンから約1か月、固定客たちに愛されているメイプルは、今のところ心配するほどお客が減ったようには見えない。

もし稲荷町に来る機会があれば、稲荷町らしさを体験するためにも、ぜひ「稲荷町カフェ」に立ち寄ってサンドイッチとコーヒーを楽しんでもらいたい。

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【名  称】カフェ・メイプル
【住  所】東京都台東区東上野3-1-12
【電  話】03-3841-8055
【アクセス】銀座線稲荷町駅を出て、清洲橋通りを馬喰町方
      面へ、徒歩1分。信号を1つ超えてすぐ右手。
【MAP】「長屋界隈」の地図は→こちらをクリック←
     地図上の「1」番がこのお店
【オススメ】タマゴサンド/ツナサンド/ミックスピザ
【食べログ】カフェ メイプル★★★★ 4.0

※いわゆる「カフェ」をイメージすると大間違いなので要注意。
この辺りの小洒落たカフェについては、「長屋界隈」からどうぞ。


↓食べログでは、ココで掲載した以外の店も紹介しています。
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自分の甘さを棚にあげる

「最近の版元編集者はレベルが低すぎる。あれじゃただの手配師だ」
「編集技術が身に付いていない編集者は、普段、何の仕事をしているんだろう」
「最近では、編プロの編集者もひどいのがいる」

この数年、僕は公然とこう言ってきた。

これは、編集者に限ったことではなく、ライターでも、デザイナーでも、イラストレーターでも、確実にレベルの低い「専門家」が増えてきている。活字離れという現象の背景には、こうしたクリエーターの質の低さと、そんなクリエーターたちに作られた活字メディアが世の中にあふれかえっていることが、ボディブローのようにじわじわと影響を与えているだろう。

ところが、こんな編集者が増えている原因の一端が、僕自身にあることに気がつかされた。

今日、知り合いの校正者が紹介してくれた組版の仕事で、その校正者、クライアントである編集者、そして僕の3人で打ち合わせをしていた時のことだった。
編集者から「時間がなかったので、このゲラ(校正紙のこと)とそのゲラを付け合わせて、適当に判断してください」と言われた。僕はついつい「分かりました。こちらで判断できるものはこちらで進めますね」と答えてしまった。

すると、知り合いの校正者は間髪を入れず、その編集者にむかって「基本的にオペレーターは、修正指示をそのままに直すのが仕事です。適当に判断しろと言ってもできません。校正者としても、編集者がチェックすることが前提で校正しているので、編集者がチェックしないでオペレーターに右から左で渡されるのは困ります」と言ったのだ。

正直、自分が恥ずかしくなった。

広告や出版(音楽、放送、映像、印刷など)の業界は、きわめて合理的に分業制が確立している。それぞれの専門家・プロの技術が、それぞれのセクションで発揮され、それが集約され1つの作品として出来上がるのだ。オペレーターにはオペレーターの、校正者には校正者の、編集者には編集者の仕事がある。
僕は、編集者の仕事を奪ってしまった。そしてそのことで、その編集担当者が技術向上させる機会も奪ってしまったのだ。

昔、まだ印刷現場がアナログだった時代、整理されずに不明点の多いゲラを写植屋さんに持っていくと、職人のオヤジさんに「分かるように整理してから持ってこい!」と怒鳴られたもんだ。怒鳴ることがいいことだというのではなく、ちゃんと指摘されたからこそ、こちらは読みやすく整理された修正指示を入れないといけないと思ったし、そういう積み重ねで「編集技術」を向上させられたことが重要なのである。
この世界で職人さんの怒声を聞くことは少なくなったが、それと比例するように、質の低いクリエーターと出合う機会が増えている。要するに、クリエーター(とくに編集者)を育てるのは、同じ職能の先輩だけでなく、職能の違うクリエーターたちがお互いに育て合わなければいけなかったのだ。

まぁ、当たり前のことなのだが、それがなかなか実践できない。現実では仕事相手に対して「ついつい」甘くなってしまう。そのほうが自分自身が楽だからだ。
そんなこれまで自分の行動を棚に上げて、「版元が編集者を育てていない」「デジタル化の導入・普及によって、不勉強なクリエーターが増えた」などと他人のせいにしていたことが恥ずかしい。

