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ハリソン・フォードの悲劇
(DVD「ハリウッド的殺人事件」解説)

“ハリソン・フォードの完全復活!”と呼べる作品が、「ハリウッド的殺人事件」だ。
メジャースターのハリソン・フォードも、90年代後半から「デビル」「ワッツ・ライズ・ビニーズ」「サブリナ」「6ナイト7デイズ」など、けっして作品に恵まれているとはいえない状況にいた。それが、ようやく2003年公開の「K-19」という佳作を経て、2004年春、日本で小規模規模に公開された「ハリウッド的殺人事件」で、完全に自分の持ち味を活かした作品に登場したのだ。

この映画では、彼の本来の持ち味である“格好悪いのに格好いい”キャラクターを好演。90年代のハリソン・フォードは、やたらとアメリカで“強いヒーローの象徴”的な扱いをされてきたが、本来は、「スター・ウォーズ」のソロ艦長も、「インディー・ジョーンズ」シリーズのジョーンズ博士も、ちょっと間の抜けたヒーローであり、そういうキャラクターを演じることで日の目を浴びた役者である。昔は敏腕刑事だったが今は落ちぶれたベテラン刑事ってシチュエーションもとてもマッチしており、いい方向に作用している。

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80年代以降、アメリカ社会は“強いアメリカ”を取り戻すのに必死だった。「タクシー・ドライバー」をはじめとした作品で描かれているように、それまでのアメリカは腐り切って崩壊寸前だったのだ。キリスト教文化圏である欧米人独特の感覚で、世紀末が近づいていることもアメリカ人を無意味に不安にさせていた。そこに現れたのがレーガン大統領である。

そして、そういう政治体制を背景に、ハリウッドの映画界は、徹底したエンターテインメントに傾斜していく。くしくも、スピルバーグ、ルーカス、キャメロンなど、古きよきアメリカ映画の子供たちが、台頭してきた。そこで生まれたヒーローが、スタローン、シュワルツネッガー、ブルース・ウイルスだ。
彼らは、極めてアメリカ的なヒーローだったが、しかし、アメリカ人が本当に求める姿ではなかった。なぜなら彼らには、アメリカ人が持っている欧州コンプレックスを払拭するイメージがないからだ。
ケネディ大統領以降、都市部の白人を中心に、アメリカ人は、典型的なヤンキーや移民的アメリカ人よりも、知的で品のある人間を好むようになっていたからである。

だからこそ、エンターテインメント業界で活躍したアイルランド人を父に持ち、スピルバーグやルーカスとともにハリウッドで成功し、「刑事ジョン・ブック」「心の旅」などで演技派として開花しつつあったハリソン・フォードが、アメリカ人に好まれたのだ。それが、「パトリオット・ゲーム」や「今そこにある危機」という原作がスペシャルベストセラーとなった「ジャック・ライアンシリーズ」(1作目「レッド・オクトーバーを追え」ではライアンをアレック・ボールドウィンが演じていたが、2作目から、わざわざ主役をハリソン・フォードに変更した)であり、アメリカ人がテレビで熱狂した「逃亡者」のリメイクであり、その最高峰が「エアフォースワン」なのだ。
「エアフォースワン」こそが、全編にわたりアメリカ万歳を描きながら、強い白人ヒーローのハリソン・フォード大統領だったのだ。
ちなみにあの時代は、日本のバブル全盛期で、映画のなかでも日本に対するコンプレックスや悔しい気持ちが丸出しだ。まさにハリウッドが、極めて内向きな大作ばかりを作っていたことを象徴している。

ところがクリントン政権の90年代以降、アメリカはあらゆる意味で復活した。経済も政治も、かつてないほどアメリカが世界で一人勝ちするようになったのだ。
そうすると、アメリカ人やハリウッド映画人たちにも余裕が出来る。エンターテインメントだけでなく、ヨーロッパの文学性を感じさせる作品にも注目が集まり、あらゆるジャンルの映画が自然と充実する。
フィンチャー、タランティーノ、コーエン兄弟など、映画オタクで現代的なセンスを持った若い映像作家も出て来た。アルトマン、キューブリック、スコセッシ、リンチなど、もともとセンスのあり、ヨーロッパをはじめとした世界中の映画ファンに愛される監督たちは、まさに円熟期に入りはじめた。世界第2位の映画消費国である日本は、国内映画が衰退し切って海外作品ばかりを求めてる。ヨーロッパと日本、世界中がマーケットとして機能し始めたハリウッドには、金が集中して有り余るようになる。さらに、アメリカが、コンピュータ技術の急激な進歩とその利権を独占することに成功したために、世界中から優れた技術者(とくに器用な日本人)たちが集まり、CGも進歩・普及した。

