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2008年7月23日 (水)

浅草土産に日本酒はいかが?
「酒の大桝 雷門店」

今週末は隅田川の花火大会。

当日、浅草は人で溢れかえることだろう。
この長屋界隈から隅田川までは1キロ半くらいあるが、上野から歩く人も多く、毎年、この辺りも花火観光の人たちが浴衣で歩く姿を見かける。

ということで、花火を見にきた人たちが浅草でお土産を買って帰る時にお薦めする「酒の大枡 雷門店」の紹介。

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写真は、大桝オリジナルの日本酒「純米 観音裏」「本醸造 三社権現社」「大吟醸 三社様」。

大桝といえば観音裏の地元民なら誰でも知ってる大店(おおだな)だが、ここの若旦那が全国の蔵元を独自にリサーチして、様々な地酒を店に仕入れており、観音裏にある本店は品揃えもすごい(雷門店でも、常時100種類以上の日本酒が揃っているらしい)。その若旦那が仕入れの際に出会った信頼のおける蔵元に依頼し、プロデュースしたのが、このオリジナル日本酒。「観音裏」は福井、「三社権現社」は佐賀、「三社様」は長野ということで、それぞれ蔵本が違うが、どれも口当たりが優しく、さらりとしている。

僕はもう酒をやめてしまったので、僕がいくら酒の評価を書いたところで、上手く伝わらないだろう。興味がある人は、ぜひ店に行って店員さんに解説してもらうといい。

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雷門からすぐ近いところにあるので、花火観光、浅草観光の際にはちょうどいい。
窓ガラスに「SAKE BER」と書かれているように、入り口付近はお酒の小売り販売をしているが、奥はショットバーとなっている。
もちろんオリジナル日本酒も飲めるので、こちらで味見をしてから買うのもいいかもしれないが、花火大会の当日はかなり混んでいることが予想される。おつまみも旨く手頃な店だが、こちらの紹介は、千束の「本店」、たぬき通りにできた「wine-kan」の話を含めて、また改めて。

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相手が酒飲みの時は手土産にちょうど良く、たびたび御遣い物として利用している。

先日も、知り合いが大阪から出張に来て会う機会があったので、大桝オリジナルの日本酒を持って行った。翌日、とある打ち上げ会の予定だったが、残念ながら出席できないので、その際の差し入れということで……。

ということで、締め切り前で忙しい。
今日も暑そうだ。


【名 称】酒の大桝 雷門店
【住 所】東京都台東区浅草1-2-8
【電 話】03-5806-3811
【URL】→ぐるなびにジャンプ←
【定休日】無休
【営業時間】12:00〜24:00
【アクセス】雷門から浅草寺を向いて、仲見世の東側(右
      側)の裏に回って、雷門のすぐ横にある観音
      通りに抜ける細い路地を入り、左手。



2008年7月20日 (日)

市が終わり、梅雨も明け、花火が上がれば、夏が来る……「朝顔市」その2

ということで、入谷朝顔市のつづき。

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下の写真は、鬼子母神の祀られている「真源寺」境内の様子。有名な地口「恐れ入谷の鬼子母神」は、まさにここのことだ。

いつもは真源寺で静かな時を過ごしている鬼子母神だが、今日ばかりは参拝客の願い事が多く忙しくしていることだろう。

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鬼子母神について一応書いておくと——
もともとインドの夜叉神の娘だった鬼子母神は、嫁いだ後に500人とも1000人とも言われるほど多くの子供を産んだ。しかし、その性格は凶暴で、近隣の子どもをさらい喰ってしまうなど、人々に恐れられていたのだった。見かねたお釈迦様は、鬼子母神がもっとも可愛がっていた末の子どもを隠してしまう。それを知った鬼子母神は、嘆き悲しみ狂ったように泣き叫んだ。お釈迦様から「千人のうちの一子を失うもかくの如し。いわんや人の一子を喰らうとき、その父母の歎きやいかん」と戒められ改心することを誓い、その後、安産・子育ての神になったという。

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さらに余談——
真源寺では、鬼子母神が改心して仏教に帰依したことから、「鬼」という字をそのまま使わず、テッペンの「ノ」(つの)をとった字を使うことが慣例となっている。
僕らが仕事で真源寺の鬼子母神を紹介する時も、作字して使用している。