知り合いの校正者は僕より年長のベテランさんだが、そろそろ僕も「ベテラン」と言われる立場になってきた。「ついつい」が世のため人のためにならないこと、そして自分自身のためにならないことを、もっと自覚して仕事をしていきていきたい。

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ザ・モスト・オブ・痛い

友だちが軽い食あたりになった翌日、偶然にも食中毒の本(飲食店の衛生についての書籍)の仕事が入ってきた。
原稿を読んでいるうちに、10年前に自分が食中毒になったときの痛さを思い出してきた。
いや〜、あれは痛かった。ケガ以外ではかつてないほどの痛みだった。

そこで、これまでの人生で忘れられない痛みを3つあげてみる(この場合の「痛み」とは、女の人の陣痛や男にとっての急所など、異性には想像もつかない痛みについては除く/カッコ内は痛みに遭遇した年代)。

○アキレス腱半分切れた痛み(1981年)
 痛くて気絶しそうになった。「いたっ」と思った直後、一瞬脚がなくなったような
 感じがしたが、その後に強烈な痛み。病院で治療が終わるまで、いっそのこと脚を
 切ってもいいから痛みから解放されたいと思った。

○ぎっくり腰の痛み(1982年と2002年ほか)
 背骨にある神経の束を、ぶっとい針でぐりぐりエグられているような痛み。痛みの
 ピーク時には、トイレで大きめな用を足すためだけで1時間以上かかる。

○食中毒の痛み(1995年)
 エイリアンがお腹の中でぐるぐる回るような気持ち悪さと痛み。お腹からは不思議
 なほど真水のような液体が出てくることが不安を駆り立てる。痛みと吐き気で意識
 も朦朧としてくる。(サルモネラ菌による食中毒)


「あたしゃもっと痛い思いをしたよ」という経験がある人はコメントください。

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タバコは誰でも簡単にやめられる(はず)

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今日は春の穏やかな日和だったので、久しぶりに日がな一日ぼーっと過ごした。

写真は、仕事場の窓からビルに囲まれた隙間に見える都会の空。
手前の影は、同居猫2号のアンさん。

こんな日は、タバコを燻らせたいところだけど、タバコはやめてしまったので一番好きなお香を焚いた。


よく、「タバコは絶対にやめられない」と言う人がいるけれど、それはほとんど幻想だと断言できる。
確かにタバコには、常用性や中毒性があるのだろうけど、ほとんどの人にとっては自分の意志でコントロールできる程度のものであるはず。

事実、僕は1年以上の禁煙を3回も実現(ただ今4回目5か月継続中)しているし、タバコをやめることが辛いと思ったことはない。
「じゃ、何でまた吸うんだ?」と言われれば、やめ続ける理由がなくなるから。僕がタバコをやめる時は、誰かと「タバコをやめられるか」と賭けをしていたり何らかの約束をしているときで、賭けに勝ったり約束の期間を過ぎれば、別にタバコをやめ続ける必要がないので、気が向いたときに吸い始めるってわけ。

僕だけじゃない。あるところに行けば、簡単にやめている人がたくさんいる。
たとえば、拘置所(東京の場合)にいる刑事事件の被告人や刑務所にいる受刑者たちは、ある日突然、タバコを吸いたくても吸えない状況になるわけだ。ところが、タバコが吸えないからと発作を起こすなんて滅多にないはずだし、タバコが吸えないからとイライラして暴動が起こったなんて話も聞いたことがない。
拘置所や刑務所の中にいた複数の人たちに取材で直接話を聞いたことがあるけれど、「吸いたくても吸えないんだから仕方ない。そういう意味ではやめられるかも知れないが、外に出て自分の意志でやめることはできないね」という意見ばかりだった。

つまり、(一部の病的な中毒者を除いて)自分の意志の問題なわけだ。

実際にタバコをやめた人たちに聞くと、「もっと辛いと思っていたけど意外に簡単にやめられた」と言う人が多くいる。やめてからしばらくは、「口寂しい」とか「手持ち無沙汰」とか感じるかもしれないが、そんなのはすぐに慣れるだろう。だったら簡単、やめたければその意思を強くすればいいし、強い意思が持てない人は要するに「やめたくない」ってだけ。