これが、現在のハリウッドである。

「マトリックス」「ロード・オブ・ザ・リング」のようなCG超大作もそうだし、「ムーラン・ルージュ」「シカゴ」のようなミュージカルの再ブームもそうだし、「イングリッシュ・ペーシェント」「アメリカン・ビューティ」「ビャーティフル・マインド」のような凡作にオスカーを与えたのもそうだ(と言ってもこれは今に始まったことでない)。さらに、インディペンド系の映画や文学性の強い映画が充実しつつあることも見逃せない。
すべて、アメリカの余裕から生まれたハリウッドの全包囲的な映画作りによってもたらされている。いま「ハリウッド」と単純に一括りに出来ないのも、同じ理由からだ。

そうした流れの中で、前時代のヒーローたちは、あるものはプロデュース業や政治家となり俳優業の第一線から退き、あるものは演技派俳優として転身していく。そして、その中で彼らは、バブルとも思えるハリウッドの象徴的な存在として、自分を演出し続けているのだ。

ところが、ハリソン・フォードは、そうしたハリウッドの映画人たちと同じような派手な振る舞いを嫌った。「アメリカン・グラフティ」でルーカスに引っぱられるまで、一時は大工仕事で生計を建てたほどの苦労人らしい選択だが、そうした彼の職人的な頑固さも災いしたんだろう。
さらに、同年代の演技派俳優であるデ・ニーロやパチーノのようにイタリア系の独特な影もない。ホフマンやギアがヒーローになりそこねたのと違い、本当にアメリカン・ヒーローとなってしまったために、周囲や観客からは、いつまでもヒーロー像を求められてしまう。アンチハリウッドになったり、哲学や政治色を前面に出すタイプでもない。
そうして彼は、ハリウッドの中心から徐々に後退せざるを得なくなり、本人や周囲の迷走とともに、作品に恵まれなくなっていった。

ここに、ハリソン・フォードの悲劇があったのだ。

しかし、時代がさらに進んで、彼と彼の周囲に再び変化が生まれた。
現在、ハリウッドの最前線では、「スター・ウォーズ」「インディー・シリーズ」「ブレード・ランナー」の興奮に直撃した世代の若き映画人たちが活躍するようになった。友人であるスピルバーグやルーカスは、すでにハリウッドを牛耳っていると言っても過言ではないほど権威者になった。
ハリソン・フォード自身も、殿堂入りを果たし、ハリウッドのオシドリ夫婦と言われるまでだった妻と別れ三人目の妻をもらうなど、プライベートでも大きな変化があった。

時代が変わったためか、自身が変わったためか、とにかく吹っ切れるモノがあったのだろう。彼は今、“ハリウッド的”スターとして復活をしようとしている。
まさに「ハリウッド的殺人事件」は、ハリソン・フォードに相応しい作品だったのだ。
次回作「インディー・ジョーンズ4(仮題)」で、あの「格好悪いのに格好いい」キャラクターを、「ハリウッド的殺人事件」で見せたように、“いー感じのオヤジぶり”で演じきってくれるだろう。今から期待が膨らむばかりである。

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今後、ルーカスやスピルバーグたちと、昔を彷彿させる作品で復活するのは、彼のファンにとってすごく楽しみだ。しかし、もっと楽しみなのは、同じようにアメリカン・ヒーローから脱皮することに成功したイーストウッドと手を組むことではないだろうか。でも、まったく根拠はないが、ハリソン・フォードとイーストウッドはウマが合わないだろうなぁ〜(笑)。
この根拠のない不安が的中することこそ、二人のファンにとって、一番の悲劇かもしれない……。

(某誌DVD解説にて掲載したものに加筆・修正した)

【作品名】ハリウッド的殺人事件
    (HOLLYWOOD HOMICIDE/'03/アメリカ)
【監督】ロン・シェルトン
【出演】ハリソン・フォード(『推定無罪』'90/
    『心の旅』'91/『今そこにある危機』'94)
    ジョシュ・ハートネット
    (『シャンプー台のむこうに』'00)
※人名後ろのカッコ内は、その人の関連作品の中で90年代以降オススメなもの。

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