で、最後に売り子さんたちを。

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朝顔市は、朝早くから夜まで開かれているため、小さい売り子さんはお疲れモード。
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昨日19日に、関東地方は梅雨が明けたらしい。
お富士さんの植木市、朝顔市、ほおづき市が終わると、次は隅田川花火大会だ。

東京に本格的な夏が来る。

市が終わり、梅雨も明け、花火が上がれば、夏が来る……「朝顔市」その1

以前の記事(いなり寿司「きつ音 忠信」)でも紹介したが、「雪暮夜入谷畦道」(ゆきのゆうべいりやのあぜみち/通称「直侍」)という歌舞伎の狂言で、直次郎というヤクザな男が、自分の悪事による追っ手から逃れるために立ち寄った蕎麦屋の場面で、当時の入谷が描写されている。
田畑の広がる寂しい村に立つ一軒の蕎麦屋に立ち寄る直次郎。そこで偶然、直次郎の恋人である三千歳が病(恋煩い)に臥せって養生に来ていることを知る。

河竹黙阿弥の作品であることと、明治17年(1984年)に亡くなった三千歳が実在の人物であったことから、江戸末期(1820〜30年代頃?)の情景を今に伝えていると考えていいだろう。
一部は寛永寺の門前町として栄え、中小の寺社も数あったが、基本的には田んぼや畑が多く、また武家や豪商の別荘地や保養地ともなっていたらしい。

また、落語の世界では、例えば有名な「茶の湯」のように、入谷の隣町である根岸で隠居した旦那衆がちょくちょく描かれていることから、明治期には入谷から谷中に向かってリタイヤした中流〜上流階級の隠居先としても定着していたようだ。
江戸っ子たちにとっては「安近短」の身近な郊外地だったんだろう。
この長屋のある下谷・稲荷町界隈の北隣、浅草の西隣に位置する。

さて、今日はその入谷一帯が一年のうちで一番賑わう「朝顔市」(正式には入谷朝顔まつり)だ。

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例年は、7月6〜8日に開催されるが、今年はサミット警備の都合上、18〜20日の変則日程。 下の写真のように、片側3車線の言問通りを、片側は朝顔、もう片側は通常の的屋、それぞれ一車線ずつ潰して露店を出すので、警察の警備もかなり厳重。時間帯によっては車を通行止めにして、道路を開放する。 ここの他、路地に入っても朝顔市の露店だらけだ。
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江戸時代、入谷より南に下った「御徒町」は、御家人でありながらも足軽的な存在だった「徒士(かち)」と呼ばれる下級武士の住居となっていた。その下級武士たちの家では内職をすることが常だったが、内職の一つとして始めたのが朝顔づくりだった。 江戸末期には、下谷界隈(御徒町も下谷界隈の一部)では、約80種もの彩り鮮やかな朝顔が盛んに栽培され、徐々に江戸の評判になり、市が立つようになった。それが「朝顔市」の始まりとされている。

ところが、この下谷で開かれていた朝顔市は、すぐに衰退してしまった。どうやら、あまりにも奇をてらった朝顔が多く、江戸っ子に嫌われたらしい。

その頃には、入谷や浅草でも朝顔の栽培と市が盛んになり、明治から大正期にかけて入谷の朝顔市が、もっとも有名なものとなっていった。
その後も市は続いたが、入谷は第二次世界大戦の空襲の被害が大きく、一面が焼かれ朝顔もほぼ全滅してしまう。
戦後、徐々に植木職人たちが朝顔づくりを復活させ、鬼子母神の「真源寺」境内で朝顔市が復活し、今では「入谷の朝顔」は初夏の風物詩として東京の人たちに親しまれている。

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上の写真のように下谷観光連盟の「朝顔市」の札が付いている朝顔が公認されているもの。
連盟に金も払わずに、近くで便乗して売る人たちも多いらしく、買う方としてはそんな物は関係ないし、肝心の花よりも目立つ札なんて野暮だとも思うが、まぁイベントを継続的に開催して行くための防衛策ということだろう。

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長くなったので、分割して「朝顔市」その2につづく。

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