さて、別に僕は、だからタバコをやめよう〜と言っているわけではないのです。
ただ、今現在でもタバコを愛する人たちは、喫煙者のほうが肩身の狭い思いをする時代になっても頑なに吸い続けているのだから、せめてセコい言い訳なんかせずに、(他人に迷惑をかけない範囲で)堂々と吸ってほしいって思う。

「健康が一番」なんて当然といえば当然のことをコピーにして「健康」の押し売りをしている奴らよりも、「肺ガンなんて何のその」と堂々とタバコを吸ってる人の方が、僕は好きです。


ところで、1日1本のタバコを10年続けると寿命が1年縮まるという説を聞いたことがあるが、1日1本のタバコと、毎日お香を2〜3本焚いているのと、どれくらい寿命に違いがあるんだろう? まぁ、どうでもいいけど……(笑)。

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3月のお仕事

ちょっと遅くなったんですが、僕が関わったもので先月に発行された出版物を紹介します。

●悠遊自適 VOL.2
 

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海外でのロングステイを希望する人たちに向けた情報誌。
1月に創刊して、今号が第2号です。
毎号、世界各地の人気のあるロングステイ先を特集していますが、今回はオーストラリア特集。
知り合いの編集者K氏が立ち上げた雑誌なのですが、僕はデザイン・DTP組版の一部を担当。
僕以外のほとんどのスタッフは、今頃、次号の特集のために海外に行っているはずです。
【発行】宙(おおぞら)出版
【定価】1200円(本体1143円+税)
【公式サイト】http://www.ohzora.co.jp/sf/yuyujiteki/


●新シルクロード 2
 

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NHKスペシャルで放送されている「新シルクロード」の書籍版。
先日、「若い頃、シルクロードに行きたかった」と書いたのですが、シルクロードにも行かずに、そこに行った人たちの原稿をまとめていたりするわけです。でも、写真とか見せてもらうと、やっぱり感動しちゃうんですよね。ちょうど、今度の日曜日(17日)が第4回目の放送です。
僕は、付録のDTP組版を担当。付録も面白いので読んでみてください。

【発行】NHK出版
【定価】1800円+税
【新シルクロードのサイト】http://www.nhk.or.jp/silkroad/

これからも、関わった仕事を随時紹介していきたいと思います。

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オッサンは往生際がカッコ悪い

このところ、一回り以上歳の離れた女の子と、社会人として知り合うことが増えてきた。
そんな若い子と知り合う度に、「そういう年齢なんだなぁ〜。俺もオッサンだな〜」と今さらながら実感するわけだが、近頃は「オッサンになった」だけではなく、若い子と話している自分が惨めに感じるようになってきた。

*  *  *  *  *  *  *

昨日も25歳の女の子と、喫茶店で仕事の打ち合わせをしたあと1時間ほど雑談していたのだが、喫茶店を出て一人になってから、やっぱり惨めになった……

話が噛み合わないとか、沈黙の伴う辛い時間帯があるとか、そんなことはもう何年も前から感じているので今さらどうってことはない。何が惨めかって、相手の女の子が、こっちのせいで話が噛み合っていないのにすごく気を使ってくれているのを、ヒシヒシと感じてしまうわけ。さらに、そんな相手に対してこっちも無理してテンションをあげると、どんどん空しい空気が充満してしちゃうんです。
このところ知り合う女の子がなまじカワイイもんだから、余計に僕も変な力はいっちゃって(笑)、もうどうしようもない。
早々に諦めればいいのに、「お、この話から巻き返して盛り上がれそう」とか思ってジタバタするんだけど、結局どうやっても駄目。っていうか無理。さんざん白けまくって、そんな往生際の悪さを、もう一人の僕が「カッコ悪っ!」って嘲笑ってくれて、ようやっと諦められる。

で、一人になると反省するわけですよ。「往生際だけはよくしようよ」って……。

*  *  *  *  *  *  *

いや〜、年齢も体力もビジュアルも、どれをとってもオッサンであることは充分に実感していたわけですが、若い子と話すってことだけでこんなに辛くなるなんて、寂しいというか悲しいというか、むしろ恥ずかしい。こうやって思い出すだけで、自分が喫茶店で一所懸命になってる姿が頭の中に浮かんできて恥ずかしくなる。

なんて思いながらも、やっぱり若い子の前になるとつい張り切っちゃうのは、悲しい雄の性なのか。
ちなみに来週も、一回り以上歳の離れた初対面の女の子と会わなくちゃいけない予定。来週も落ち込んでいるのでしょうか? 結果や如何に……


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写真は、大川(隅田川)の屋形船。今日も夜な夜な、屋形船では若い女の子とオッサンの攻防が繰り広げられてることでしょう。女を口説くのはいいけど、往生際だけはよくしないとね。

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いつまでも愛されるファンタジー
(映画「ネバーランド」を観て)

実際に観たのは2か月近く前なのだが、お薦めしたいので書いておく。
公開された映画がDVDやビデオになるのに時間がかからなくなった現在では、二番館、三番館という言葉も死語になりつつあるが、そのかわりにDVDやビデオになる前に「名画座」と呼ばれる映画館で上映されることもある。
お近くの名画座スケジュールをチェックして上演予定があれば、ぜひ映画館で観てもらいたい一本が、「ピーターパン」の原作者・バリを描いた『ネバーランド』である。

*  *  *  *  *  *  *

「ピーター・パン」が好きな人は、最初から最後まで楽しませてもらえること間違いなしだ。

ファーストカットで、20世紀初頭のイギリスの劇場が移されると、そこにいるのはその劇場で行われる芝居の興行主であるフローマン。演じているのは、映画『フック』('91)でフック船長を演じたダスティン・ホフマンである。
この時から僕はもう、この映画の魅力に引き込まれていった。
ちなみに、このフローマンは、バリのことをもっとも理解している大人という役柄だ。ピーター・パンの敵役でありながら彼をもっとも愛する大人がフック船長であることを考えると、絶妙のキャスティングなのだ。

そして、この映画の主人公で「ピーター・パン」の生みの親ジェームズ・M・バリが登場する。バリに扮するジョニー・デップは、その端正な顔つきと苦労したというスコットランド訛りを身に付け、まさに英国紳士のようだ。写真で見るバリとも似ている。これまたぴったりのキャスティング。

10分が過ぎる頃には、“ピーター・パン”とそっくりな少年ピーター(フレディ・ハイモア)、かわいい弟“マイケル”やその兄弟たちが出てくる。イギリス生まれケイト・ウィンスレット演じるシルヴィアは、まるで“ウェンディ”が大人になったような母親だ。そうした「ピーター・パン」を連想させるキャラクターは、たくさん登場する。シルヴィアの母親クリスティは、ウェンディを無理矢理レディにしようとする“ミリセント伯母さん”、子どもたちの大好きなバリの飼い犬は、ウェンディの乳母犬“ナナ”だ。
登場人物だけでなく、ストーリーが展開するとともに出てくるエピソードや台詞の中にも、「ピーター・パン」の要素がぎっしり詰め込まれている。ピーター・パンが両親の話を聞いて家出するケンジントン公園、凧揚げするシーンでは「信じれば飛べる!」……etc.。そして、ピーター・パンのモデルになったピーターが、ピーター・パンとは逆に「早く大人になりたい」と何度も言うのは、この映画の重要なキーワードとなる。
ピーター・パンについてまったく知らないという人は少ないだろう。映画を見進める中で、誰もが、「あ、この場面はあの部分に繋がる」と連想させられるのだ。

こうしたキャスティングや脚本の巧みさとともに、もう一つ、カメラワークや構図が絶妙であったことも、この映画の質を高めている。撮影監督のロベルト・シェイファーは、本作品の監督マーク・フォースターと『チョコレート』('02)でも組んでいるが、たしかに『チョコレート』も絶妙な構図を作っていた。他の作品を観ていないので断言はできないが、シェイファーの活躍が見逃せないことも書き残しておきたい。

*  *  *  *  *  *  *

実際にバリがこれほど純粋な人物であったかはわからない。そもそも、この作品がどれほど事実に基づいているかもわからない。しかし、そんなことはどうでもいい。

「ピーター・パン」は、子どもの持つイマジネーション=想像力が、どれほど重要であるかを教えてくれる作品だ。子どもであろうが大人であろうが、そんな豊かな想像力をいつまでも大切にしたいと思わせてくれる。だからこそ、世界中で愛される極上のファンタジーなのだ。

その「ピーター・パン」が誕生してからおよそ100年、この映画『ネバー・ランド』は、21世紀の上質のファンタジーである。

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【作品名】ネバーランド
    (Finding Neverland/'04/
     イギリス・アメリカ/100分)
【監督】マーク・フォースター
【脚本】デイヴィッド・マギー
【撮影】ロベルト・シェイファー
【出演】ジョニー・デップ(『ブロウ』'01)
    ケイト・ウィンスレット
    (『エターナル・サンシャイン』'04)
    ダスティン・ホフマン(『フック』'91/
    『ニューオーリンズ・トライアル』'03)
    フレディ・ハイモア
    ニック・ラウド
    ジュリー・クリスティ
    (『天国から来たチャンピオン』'78)
    ラダ・ミッチェル
【個人的評価】★★★★★★★☆☆☆(10点満点)
【オススメ度】★★★☆☆     (5点満点)

※人名横のカッコ内は、その人の関連作品の中でできるだけ最近のオススメ作品。

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調布あなどれず(再見!マルコ・ポーロ『東方見聞録』とシルクロード)

先日、所用で調布までいったところ、通りかかった調布文化会館で「再見!マルコ・ポーロ『東方見聞録』とシルクロード」なる写真展をやっていたので、ふと立ち寄ってみた。

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まったく期待していないで入ったのだが、すばらしい写真にたくさん出合うことができて、思わぬ幸せな一時だった。平日の昼間のせいか、他に客がいなかったので落ち着いて観られたこともよかったのかもしれない。
月並みな言葉だが、自然の圧倒的な迫力と、そこに住む人たちによる文化のすばらしさ、そして自然と共存する人間の営みを観ることができた。

10代の頃行ってみたいと思っていた海外が、車で何日もかけて走り抜けるシルクロードの旅だった。とくに理由はなかったんだけど、想像の中に広がるシルクロードのスケール感に、漠然とした希望と自分自身のエネルギーみたいなものを感じていた。
結局は、シルクロードどころか海外に一度も行かずにこの歳になってしまった。せっかく海外に行ったことがない希少種なのでこのまま死ぬまで行かずにおこうと思うが、若い頃にシルクロードに行かなかったことだけは、少しばかり後悔している。

そんな僕は、優れた才能とそれを具現化するメディア(写真、映像、文章)によって、海外に行かなくてもそのすばらしさをちょっとだけ享受させてもらっている。
今はそれだけで満足しておこう。


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【追記】
前から感じていたが調布の文化イベントは、ちょっと面白い。毎年行われている「調布映画祭」もいくつかのプログラムの中で、必ず渋いラインナップが見られる。今年も「竜馬暗殺」「書を捨て街を出よう」などの邦画を上映していたし、昨年はフェリーニの「道」が上映されていた。平日にわざわざフェリーニを観に行く奴が調布にどれほどいるのか?と思いつつ、僕も行くことができなかったので、その実態は分からない。
大きなイベントでは、お隣の府中市に持って行かれている調布だが、小さなイベントは侮れない企画がけっこうあるので、これから、調布市文化・コミュニティ振興財団の渋〜〜い企画マンに期待しよう。


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ハリソン・フォードの悲劇
(DVD「ハリウッド的殺人事件」解説)

“ハリソン・フォードの完全復活!”と呼べる作品が、「ハリウッド的殺人事件」だ。
メジャースターのハリソン・フォードも、90年代後半から「デビル」「ワッツ・ライズ・ビニーズ」「サブリナ」「6ナイト7デイズ」など、けっして作品に恵まれているとはいえない状況にいた。それが、ようやく2003年公開の「K-19」という佳作を経て、2004年春、日本で小規模規模に公開された「ハリウッド的殺人事件」で、完全に自分の持ち味を活かした作品に登場したのだ。

この映画では、彼の本来の持ち味である“格好悪いのに格好いい”キャラクターを好演。90年代のハリソン・フォードは、やたらとアメリカで“強いヒーローの象徴”的な扱いをされてきたが、本来は、「スター・ウォーズ」のソロ艦長も、「インディー・ジョーンズ」シリーズのジョーンズ博士も、ちょっと間の抜けたヒーローであり、そういうキャラクターを演じることで日の目を浴びた役者である。昔は敏腕刑事だったが今は落ちぶれたベテラン刑事ってシチュエーションもとてもマッチしており、いい方向に作用している。

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80年代以降、アメリカ社会は“強いアメリカ”を取り戻すのに必死だった。「タクシー・ドライバー」をはじめとした作品で描かれているように、それまでのアメリカは腐り切って崩壊寸前だったのだ。キリスト教文化圏である欧米人独特の感覚で、世紀末が近づいていることもアメリカ人を無意味に不安にさせていた。そこに現れたのがレーガン大統領である。

そして、そういう政治体制を背景に、ハリウッドの映画界は、徹底したエンターテインメントに傾斜していく。くしくも、スピルバーグ、ルーカス、キャメロンなど、古きよきアメリカ映画の子供たちが、台頭してきた。そこで生まれたヒーローが、スタローン、シュワルツネッガー、ブルース・ウイルスだ。
彼らは、極めてアメリカ的なヒーローだったが、しかし、アメリカ人が本当に求める姿ではなかった。なぜなら彼らには、アメリカ人が持っている欧州コンプレックスを払拭するイメージがないからだ。
ケネディ大統領以降、都市部の白人を中心に、アメリカ人は、典型的なヤンキーや移民的アメリカ人よりも、知的で品のある人間を好むようになっていたからである。

だからこそ、エンターテインメント業界で活躍したアイルランド人を父に持ち、スピルバーグやルーカスとともにハリウッドで成功し、「刑事ジョン・ブック」「心の旅」などで演技派として開花しつつあったハリソン・フォードが、アメリカ人に好まれたのだ。それが、「パトリオット・ゲーム」や「今そこにある危機」という原作がスペシャルベストセラーとなった「ジャック・ライアンシリーズ」(1作目「レッド・オクトーバーを追え」ではライアンをアレック・ボールドウィンが演じていたが、2作目から、わざわざ主役をハリソン・フォードに変更した)であり、アメリカ人がテレビで熱狂した「逃亡者」のリメイクであり、その最高峰が「エアフォースワン」なのだ。
「エアフォースワン」こそが、全編にわたりアメリカ万歳を描きながら、強い白人ヒーローのハリソン・フォード大統領だったのだ。
ちなみにあの時代は、日本のバブル全盛期で、映画のなかでも日本に対するコンプレックスや悔しい気持ちが丸出しだ。まさにハリウッドが、極めて内向きな大作ばかりを作っていたことを象徴している。

ところがクリントン政権の90年代以降、アメリカはあらゆる意味で復活した。経済も政治も、かつてないほどアメリカが世界で一人勝ちするようになったのだ。
そうすると、アメリカ人やハリウッド映画人たちにも余裕が出来る。エンターテインメントだけでなく、ヨーロッパの文学性を感じさせる作品にも注目が集まり、あらゆるジャンルの映画が自然と充実する。
フィンチャー、タランティーノ、コーエン兄弟など、映画オタクで現代的なセンスを持った若い映像作家も出て来た。アルトマン、キューブリック、スコセッシ、リンチなど、もともとセンスのあり、ヨーロッパをはじめとした世界中の映画ファンに愛される監督たちは、まさに円熟期に入りはじめた。世界第2位の映画消費国である日本は、国内映画が衰退し切って海外作品ばかりを求めてる。ヨーロッパと日本、世界中がマーケットとして機能し始めたハリウッドには、金が集中して有り余るようになる。さらに、アメリカが、コンピュータ技術の急激な進歩とその利権を独占することに成功したために、世界中から優れた技術者(とくに器用な日本人)たちが集まり、CGも進歩・普及した。

これが、現在のハリウッドである。

「マトリックス」「ロード・オブ・ザ・リング」のようなCG超大作もそうだし、「ムーラン・ルージュ」「シカゴ」のようなミュージカルの再ブームもそうだし、「イングリッシュ・ペーシェント」「アメリカン・ビューティ」「ビャーティフル・マインド」のような凡作にオスカーを与えたのもそうだ(と言ってもこれは今に始まったことでない)。さらに、インディペンド系の映画や文学性の強い映画が充実しつつあることも見逃せない。
すべて、アメリカの余裕から生まれたハリウッドの全包囲的な映画作りによってもたらされている。いま「ハリウッド」と単純に一括りに出来ないのも、同じ理由からだ。

そうした流れの中で、前時代のヒーローたちは、あるものはプロデュース業や政治家となり俳優業の第一線から退き、あるものは演技派俳優として転身していく。そして、その中で彼らは、バブルとも思えるハリウッドの象徴的な存在として、自分を演出し続けているのだ。

ところが、ハリソン・フォードは、そうしたハリウッドの映画人たちと同じような派手な振る舞いを嫌った。「アメリカン・グラフティ」でルーカスに引っぱられるまで、一時は大工仕事で生計を建てたほどの苦労人らしい選択だが、そうした彼の職人的な頑固さも災いしたんだろう。
さらに、同年代の演技派俳優であるデ・ニーロやパチーノのようにイタリア系の独特な影もない。ホフマンやギアがヒーローになりそこねたのと違い、本当にアメリカン・ヒーローとなってしまったために、周囲や観客からは、いつまでもヒーロー像を求められてしまう。アンチハリウッドになったり、哲学や政治色を前面に出すタイプでもない。
そうして彼は、ハリウッドの中心から徐々に後退せざるを得なくなり、本人や周囲の迷走とともに、作品に恵まれなくなっていった。

ここに、ハリソン・フォードの悲劇があったのだ。

しかし、時代がさらに進んで、彼と彼の周囲に再び変化が生まれた。
現在、ハリウッドの最前線では、「スター・ウォーズ」「インディー・シリーズ」「ブレード・ランナー」の興奮に直撃した世代の若き映画人たちが活躍するようになった。友人であるスピルバーグやルーカスは、すでにハリウッドを牛耳っていると言っても過言ではないほど権威者になった。
ハリソン・フォード自身も、殿堂入りを果たし、ハリウッドのオシドリ夫婦と言われるまでだった妻と別れ三人目の妻をもらうなど、プライベートでも大きな変化があった。

時代が変わったためか、自身が変わったためか、とにかく吹っ切れるモノがあったのだろう。彼は今、“ハリウッド的”スターとして復活をしようとしている。
まさに「ハリウッド的殺人事件」は、ハリソン・フォードに相応しい作品だったのだ。
次回作「インディー・ジョーンズ4(仮題)」で、あの「格好悪いのに格好いい」キャラクターを、「ハリウッド的殺人事件」で見せたように、“いー感じのオヤジぶり”で演じきってくれるだろう。今から期待が膨らむばかりである。

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今後、ルーカスやスピルバーグたちと、昔を彷彿させる作品で復活するのは、彼のファンにとってすごく楽しみだ。しかし、もっと楽しみなのは、同じようにアメリカン・ヒーローから脱皮することに成功したイーストウッドと手を組むことではないだろうか。でも、まったく根拠はないが、ハリソン・フォードとイーストウッドはウマが合わないだろうなぁ〜(笑)。
この根拠のない不安が的中することこそ、二人のファンにとって、一番の悲劇かもしれない……。

(某誌DVD解説にて掲載したものに加筆・修正した)

【作品名】ハリウッド的殺人事件
    (HOLLYWOOD HOMICIDE/'03/アメリカ)
【監督】ロン・シェルトン
【出演】ハリソン・フォード(『推定無罪』'90/
    『心の旅』'91/『今そこにある危機』'94)
    ジョシュ・ハートネット
    (『シャンプー台のむこうに』'00)
※人名後ろのカッコ内は、その人の関連作品の中で90年代以降オススメなもの。

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